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野いちご  作者: 立花招夏
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番外編 薔薇園にて

 島から戻ったいずみと青洲は、佐川家を訪れていた。佐川徳子に会う為だ。会いたい旨を佐川に伝えたら、この日を指定してきた。


 蔓バラ、ナニワイバラ、オールドローズ、モッコウバラ……ちょうど薔薇の季節で、佐川家の庭は薔薇が花盛りだった。

「おばあさま、ご精が出ますね」

 薔薇の手入れをしている佐川徳子に、佐川崇が背後から声を掛ける。佐川の後をついて来ていたいずみと青洲は、見事な薔薇園に目を見張る。声を掛けられた佐川徳子は、崇の声に振り向いて、目を見張った。

「崇さん……その方は……」

「こちらは、今僕がお世話になっている吉田グループの吉田青洲さんです」

 にこやかに説明する崇に、徳子は心ここにあらずな表情で青洲に挨拶をすると、ちらちらといずみに視線を投げる。

「おばあさま、もうお分かりなんでしょう? こちらは鈴森いずみさんです。あなたがずっと探していた」

「鈴森いずみ……さん、あなたが……」

 白髪の柔らかそうな髪を夜会巻きにした徳子は、持っていた剪定ばさみを置いて、園芸用の手袋を優雅な手つきで外した。

「あの……初めまして、鈴森いずみです。あの……私、なんと言えば良いのか分からないのですが、祖母の鈴森青子がお世話になったようで、あの……」

 いずみの祖母の鈴森青子は、佐川徳子の元夫、志木仁の愛人だったのだ。いずみには直接関係のないことではあるし、青子の記憶もちっとも無いのだが、自分の祖母がそのような立場だったと知れば、どうしても戸惑ってしまう。そのうえ、徳子が、元夫の愛人の娘や孫を探していたと聞けば、戸惑いは深まるばかりだ。

「びっくりしたわ。鈴森青子さんが現れたのかと思ったのよ……とても良く似ているのね」

 佐川徳子は驚きと戸惑いと、少しばかりの哀愁を漂わせてそう言った。

「今、お茶を用意させるわ」

 三人は室内へ案内された。


「いずみさん……だったかしら、あなたは今何かお仕事をされているの? それとも、まだ学生さんかしら?」

 徳子はソファにゆったりと腰かけながら、いずみに問いかける。

「いえ、今仕事はこれと言っては……少し前までメイドをしていたんですが、そこを追い出されてしまって……」

 緊張した面持ちで、生真面目にいずみが答える。

「失礼だけど、あまり、良い生活をしていらっしゃらないようね」

 歯に衣着せぬ徳子の言い方に、いずみは動揺しながら頷くと、俯いた。

「すみません、祖母は遠慮のない人で……」

 崇が謝る。

「私はね、崇の祖父、あぁ、あなたにとっても祖父だわね、志木仁とは、政略結婚だったの。当時私には好きな人がいて……。仁もそのことを知っていたわ。だから、私たちは表面を取り繕っただけの偽装夫婦だった。なのに私ったら、さっきあなたたち、崇とあなたが一緒に歩いて来ているところを見て動揺してしまったの。崇は仁にそっくりだから、二人が……仁と青子さんが会いに来たみたいで……驚いてしまって……。私は業が深いわね」

「あの、ごめんなさい……私、そんなこと知らなくて……」

「それで? あなたは崇とお付き合いしているの?」

 いずみの言葉を遮って、徳子は何気なく問いかける。

「いえ、私は……」

 いずみは俯いていた視線を慌てて上げる。

「おばあさま、また適当なもーそーを……」

 佐川は紅茶を啜りながら、呆れたように答えた。

 いずみが動揺して、青洲に身を寄せると、

「あら、あなたは、そちらの方と親しくしてらっしゃるの? そうなのね?」

 徳子は少しほっとしたようにそう言うと、ため息をついた。

「私ね、仁が死んだ時、鈴森青子さんの存在を知りながら、一週間以上も仁の死を知らせなかったのよ。結局、僅かばかりの慰謝料を渡しに行って、仁の死を知らせたのだけど……私ね、彼女に家の門をくぐることすら許さなかったの……だから彼女は仁の位牌にさえ対面してないのよ」

「……それは仕方がないことだと思います。所詮、愛人は愛人でしかありませんから……」

 いずみは真っ直ぐに徳子の目を見つめた。

「あぁ、その目。青子さんも、そんな真っ直ぐな毅然とした目で同じことを言ったわ。お陰で、私は言った瞬間に後悔させられた。未だに後悔しているの。あの人に、線香の一本くらい上げさせておけば良かったって……。一時の感情に流されて、つい意地悪をしてしまったのね。馬鹿だったわ」

「そんなことは……」

 戸惑ういずみの横で、佐川が、

「自業自得なんですよ」としたり顔で頷いた。そんな佐川を軽くねめつけてから、徳子は続けた。

「それで、私はずっと青子さんのことを探していたの。彼女、その後引っ越してしまって、どこにいるのか分からなくなってしまっていたから。私は青子さんにお子さんがいるのを知っていたから、もし、生活が苦しいようなら援助すべきだろうって、仁の血を分けた子なのだからと……。そうすることで私の気も晴れるような気がしたのよ。でも、彼女は見つからなかった」

「……そんな……」

 いずみは感極まって言葉を失った。祖母や母を通して、自分を探してくれていた人がいた。そのことは、天涯孤独な身の上だったいずみにとっては、言いようもなくありがたく、もったいない話だった。愛人の子ども、もしくは孫に過ぎない、私たち親子を探してくれていた人……。

「もう、その言葉だけで充分です。母も感謝していると思います」

 いずみは涙ぐんで言葉を紡ぐ。


「おばあさまは、お金だけには恵まれてますからねぇ」

 などと軽口をたたきながら、出されたシフォンケーキをもぐもぐ頬張っている崇を、徳子はきっと睨みつける。

「私が恵まれているのは、お金だけではありませんよ。結果として愛する人の子どもにも、そして友情でつながっていた仁の子どもにも恵まれましたからね」

 しゃあしゃあとそんなことを言う徳子に、佐川が絶句し、青洲といずみはぽかんとする。

「あぁ、こんなことまで話すつもりではなかったのに……」

 徳子は顔を顰めながら、崇さんのせいですよと睨みつけた。

 当時、徳子は政略結婚などする気がなかったのだ。彼女は、親の言いなりなどにならない勝気なお転婆娘だった。

「愛する人との間に子どもができてしまえば、政略結婚などしなくて済むと思っていたのよ。でも、話はそんなに簡単には済まなかった。親にまで堕胎しろと迫られて、いっそ駆け落ちをしようと考えていた所に、仁が提案を持ちかけた。彼は、生まれてくる命を殺してはいけないと言った。しばらく偽装結婚して、ほとぼりが冷めたら別れれば良いのだと……そう、笑顔で言ったの」

 何事に付け、大ざっぱで適当で、でも大らかで人懐こくて思いやりが深くて、妙に人を惹きつけてしまう人。それが志木仁だった。

「おっどろき。なのに、離婚もせず、更に子どもまで……」

 佐川は目を見張る。

「まぁ、そのへんは、色々事情があったのです」

 徳子はゴホンとわざとらしく咳払いをした。

「まてよ、ってことは、伯母さんと僕の親父は異父姉弟ってことに……」

「そう言うことですよ。さあ、もうこの話はおしまい。あなたがたも今聞いたことは忘れてくださいね。終わったことですから……」

 青洲といずみは神妙に頷いた。

「話を元に戻しますよ。私は青子さんのお子さん、もしくはその子どもに、支援をするつもりで探していたのです。いずみさん、もし、あなたが生活に困っているようなら……」

 徳子の言葉をいずみが遮る。

「あの、仁お祖父様は、徳子さんの事をトッコさんって呼んでいましたよね?」

 一瞬、瞠目してから徳子は頷いた。

「信じられないかもしれませんけど、私、仁お祖父様にお会いしたのです」

「それって、結界の中でってことですか?」

 佐川が驚愕した表情で問う。

「実は俺も会ったんだ」

 青洲も相槌をうつ。首を傾げる徳子に、佐川が事件の概要を説明した。

「最後に、私、仁お祖父様に頼まれたんです。向うでトッコに会うことがあったら、俺の事など気にせずに、真島と幸せになればいいって伝えてほしいって。もしかして、真島さんって方が……」

 いずみの言葉に崇が瞠目する。

「真島? まさか、執事の真島ではないですよね? おばあさま……」

「崇さん、あなたはどこまで私の秘密を暴露するつもりなのです……」

 徳子はしかめっ面で崇をなじる。

 真島は、今では佐川家になくてはならない有能で物静かな執事だ。肝心な時には、忠実な騎士のように必ず徳子の傍に控えている。

「真島とは、今では良い茶のみ友達です」

 徳子は真面目くさって説明する。そして、すぐに悲しげな顔になって呟いた。

「そう、仁はずっと霊魂のままさまよっていたのですね……」

 志木仁は、あのまま魂魄として封印されてしまったのだろうか。いずみは、それを思うと悲しくて胸が痛くなる。

――私の身代わりになって、お祖父様は……。


 すっかり沈みこんでしまった三人に、青洲は、結界の中で出会った志木仁とのことを話した。

「そうだったんですか。お祖父様は、依り代として生きることを拒否して、死んでしまったんですね」

 青洲から志木仁のことを聞いた佐川は、しんみりとした顔でそう言った。

「僕はね、ずっと疑問に思っていたんですよ。どうしてお祖父様は依り代になれなかったんだろうかって。大伯父の志木聖にできたことが、どうしてお祖父様にはできなかったんだろうかって、ずっと考えていて……少し不満だったんです。でも、今やっと納得することができました」


『いや、契約をしなかったんだ。何か願い事を言えと言われて、無いと答えた。何度かそんなやり取りをしていたら……このざまだよ』と言って笑ったと言う志木仁、佐川が考えていた理想の祖父像と、実際の祖父、志木仁がぴたりと重なる。


 そんな佐川のしんみりした様子に、徳子が呆れた顔をして肩を竦めた。

「何が、そんなことを頼めばトッコは無事でいられなかったはずだーよっ。だったら、もっと簡単な用事を頼めば良かったじゃないの。大好きな甘酒が飲みたいとか。それを頼んだら甘酒屋が無事でいられないとでもいうの? ばっかみたい! 大体あの人は、昔から肝心なところで抜けているのよっ」

 徳子は、何度も馬鹿だ馬鹿だと言いながら、終いには顔を両手で覆った。

「おばあさま、はい……」

 崇が、ポケットからクシャクシャに丸まったハンカチを取り出して徳子に渡す。徳子は、こんな汚いハンカチしかないのかと、ケチをつけながらも、ハンカチで顔を押えたまましばらくの間啜り泣いた。


「いずみさん、今度は馨君を連れて遊びにいらっしゃい」

 徳子はそう言ってにっこりほほ笑んだ。

 むせかえるような薔薇の甘い香りに見送られて、いずみは青洲と帰途につく。

「佐川徳子さん、とっても良い人でしたね。ここを実家だと思ってくれていいなんて……そんな優しい言葉をかけていただけるなんて思ってませんでした」

 いずみが感激して言うと、

「だからって、実家に帰らせていただきますとか言って、俺の所から出て行かないでくれよ」と青洲が顔を顰める。

 クスクス笑いながら、いずみは青洲の腕に手を絡ませた。


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