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野いちご  作者: 立花招夏
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第十四話 窮すれば通ず(5)

 いずみの細い首に手を当てたまま、青洲は途方に暮れる。

「いずみちゃん、そんなことできない……そんなこと……できる訳がないだろ?」

 青洲の両手が、力なくはらりと落ちる。いずみは再び青洲の両手をとって首に当てた。金色の大地はじわりじわりと這い上って、既にいずみの膝までを黄金色に変性させていた。

 いずみは、島で見た夢を思い出す。

 悪夢の中で、青洲に助けを求めると、いつでも青洲は助けにきてくれた。しかし、最後にみた悪夢の中で、青洲は悲しげな顔でいずみをくびり殺そうとしていたのだ。なんという、暗示的な夢……。

――あの夢が現実になる時が来たんだ……

 いずみは、青洲の目を真っ直ぐに見つめた。

「……青洲さん、青洲さんは元の世界に戻ってください。そしてマメ太のことをお願いします。私ね、青洲さんに会えて幸せだった。今まで生きてきた中で一番幸せだったの。私は、青洲さんがくれた幸せな記憶があるから……私はもう大丈夫。だけど、マメ太は、これから、きっと青洲さんが必要になる。だからお願い、青洲さん……」

 切々と訴えるいずみの懇願に、青洲は絶望的な思いで両手に力をいれた。しかし、すぐに再び青洲の両手から力が抜ける。

――駄目だ、できない。いずみを失って元の世界に戻ったところで、どうなるというんだ?

「青洲さん……お願いよ……」

 泣きじゃくるいずみを抱きしめたまま、青洲は首を振る。

「いずみちゃん、やっぱりできないよ。マメ太には、白舟も赤秀も親父だってついてる。だから心配ないんだ。親父なんて、自分の本当の子どもみたいにつきっきりだよ」

「父さまが……」

 いずみは目を見張る。

かおるって、名前までつけちゃったんだ。俺たち、兄弟みんなで止めたんだけどね。いずみの了解もなしに勝手なことするなって。でも、もう馨って名前に反応するまでになってて……ごめん。だから、マメ太は何の心配もいらないんだ。俺は、君とここに残る。もう二度と、君を失いたくないんだよ」

「青洲さん……」

 青洲に強く抱きしめられながら、いずみは、ひっそりと涙を流した。

「あの子は……マメ太は、馨って名づけられて喜んでいると思う。そう呼ばれて、私も嬉しい」

――父さま……ありがとう……馨と名づけてくれて……

 あの時、吉田の奥病棟で、龍生は確かにこう言ったのだ。

『誰に分からなくても、わしの目を誤魔化すことはできないさ、薫。なぁ? そうだろう?』と……

 あの夢に出て来た少年……照れ臭そうに俯いた横顔を、いずみははっきりと思い出していた。

――良かった。馨……無事で……本当に良かった。


 それまで、少し離れたところで、ぼんやりと青洲といずみのやりとりを聞いていた怪物が、ゆるゆると遠慮がちに近寄ってきた。青洲には目もくれず、いずみの顔を不躾なまでに、じろじろと覗きこむ。いずみは驚いて青洲にしがみついた。

「ああ、いずみちゃん、こいつは……えっと……俺をここまで連れて来てくれた怪物なんだ。名前は知らないんだけど……」

 怪物は、青洲の説明が耳に入っていないのか、無言のまま、そろりと遠慮がちにいずみの髪に手を伸ばす。いずみが小さな悲鳴を上げた。

「おいー、怖がるだろ? やめろよ」

 青洲の制止も聞かず、更に怪物は、鋭い鉤爪のついた指先でいずみの顎をつまむとグイッと無理やり上を向かせた。

「やめろって」

 怯えて固まってしまったいずみから、青洲は手を払いのけた。

『これが、鈴森いずみか?』

「そうだ」

 少し呆然とした表情の怪物に青洲が答える。怪物は、ぶつぶつと呟き始めた。

『そのひとは、鳶色の愛らしい瞳をしていた。鈴を転がすような涼やかな声をしていた。涼やかな声で、優しく、何度も名を呼んだ。かつて、俺が持っていた名を……今は失ってしまった……俺の名を……。彼女の名前は……鈴森……青……せい……』

 怪物の独白に、青洲は瞠目する。

「鈴森……青子と今言ったか? あんた……あんた、まさか……志木……仁……なのか?」

 青洲の問いかけに、怪物は一瞬驚愕の表情を浮かべて、しかし、次の瞬間途方に暮れたように呟いた。

『そうだ。俺は……志木仁だ。思い出した……思い出した……』

「ねぇ、青洲さん、志木仁って誰なの? 青洲さんの知っている人だったの?」

 怯えたまま問ういずみに、青洲も少し途方に暮れて説明する。

――こんな所に、志木仁が……。

「いずみちゃん、彼は、志木仁氏は、君のお祖父さんだ。君のお母さん、鈴森秋乃さんのお父さんなんだ」

「私のお祖父様……」

 目を見開くいずみに、青洲は頷いた。

『いずみ……俺の孫? そうか、それでこんなに青子に良く似ているのか。秋乃も青子に良く似ていたが、秋乃以上に青子そっくりだ』

 志木仁は途方に暮れていた表情を緩めて、嬉しそうに小さく笑う。しかし、すぐに暗い表情になった。

「……青子はどうしているだろうか。君は何か知っているか?」

「鈴守青子さんなら、既に他界されています。いずみが生まれて間もなくのことですよ」

 いずみの身辺を秘書の中川に探らせた。良い結果は何一つなかったのだ。青洲は苦い気持ちで、志木仁に伝える。

「そうか……そうだろうな。あんな恐ろしい封印を破ってしまったんだ。霊に敏感だった青子が無事で済む訳がないんだ」

 志木仁はがっくりと項垂れた。

「どうしてだ? どうしてあなたは、島の禁足地から封印などを掘り出してしまったんです?」

 青洲は痛ましい心持で問いかける。

『そうだな、俺たちは……愚かなことをした。だけど、誓って言うが、決してあんな恐ろしい結果をもたらそうと思ってのことじゃなかった。俺も青子も、ただ、単に互いに喜ばせたかっただけなんだ。俺は歴史学者として功績を上げて青子を喜ばせたかったし、青子もまた、俺に情報を提供することで喜ばせたかったんだと思う。だけど、結果的に、俺は決して掘り出してはならないものを、掘り出してしまった……』

 怪物の姿のままで、志木仁は更に縮こまって項垂れた。

「あの夜……封印を解いた夜、研究室で何があった?」

『あの夜にあったことは、今思い出しても鳥肌が立つよ。俺は、てっきり、あれがヒヒイロカネだと思っていたからね、成分を調べる為に少し削ったら、中から悪霊がワンサカ出て来たんだ』

 志木仁は、たった今悪夢を見たかのように、ゴツい両手で顔をごしごしと擦った。

「あんたは依り代になれなかったのか?」

 青洲の問いかけに、志木仁は力なく首を振った。

「いや、契約をしなかったんだ。何か願い事を言えと言われて、無いと答えた。何度かそんなやり取りをしていたら……このざまだよ」

 志木仁は苦笑する。

「……適当になんでも言えば良かったんじゃないのか? 愛人と暮らせるようにしてくれとか……」

 青洲が皮肉をこめて言うと、志木仁は力なく笑った。

『君は、霊のことを何も分かってないらしいな。そんなことを頼んでみろ、やつらは手段を選ばずそれをやる。恐らくトッコは無事でいられなかったはずだ』

「トッコ?」

『正妻だ』

「なにが正妻だ、だ。威張って言えることなのか? そもそも、正妻が心配なら、あんたは愛人なんて作るべきじゃなかったんだ」

 突然湧き上がった憤りに、青洲は思ったままを口にしてしまい、しまったと手で口を塞ぐ。鈴森青子が志木仁の愛人だったことをいずみは知らない。案の定、いずみが当惑した表情で、「愛……人?」と、呟く。

 しかし、志木仁は悪びれる様子がなかった。

『二人とも大事だったんだ。仕方がないだろう? 人を思う気持ちをコントロールできるほど、俺はできた人間じゃなかったし、世の中にはどうしようもないことが石ころみたいに転がっているもんなのさ。少なくとも、俺の人生はそうだった』

 志木仁はため息をついて弱く笑う。

「……俺、このままここであんたと一緒に結晶化したくない気分満載だな。俺は、自分の気持ちに正直に生きて、誰かを不幸にするような生き方はしたくない」

 顔を顰めて苦言を呈する青洲に、しかし志木仁は破顔した。

『そうか! それを聞いて安心した。それなら、ここからとっとと出て行けばよい』

「しかし、残念ながら、俺はいずみちゃんを置き去りにする気もないんでね」

 憮然と見つめる青洲に、志木仁は目を輝かせた。

『だから、二人で出て行けば良いと言っている。君に孫を任せよう!』

「任せようって……」

 青洲は遠い目になる。

――正妻も愛人も子どもも、全部置き去りにして、とっとと、死んだ癖に……

「そりゃ、二人で出て行けるものならそうするさ。だけど、いずみちゃんの足が……」

『足がどうしたって?』

 志木仁がニヤリと笑む。

 志木仁がいずみを持ち上げると、溶接が溶けたかように何の抵抗もなく持ちあがった。いずみは、すっぽりと志木仁の腕の中に収まる。青洲は目を見張った。

『あぁ、青子と同じだ。柔らかくて良い匂いがする。いずみ、か……良い名だ』

 志木仁は、いずみに頬ずりをした。いずみは驚いた様子で、しかし、ぎこちなく志木仁の首に抱きつく。

「すごい……お祖父さま」

「どうして? 俺には持ち上げられなかったのに……」

 当惑気味の青洲に、志木仁は小さく笑む。

『なに、がっかりすることは無いさ。君にはできないことなんだ。言っただろう? 君は依り代になれないと。そして当然、俺にもできないことがある。だから、俺の最後の勝手な願いを君に託すよ。どうか、いずみを幸せにしてやって欲しい』

 そう言うと、志木仁は縋りついているいずみに、優しげな視線を落とした。

『いずみ、凄いのは俺じゃない。依り代になれない性質の彼がここまで来られた、それこそが凄いことなんだ。奇跡なのだよ。覚えておくといい』

 志木仁の言葉に、いずみは嬉しそうに笑顔で頷いた。しかし、青洲は、志木仁の足元を見て驚愕する。

「あんた、足が……」

 青洲の声に、いずみも気づいて小さく悲鳴を上げる。志木仁の怪物めいた足が、金色の大地と一体化していた。

『もういいんだ。俺はもう現世にはいられぬ身だ。すべて思い出したし、覚悟もできている。最後に孫にまで会えた俺は果報者だ。ほら、耳を澄ましてみろ、聞こえるだろう? 疾風が近づいている。光の道を辿って、向こう側に戻れ』

 志木仁が指し示した方を見ると、薄暗い金色の大地に、細い一本の光の道ができていた。それは緩やかなカーブを描いて一直線に空へと続いている。

「疾風とは?」

 怪訝そうに青洲が問い返した、その時、大気を震撼させる遠雷の音が鳴り響いた。志木仁が、急げと合図する。それに大きく肯いて、青洲は光の道に足を踏み入れた。

『いずみ、向うに戻ったら、伝えてくれ……』

 志木仁の声が、轟音をたてて吹き荒れ始めた風に紛れる。

「お祖父さまーっ」

 振り返り振り返り、名残惜しそうに何度も自分を呼ぶいずみに、志木仁は大きく手を振った。青洲はいずみの手をしっかり握りしめると、志木仁が指し示した光の道を疾走した。


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