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野いちご  作者: 立花招夏
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第十四話 窮すれば通ず(1)

 窮すれば通ず:困難だからといっても、簡単にあきらることなく解決法を考えていると、道が開かれるという意


 花が散る 小さく 白く 羽のように軽く

ふわり ひらり

ふわり ひらり はらり

 髪に、額に、まぶたに、頬に、鼻に、くちびるに

 花びらは降り積もる


 いずみは白く煙った靄の中で、仰向けに横たわっていた。

 体が重くて動かない。まぶたさえも閉じることができない。凍りついたように動かない視界の中で、白い花びらが、遥か上空の霞みの中からチラチラと現れては降り注ぐのを、ただぼんやりと見ていた。

 ここは深い闇の沼の底の底。時間と空間が堆積してできた大気の層が幾重にも重なって、その重みで動けないのだと、いずみはぼんやりと理解する。存在するのは、静寂……気が狂いそうなほどの静寂…………

――声が聞きたい

『誰の?』

――自分ではない誰かの声……

『誰でもいいの?』

――ちがう!

『じゃあ、誰?』

――分からない……

――お願い……私の名前を呼んで……

――私の名前を……優しく呼んで……

――私は私の名前が分からない

――分からない……分からない……

――助けて……

 涙が零れ落ちる。

 白い靄は上空で渦巻いて、いずみを責め立てる。

『契約を』

『さもなくば、解放を!』

 耳をふさぎたくてもふさげない。いずみは静かに泣き続ける。

――ごめん、ごめんなさい……

――私は、ナニモシテアゲラレナい


 青洲は深い霧の中を、ひたすら野いちごの茂みを目指して歩いていた。それほど遠くないように見えるのに、野いちごの茂みはいっこうに近くならない。足元がフワフワしていて頼りないのに加えて、足元で粘りつく霞みが絡みついているようで、それが足取りを重くしていた。しかも、後ろから、あのデカい怪物がずっとついて来るので、それも気になって後ろばかり振り向いてしまう。

「おい、ついて来るなって言ってるだろ?」

 青洲は眉間にしわを寄せて文句を言う。

 ところが何度文句を言っても、怪物は青洲が立ち止まると止まるし、歩き始めると、再び怪物も後をついて歩き始めるのだ。先ほど破かれた背広の襟の切れ端は、食べてしまったのか、既にない。

――まぁ、ウール100%だから、食べても大丈夫なのかな?

 ふと気づいて、青洲は上着の胸元をクンクンと臭ってみる。未だに濃厚な甘酒の匂いがする。

――これか? これのせいなのか?

 青洲は上着を脱ぎ、ネクタイも外す。どちらも結構な甘酒の匂いが染みついている。ネクタイをズボンのポケットに丸めて押しこむと、青洲は上着のタグを確認した。確かに表地はウール100%だが、裏地はキュプラ100%と書かれてある。

――キュプラ……化繊だっけ? 確か、綿を加工したものだったか……良くわからんな。

 青洲は上着を手に、後ろを振り返った。

「おい、これをやるから、もうついて来るなよ。ほらっ」

 青洲は怪物に上着を放り投げる。

「表地は羊の毛だが、裏地は化繊かもしれん。裏地を食うのはやめておけ。腹を壊すぞ」

 果たして怪物が腹を壊すのかどうかなど分からなかったが、一応注意はしておいた方が良さそうだと思った訳なのだが、怪物は上着を手にした途端、一瞬途方に暮れたように立ち止まった。しかし、すぐに上着を持ったまま青洲の後を追う。

――なんなんだよ。どうしてついて来るんだ?

 青洲も途方に暮れたまま歩を進める。しかし野いちごの茂みは一向に近づく気配がない。そして相変わらず怪物はついて来る。

「おいー、頼むからついて来るのをやめてくれないか?」

 青洲はとうとう音を上げた。

『願い事を言うが良い』

 怪物は突然野太い声を響かせて話しかけてきた。青洲は瞠目する。

――願い事? これが霊との契約というやつか?

 しかし、志木司の説明によると、契約は依り代になって後のことだと聞いている。いずみの結界に入ったことによって自分も依り代になったと言うことなのか。青洲は考え込む。

「一つ、訊いてもいいか?」

 青洲が考え込んで立ち止まったのを幸いに、どっかりと座りこんで嬉々として背広の裏地をピリピリ剥がし始めた怪物に問いかけた。

『なんだ?』

 怪物は、背広の胸ポケットを口に放り込みながら、くぐもった声で返事をする。

「願い事を言ったら、おまえは俺の魂を食うのか?」

 生真面目な顔で問いかける青洲に、怪物はむしゃむしゃ咀嚼していた口を止めて、ぽかんと青洲の顔を見上げた。

『何故?』

「願い事を叶えれば、その願いの代価として魂を喰らう。それが契約なんじゃないのか?」

 怪物は青洲の言葉に、面白そうに顔を歪めて、くくく、と笑うと再び咀嚼を始め、ごくりと飲み込んだ。

『おまえは依り代にはならぬ。願い事を叶えるのは、甘酒付きの背広の礼だ。だから、叶える願い事は一つだけ。つまり、背広の代価と言う訳だ。久々の甘酒だ、もう少しサービスしてやっても良いとは思うが、なにしろ量が少ない……』

 怪物は不満げに口をとがらせた。青緑色の皮膚に、つり上がった眦、口から覗く歯は肉食恐竜のようにとがっている、しかし、拗ねた様子のその表情がやけに子どもっぽくて、青洲は苦笑する。天真爛漫な鬼、もしそんなものがいるのならば、目の前に居るこいつの事かもしれないと笑いをかみ殺す。

――背広代なら問題ないか。

 気を取り直して、青洲は今一番難儀していることを打開することにした。

「では、あの野いちごの中に行きたいんだが、連れて行ってくれるか?」

『あの中に行きたいのか?』

 怪物になら、さほど難しくは無いのかもしれないと考えて口にした青洲の願いに、怪物は顔を顰めた。

「ああ、そうだけど……」

『どうしてもか?』

「?」

 何故か憐れんだ瞳で自分を見つめる怪物を怪訝そうに見返しながら、青洲は頷く。

『どうしても行くと言うのなら仕方がない』

 怪物は青洲に近づくと、頭を右手で鷲づかみにし、左手と左腕で青洲の体を掴んで固定する。

「ちょ、ちょっと待てよ。何をするつもりだ?」

 今にも首を引っこ抜かれそうな体勢に、青洲は慌てた。

『あの中に入れるのは魂のみだ。案ずるな。楽に殺してやる』

 そう言いながら、怪物は頭を持つ手に力を込めた。

「待て待て待て待てっ、ストップだっ」

 青洲の制止に、怪物の手から力が抜ける。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。願いを言いなおす。厳密に言えば、俺はあの中に居る鈴森いずみに会いたいんだ。いずみを元の場所に連れ戻したいんだ。更に言うなら、俺はいずみに安心して暮らせる場所を作ってやりたいんだ。だから元の場所に戻った時に、俺が死んでいては意味がない。いずみは……死んでいない、絶対に死んでないと思う。だから俺も死ぬわけにはいかないんだっ」

 少々混乱気味に願いを言い直す青洲に、怪物は小さく首を傾げた。

『鈴森……だと?』

 怪物は幽かに動揺した様子だった。

「そうだ。鈴森いずみ……俺の大事な人だ」

『鈴森……いずみ……』

 怪物は腕を組んだまま、何かを必死に考えこんでいるように、もしくは、何かを思い出そうとしているように、見えた。

「あ、そうだっ、あの野いちごの近くまで連れて行ってもらうことはできるか?あの中には魂しか入れないとしても、近くまで行くことはできるのだろう?」

 とにかく近くまで行ってみて、それから次の事を考える。今、青洲に思いつけることは、それだけだった。

『よかろう』

 青洲の言葉に、怪物は、ふと物思いから目覚めたようにぼんやりと青洲を見つめた。が、次の瞬間、怪物は青洲の脇にぶっとい腕をグイッと差し込んで、粘る霞が広がる地面を蹴って飛び上がった。


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