表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
野いちご  作者: 立花招夏
47/61

第十三話 疾風に勁草を知る(2)

 志木家の門をくぐった途端、いずみは目を見開いて立ち止まった。

――鈴が……

 鈴の音が、頭の中で激しく鳴り響く。

 りーん ちりーん

 りーん ちりりーん

 鈴の音は、高く低く、警告するように、悲鳴をあげるように――鳴り響く。

「どうかされましたか?」

 立ち止まるいずみに、案内していた女が怪訝そうに振り返る。

「あ……いえ、何でもありません」

 いずみは、ふと我に返って、慌てて首を振り、再び歩を進めた。


 秋子は、客間で司と一緒に客人の到着を待ちながら、昨日佐川家で聞いた佐川崇の言葉を思い出していた。

「秋子さん、大伯父が亡くなるか、もしくは不測の事態が起こって、いざとなった時には、司のことをどうかよろしくお願いします。本人には自力で何とかするようにと言ってはありますが、恐らく司にも僕にも、できることは無いに等しい」

 崇はしゃがんだまま、茶丸の首回りをぐしゃぐしゃと撫でまわしながら、小さく笑う。

「あの、それはどういう……」

 秋子は首を傾げる。

「あなたは、司から何も聞いていないんですね?」

 崇は、やっぱりかと呟くと苦笑した。「司のやつ、この期に及んでカッコつけ過ぎだろ」まるで茶丸に愚痴を言っているかのように、俯いたまま小さく呟いてから、崇は続けた。

「あなたもご存じのとおり、大伯父が亡くなれば、司は志木家を継ぐことになります。しかし彼の場合、継ぐのは家や財産ばかりではない。大伯父に憑いている霊までをも引き継ぐことになるのです」

 茶丸を撫でるのをやめて立ち上がった崇の瞳には、ふざけている様子は微塵もない。

「……霊……ですか?」

 秋子は、戸惑い気味に、しかし深刻な表情で問い返す。

「秋子さんは、霊魂の類を信じない人ですか?」

 崇は黒ぶちの眼鏡をついと中指で持ち上げる。

「……信じて……いませんでした」

 秋子は躊躇いながら答える。

「過去形ですね」

 小さく笑う崇に、秋子は少し困ったように頷く。次は秋子が撫でる番だと言わんばかりに、懐っこく飛びついて来る茶丸のほんわりした丸い頭をぱふぱふ撫でてやりながら、秋子は躊躇いがちに説明する。

「私には見えないんです。だけど、大旦那様が倒れられてから、色々不思議なことが屋敷内で起こるようになって、使用人達が教えてくれるんです。あんなことがあった、こんなことがあったって……。それに、私、司さんと居ると、時々記憶が無くなることがあって……最初、私、二重人格になっちゃったのかって心配したんですけど、それって……ヒルコと呼ばれている霊の仕業なんだって……私が意識が無い間、そのヒルコが私に憑いて体を動かしているんだって、司さんが……そう言うんです」

 秋子の言葉に、崇は大真面目に頷く。

「志木家は代々、シャーマン体質を持つ人間を多く輩出する家でね、今現在、その体質を色濃く受け継いでいるのが、大伯父である志木聖、その子どもの司、そして従妹にあたる華陽、この三人なんです。だから大伯父が死ねば、大伯父が抱えている霊の大半は司に憑くはずです」

「そんな……」

 秋子は眉を顰める。

――既に色々抱え込んでいる様子の司だが、更なる霊が憑いて、大丈夫なんだろうか。

「僕は心配なんですよ。そうやって、順繰りに霊魂を引き継いで行けば、いつか志木家は破たんするだろうと……」

「破たん……」

「一度、除霊をしなければならないのは分かっているのですが、志木家に限って言えば、これが存外難しい。明確にこうやれば良いという正しいやり方が、分からないんです」

「……」

 秋子はごくりと唾を飲み込んだ。

「かつて、割と近い過去に除霊をした例がありましてね、古い言い伝えの通りにやったようなんですが、除霊された側が……亡くなりましてね……彼は司の従兄に当たる人だったんですが……」

 秋子は、はっと息をのむ。

「除霊した側も、失明したり、声を失ったりで大変だったらしいんです。更に不幸なことに、その時、除霊のやり方を記した古文書が、多数処分されているんですよ。だから、益々やり方が分からなくなっている。唯一分かっているのは、四聖獣の伝承にあるとおり、正しい除霊には鈴守家、名和家、そして石守家の力が必要だと言うことだけなんです」

「名和家……って?」

 秋子は驚愕して目を見張る。

「もしかして、四聖獣の伝承をご存じなかったですか?」

 崇も目を見張る。

「知らないです……」

 秋子の返事に、崇は一瞬驚いた後、クスクス笑い出した。

「まいったな。僕はてっきり、司は、名和家の血筋として必要だから、あなたと結婚したのだと思っていましたが、どうやら違うようだ。司はあなたのことが本当に欲しかったんですね。司は、そうとは言い出せないでしょうから、あなたは司の気持ちが分からなくて苦労したんじゃないですか?」

 笑いながら問いかける崇を戸惑い気味に見上げながら、秋子は訂正する。

「あの……崇さんは誤解してらっしゃいますよ? 私は司さんとではなく、大旦那様の嫁として志木家に入ったんです。でも、もう今では志木家の嫁ではありませんけどね」

 小首を傾げる秋子に、佐川は苦笑して肩を竦める。

「本当に何も知らないんですね。あなたは……いや、やめておこう。これは、あなたと司の問題だ」

 崇は真面目くさった顔で、一人何度も頷く。

「なんですか? なんのことなんです?」

 秋子が問い詰める。

「司はああいう人なので、あなたの御苦労はお察ししますが、僕はそこまで無粋な人間ではないのでね。後は司に聞くなり、ご自分で調べるなりした方が良いと思います」

 そう言って、崇はにっと笑った。


 崇の言う、自分と司の関係も気になったが、それ以上に、不測の事態が起こった時に、自分に何ができるのか、何をすれば良いのかが気にかかった。もちろん崇に訊いてはみたが、それは崇にも分からないという。そして、今まさに、その不測の事態が起こりかけているのではないか、そんな気がして、秋子は落ち着かない。

「遅いな、何をしているんだ。ちょっと見てこよう。君はここにいなさい」

「いえ、私もっ」

 立ち上がった司につられたように、秋子も立ち上がる。

「シュウ、どうした? 今日は少し変だな」

 司が秋子を鋭い視線で覗きこむ。

「私は……私は司さんの何ですか?」

 思いつめた表情で問う秋子を怪訝そうに見つめてから、

「……さては、崇に何か入れ知恵でもされましたか? 元お義母さん」

と司は意地悪気に片頬だけで嗤う。

「……崇さんは、何も教えてはくれませんでした」

「あなたは知らなくて良いことです。今はね」

「……」

――自分のことなのに、私は何も教えてもらえない。いつも蚊帳の外だ。

 傷ついて潤んだ瞳で睨みつける秋子を、司は面白そうに覗きこむ。

 その時、メイドの一人が客間に駆け込んできた。

「司様っ、大変ですっ。野上メイド長がっ」


 屋敷の中まで案内した野上メイド長は、玄関ホールでいずみに向き直った。

「鈴森様、大変失礼ですが、手荷物を確認させていただいてもよろしいでしょうか?」

 言葉だけを聞けば丁寧な伺いだが、彼女のきっぱりしたもの言いには、拒否するという選択肢はなさそうだ。いずみは小さく頷いて、手荷物を渡した。

 手荷物と言っても、小さなキルト地の手提げ一つっきりだ。アパートに居た頃、近くに買い物に行くのに必要だろうと、青洲が買ってくれたものだった。手提げの中には、中身がほぼ底を尽きかけている財布と、ハンカチ、そしてマメ太が無事に生まれるようにと青洲が神社で受けて来てくれたお守りが入っていた。

 いずみは、中身をチェックしている女の指先をぼんやり見つめながら、ふと、苦笑する。

――私、ここに何をしに来たんだろう……

 華陽に復讐する為に来たはずなのに、何一つ準備をしていなかった。

 その時、

ちりりりりーん

 一際、鈴の音が高らかになったかと思うと、ピタリと止まった。止まったと同時に、左の手の指先に、氷水のような冷気が貼りつく。

『つかまえた、次はお姉さんが鬼だよ』

 小さな男の子の声だった。驚いて声のする方を見ると、実際、小さな男の子がいずみの左手を掴んでいる。青白い頬をした子どもで、口元はほほ笑んでいるようなのに、瞳は木の洞のように昏くて感情が見えない。

――なんて冷たい手……

 いずみは、小さな手を温めるように右手で包み込むと、屈みこんで話しかける。

「ここの子?」

 昏い瞳を覗きこんだ、その瞬間、唐突に床が消失した。真っ暗な闇に呑み込まれる。

――きゃぁぁぁぁぁ、誰か! 誰か助けてっ

 いずみの悲鳴に気づく者など誰一人なく、どす黒い闇の沼から突き出した夥しい白い腕が、いずみの体中に絡みついて闇の中へ引きずり込む。ずぶずぶと闇に沈みながら、いずみは、頭上に見える丸く切り取られた光の円が少しずつ少しずつその直径を小さくしていくのを、絶望的な思いで見上げた。いずみの手は、光の円を掴もうと何度も虚しく空を掻く。

――いやぁぁぁぁ、青洲さんっ、怖いよ! タスケテェェ……


 暗く深い闇の底、そこには光も音も存在しない。

 いずみは、闇の中で一人緩やかに漂う。不思議なことに、恐怖は長く続かなかった。一旦闇に沈んでしまうと、すぐに順応して、とろりと纏わりつく冷たい闇が、次第に心地よく感じられてさえきたのだった。

 いずみは、闇の中をゆるゆると漂う手で頬を撫でてみる。濃密で、滑らかで、すんなりと肌に馴染む闇。

――ここは……私の場所だ。私はずっとずっと、こんな昏い闇の中で生きて来たんだった。貧乏で、校外学習にも、修学旅行にだって行けずに、仲間外れにされて……どこに行っても疫病神だとか邪魔者だとかアバズレだとか言われてきた私には、こんな昏い闇こそが相応しい。ここならば、人を憎んで、恨んで……誰かれ構わず傷つけたとしても、心など痛まない。なぜなら、ここには罪と言う言葉がない。罪がなければ罪悪感もない……。

 いずみは、ここまで考えると小さく首を傾げた。

――罪?……罪って何の事だったかな? 嫌だ、自分で言っておきながら意味が分からないなんて……

 いずみは、再び手で体中を確認するように撫でて行く。ゆるく泡立てた生クリームのように、闇は肌の上を滑らかに滑っていく。

――なぁんだ、こんなに気持ち良い。どうしてあんなに怖がったりしたんだろ? 

 いずみは、くすりと小さく笑う。

『鬼だ……次の鬼だ』

『新鮮な魂だ!』

 昏く冷たい闇の底で、いずみはたくさんの声を聞いた。たくさんの声は、興奮し、歓喜し、雄たけびを上げる。

 いずみの手を掴んでいた男の子が、にやりと笑うと、高らかに宣言した。

『さぁ、望みを言うが良い、鬼の継承者。契約だ』


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ