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野いちご  作者: 立花招夏
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第十三話 疾風に勁草を知る(1)

疾風に勁草(けいそう)を知る:激しい風が吹くことによって初めて、風にも折れぬ強い草が見分けられる。つまり、逆境に遭って初めて、その人の真価が分かる、という意


 三十年前、夏、

 明かりを消した薄闇の部屋に三人の人影が蠢いていた。祭壇らしき台の上に一体の土偶が置かれていて、その両脇に和蝋燭の灯りがチラチラと踊る。

「本当にこいでよかとか?」

 白い着物に身を包んだ志木保が、不安げに祭壇の前に座る。

「うん、たぶんこいで間違おらん。土偶はちゃんと名和のやつに作ってもらっとっし、深冬も喉の調子は万全たい。そうがやろ?」

 古本を何度も確認しながら、石守夏紀が頷く。

「うちは、こいば唱えていればよかとね?」

 鈴守深冬も不安そうに問う。

「そうたい。じゃあ、始めるぞ」


 当時、三人は中学校の同級生だった。志木保は元々本土に家があったが、石守夏紀と鈴守深冬は親戚の家に居候をさせてもらいながら、島に近い本土の地方都市の中学校に通っていた。保は、離れに自分の部屋をもらっていて、勉強会と称しては、三人で良く集まった。三人とも妙にウマが合って、入学当初から仲が良かったのだ。

 それが、中二になった春あたりから、保に異変が現れた。元々裕福な家だったのだが、いつの間にか欲しい物を何でも手に入れている。それを気前よく友達にあげてしまう。成績が上がったご褒美だと本人は言うのだが、その成績も異常な上がり方をした。元々は中の上程度の成績で、本人いわく、コツコツ努力型。それが、一学期の中間テストで唐突に一位になった。様々な物を手に入れて、順風満帆に見えていた保だったが、夏休みが近づく頃になると、その順調さに反比例するように顔色が悪くなっていった。

 問いただす夏紀に、保が青い顔で震えながら説明する。

「俺……悪か奴に取り込まれとるみたいなんばい……」

「悪か奴? だいだ? よそん学校のやつか?」

 親分肌の夏紀は、眉間にしわを寄せて身を乗り出した。

「……ちがう……夏紀、信じてくれるか? 俺の言うことば、笑わんで信じてくれるか?」

「信じるとばい。言ってみろよ」

 真っ青になってガタガタ震える保を怪訝そうに見やりながら、夏紀は先を促す。

「俺……悪霊に……憑かれとるみたいなんたい」

「……」

 夏紀はごくりと唾を飲み込んだ。妄想だとか、思い込みだとかで、笑って済ますには、保は真剣過ぎ怯え過ぎていた。それに、夏紀自体、霊魂の類の存在を信じる素地があった。夏紀は、ぐっと頷き、それで? と先を促す。

「最初は、なんでん願い事ば叶えてくれる魔法使いみたいなもんて思おとったと。だけん、欲しか物ば色々頼んで……成績も上がるごとしてもろうて……だばってん……だんだん、だんだん、やつが叶ゆっごと誘ってくる内容が、か、過激になってきとって……」

 変声期特有の不安定な声が裏返り、保は言葉を詰まらせた。

「なんばしようて誘ってくるんだと?」

「……き、気に入らんやつば……こ……こ、殺そうって……俺、危うく、渡辺ばやろうって言いそうになって……」

 保は両手で顔を覆った。

 渡辺は生活指導の教諭だ。髪形や服装の僅かな違反にネチネチ注意するタイプで、生徒の大半は彼の事を嫌っていた。だからといって、殺していい訳はない。そんなこと誰でも知っている。

「保、そがんことば頼んじゃ、絶対駄目だぞ」

 夏紀は、励ますように、諭すように、保の肩をがっしりと掴む。

「分かっとるよ。だばってん、いっぺん口にしてしまえば、やつはやるんたい。例えば、寝言で言っただけでんやるとばい。夢までコントロールできんよ。なぁ、俺はどがんしたらよかとか?」

 最近は眠ることも恐ろしくなって、夜もゆっくり眠れていなかった。夢の中でさえ、やつが誘惑しに来るからだ。

「保、ちょっと時間ばくれ。島にある俺の実家の納屋に、除霊の古か本があるんたい。俺、子どもん頃に悪さすっとそこに入れられてさ、だけん知っとるんたい。俺んがたは、代々除霊ん家系やったげな。今週末島に戻った時に、そいばこっそり持ってくるから、そいまでなんとしてもコントロールすっとだぞ。よかな?」

 夏紀の言葉に、保はすがる思いで何度も頷いた。


 部屋の中に、静かに深冬の祓詞はらひことばが読み上げられる。

「――もろもろのまがごと つみ けがれあらむをば はらへたまひ きよめたまへと まをすことを きこしめせと かしこみかしこみもまをす……」

(――諸々の禍事 罪 穢有らむをば祓い給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと 恐み恐み白す……)

 深冬の詞が続く中、保の背後に立った石守夏紀は指を組み合わせ、印をきる。

 一つ印を切る度に、周囲でバチッパチッとスパークするような音が部屋のあちらこちらから響き始めた。闇がざわめき、蝋燭の炎が、風もないのに右へ左へ前へ後ろへと激しく揺らめく。いつもなら、やかましく鳴きたてている蛙の声も、闇に吸い込まれてしまったかのように聞こえない。

「やめろーっ、やめろっ、苦しかっ。深冬ぅ、やめてくれよぉぉぉ」

 突然、闇を切り裂くように保が悲鳴を上げ、体を折り曲げて身もだえ始めた。

「夏紀~、大丈夫なの?」

 詞が途切れ、深冬の不安げな声が幽かに響く。

「詞ば途切れさせるなっ!」

 夏紀の言葉に、深冬はヒクッと喉を鳴らすと、再び詞を唱え始めた。

「苦しかぁ、やめてくれ、お願いだ、夏紀ぃ、やめろよぉぉ」

 保の絶叫が響き渡る。

 夏紀は、すべての印を結び終わり、意識を集中させると、気合のこもった一声を発し、手刀で保の背を叩く。その瞬間、人型の闇が保からすぱんと抜け出したように見えた。濃度の濃い人型の闇は、まるで粘度の高い液体のように後を引きながら、保の中から、ずるりずるりと出てくる。

「ひぃぃぃ、だいだ? おまえはっ、いやだぁぁぁぁ、そっちには行きとうないっっ、やめてくれ、はなせっ、はなしてくれよぉぉっ」

 保は、断末魔の様な悲鳴を上げて、何度も宙を払う仕草を繰り返してから、どうっと前かがみに倒れ込んだ。保の悲鳴を最後に、闇の流出が止まる。

 深冬が悲鳴を上げながら、保に駆け寄り抱え起した。

 夏紀は、再びすばやく手刀で印を切ると、土偶めがけて引導を渡す。その瞬間、闇と土偶が、まるで磁石のN極とS極となったかのように引き合い、結合した。

「保、大丈夫か? こいで除霊できたはずたい。もう大丈夫だぞ」

 夏紀も保に駆け寄る。

「……保、息しとらん」

 深冬は震えながら夏紀を見上げる。

「なに?」

「保、息しとらんよぉぉ」

 深冬が絶叫する。

「保? 保っ、しっかりしろよっ」

 突然、地震前のような地鳴りが響き渡り、再びバチッバチッとスパークする音が部屋中のあちらこちらから鳴り始めた。次いで、祭壇の上に置いてあった土偶が、触りもしないのにガタガタ揺れたかと思うと、まるで内部から爆発するように弾けて飛び散った。

「きゃぁぁぁぁぁ」

「うわぁぁぁ」

 飛び散った土偶の破片は、夏紀と深冬の前面に降り注いだ。


 離れの異変に気付いた大人たちが、すぐに救急車を呼んだが、志木保は、意識を回復することなく息を引き取り、夏紀は粉々に飛び散った破片で視力を失い、深冬は深々と突き刺さった土偶の欠片で声を失った。


 こうして華陽の兄、保は、華陽が小学校に上がる前年、その短い人生を終えたのだった。華陽は、幼いころから、この話を何度も何度も聞かされた。石守は恐ろしい力を持っているのだと志木家の誰もが恐れた。また一方、石守も自身の力を恐れた。石守家は、人を害する力を継承しているのだと。除霊の力は、人をも害すると判断した石守家は、力の使い方を封印した。すなわち、夏紀が使用した書物は言うに及ばず、それについて記述のあった古文書の多くを、禁書として処分してしまったのだった。人一人が亡くなったのだ。それは無理からぬことではあった。


* * *


 スープを一口啜った秋子がぴくりと顔を上げる。

――相変わらず、分かりやすい人だ……

 司は向かいで、やはりスープを啜りながら秋子をチラ見する。

「シュウ、今日も佐川に行く予定なのか?」

 先週から、秋子は毎日のように佐川の叔母に呼ばれて外出している。佐川の叔母はかなり気難しい人で、志木家を避けるように暮らしていたのだが、秋子が拾った子犬を預かってもらうようになってからは、時々秋子を呼びつけているようだった。それがここ数日、いつになく頻繁だ。今日は週末だというのに、秋子が出かけてしまえば、ほぼ意識のない父親と体調の回復しない華陽の愚痴に、司一人が向き合うことになる。しかも、外には招かざる客がうろついている。

「いえ、今日は参りません」

「佐川で、一体何をしているんだ?」

 基本、佐川の叔母の呼び出しには、理由を聞くことなく外出許可をしている司だったが、こうも頻繁だと気になってくる。ここ数日、佐川家には、日頃どこかをほっつき歩いていて自分の家には滅多に帰らない崇が居ついているようだし……司は顔を顰める。それもさることながら、今、父親の容体がかつてないほどおもわしくないのだ。だから、できれば秋子には、屋敷内にいて欲しいと思っている。もっとも、佐川の叔母の呼び出しは主に昼間なので、秋子がいなくても、特段、害のある霊障もなく済んではいるのだが。

「あの……実は、茶丸の具合が良くなかったんです。食欲がなくて……それで、叔母様が心配して呼んでくださっていたんです。私が行くと、少し元気になるようだったので……」

 秋子はオドオドと説明する。

――あの、バカ犬。やはり、捨ててきておけば良かったか……

 司は、内心舌打ちをする。

「しばらく外出するのはやめてくれないか? 父の容体がおもわしくないのは知っているのだろう?」

「……はい、もうどこにも参りません」

 秋子は何かを言いかけて、しかし、何も言わずに頷いた。

 妙に神妙な様子の秋子に、逆にイライラする。司はバターが良くきいたオムレツにぐさりとフォークを突きさした。フンワリとしたオムレツが乱暴な扱いに文句を言っているかのように、金属と陶器のぶつかり合う嫌な音が響く。

「あの……」

 躊躇いがちな秋子の声に、司は視線を上げる。

「なんだ?」

「……いえ、なんでもありません……」

 司は怪訝そうに秋子を見つめたが、それ以上何もいわず、黙々と食事を続ける。食後のコーヒーが終ったところで、司は野上を呼びつけた。

「野上、外でうろついている客人を連れて来てくれないか?」

「司さんっ、それはっ……あの……やめた方が……」

 不安そうな秋子に、司は顔を顰める。

「もう待ちくたびれた。話を聞くだけだ。この前は鈴森いずみが来れば、対決することになるだろうと言ったが、彼女の行動は想定外だ。彼女が何をしたいのか分からない。何をしたいのか訊きたい」

 崇には、鈴森いずみが手を出してこない限り、こちらからは手を出すなと言われている。まだ準備ができていないのだとも。しかし、こう頻繁にうろつかれては、気になって仕方がない。

「でも……」

「話を聞くだけだ。君は自分の部屋へ行っていなさい」

「……私もご一緒します」

 秋子は意を決したように口を引き結ぶ。

「好きにするがいい」

 司は客間へと向かった。


 いずみは、志木家の塀の周りを往ったり来たりしていた。何度来ても、ここの家は、いずみを竦ませてしまう何かが漂っている。その気配が、拒絶なのか、誘引なのか判じきれない。何度も、家の前まで来ては、うろついて、すごすごと戻り、そして、また出直すことを繰り返す。しかし、その日は、門の前に誰かが佇んでいた。

「失礼ですが、鈴森いずみ様ですね?」

 きりっとした眉の印象的な女性で、艶やかな黒髪は一分の隙もないほどにきりりと結い上げられている。

「……はい、そうです。けど……」

 まるで悪さを見つかった小学生のように怯えた瞳で見つめる。

「当家の主人がお連れするようにと申しております。どうぞ、お入りください」

「……」

 有無を言わさぬ、その女性のきっぱりしたもの言いに、いずみは、操られるようにこくりと頷くと、誘導されるままに、その後を追った。


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