第十一話 人を呪わば穴二つ(5)
華陽はベッドの上で、身もだえしながら呻いていた。
――苦しい、苦しい、苦しくてたまらない。
何か見えない糸でがんじがらめにされている、そんな気分だ。病院で様々な検査を受けたが異常なしだった。
――異常なんてあるわけがないのよっ。あの女! あの女のせいに決まってる。こんなことができるなんて知っていたら、あの場で始末していたのにっ
華陽も志木聖と同じ日に志木家に戻って来ていた。自室として使っている部屋の片隅で呼鈴を鳴らす。やってきた使用人に、司を呼ぶようにヒステリックに言いつける。
「しかし、司様は会社にて会議中でございまして」
「いいからっ、すぐに戻るように伝えなさいっ」
執事は一礼して下がった。
鎮静剤を投与されて、小一時間も眠った頃、司が一人の男を引きつれてやってきた。
「司さん、遅いじゃないの! 何をしていたの? 私がこんなに苦しんでいるのに……」
「病院では何ともないと言われたんだ。とりあえず何もしようがないだろう?」
司は形の良い眉を寄せて肩を竦める。
「なるほど、これは凄いな……」
司の後から付いてきた男は、華陽を無視して部屋のあちこちを歩き回っていたが、終いには感極まったように声を上げた。
「何が凄いんだ? 崇」
司は眉間にしわを寄せる。
「誰なの?」
華陽は、胡散臭そうに眉間にしわを寄せた。
「司、紹介してくださいよ。おっかなくてしょうがない」
さほど怖そうな様子でもなく、男はへらへら笑う。
「華陽、こいつは佐川崇。親父の弟の仁叔父を知っているだろう? その二男の孫だ。だから、俺達の従弟の子になる」
司の説明に華陽は目を見開く。
「仁叔父様の……」
「こいつは変わり者でね、ついこの前まで市役所なんかに勤めてたんだ。でも、今は……」
司は、そこまで話すと含み笑いをもらす。
「その変わり者が気に入ってるくせに」
佐川はにやりと笑う。
「別に気に入ってる訳じゃない。頼りにしてるだけだ」
司もにやりと笑う。
「それで、どうして佐川家の人間がここにいるわけなの?」
華陽は顔を顰めて、苦しげに問いかける。
「苦しいですか? ここまで凄い封印を施されているんですから、苦しいでしょう。横になってもらえますか?」
佐川は華陽を横たわらせると、体の表面に沿って触れるか触れないかの中空に手を滑らせる。
「やはり封印なのか?」
司も覗きこむ。
「いずみさんの気配がする。しかし……なんと禍々しい……」
佐川は顔を顰めた。
「やっぱりあの女なのねっ、あの時、あの子もヤッてしまえばよかったのよ! それを司、あなたが鈴守に拘るからっ」
わめき散らす華陽を佐川が遮る。
「あなたは一体何をしたんです? ここまでいずみさんを汚すなんて、余程のことでなければ不可能だ。あれほど清浄な人だったのに……」
「何が清浄よっ、こんな恐ろしいことをしておいて……ああ、苦しいわ。司さん、今すぐにあの女を始末してよ。お願い」
華陽は司に取り縋る。
「だから俺は鈴守に手を出すのはやめておけと言ったんだ。どうしても行くなら、封印の場所を確認するだけにしておけと言っただろう?」
司は、縋りつく手をやんわり外しながら、眉間にしわを寄せる。
「今、いずみさんを始末すれば、封印の場所も分からなくなりますよ。今しばらく、我慢してください。僕が何とかしてみましょう」
佐川は、華陽ににっこり微笑みかけてから、司に外に出ろと目で合図する。
「で? どうする? 何が分かった?」
別室で窓の外を睨みつけるように無言で立っている佐川の後ろ姿に、司は問いかける。
「僕を何の為に吉田に貼り付けたんです? 何の為に島まで行かせたんですか? 闇雲に手を出すくらいなら、最初から僕なんて必要なかったんだ」
佐川は背中を向けたまま、怒りを含んだ声で、それでも静かに問いかける。
「……随分怒っているようだな」
黙ったまま返答しない佐川に、司は苦笑して続けた。
「……華陽は父に命令されて石守へ行ったんだ。鈴守を始末するように言われてね。あれは父に気に入られていたからな。期待に応えたいと思う気持ちが強かっただろうし、華陽自身が、依り代として、もうかなり蝕まれているんだ」
「で? いずみさんに何をしたんです?」
「華陽は胎児を始末したと言っている。あと、ガゴウジの封印を解いたと……」
「……なんてことを……」
佐川は呻いた。
「父は三種の神器が揃うことをとても恐れていた。だから吉田に鈴守と石守が揃いそうだと知って度を失っていたのかもしれない。父も、依り代として限界だったから……」
「司……それは逆だ。それは、自分で自分の首を絞めたも同然な愚かな行為ですよ。恐らく伯父さんが倒れたのはそのせいです。弱っている体にガゴウジは毒でしかない」
佐川は眉間にしわを寄せて苦しげにため息をついて続けた。
「僕は、島の神社で四聖獣にまつわる神話、史書を調べて来ました。そして、島の西海岸に沈む四鬼神社の鳥居を見て来ました。僕の結論はこうです。三種の神器が必要なのは、吉田家よりも、むしろ、志木家の方だと。なのに、あなたたちは肝心の石守を潰してしまったんですよ」
「……それは確かなことなのか?」
司は眉間にしわを寄せる。かつて、依り代となっていた華陽の兄は、石守の力を受けて死んだ。決して戦ったわけではない。その石守の人間と華陽の兄は親友だった。華陽の兄の苦悩を知って、むしろ力を貸したはずだったのだ。石守の力は意図せずして志木を滅する。その事件以来、そう信じ込まれた。だから、司の父も華陽も華陽の父も、石守を恐れるのだ。名和については、そもそも憑いている霊が忌み嫌うので、依り代の意志とは関係なく迫害してしまう。鈴守に関しては、実害はなかったものの、神器の一つとして敬遠してきたというのが本音だ。名和家の一人でありながら、ヒルコに気に入られた秋子は例外中の例外なのだ。
「石守なくして、志木家に未来はありません。どうするつもりです? 石守冬樹はどうしました? まさか……」
佐川は目を眇める。
「行方不明ってことになっている。俺が忠告したんだ。しばらく雲隠れしておいた方がいいって。恐らく、姉がどこかで匿っているだろう。姉は冬樹を溺愛しているからな」
「すぐに呼び出せますか?」
「どうかな、少しでも危険だと姉が思えば、まず無理だろうな。姉は志木家のことを嫌っているから、潰れるならそれでも構わないと思っているだろう」
司は苦笑する。
「伯父さんが亡くなる前、もしくは、いずみさんがここに来るまでには呼び出しておくことですよ。石守冬樹がどれほどの力の石守なのか分かりませんが……」
「鈴守自らここに来ると言っているのか?」
司は軽く瞠目する。
「あの封印が分かりませんか? あの禍々しい復讐の色を滲ませたあの封印が……彼女は、そう遠くない未来にここへやって来ます。封印を施したものの元に……、すべてを終わらせる為に……」
「……すべてを終わらせる為に……」
司は沈痛な面持ちで復唱する。
「それと、もう一つ、苦情を言わせてもらいますよ」
佐川は上目づかいで司を睨みつけると続けた。
「名和家から嫁をとったんなら、僕にも一言教えておいて欲しかったですよ。僕がここまで手間取ったのは、名和家の生き残りを捜し回っていたからなんですよ? 名和家がどれだけ捜しにくいか、この前話したでしょう?」
「しかし、鈴森いずみは、封印もできるのだろう? 名和の血筋のものなんじゃないのか?」
「確かにいずみさんは、そのようです。しかし彼女はその道の教育を何一つ受けていない。すべてが自己流なんです。しかも彼女が扱うのは紙。耐久性が低い。僕が捜しているのは、もっと強い素材を扱える人なんです」
封印としての依り代を造れる名和家の生き残りを捜し回った。幾度となく途切れそうになる一筋の糸を辿って、ようやく見つけた名和家の末裔。それが志木家に嫁として入っていた。まさか志木家が名和の人間を受け入れるとは思っていなかった。またしても灯台もと暗しだ。しかも、佐川の祖母とその嫁は捨て犬を介して交流があるという。それを知った時の、佐川の脱力を想像できるだろうか。
「秋子のことを言ってるのか? しかし、秋子は、名和家としての力などほぼ持っていないに等しいようだが……」
司の言葉に、佐川は大げさにため息をついた。
「ここまであなたを繋ぎとめ、かつ、志木家で無事に過ごせている名和家の人間に力が無いわけがないでしょう?」
更に佐川は続ける。
「それから、これだけは予め言っておきますよ。もし、いずみさんがここに乗り込んできて、あなたと彼女が危うい状態になった時、僕は迷わず彼女を助けます。自分の身は自分で守ってください」
佐川の言葉に、司は眉間にしわを寄せた。
「小さい頃から可愛がってやったのに、つれないやつだなぁ」
そう言ってクスクス笑う。
「彼女の方が、血筋的に僕と近いですしね。若くて綺麗な従妹を優先して助けるのが常識と言うものですよ」
佐川はしかつめらしく言ってからニヤリと笑う。
とんでもない常識だと司も笑った。
「鈴森いずみが来ると、危うい状態になるんだな?」
突然鋭い視線を向ける司に、佐川は頷く。
「人を呪わば穴二つって言うでしょう? 自業自得ですよ」
佐川は、窓の外へ視線を移し、傾いてきた日差しに目を細めながらひっそりと笑った。
 




