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野いちご  作者: 立花招夏
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第十一話 人を呪わば穴二つ(4)

(注意) この回では、R15スレスレの表現があります。もし、御不快だと感じられた方がいらしたらご連絡ください。R15に切り替えたいと思います。また、そのような表現に御不快を感じられる方は、読まれる前に十分お気を付けください。 招夏

 手の先からパタリと本が落ちて、秋子は目覚めた。辺りを見回すと、すっかり掃除は終わっていて、誰も居ない。ソファがリクライニングになっていて、膝かけが掛けられている。待っている間に眠ってしまったらしい。テーブルの上には、約束通り、お茶の準備がしてあった。

「やだ、起こしてくれたらよかったのに……」

 既に西の空が薄赤く色づき始めている。落とした本を拾い上げてテーブルに置く。ふと、表紙に目をやって、それがさっきまで見ていたヴラマンクの画集ではないことに気がついた。

――あら?

 本を取り上げて開いてみる。アルバムだった。

 たくさんの写真が貼り付けられていて、その一つ一つに手書きのメモが書かれていた。几帳面そうな志木聖の字だ。

 正子(嫁) 二十五歳

 長女 昌代誕生

 しばらくは、仲の良さそうな親子三人のスナップ写真が続く。ところが、それから十二年後、唐突に司が出現する。

 長男 司誕生

 司一人の写真。それ以降、親子で写った写真がない。そして、スナップ写真がなくなり、代わりに集合写真が一年ごとに一枚ずつ貼られている。昌代十一歳、司〇歳から始まって、毎年一枚ずつ。場所も同じ、志木家の玄関の前だ。

 毎年同じ場所で同じ日に集合写真を撮る。それが志木家の決まり事であるらしかった。秋子が入った写真も二年前からのものが貼り付けられている。

――どうして司は母親に抱かれている写真がないんだろう?

 不思議に思いながらアルバムをめくっていると、最後のページに封筒が貼り付けられているのに気がついた。封筒には写真が数枚入っている。


 仁 三十一歳 弟 死亡(三十三年前の日付)

 美桜 十九歳 司の母 死亡(三十二年前の日付)

 秋乃 仁の愛人の子 死亡(三年前の日付)

 いずみ 秋乃の子(死亡?)


――司の母……美桜……十九歳、死亡って……

 写真に写っている美桜は、とても美しい人だった。儚げで、それでいて凛としている。司はどちらかというと聖に似ているのだけれど、聖よりも印象が少し柔らかい。この母親の雰囲気を受け継いだのかもしれない。そう思いながら写真を見つめていると、いきなり指から抜き取られた。驚いて顔を上げると、そこには司が立っていた。

「君がこんなに詮索好きだったなんて知らなかったな。元夫が何をしていたのかが気になるのか? それとも離婚したことを後悔している?」

 秋子は慌てて立ちあがる。

「あ、あの、違いますっ、見ていた画集を落としてしまって……拾ったらそのアルバムで……私、詮索なんてするつもりは……」

 司の目には激しい怒りが宿っていて、秋子は自分が地雷を踏んでしまったらしいことに気づく。

 司は、秋子の言い訳を聞いているのかいないのか、取り上げた写真に一瞥をくれてから、残りの三枚と合わせて封筒にしまいアルバムをパタリと閉じた。そして、オロオロと立ち尽くす秋子の手首を掴むとぐいっと引き寄せ、怯えて瞠目するその瞳を覗きこむ。

「俺の母はね、志木家のメイドだったらしいですよ。奉公にあがってすぐに手をつけられたんだとか……俺を産んだ時に死んだそうです。出産時のトラブルだったとか、あるいは、邪魔にされて殺されたんだとか、色々言う人がいますよ」

 秋子は、恐怖と悲哀と同情がないまぜになった複雑な思いで、司を見上げる。

「……可哀そうですか?」

 司の瞳に残酷な光が宿ったような気がして、秋子は身を縮めた。その瞬間、ドンっと肩を押されて後ずさる。そのまま二、三歩下がったところで、ベッドの縁にぶつかって横倒しに倒れ込んだ。

「気に入らないな。俺はね、今まで人に憐れまれたことなど一度も無いんですよ」

 そう言いながら、司は秋子をベッドの上に押さえつける。

「その目、気に入らない……」

 馬乗りになって片方の手で秋子を押さえつけたまま、司はスーツのネクタイを片手で解くと、しゅるりと抜き取った。

「なっ、何を? やめてっ、やめてくださいっ」

 秋子は目を見開いて怯えた声を上げる。そこへノックの音とともに誰かがやってきた。

「奥様、お目覚めですか? お茶を……」

 入ってきたのは野上メイド長で、ベッドの上の秋子と司を見て瞠目する。

「野上、俺が呼ぶまで人払いしておけ」

 司の言葉に、野上メイド長は一礼するとドアを閉め立ち去った。

「ねぇ、俺の母の時もこんな風だったと思いませんか? この家で、メイド一人が助けを求めたところで、主人が下がれと一言言いさえすれば、誰も助けるものなんていないんだ」

 秋子の目から涙が零れ落ちる。

「誰の為の涙です? 憐れな俺の母の為ですか? それとも、これから起きる自分の身の不運を嘆いているんですか? そんな目で俺を見るのはやめてもらえませんか?」

 司は持っていたネクタイを両手でピンと張る。秋子は瞠目した。以前聖にこの部屋で受けたひどい仕打ちが脳裏によみがえる。

「何をするんですか? いやっ、嫌です。やめて!」

 パニック状態になって、メチャメチャに腕を振り回す秋子に舌打ちをすると、

「ヒルコ、大人しくさせろ」と司は低く呟いた。

 途端に、秋子はパタリと腕を下ろして大人しくなる。司は、ネクタイで秋子に目隠しを施した。二重三重に巻きつけて、強く結ぶ。


 秋子は閉ざされた暗闇の中で意識を戻した。もうすっかり肌に馴染んでしまった体温も、体に覚え込まされた律動も、激しい息づかいも、何もかもいつもと同じなのに、視覚が奪われているせいか、いつもよりも熱い、体の奥から湧き上がる甘い痺れが強すぎて、こわい……

――どうして、この人は、いつもこんな風に切羽詰まった抱き方をするんだろう?

 暗闇の中なのに、意識がスパークして真っ白になる。意識を手放すほんの一瞬、闇の中に、夕焼けの朱を見た気がした。

 ほとんど闇に呑み込まれようとしている夕日の様な、闇色に染まってしまうことから懸命に踏みとどまっているような、淡い淡い朱の光球。

 秋子は、その光球にそっと手を伸ばす。ぴくりと少し震えたように揺れてから、その光球は秋子の掌に降りてきた。小動物の拍動のように小刻みに震える球体。そのあまりにも儚く頼りなげな様子に、そっと抱きしめようとしたところで、秋子はしたたかに拒絶された。

――あっ……

 光球はふわりと飛び立って、そのまま闇の中に消えて行く。その刹那、秋子は葉ずれの音にも似た幽かな声を聞いた。

――シュウ……すまない、君を巻き込んでしまった……

――……司さん?

 秋子は泣きたい気持ちで、光球の後を追う。

――司さん、あなたなの? 何をそんなに怯えているの? あなたの本質は何? 教えて……教えてよ……


 気を失ったまま眠る秋子の頬にかかる髪をそっと掻き上げる。下男に運ばせようと言う野上を制止して、司は自分で秋子を部屋まで運んだ。前にあてがっていた部屋よりも格段に狭く小ぢんまりした部屋だ。秋子は既に聖の嫁ではなくなっていたが、しばらくはここで暮らすようにと言ってある。今、秋子に出て行かれて困るのは、志木家の方だ。使用人達がパニックを起こしていなくなってしまう。

「司様、これはやはり申し上げておくべきかと存じます。今日奥様に大旦那様の部屋に居て欲しいとお願い致しましたのは、実は、この私でございまして、もしそのことで奥様にお怒りなのならば……」

 野上メイド長の言葉は、司に遮られた。

「分かっているよ。秋子が詮索などするはずがない。分かりきったことだ。彼女は志木家になんの関心もないからね。俺が癇癪を起してしまった、それだけのことだ。シュウが目覚めたらいたわってやってくれ」

 司は振り向いて野上を見つめる。

「差し出がましいことを申し上げました。仰せの通りに致します」

 野上は深々と頭を下げる。

「野上、父上は間もなく身罷みまかられるだろう。その際には、どのようなことになるか、俺にも想像がつかない。もし、俺に何かあったら、その時は秋子に力になってもらってくれ。そうなったら、おまえたちが頼れるのは秋子だけだ。そして、その後のことは佐川家の崇に相談すると良い」

 そう言い残すと、司は部屋を後にした。

「……承知いたしました」

 野上メイド長は悲しげに顔を歪めてから、司の後ろ姿に深々と頭を下げた。


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