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野いちご  作者: 立花招夏
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第一話 黄泉路(たび)は道連れ(2)

 逢魔が時の夕暮れの中、おじさんはトボトボと歩いていた。

 ラッシュアワーで連なった車の排気ガスや、クラクションの音や、帰宅を急ぐサラリーマン達のコートの裾から生じる小さな風や、これから遊びに繰り出す若者たちの賑やかな笑い声が、おじさんの背中の孤独を際立たせているようで、三人といずみは言葉もないまま、おじさんの後を浮遊しながらついて言った。

 おじさんは、赤い看板が上がっている店の前でしばらく佇んでいた。

「ねぇ、やばいよ。おじさんサラ金に手を出す気だよ」

『サラ金? 皿うどんとは違うんだよね?』

 チイ兄ちゃんが、無邪気な顔をして訊いた。

『お前といずみは、仲の良い兄妹になっていただろうよ』

 兄ちゃんが溜息をつきながら言った。

「いずみ、サラ金くらいは知ってるよ? 絶対にあんなところでお金借りちゃいけないって、奉公先で一緒に働いてた華陽さんに言われたもん。利息を返すだけで大変なことになるんだって。ところで利息って何?」

 お兄ちゃんとお姉ちゃんは一緒に溜息をついた。

『とにかく、おじさんをやめさせよう』

「何か方法があるの?」

『まあ、見てろって』

 お兄ちゃんはニヤリ笑うと、意を決したように店内に入って行ったおじさんの後を追って店内に侵入した。

 明るい店内は無人で、キャッシングの機械が二台置かれていた。おじさんは機械の前に立つと、手持ちのカードを機械に入れた。金額を訊かれて、しばらく迷っていたおじさんの目の前で、突然機械が誤作動を起こした。

 金額の欄にはアスタリスクの羅列。暗証番号が勝手に入力されて受付不能となり、カードがつき返された。

 唖然としたおじさんが、モニターを覗き込むと画面には『たちされ~』という赤い文字。そして防犯用のミラーには、にっこり笑った女の子の顔……

 おじさんは真っ青になって二、三歩後ずさると、あちこちに体をぶつけながら店を後にした。

 もちろん、三人の仕業だ。機械に誤作動を起こさせたのがお兄ちゃん、赤い文字を入力したのはチイ兄ちゃん、そして微笑みかけたのは、お姉ちゃんと言う訳。

「すごーい、すごい、すごい、こんなこともできるんだねー。三人寄ればマンジュウの知恵ってこのことだね?」

 いずみは心からの拍手を三人に送る。

『饅頭の知恵ってなんだ? 饅頭に知恵なんてあったっけ?』

 チイ兄ちゃんが首を傾げる。

「あれ? 違った? ニンジャの知恵だっけ?」

『ああ、なるほど、忍者ならいろんな知恵を持ってそうだもんな?』

 チイ兄ちゃんが、うんうんと頷いた。

『……三人寄れば文殊の知恵だ』

 お兄ちゃんが、とても怖い顔でそう言ったので、いずみもチイ兄ちゃんも文殊って何? とは訊けないまま、凍りついた。


 慌てて出て行ったおじさんを追いかける。別の店に行かれては意味がないからだ。しかし、おじさんは脱兎のごとく病院に走りかえり、いずみの横の椅子に腰かけた。肩で息をしている。

「大丈夫、いずみちゃん、大丈夫だから、明日にはちゃんとお金を準備するからね」

 おじさんは、ぶつぶつといずみに話しかけた。当然いずみからは何の返答もなく、ピッ、ピッと規則正しく鳴る心拍モニターの無機質な音だけが部屋の静寂を破っている。


「……そう言えば、いずみ、お金持ってるよ。ねぇ、おじさんにそのことを伝えられないかな?」

『お金?』

 三人が声を合わせる。

「うん。ほら、奉公先を追い出された時にね、退職金と慰謝料と子供を堕ろす費用を全部合わせて百万ちょうだいよって言ってみたの。いかにもって感じでいいでしょ?」

 三人は眉間に皺を寄せた。

『退職金と慰謝料っていうのは許す』

 お兄ちゃんが、しかつめらしく言った。

「そうしたら、奥さま、このアバズレとか怒鳴って、でも本当に百万の束をどこかから持ってきて、いずみに投げつけたの。ねっ、ねっ、なんだかドラマみたい?」

『この子、馬鹿なのかしら、ずる賢いのかしら……』

『単なる馬鹿じゃねーの? ってかドラマの見過ぎ?』

 珍しくお姉ちゃんとチイ兄ちゃんが意見一致を見たらしく、頷き合っている。

『じゃあ、その百万がどこかにある訳だな?』

 お兄ちゃんが、少しほっとした様子で言った。

「ううん、ないの。盗られちゃった……」

『盗られた?』

 三人は声を揃えて叫んだ。

「ほら、事故が重なってって、さっき言ったでしょう? おん出た後、ふと気づいたのよ。あれはちゃんと百万円あったのかしらって。それで、道端で歩きながら数えてたの。そうしたら後ろから誰かがぶつかってきて……」

『道端で金を数えてたのか?』

 お兄ちゃんが呆然として言う。

『そんなの盗ってくださいって言ってるようなもんじゃない?』

 お姉ちゃんは冷たい視線でいずみを見下ろした。

『おまえ、常識ってもんがねーな』

 三人は異口同音にいずみを罵倒した。

「だって……」

『じゃあ、お金なんてないじゃないか』

「だからぁ、数えてたのは半分で、残りはバッグの中だったから、そっちは残ってるの。だって、いっぺんに数えられなかったんだもん」

 いずみが、そう言うと、三人は呆然と安堵が入り混じった表情を浮かべた。

『良かった、お前が馬鹿で……』

『いっぺんに数えられる程賢くなかったのが幸いしたのね』

『お前が三までしか数えられなかったら、もっと良かったのになー』

「私……褒められてない……よね?」

 複雑な表情で問い返すいずみに、三人は良かった良かったを繰り返し、ぶら下がって頬ずりをした。

「で、盗られたあと、パンプスのヒールが折れちゃってね、ピンキリ&ライアーのパンプスだったんだよ? すっごくかっこいいやつ。そうこうしてるうちに、雨まで降ってきちゃって……もう、何もかも嫌になっちゃったんだよ。で、蹲ってたら、おじさんに拾われたって訳」

『どうせ、そのパンプスもドラぼっちゃまに買ってもらったんでしょ?』

「うっ……どうして分かるの?」

『あんた、さっさと死んじゃった方がいいわ。そうすれば、残りのお金も発見されて、おじさんはあんたから解放される。あんたには、おじさんに迷惑をかけるだけの値打がないわ。おじさんは、あんたのお腹の子供のことを知ってるの?』

 お姉ちゃんは、やけに冷たく、そう言った。

「……知ってるよ。おじさん、何を血迷ったのか、その子を産んでやってくれって。自分とは結婚なんてしなくていいから、産むだけ産んだら、好きなようにしていいからって……。おじさんが育てるからって、言うんだよ。変な人でしょ?」

 いずみは泣きそうな顔で言った。

「……だから、放っておけなかったんだよ。おじさん、馬鹿なんだもん。いずみを濡らさないように傘に入れてくれて、自分はいっぱい濡れちゃってさ、風邪ひいて熱だしちゃって……。だから、いずみ、一晩中看病してて、気づいたら、いずみが熱を出してて……おじさん、いずみのことなんて拾うから、大変な目に遭っちゃったんだよ。いずみは厄病神なんだって、母さん、いつもそう言ってたもん……」

 いずみは、子供みたいにしゃくりあげた。

 三人は、まるで彫像になってしまったかのように固まって、おじさんを見下ろしていた。

 伸び放題の前髪の下からのぞく目は細くて小さい。頬骨が張っていて、唇は厚ぼったい。鼻筋がすっと通っているのだけが取り柄の無骨な顔。女の子には、あまりもてそうにないおじさんの顔が、神々しい光を放っているようで、三人は釘づけになっていた。

 お腹のあたりで、光っていた光が明滅してきたように感じて、いずみは涙で曇った目をこすった。

「あの子も、そろそろ限界なのかな。弱ってきたみたい……。私たち、一緒に行けそうだね?」

 いずみは、諦めと安堵が混ざった表情で言った。

『あの子、生きたがってる。生きたいって、何度も叫んでる……』

 お姉ちゃんが泣きだした。

『生きたがってる、必死に、訴えてる……』

 お兄ちゃんも泣き出した。

『あんな小さな子を泣かすいずみは、大嫌いだ!』

 チイ兄ちゃんは、わぁわぁ泣きながら怒った。

「ちょっ、ちょっと待ってよ。一緒に逝こうって言ったのは姉ちゃんとお兄ちゃんたちだよ?」

『いずみとは一緒に行かない』

『いずみなんかと一緒に行かないわ』

『いずみなんか仲間に入れてやらない。仲間外れだ!』

 三人は小さな手を突き出して、一斉にいずみを押した。何度も何度もドシンドシンと音がするくらい押されて、いずみは顔を顰めた。

「痛いっ、痛いよ、やめて! お兄ちゃん、お姉ちゃん!」

 パズルの最後のワンピースをグリッと埋め込むような感覚がして、いずみは目を覚ました。実際に体が痛くて重くて、うめき声しか出せない。

「いずみちゃん? 気がついたのか?」

 おじさんが、いずみの顔を覗き込んだ。

「ごめんよ、ごめん。おじさんのことなんて放っておけばよかったのに……君みたいな優しい子を死なせてしまったら、おじさんどうしたらいいんだろうって……ずっと悔んでたんだよ。良かった、意識が戻って……」

 おじさんは、ベッドに横たわるいずみの体をギュッと抱きしめて、髪を何度も優しく撫でた。

 いずみは、点滴を刺されてない方の腕を、ゆっくりと持ち上げ、おじさんの頬をパシリとはたく。当然、おじさんはポカンとした。

「おじさん! サラ金なんかからお金を借りちゃいけないんだよ? 大人の癖にそんなことも知らないの?」

 いずみの言葉に、おじさんは更にポカンとした。

 更に、いずみはインターホンを押すと、看護師を呼びつけ、さっさと大部屋に移るように手配をしてもらうことにした。大部屋がないのなら差額を負けるべきだと抗議までして……


* * *


「いずみちゃん、そろそろ時間だよ?」

 おじさんと二人で近所のお寺にやってきていた。水子供養をしてくれるお寺をおじさんが探してくれたのだ。

 お坊さんがお経を読んでくれている間、いずみはお兄ちゃん二人とお姉ちゃんの顔を思い出そうと努力していた。でも、浮かぶのはどれもこれも自分の幼いころの顔で……あれは本当にあったことなのか、夢だったのか……自信がなくなってくるのだった。


 秋晴れの気持ちのいい日で、線香の煙は細く高く、青空に吸い込まれていった。


「お兄ちゃんとお姉ちゃんとチイ兄ちゃんは、ちゃんとあちら側に行けたかな?」

「大丈夫だよ」

 おじさんは細い目を更に細めて言った。


 本当にお経が届いたのならば、あの世とこの世を隔てる川のそばで、お兄ちゃんとお姉ちゃんとチイ兄ちゃんは、お地蔵さまに名前を呼ばれているはずだ。

 元気よく返事をしただろうか、仲良く三人で船に乗れただろうか、あちら側できちんと幸せになれただろうか……。いずみは泣きそうになって、おじさんのシャツに顔を埋めた。おじさんは何も言わずに、お地蔵さまみたいに優しく笑って、いずみの頭を何度も撫でてくれた。


 来春には、お兄ちゃん達とお姉ちゃんが守ってくれた命が生まれてくるはずだ。


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