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野いちご  作者: 立花招夏
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第七話 覆水盆に返らず(2)

――まただ、また鈴の音がする。もう聞くこともないだろうと、安心していたのに……

 鈴森青子は、顔を顰めた。


 いずみが無事に産まれてから二月が経っていた。いずみに添い寝している秋乃の幽かな寝息が聞こえる。青子は、ぐっすり眠っているはずの、いずみの顔を覗きこんで瞠目した。

「いずみ……」

 いずみは眠っていなかった。鳶色の瞳をぱっちりと開いたまま、息を潜めるように気配を消している。

「そう……あなたにもあの鈴の音が聞こえるのね。泣かずに我慢してるのね? 聡い子。聡い子だねぇ……」

 青子は、いずみのポアポアの髪の毛を撫でた。

 その日、青子は秋乃に、ここから出ていくように告げた。

「心さんとよく相談して、今後、どうするか決めなさい」

「どうしてこんなに急に出ていかなきゃいけないの? 心だって、まだ旅行中かもしれないし……」

 突然の青子の言葉に、秋乃はたじろぐ。

「秋乃、あなたには、この鈴の音が聞こえない?」

「鈴の音?」

 秋乃は耳をすましてみるが、特に鈴の音など聞こえない。

「そう、秋乃には、たぶん引き継がれなかったのねぇ。だから安心していた。私が生まれた鈴守の家は、ある気配に敏感でね、それが近づくと鈴の音が聞こえる体質なのよ。たまに、秋乃のように、そんな体質ではない子もいるんだけどねぇ」

「ある気配って?」

「良くないものよ。私は、それが怖かった。怖くて、怖くて、だから逃げ出したの。でも、秋乃、そのせいで私は、あなたに、そしていずみにも、もっともっと辛い運命を背負わせてしまったのかもしれないわ」

 青子は泣きだした。

「お母さん、何を言ってるのか分からないわよ?」

「許してちょうだい、秋乃。私が弱かったばっかりに……でも、これだけは、言わせて。秋乃、一度逃げてしまえば、ずっと逃げなきゃならなくなる。これが、どうしようもないくらい弱くて駄目な私が、人生の中で学んだ唯一のことよ。こんな馬鹿で弱い母親でごめんね……許してね……」

 具体的な説明を求める秋乃に、一刻を争うからと、青子は、二人を追い立てた。

 そして、その日の深夜、青子は原因不明の呼吸不全で亡くなったのだった。


* * *


「いずみさん、昨夜は大丈夫でしたか?」

 朝食の席で、佐川がいずみを覗きこんだ。

「え? 大丈夫って、何がですか?」

 いずみはキョトンとした様子で佐川を見つめる。

「いやいや、その様子なら大丈夫だったんでしょうね。吉田さんから少し不穏な気配がしていたんで、慌てて早九字までお教えしたんですが、御無事で何より」

 佐川はへらへら笑いながら味噌汁を啜った。

「なんだよ、不穏な気配って……」

 青洲が仏頂面で問い返す。

「言いませんよ、吉田さんには……」

 佐川も仏頂面で返す。

「なんで俺には言わないんだよっ」

「だって、吉田さん、信じないでしょ?」

 佐川は澄ました顔で、白いご飯を頬張った。

「信じるも信じないも、聞かなきゃ判断できないだろっ?」

 青洲が座卓を拳でドンと叩いたので、卓の上の茶碗がぶつかって派手な音が響いた。鈴守の家の人たちの目が青洲に集中する。

――あ……

 青洲は、身を縮めた。どうも昨夜から感情をコントロールするのが難しい。青洲の様子を見て佐川は、首をひねる。

「気配はきれいに消えているのに、随分後遺症が残っているみたいですね」

 佐川が目を眇めて青洲を見つめる。

「だから、なんの気配だよ」

 青洲は気味悪そうに佐川を睨みつけた。

「昨日、憑いて来ていたんですよ。あそこから……」

 青洲は瞠目し、いずみは凍りついた。

「あの女の人が……」

 いずみが口ごもる。

「いいえ、あれほどのものが憑いて来ていたのであれば、いくら僕だって放っておきませんよ。もっと小さなものです。たぶんあの人に付属していたんじゃないかな。それほど悪さはしないだろうと思って放っておいたんですが……」

「それって……」

 いずみは言葉を濁す。

「おそらく……」

 佐川が頷き返した。

「なんなんだよ……いや、やめた。聞きたくない。俺は聞かなかったことにする。もう消えてるんだろ?」

 青洲は、恐々と後ろを振り返りながら、慌てて耳を塞ぐ。その様子を見た佐川は、すっきりとした涼しげな目を弧にしてしゃべりだした。

「あの女の人は、妊娠されていたんだと思いますよ。そして恐らく殺されたんでしょう。あの場から、その子を連れてきてしまった吉田さんは、子供みたいに感情のコントロールができない状態になったんじゃないですか?」

 図星をさされて、青洲は、ごくりと唾を飲み込んだ。

「僕が九字護身法を教えておいて良かったでしょう?」

 佐川は得意そうに言って、いずみを見つめた。

「でも、私、あの九字の呪文は唱えてないですよ?」

 いずみが不思議そうに返す。

「え?」

 佐川の箸が止まる。

「だ・か・らー、もう推測で話をするのはやめようぜ。気味が悪い」

 青洲が、おしまいという風に話を切り上げた。



「いずみさん……」

 いつものように神社の庭で絵を描いて青洲を待っていると、佐川に声をかけられた。

「あれ? 佐川さん、どうしたんですか?」

 いずみは、きょとんと佐川を見上げる。奥の部屋に入って、まだ三十分も経っていない。

「トイレ休憩です」

 そう言って、小さく笑ってから、佐川は続けた。

「いずみさん、吉田さんに気を許し過ぎていますよ。少し気を付けた方がいい」

 佐川は声を低めて言った。

「え?」

 いずみは佐川を見上げる。

「もしかしたら、あなたにとって吉田さんは、最も危険な人物になるかもしれません」

 淡々としゃべる佐川の表情からは、なんの感情も汲み取れない。

「……あの?」

 いずみは戸惑う。

「僕の気のせいならいいんですが……とにかく、気を付けて。何か心配なことがあれば、僕で良ければ、相談に乗ります。どんな状況になっても、僕は、あなたの味方ですよ、たぶんね」

 そう言い残すと、佐川は立ち去った。

「……」

 いずみは、一人途方に暮れる。

――青洲さんが危険? どうして?


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