第六話 能ある鷹の爪を隠せ(4)
青洲は、後部座席でいずみを抱き寄せて座りながら、ブツブツ文句を言っていた。
――赤秀め! 何が遅かったーだっ!
白舟の安否を気遣って、焦っている青洲に、赤秀は手遅れだったと言う。絶句する青洲に、赤秀は続けた。
『昨日から、風邪をひいて、中耳炎を起こして休んでいる。医者の不養生ってやつだな』
赤秀は、大げさにため息をついた。青洲は、がっくりと脱力する。
「まぁ、その程度で済んでて良かったじゃないですか」
佐川は、運転をしながら笑い転げた。
「その程度でと言うが、白虎がやられたから、白舟が中耳炎を起こしたと言う訳でもないだろう?」
青洲は眉をひそめる。
「どうでしょうね。でも同じ耳だと言うのが、引っかかりませんか? それに、吉田さんも白虎イコール白舟さんだと思ったから、連絡をとったんでしょ?」
佐川は興味津津といった様子で振り返った。佐川の切れ長の涼やかな瞳が、黒ぶち眼鏡の奥で好奇心に輝いている。
「前を向け、前を……」
青洲は顔を顰める。
――佐川は、知らないことだろうから仕方がないとは思うが……笑い話では済まなかったのだ……薫の時は……。
その時、青洲に寄りかかってぐったりしていたいずみが、突然身を固くしたのが分かった。
「いずみちゃん? どうかした?」
青洲の問いかけには答えずに、いずみは青洲にしがみつく。震えているようだ。
「ははぁ、あれですね、いずみさん」
佐川は、前方山側の斜面を顎でさした。ぐっと速度を落として徐行する。青洲も佐川が指し示す方角を見るのだが、斜面を枯れた草が覆っているばかりだ。
「何があれなんだ?」
青洲は首を傾げる。
「その様子だと、さっきクラクションを鳴らしたのは、いずみさんですか?」
「な、鳴らすつもりはなかったんです。は、早く車を出して欲しくて、ハンドルを握ったら……鳴ってしまって……」
いずみは上ずった声で、震えながら説明する。
「鳴らしたのは良かったですよ。こごった気に亀裂を入れることができる」
「だから、なんの話をしているんだ?」
青洲は、気味が悪くなって、少し怒ったように問いかける。
「見えませんか? ほら、あそこ」
佐川は停車して、斜面の途中にある小さな岩を指差した。
「……」
青洲は目をこらすが、岩があるだけだ。いびつな形をした黒っぽい色をした岩で、特に変わった様子もない。佐川は、青洲の言葉にため息をついた。
「あの岩を睨みつけてはいけませんよ。少し視点をずらして、視界ぎりぎりの所にあの岩を合わせてみてください」
青洲は胡散臭げに佐川を見たが、言われたとおりにしてみる。
――やっぱり、何もない……いや、待てよ……。岩の少し右、草が群生したまま枯れている辺りに、何かがいないか?
慌てて、視線を合わせると、それは消えてしまった。それきり、何度視界ぎりぎりに持って行っても、青洲には見ることができなかった。ただ、何かの気配がこごっているのだけが、僅かに感じられる。
「あれは、一体……」
青洲は佐川を見つめる。
「ここは、島の西の果てですよ。四聖獣の口承を覚えていますか?」
「あ!」
――その昔、凶なるもの、西海より流れ着きし
「こんな所に、いずみさんのようなセンシィティブな人を連れて来て、何も準備していないなんて、迂闊過ぎませんか?」
佐川は、青洲を責めるように見つめた。
「佐川……おまえ、一体何者?」
青洲は瞠目して、佐川を見つめる。
「なるほど、青洲さんにしても、赤秀さんにしても、そういう性質の人ではないようですねぇ」
佐川は薄ら笑った。
「おまえ、赤秀に会ったのか?」
青洲は驚いて問う。
「赤秀さんは、今では私の雇い主ですよ」
「は? 市役所は?」
「市役所は辞めました」
「なんだって? 佐川、おまえ、一体何やってんだ? 赤秀はどうしておまえを雇ったんだ?」
「もちろん、当面の僕の仕事は、お二人をふん縛って、赤秀さんの所へ連れて帰ることなんですがね、そのほかに、赤秀さんから、この島に伝わる伝説を調べるように言われています。既に、神社に保管されている古文書も見られるように、赤秀さんから口を利いてもらっているんですよ。僕は、もともと古代史を専門に勉強してきたんです。古墳の発掘に関われると聞いたんで、市役所に入ったんですが、いつまでたっても希望の部署に行かせてもらえなかったし、この際だと思って、市役所は辞めました。赤秀さんが、僕のスポンサーになってくれると言うので……」
佐川は、嬉しそうにべらべらとしゃべり続けた。
「……おい、おしゃべりはそのくらいにして、とりあえず、ここからどうやって抜け出せばいいのか、教えてくれないか? 俺には、何が何だか、さっぱり分からないんでね」
青洲は、深いため息をついた。
――赤秀め、何を考えているんだか……
「いずみさん、あなたはどうですか? どうすれば良いか分かりますか?」
佐川は、いずみを覗きこむ。
「分かりません」
いずみは激しく首を振った。佐川は、ふうむ、と言ったきり黙りこみ、
「僕の考えすぎだったのかな……」と小さく呟くと、何やら呪文のようなものを唱え始めた。
「臨 兵 闘 者 皆 陣 列 在 前」
言葉に合わせて、両手の指を複雑に組み合わせていく。
「掴まっていてください。一気に抜けますよっ」
そう言うと、佐川はアクセルを踏み込んだ。タイヤが軋む音がして、車が急発進する。あの岩の下付近を通り過ぎた瞬間、窓を開けているわけでもないのに、何か生温かい空気が、耳元を掠める。
「いやぁ――」
いずみが、悲鳴を上げて青洲にしがみついた。
――ねぇ、どうして逃げるの? 一人じゃさみしいよぉ。私と一緒に……死んでよぉ
聞き慣れない女の声が、耳元で囁いたような気がして、青洲は振り返った。道路の上にゆらゆらと陽炎のような気の塊が、一瞬こごって、そして霧消した。
――なんだ? あれは?
青洲は目を見張る。
「なんだか、この島は、すごいことになっているみたいですねぇ。こんな昼間から、あんなものが……」
佐川が、面白そうに笑った。




