第五話 瑠璃も玻璃も照らせば光る(2)
卓上の豪華絢爛な料理に、いずみはすっかり委縮してしまった。
大皿に盛られた新鮮な魚介類の造り、豚の角煮、南蛮漬けや、様々な野菜の煮物、しんじょ、ウニをふんだんに乗せた押し寿司。銘々の席には、小餅や白身のお魚、海老、玉はんぺん、鶏肉、シイタケ、三葉などが彩りよく入った汁椀が付いている。
「……青洲さん……」
いずみは困惑した表情で、青洲を見上げる。
――何もかもが立派な席で、自分だけが、みすぼらしい。釣り合わない。
カタカタ震える小さな手を、青洲が、励ますようにぐっと握りしめた。
「それぞれの家に得意料理があってね、何かあると、こうやって持ち寄って宴会を開くんだ。無理にとは言わないけど、少しずつでいいから、どれにも箸をつけてあげてよ。そうしたら、みんな喜ぶから」
青洲の説明に、いずみは小さく肯いた。
島の人たちは、本当に陽気な人達らしかった。最初は委縮していたいずみも、すっかり打ち解けて、笑い声をあげるまでになる。訊かれれば、先ほど青洲と打ち合わせた通りの馴れ初めや、身の上を答える。旧姓や、どこの出身かとか。青洲との出会いは、市の仕事場だったことする。たわいのない質問に、二人はスムーズに答えて行った。すべてが順調だった。
場がくだけてきて、料理もだいぶ片付いてきたので、厨房まで使った皿を下げる。ついつい、今までの習い性で、いずみはマメに立ち働いていた。みんな口々に、いずみは、そんなことをしなくていいと止めてくれるのだけど、なんだか座っているのが落ち着かなくて、チョロチョロしてしまう。そんなに何かしたいのなら、子どもと遊んでやってくれと言うので、いずみはスケッチブックをとってきた。宴会に連れて来られたものの退屈して、子どもたちが騒ぎ始めていたのだ。子どもたちを集めて、似顔絵を描いてあげることにした。
「あれ? そんなに緊張した顔しなくてもいいんだよ?」
いずみの前で正座をして、口を真一文字に引き結んだ男の子を見て、いずみは苦笑する。
「どがん顔ば、しとればよかと?」
一番手の男の子は困惑して訊く。
「普通にしてて」
男の子は、更に困惑して、更に硬い表情になった。
「颯の真面目な顔ば、初めて見た気がすっとよ」
女の子たちが、はやし立てるので、颯は顔を真っ赤にして、からかった女の子たちに掴みかかった。
「喧嘩はやめてっ、颯君。こうしよう、みんな、とにかく座って。みんなで歌える歌があるでしょ? それをみんなで歌っててよ」
いずみの提案に、男の子たちからはブーイングが上がり、女の子たちは、口々に流行りのアイドルの歌をそれぞれに主張した。
「みんなが一緒に歌えるのがいいわ。学校で習っている歌にしようよ」
この提案には、男の子たちも女の子たちも不満だったらしい。みんなぶすっとした顔でいずみを見上げる。いずみはすっかり困ってしまった。
「じゃあ、いずみちゃんがなんか歌ってよ。そうしたらオイらもそいば歌うから」
困っているいずみに、助け船を出したのは、意外にも颯だった。いずみは、ほっとして小さく笑む。
「いずみ、あまり歌を知らないよ。童謡で良ければ……」
子どもたちがいいと言うので、いずみは金糸雀の歌を歌い始めた。
唄を忘れた 金糸雀は
後の山に 棄てましょか
いえ いえ それはなりませぬ
唄を忘れた 金糸雀は
背戸の小薮に 埋けましょか
いえ いえ それはなりませぬ
唄を忘れた 金糸雀は
柳の鞭で ぶちましょか
いえ いえ それはかわいそう
唄を忘れた 金糸雀は
象牙の船に 銀の櫂
月夜の海に 浮べれば
忘れた唄を おもいだす
(西條八十作詞・成田為三作曲)
一緒に歌うと言っていた子どもたちだったが、いずみが歌っている間、ぼんやりとしたまま誰も歌わない。
「もしかして、知らない歌だった?」
歌い終えて、いずみが子どもたちに問いかけた途端、子どもたちは、まるで夢から醒めたかのように、「へー」とか「ほー」とか感嘆の声を上げた。
「昔の曲過ぎたかなぁ?」
心配そうに問ういずみに、
「なんか、すごか気持ち良かった」とか、
「なんか、月夜の海に象牙の船ば浮かべて乗っとったような気分やったー」とか、子どもたちは口々に感想を言った。
いずみの歌に聞き入っていたのは子ども達だけではなかったらしい、小さな拍手が大人たちから湧き起こる。
「いずみちゃん……」
青洲だけが、少し困った顔をして、いずみの傍に腰を下ろした。
「似顔絵を描くんだったんだろ?」
「あ……うん。ほらほら、今度は君たちの番だよ。歌っててね」
子どもたちは、何かゴショゴショ相談をしていたようだったが、結局、金糸雀の歌は歌わずに、『ビリーブ』や『翼をください』など、学校で習っていた歌を声をそろえて歌いだした。
似顔絵の方も好評で、いずみの歌の余韻は、すっかり払拭される。
青洲は、少しほっとした様子で、いずみの傍を離れた。
宴会が終わって、三々五々家路へと向かう人々を門まで見送る。最後の人が薬医門を後にした時、青洲といずみは、どちらからともなく小さくため息をついた。
「いずみちゃん、疲れただろ?」
「少しね。でも楽しかったよ。みんな陽気で楽しい人たちばかり。青洲さんは、あんな人たちに囲まれて暮らしていたんだね……私とは大違い」
いずみは、少しだけ寂しげに笑った。
憂いを帯びたいずみの表情に、青洲はしばし気遣わしげにいずみを見つめると、背中を小さくポンポンと叩いた。
「……戻ろうか?」
青洲は、そっといずみの肩を抱いて歩き出す。
鳴春が、離れのお風呂を準備してくれていると言う。先に入りなさいと青洲が言うので、いずみは浴室へと向かっていた。
渡り廊下から奥庭の枯山水が見渡せる。盛りを過ぎた白いサザンカの花びらが、暗闇の中、風もないのにはらはらと散っている。いずみが、それに見とれていると、背後からしゃがれた声が聞こえた。
「匂う、匂うね、毒の匂いたい。みんなは、だませても、こん年寄りばだますことはできんよっ」
いずみが驚いて振り向くと、背後に白髪の老婆が立っていた。目が悪いのか、瞳が白く濁っており、あまりよく見えていない様子だ。
「……毒の……匂い?」
「そうさね。そん腹ん子は、だいの子だい? あんたみたいな娘に、青龍が触れらるっわけがないんたい。あんたは、志木のあのおなごと同じ毒の匂いがすっ」
老婆は吐き捨てるように言った。
「……シキの女?」
いずみは目を見開いて、老婆を見つめたまま固まってしまう。
「正直にゆわんね、そん腹ん子はだいの子だい? 場合によっちゃ、容赦せんよっ」
老人はいずみに掴みかかってきた。危険を感じたいずみは、腕を掴む老女を振り切って逃げようとするが、まるで猛禽類に捕まえられた獲物のように、振りほどくことが出来ない。恐怖で叫び出しそうになった時、青洲の声が聞こえた。
「朱音ばあちゃん、いずみを離してやってくれないか?」
青洲は、掴まれているいずみの腕をやんわりと取り返す。
「青洲ぼっちゃん! そがん娘に触れてはいけまっせん。穢れますけん」
老婆は声を張り上げた。先ほどとは違う、朗々とした張りのある声だ。
「いずみちゃんに触れて穢れるんなら、もうとっくに穢れているよ。ずっと一緒に暮らしているんだから。でも、穢れてるなんてちっとも思わないよ。むしろ逆だと思う」
いずみと居ると、どんどん心が浄化されていく気がしていた。
「ふん、そいは青龍の御加護が無くなってきた証ばい。今すぐ神社へ行って、禊ぎば受けた方がよかばい」
朱音ばあさんは、鼻息荒く青洲まで睨みつける。
「神社へは、もう行ったよ。鳴春がうるさいから」
「そいは良かった。そいなら、もうすぐにでん、こんおなごの正体に気づけるこどやろうよ。大体こんおなごは、結婚もせんうちから……」
「そんな話よりも、俺、朱音ばあちゃんに訊きたいことがあるんだ」
青洲は、くどくど続きそうな朱音ばあちゃんの小言を遮った。
「なんばいね?」
朱音ばあちゃんは、怪訝そうに眉根を寄せた。
「鈴守の分家ってあるのかなぁと思ってね。余所の県に行った人とか、上京した人とか……」
青洲の言葉に、朱音ばあちゃんは一瞬絶句した後、険しい顔になった。
「なして、そがんことが気になるのね?」
「村の人たちが心配してるじゃないか。夏生君が回復するのが一番だけど、もし鈴守が分家していて、その血筋が残っているようなら、赤秀に頼んで探してもらうことも必要かと思ったんだよ」
青洲は用心深く答える。
「ふん、鈴守は分家なぞしておらんばい。こん島ば守ることが一族の誇りなんやけん、こん島におる鈴守以外は、ひとつもおらん」
朱音ばあちゃんは、胸を張った。
「……そうなのか……」
青洲は、眉間にしわを寄せる。
「……ただ、一人だけ、島ば出て、鈴守捨てた馬鹿者がおったとばいよ」
「鈴守を捨てた……」
青洲は、ごくりと唾を飲み込んだ。
――ビンゴだ。
「もう鈴守とは関係のないおなごばい。除籍されておるしね。風の噂では、死んだて聞いとっよ。ロクでんない死に方やったとか……」
朱音ばあちゃんは、吐き捨てるように言ったが、その言葉は、悲しみを堪えているように、語尾が震えていた。
「それは誰だい?」
「……青子ばい。鈴守青子……オイの一つ違いの姉やった」
朱音ばあちゃんは、気まずげにそう言い捨てると、そそくさと廊下を戻って行った。




