オルゴールのかわりに
時は永遠に続くと思ってた?
風が癒しのワルツを踊ったら、木々がつられて笑い出し
空で雲が泳ぎ回ると、川は楽しげにせせらぎの歌を歌う。
時が奏でる協奏曲に合わせて、今日という日が流れて行く。
何千、何億という間、飽きることなく時はネジを回し続け
あらゆるものを生み出し、世界を動かし続けてきた。
この世のどこにもいないけれど、誰にも見えないけれど
時を動かす大きなオルゴールがこの世で永遠のパーティーを開く。
そんな大きな舞踏会の中で行われる小さな小さなパーティーは
時の真似をして協奏曲を奏で、世界にダンスを踊らせようとしている。
それが人であり、生命の僅かなささやき。
最初は本当に小さな囁きだったものが、徐々に華やかになっていき
いつしか囁きは歌になった。
誰もが知らないうちに歌を歌っている。
何千、何万、何億という時を過ごすうちに歌う理由など
忘れてしまったが、それでも人は歌い続ける。
そんな歌の、メロディにも入らないような女の子が
風に揺られながら空を眺めていた。
彼女は風がワルツを踊り、木々が笑う理由を知らなければ
雲が泳ぎ、川がせせらぎの歌を歌う理由も知らない。
時は流れるものだと思いながら、空を眺めている。
だが、時は勝手に流れて行くものではない。
誰かが曲を作って、そのオルゴールのネジを回し続けているからこそ
時は流れ続けるし、曲は止まらない。
今日は何を食べようか、そういえばいつもの手紙がまだ来てないな、
こんなに良い天気なのにつまらない。
そんなことを考えていた少女の頭に、コツン、と何かが落ちてきた。
それを手に取った瞬間、風は踊りをやめ、木々は静かになり
雲も川もそして人さえも、止まってしまった。
少女の手に握られた小さなネジ巻きだけが、まるで枯れてしまった
声で歌うかのように、静かに息をしていた。
それを持っているからかどうかは分からないが、先ほどまで
今日のことを考えていた少女もまた、この世界でただ一人
息をし続けていた。
人は歌う理由を完全に失ってしまったわけではない。
だが、少女には分からなかった。
そのネジ巻きが時のオルゴールを鳴らすものだということも
自分が歌を歌う理由さえも。
ネジ巻きを持って最初に訪れたのは、自分の家。
どこへ行っても静かな世界に怯えながら、ただ一つの
解決策を探すため誰かに助けを求めようとした。
だが、時の協奏曲が止まってしまった今、
少女を助けることのできるものはいない。
止まってしまった人を前に、少女は時が動き続けていた理由を考え始めた。
なぜ、時は動いていたのか。
なぜ、人は歌を歌っていたのか。
なぜ、時は止まってしまったのか。
自分では歌っていた自覚などない少女には難しい問いだった。
だが、聞いたことがある。
昔、大昔、人は時に変わって世界を動かせるように歌を歌い始めたのだと。
おとぎ話のように言い伝えられてきた。
そう、たかがおとぎ話。
少女はずっとそう思っていた。
歌うことは、生きることなのだということに気付いたのは
時が動いていたと仮定して約一週間。
なぜ、生きることを歌と呼ぶのか。
それが分かれば解決策も見つかるかもしれない、と
おとぎ話を知るために街一番の図書館へ向かった。
図書館の奥の奥、入り口から一番遠い棚の一番上に
少女の求める本はひっそりと置いてある。
いつもならここを管理している人に聞けばすぐに見つかるのに
今はそれも出来ない。
仕方なく迷路で迷うかのように彷徨いながら、目当ての本を探す。
時が止まっている今ならば、全ての本を読んでも一秒も進まないし
誰も気付きはしないのだろうけれど、読もうという気は起きなかった。
むしろ本は嫌いだったし、一刻も早く本を見つけて図書館を出たかったのだが
一番奥の棚には中々辿り着けそうにない。
やっとの思いで見つけたのは、探し始めてから二週間経った頃。
へとへとになりながらも、本をめくってみる。
〝風が癒しのワルツを踊ったら、木々がつられて笑い出し
空で雲が泳ぎ回ると、川は楽しげにせせらぎの歌を歌う。
時が奏でる協奏曲に合わせて、今日という日が流れて行く。
何千、何億という間、飽きることなく時はネジを回し続け
あらゆるものを生み出し、世界を動かし続けてきた。
この世のどこにもいないけれど、誰にも見えないけれど
時を動かす大きなオルゴールがこの世で永遠のパーティーを開く。
そんな大きな舞踏会の中で行われる小さな小さなパーティーは
時の真似をして協奏曲を奏で、世界にダンスを踊らせようとしている。
それが人であり、生命の僅かなささやき。
最初は本当に小さな囁きだったものが、徐々に華やかになっていき
いつしか囁きは歌になった。〟
挿絵には大きな歯車の上でネジを巻きながら踊る人が描かれている。
大切なネジを落としてしまったのか、はたまたわざと落としたのか、
それは分からないが、少女はこのネジ巻きをこの人に届けなければ
永遠に時が止まったままなのだと理解した。
でも、どうすればこの人に会えるのだろうか。
本に書いてある〝この世のどこにもいない〟と。
なら一体、どこにいるのだろう。
本を閉じると、背表紙に名前が書かれているのに気づいた。
エミリア=アダムス。その名前は知っていた。
街の中心にある時計塔の下に住んでいる変わったお婆さんの名前だ。
前に一度だけあったことがあるが、話したことはない。
どちらにせよ今は話すことができないのだが。
とりあえず彼女の家に行ってみることにした。
時計塔はとても高い。
てっぺんまで登れば隣街までもを見通せる高さだ。
アダムスがいる家に行くと、やはり彼女も椅子に腰を下ろしたまま
止まっていたが、一枚の手紙が机の上に置いてあった。
その出だしに、少女は目を奪われる。
〝もし時が止まってしまったら〟
急いでその手紙を読み始める。
〝もし時が止まってしまったら、それはどうしようもないことだ。
だって時が止まってしまったら、誰も動けないのだから。
昔の人は時が止まっても動けるように歌を歌い続けてきたが
結局、人に時は動かせない。時を動かせるのはあのネジ巻きだけなのだ。
もし、時が止まる瞬間、そのネジ巻きを手に入れることができたのなら
私はそのネジを持ってもう一度、時のオルゴールを動かしに行こう。
不安なのだ、毎日時が止まることを恐れている。
もしもの時のために、時計塔の鍵を常に持ち歩いている。
時計塔の高さがあれば十分時の狭間に飛び込めるはず。
あそこから飛び降りて、時のオルゴールをさがしにい〟
手紙はそこで終わっていた。
アダムスの首には、時計塔の鍵がぶら下がっている。
その鍵を持って、少女は時計塔を目指した。
時計塔は高い。
だから、それを登る前に少女は一休みすることにした。
上を見上げると、終わりの見えない螺旋階段が続いている。
時が止まってから気付いたことがある。
意外と、生きるって大変だ。
時が流れていた時より、時が止まった今の方が
時間に追われているように感じるのはなぜだろう。
きっと終わりがないからだ。
終わりがないのは、思った以上に怖い。
静かな空間で、動く鼓動だけが少女を寝かし付ける子守唄となった。
一歩、また一歩と階段を登って行く。
上は見ないことにした。
足元を見て、確実に一歩先へと進んで行く。
少女が階段を登り始めて何時間、何日、何週間経ったかは分からない。
だが、やっと、少女はてっぺんに辿り着いた。
時計塔の一番上。
地面とはかけ離れた空の世界。
そこから下を見下ろすのは少し勇気がいる。
でも、時を動かしに行くには、ここから飛び降りなければならないのだ。
もし、行けなかったら?
死ぬに決まっている。こんな高さから落ちたら、生きていられない。
でも、時が止まったまま生き続けられるのだろうか。
どっちにしても、同じようなものではないだろうか。
意を決して、少女は飛び降りた。
挿絵で見た光景と全く同じ歯車の上に、少女は立っていた。
ここが、時の狭間。
心なしかネジ巻きも元気になっているような気がする。
さて、ネジ巻きを差し込む穴はどこだろう?
歯車の上を歩きながら穴を探す。
そういえば、あの挿絵の中にいた人はいないのだろうか。
ふと、そう思った少女は顔を上げてぐるりと辺りを見回した。
すると、歯車の端っこに座り込んでいる人がいた。
挿絵の人かどうかは分からないけれど、少女はその人に近付いていった。
その人は少女に気付いたのか、数十メートル離れたところから声を掛けてきた。
「拾っちゃったんだね、そのネジ巻き」
「落ちてきたの、あなたが落としたの?」
「そう、そうだよ、わざと落としたんだ」
「どうして?」
立ち上がると、少女の方を見て悲しそうに微笑んだ。
「僕は長年このオルゴールを回してきたけど、もう飽きたんだ。
人に歌を歌わせたのは僕。オルゴールを回し続けることに飽きたから
回さなくても歌が止まらないように楽譜をあげたんだ。
なのにもう人は歌う理由を忘れちゃっただろう?
だからダメなんだ、意味のない歌は何も生まない」
ワルツを踊るかのように優雅に回りながら少女に近付くと
首に掛かっていたネジ巻きを掴んで物悲しげな目で眺める。
「落とせば永遠に時を動かす必要はないと思っていたけど、
拾っちゃったんだね……」
仕方ない、といったようにため息をつくとネジ巻きを少女の首から
とって中央へと歩いて行く。
黙って見ていた少女だが、堪え切れず聞いてみた。
「歌う理由を思い出せばいいんでしょう?」
それを聞くと、ハッとバカにしたように笑ってみせた。
「もう、歌える人なんていないよ」
「私がいるじゃない!」
駆け寄って、手を取る。
「一緒に歌いましょ? 私に歌を教えてちょうだい?」
呆気にとられていたようだが、呆れたように笑ってみせた。
「それも面白いかもしれない。試してみる?」
「もちろん!」
風が癒しのワルツを踊ったら、木々がつられて笑い出し
空で雲が泳ぎ回ると、川は楽しげにせせらぎの歌を歌う。
時が奏でる協奏曲に合わせて、今日という日が流れて行く。
何千、何億という間、飽きることなく時はネジを回し続け
あらゆるものを生み出し、世界を動かし続けてきた。
けれど、今は違う。
人は歌う理由を知っている。
オルゴールの代わりに協奏曲を奏で、今日も世界を回して行く。