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第一章 天狗の狩衣 その4

「嫌だよ、絶対」


 帰宅後、誠一は自室にすっかり塞ぎ込み、半泣きで怒鳴り散らしていた。


「すまん誠一、だから開けてくれ」


 ドアを内側から施錠され、更には布団やら机やらそこら中にあった物でバリケードを築かれてしまったために、外からノックをしながら祖父が弱々しく声をかける。


 こんな調子がもう半時間近く続いていた。


 これはもうしばらく前のこと。


 家に帰るや否や、誠一はそれまで押し殺していた我慢を一気に解放させた。


「俺は絶対にこんな役やらないからな!」


 場所は居間、檜製の立派な卓袱台を交えて床の間の前に座り込んだ祖父に向かい、立ち上がって怒りをぶつけていた。


「お前の言い分も分かる。しかしこれは我が家に代々……」


「代々伝わる使命とでも言いたいんだろ? ふざけるなよ、俺の人生はどうなる? 一生この田舎で暮らさないといけないんだぞ。学校も遠くへは行けないし、将来の仕事も遠野で見つけなくちゃいけないのかよ!」


「それは分かってる。だが、ここには田んぼも畑もあるし、もしもの時には神社を挙げてお前の生活の支援も……」


「そんなんで満足できるか! 俺だって都会に出てやりたいことはあるんだ! そんな今まで聞いたことの無いような風習に、将来を台無しにされてたまるか!」


 今まで祖父に悪態をついたことは無いわけではないが、ここまで酷く怒鳴ったことは一度として無い。しかし祖父は座り込んだままだった。


「誠一、よく聴きなさい。この山を守ることがどれほど大切か……」


「知ったこっちゃねえ! 何だ、こんな物」


 誠一は卓袱台の上に置かれていた桐の箱――中には天狗の狩衣が入っている――を乱暴に持ち上げ、足元の畳に向かって叩きつけた。


 黒ずんだ蓋が外れて回転しながら宙を舞い、狩衣が煙のように舞い上がった。


 ドガ!


 装束が鳥の羽根のようにひらひら舞い降りたのとほぼ同時に、鈍い音が部屋中に響いた。


 誠一は両手で頭を押さえ床の上に突っ伏した。祖父は肩で息をしながら今先程振り下ろしたばかりの右拳を握りしめていた。


 しばらくの間屈んでいた誠一はゆっくりと立ち上がり、祖父をキッと睨みつけた。その時祖父は慌てた様子で何かを伝えたがっていたが、誠一にそれを察するだけの余裕は無かった。


「もう知るか!」


 それから先のことはよく覚えていない。我に返るとバリケードを築いた部屋を舞台に篭城戦を展開していた。


「誠一、殴ったのは謝る。すまなかった。だからゆっくり話をしよう」


「いいよなじいちゃんは。もう将来の心配なんかしなくていいからな」


 最大限の皮肉を込めて、わざとなだめるような口調で返した。


 誠一はまだ中学生、これからの人生の無限の選択肢を心配すると同時に期待を膨らませる年代だ。


 幼稚園の頃は寿司屋になりたいと言っていたし、小学生の頃はゲームデザイナーになりたいと考えていた。今は放送作家になりたいな、とも考えている。


 随分コロコロと将来の夢が変わっているが、それはいずれも可能性あってこそだった。学年トップを常に争う成績が、その可能性を自身だけでなく、教師やクラスメイトにも感じさせていた。


「でも、俺は……」


 しかし稗貫家の長男は山の守人としてこの遠野に留まらなければならない。それは将来の可能性を極端に狭めてしまう以外の何物でもない。


「誠一、いい加減出てきなさい」


 母もこの合戦に参加した。祖父に代わってドアを優しくノックする。


「母さん……知ってたのかよ、この家の使命ってやつを」


「ええ、知ってるわ。私がお嫁に来た後で知らされたわ」


「それじゃあ母さんは自分の息子が将来その役目に就くのを分かってて、俺を育てたってことだよなあ? 自分の息子のことをどう思ってるんだよ、これから自分で決めていこうって時に、意味分かんねえ使命とやらで縛り付けるのが親のすることかよ」


 ドアを隔てた母に見えるはずも無いが、歯をむき出しにして吠えた。誠一の怒りは祖父だけに限らず、秘密を伝えることも無く今の今まで自分を育ててきた母に、亡き父に、そしてそんな境遇に生まれ落ちた自分自身に対しても向けられていた。


 母は黙り込んだままだった。時折、ずずっとすすり泣くような音が聞こえた。


「お父さんもこの家の使命については本意じゃなかったと思うわ」


 意外な返答に誠一は耳をピクリと震わせた。


「あんたの生まれる前に聞いたことなんだけど、お父さんが初めてこの家の使命を知ったのは15になった時だそうよ」


 俺と大体同じか。寝転がりながら口をへの字に曲げ、壁に掛けられたゴールデンイーグルスのカレンダーを睨みつけながらも、耳はドアの向こうに傾けていた。


「あんたは知らないかもしれないけれど、お父さん実は物凄く勉強できたのよ。去年、遺品の整理をしていたら、お父さんの中学時代の通知表が出てきたの。全部9とか10だったわ」


 誠一は何も言わない。ただ一点を見つめていた。


「お父さんはあんたくらいの歳の頃、獣医を目指していたらしいわ。でも、使命を知って……」


「それは父さんの話だろ!」


 手元にあった目覚まし時計を掴み、ドアに向かって投げつけた。打ちつけられた時計はガチャンという不快な金属音を鳴らして、電池やベルを四散させて床に落ちた。


「父さんがどうやって守人になったかなんて知ったことか! 俺は俺だ、父さんとは違うんだ! これからの時代、こんな田舎町なんか出て行く方がよっぽど賢いんだよ!」


「誠一、もうやめんか!」


 突然、祖父が外から窓を開けたので、誠一は飛び上がった。


 ここは二階のはずなのに。


 祖父は例の白い狩衣を羽織っていた。おそらく天狗の力を使って屋根まで跳び移ったのだろう。


 よっこいしょと掛け声を上げて窓枠を乗り越えると、祖父はおそるおそると誠一に近づいた。


「誠一、ワシも傲慢になりすぎたと思う。もうお互いこんなことはやめよう」


 壁際に逃げる誠一の側で、祖父は胡坐をかいた。


「実はここ最近、もう山と人の関係を断とうという話もお互いの間で挙がっとる。人間の信仰も薄れて、この狩衣も昔に比べたら力は落ちてしまったし、動物にも住処が減ったんで別の土地へ移ろうと考えている者も多い。山と関係を持つ一部の人間達も人手不足で満足に山を守ることもできん。そこでいっそのこと、互いに交流を無くして、人間は人間、動物は動物、妖怪は妖怪とそれぞれ別々の生き方をしようという案も出ている。山を守るのが嫌と言うのなら止めはせん。時代の流れに逆らって山に留まるにも限界があるのだからな」


 誠一は祖父を無言で睨み続けた。祖父は苦笑いをしてから、ドアの前に築かれたバリケードの撤去作業に取り掛かった。誠一も祖父に続いた。

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