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第五章 淵神の祀り その2

 誠一は鏡花の家が見えると同時に大声で叫んだ。


「田尻、いるかー?」


 ほどなくして玄関から普段着の鏡花が出てきたが、顔色はすこぶる良くない。


「聞いたぞ、先輩のこと」


 鏡花は黙り込んだまま、鋭い眼を反らした。


「本当に手は無いのか? なんとかならないのか?」


 誠一が詰め寄り、鏡花はざっと後ずさる。


「無いわ。本当は私だって嫌よ、でも……」


「ああ、分かってる」


 誠一は肩を落とした。


「でも、本当に何とかならないのか? 昔、こういう時にはどう対応していたとかは知らないか?」


「こういう時は生贄を出していたのが昔の対処法だからね。やめさせた話なんて聞いたこと無いわ」


 二人はそろって溜息を吐いた。しばしの間沈黙が続く。ツクツクボウシの鳴き声がどこからともなく聞こえ、それだけが異様に響き渡っていた。


「……なあ、人身御供て一体どうやるの?」


「川の神様に対してなら飛び込みね。上流の深い淵で飛び込むのよ。神様が迎えに来ると淵が渦巻くみたいで、そこに飛び込めばいいって先輩が言っていたわ」


「そうか……」


 誠一は植え込みに腰を下ろした。鏡花もその隣に座り込む。


「正直、こんなことはしたくないんだけれど、スケールは思った以上に大きいみたいだしね。川の神様がここまで力のある存在だとは思ってもいなかったわ。下手すればとんでもない大災害まで起こしかねない」


「なあ、その話って人間しか知らないのか?」


 前触れ無く誠一が尋ねてきたので、鏡花は言葉を濁したが、すぐに答えた。


「一部の妖怪のトップなら知っていると思うけど、ほとんど知られ渡ってないんじゃないかしら」


「ありがとう」


 誠一は立ち上がり、走り出した。


「どこ行くの?」


 緑に囲まれたアスファルトを走り去る誠一に向かって、鏡花が声を張り上げる。誠一はいったん止まり、振り向いて東の山を指差した。


「河童の所だ。シンベエさんなら良い知恵を持っているかもしれない」




 家に帰って狩衣を失敬し、ありったけのお菓子をポケットに詰め込んだ。


 これから必要になると思い、つい先日買ってもらったばかりのモンベルの登山靴をしっかりと結び、自転車をぶっ飛ばした。


 たまに通る自動車に道を譲ることも無く、空がごろごろと唸っているのも気にせずに、休むことなくペダルをこぎ続けた。


 山道脇に自転車を置いて河原に降りると、誠一は狩衣を羽織った。ペダルをこぎ続けて疲れ切っていたはずの足が突然、おもりを外したように軽くなる。


「よし、行くぜ!」


 誠一は大岩に跳び移り、清流を上り始めた。


 普段に比べれば驚くべき短時間で誠一は河童の棲む淵に辿り着く。


「シンベエさん僕です、誠一です。出てきてください!」


 淵に向かって叫ぶ。しかしシンベエどころか河童ひとり、水から出てくる気配は無い。ただ、滝がごうごうと重い水音を立てているだけだった。


「どうしよう……そうだ、九回裏三点リードのピンチに打席には四番、投手は決め球のフォークボールを投げた、と打ったぁー! これは大きい、入った、入った、入った、逆転満塁ホームラン、イーグルス逆転勝ちです!」


「おう誠一、よく来たな」


 例の実況を言い終えると同時に、シンベエと息子のハジメが水から頭を出した。


「何の用だ?」


 ジャブジャブと水を蹴りながらシンベエが誠一に近付く。


「シンベエさん、教えてほしいのです! 川の神様を鎮める良い方法は無いかと思いまして」


 途端シンベエの足が止まった。そしてわざとらしく腕を組んでううんと考え込む。


「川に詳しいシンベエさんならきっと良い知恵を持っているはずだと思い、ここまで来ました。お願いです、どうか……」


「すまん、そういう方法は無いんだ」


 おもむろにシンベエは頭を下げて振り返り、水に潜り始めた。


「え?」


「話は聞いている。人間の娘を川の神様に嫁がせるとかいうあれだろ。正直、川の神様に逆らうことはできねえ。半端無く強いんだ。河童は川を知り尽くしている以上、川の神様には到底敵わねえってこともよく知っている」


 信兵衛は誠一に背中を向けたまま話し続けた。


「去年、村の人間達が真っ先に俺の所に来たが、同じことを返したさ。何も手助けもできなくてすまない」


「いえ、それなら……」


「ああ、それじゃあな。ちょっと急ぎの用があってな。ほらハジメ、行くぞ」


 そう言い残して一気に沈む。頭だけを出していたハジメもまた潜水した。




 落ち込んだ顔をして、誠一は川面から頭を出している石の上をぴょんぴょんと跳び移っていた。次に誰を頼るべきか考えていたのだ。


 あの気に食わない老猿には頼りたくないし、狐は組織再編に忙しくてそれどころじゃない。どこかに頼みこめそうな妖怪は……。


「誠一君、ちょっと待った」


 右足を岩の上に乗せようとしたその時、後ろから呼び止められたので、誠一は岩に両足を置いて振り返った。


 先ほどのハジメが追いかけてきていた。渓流を優雅な平泳ぎで、それでも競泳選手顔負けのスピードだ。


「誠一君、親父は嘘をついている」


 誠一の立つ岩に手をかけ、流されないように踏ん張りながら話しかける。分厚い眼鏡のレンズにぶつぶつと水滴が付着しまっているのでその表情は読み取れない。


 誠一は突然のハジメの登場に驚きつつも、岩から河原へと跳び移った。


「親父はどうにかする方法を知っている。ただ、その方法がとんでもなく危険だから、おすすめしたくなかったんだよ」


 誠一を追いかけ、ハジメも河原に上がる。


「どうやるんだ?」


「言うのは簡単さ。その川の神様をやっつけるんだよ」


 数秒間の沈黙の後、誠一が口を開いた。


「ちょっと待ってよ。やっつけるって言われても、それができたら今頃誰かやっているだろ? 聞いた話では、すんげー強い神様らしいぜ? 本当に大丈夫なのか?」


「だから言うのは簡単って言っただろ。実行は困難だよ」


 ハジメが河原に座り込んだので、誠一も手ごろな岩に腰を下ろす。


「神様っていうのは実際かなりあやふやな存在で、誰かが『いる』と本気で思えば本当にいるし、『いない』と思えば消えてしまうんだ。そして『いる』と思う人が多かったり、頼る人が多かったり……まあ、簡単に言えば信仰の篤い神様だね。そういう神様は凄い力を持っていて、現実に影響を及ぼすんだよ」


「え、それじゃああれかい? お化けがいると思うと本当に見えるし、いないと思っていると見えない、みたいな感じか?」


「まあ、それに近いかな。誠一君のその衣だって、天狗の力が宿っていると思う人がいるから力を出せるんだもんね。八百万の神様なんて言うけれど、そんなに数が増えたのもそういう日本人独特の自由な発想が元になっているんじゃないかな」


 ハジメは苦笑いした。


「そうそう、誠一君。ここら辺の河原の石は河童族にとって信仰の対象なんだ。ほら、この石にだって」


 ハジメは足元からバナナ程の大きさの細長い石を拾い上げた。角が崩れ丸みを帯びたグレー一色の石ころだ。去年、理科で学習したばかりの閃緑岩が水のはたらきでこのようになったものかと誠一は考えた。


「この石にも神様が宿っているんだよ。僕達からすると、ここは神様の繁華街だね」


「へえ、そう言われると本当にそう思えてきた」


「だろ? ……ふん!」


 あまりにも突然のことだった。ハジメは手にした石を側の大岩に叩きつけたのだ。


 まっすぐに芯を捉えていたようで、石はパキッと耳障りな音とともに、ほぼ同じ大きさで真っ二つに割れてしまった。大きな欠片といっしょに、鏃のような細かい尖った欠片も辺りに飛び散る。


「ちょ……おい」


 誠一は立ち上がった。この石は河童にとって神様ではなかったのか?


「だから、こうも御神体が壊れちゃあ信仰は得られないよなあ」


 ハジメは白く光を反射している湿った手をブラブラと振りながら誠一を向き直る。


「ごめんね誠一君。実は今の話、ぜーんぶ嘘なんだ。石に神様がいるとは思っていない。石ころは所詮ただの石ころさ」


「な、何でそんな嘘つくのさ」


 誠一がぽりぽりと頭を掻き始めた。


「悪かったよ、ごめんごめん」


 河童はカカカと奇妙な笑い声を上げた。


「でも、君はさっきの僕の話を信じて神様が本当にいるように思っただろ? そして、僕が石を壊した途端、神様が死んじゃったとか思わなかったかい?」


 はっと気づき、手を鳴らす。


「そうか、俺が『いる』と思っていた神様が『いない』と思ったから……」


「そう、神様は『いる』と思う人がいなくなれば、存在が無くなってしまうんだ。だから、厄介な川の神様も多くの人に『いない』と思わせれば消えてしまうんだよ」


 うんうんと誠一は頷く。それに合わせてハジメも首を縦に振る。


「だからやることは一つ。儀式の最中、神様が出てきた時に君が大勢の前で神様と戦うんだ。神様をひるませたら、きっとみんな神様がやられたと思うに違いない」


「そうすれば、神様は消えて先輩も助かる……!」


 誠一の拳に力が入る。小刻みにプルプルと震えだした。


「そうだね。ただ、問題はここからだ」


 ハジメが手で『座れ』の合図を送ったので、誠一は再び岩に腰を下ろした。


「神様は言うなれば心から生まれた存在。ただの物体の武器があっても、それだけじゃあ倒せないんだ」


「ただナイフで切ってもダメージを与えられないってか? テレビゲームの面倒くさい敵みたいだな」


「何の話だい?」


 ハジメが目を細めた。最も、分厚いレンズのせいで誠一にその様子が伝わることは無いのだが。


「いや、こっちの話だ」


「ふうん、まあいいや。神様を倒すには、こっちも『心』のこもった武器が必要なんだ。日本神話で言う『草薙の剣』とか、南総里見八犬伝の『村雨』とか、アーサー王伝説の『エクスカリバー』とか……そういった言われのある武器には使用者の心がこもるんだ」


「よく知っているね、イギリスの伝説とか」


「まあ、河童イチの読書家の自負があるからね。そういう何かしらの名を持った武器はそれだけで人の『畏れ』が宿る。蓄積されたその感情が非物質的な存在である神様を倒すんだろうね」


 ハジメは得意げに人差し指を振った。


「うーん、使用者の心のこもった武器か。そんな物あるのかな? 10年くらい使っている包丁ならもう心もこもっているのかな? 爺ちゃんの古い芝刈り機なら心がこもっていてもおかしくないけど、あれじゃあ格好悪いよな」


 芝刈り機を構えて巨悪に立ち向かう自分の姿を想像する。どこのギャグ漫画だ。


「実はあるんだよ、丁度良いのが」


 ハジメが人差し指を立て、誠一の眼の前に突き出した。


「誠一君は昔、この遠野にも坂上田村麻呂さかのうえたむらまろが遠征に来たことを知っているかな?」


「ああ、学校で聞かされたよ。橋野の熊野神社は田村麻呂が大蛇を退治したのを祀ったことからできたんだ、てね」


 郷土の歴史については小学校時代、総合学習で取り扱っていた。


 今は一関市の小学校に転勤してしまった恩師の授業風景を思い返す。1200年の昔、遥か西の平安の都より蝦夷遠征のためにやって来た征夷大将軍坂上田村麻呂は東北地方各地に様々な伝説を残している。


「そうそう、そしてその大蛇を倒した刀を洗った川は太刀洗川と呼ばれるようになった、て言われているだろ?」


「そうだな……」


 しばし小学校時代の思い出に浸っていた誠一であったが、刀と聞いて引き戻された。ハジメに顔を近付ける。


「……まさかとは思うけど、その刀が現存するとか言うんじゃ……ないよね」


「そのまさかだよ。坂上田村麻呂の刀はある。知られていないだけでね」


 ハジメは川の上流を指差した。誠一もその方向に目を遣る。


「この川の源流からさらに山奥に入った場所は、昔から魔所として恐れられてきたんだ。今でも人が入ることは無いし、そもそも上流は大岩がごろごろしているから普通じゃ川を上り切ることすらできない。河童だって滅多に上らない。そしてその山奥に、刀を保管している小さな社殿がある」


 冷たい風が青々とした木々を揺らし、古くなった葉が落ちる。しかし、すり鉢状の山肌に向けられた誠一の視線は微動だにしなかった。


「ただすごく危険だ。下手すると迷いかねない。親父はそのことを知っているから、誠一君に嘘をついていたんだろうね」


 誠一は狩衣の帯を強く締めなおした。


「危険だろうが知るもんか。先輩はもうすぐ生贄にされる」


 誠一はすっと立ち上がった。首を回し、手をぱきぽきと鳴らす。


 丁度、曇った空から一滴二滴と雨粒が落ち始めた。誠一の前進を天が妨げるかのように。

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