第四章 狐の情 その4
ほら穴の地面にはパサパサに乾燥した落ち葉が敷き詰められている。族長の寝床であり、人間がやって来た時には腰を下ろさせるためだ。
鏡花と誠一が並んで族長と向かい合い、祖父がその後ろで控えているという形で話し合いは始められた。
「こんな山奥まで、いかなる事情かな」
族長は若い牝狐を一人(匹、と言うには悪いような気がした)呼びつけ、ルビー色に熟したグミの実を持って来させた。誠一達に弾力の富んだグミの実が配られる。
心無しか、族長の顔は引きつっており、無理矢理愛想笑いを浮かべているようにも思えた。
「実は今朝、人間が狐の仕業と思われる事件に巻き込まれ、怪我をするという事態が発生しました」
鏡花が鋭い眼差しを族長に向け、尋ねた。
族長の身体が軽く一回、ピクリと震えた。
「狐族が起こしただと? 馬鹿な、我々はこの数十年、ずっと人間を騙すのは危険なのでやめようという決まりの下で暮らしてきたのだ。そんな危険をわざわざ冒す者などいるものか」
「私達も全面的に狐族を疑っているわけではありません。ただ、人間を犯人とするには不可解な点が多く、狐が関わったと思しき証拠も発見されたので、族長の協力も仰ごうと思い、ここに参ったのです」
表情を変えること無く、淡々と鏡花は喋る。
「まず、被害に遭った人間の男の話では、犯人は普通なら動かないぼろぼろのスクーターに乗り、豆を持っていたその男を襲ったそうです。そして、それに使われたと思しきスクーターも見つかりました」
鏡花は懐に入れていたスマートフォンをいじり、先ほどのスクーターの写真を映し、族長によく見えるよう差し出した。
「ふうむ、随分と古ぼけたスクーターではあるが、機械のことをよく知らん我々ではこれが動かないのかどうかは分からんのう」
「それに関してですが、狐が乗っていた証拠が見つかったのです」
鏡花は誠一に目配せをした。誠一は持っていた手提げバッグから、小さなビニールシートを取り出し、族長に突き出した。
スクーターに付着していた黄色い毛だった。警察の鑑識班が使うような小さなシート状のビニール袋に、採取した毛が一房にまとめられて密封されていた。
「このスクーターの座席に付着していた毛です。色や長さから狐の物でしょう。鼻の効く者ならば誰の毛か、すぐに分かりますよね」
族長の前には動物の毛と、スクーターを映したままのデジタルカメラが並べられる。
「これらの証拠から、狐族の誰かの仕業と考えるのが妥当と思われますが、心当たりはございませんか?」
族長は頭を項垂れる。
「それでは、狐族で妖力の高い方々を一度お集め下さい。私達からも直接訊いてみたいことがございますので」
鏡花の真っすぐな注文に、族長は訝しい表情をしたものの、
「真相解明のためなら仕方無い。今、私の念通力で皆を呼び出すことにしよう」
と協力することにした。
「ありがとうございます」
三人は深々と頭を下げた。
30分も経たない内に、山中の妖怪狐達がほら穴に集合した。
その数およそ20。族長の九尾をはじめ、二尾や三尾など複数の尻尾を持つ者がほとんどだが、中には一見普通の狐と変わらない者もいた。彼らは妖力を持ってから日の浅い狐なのだそうだ。
「あら、この前会った誠一ちゃんじゃないの」
誠一は後継の儀式を受けた時に出会ったおばさん狐と再会した。一尾だけだが言葉を発するという点で、並みの狐とは大きく異なる。
「しばらく見ない内に立派になっちゃって。ほんと、うちの息子にも見習わせたいものだわ。ところでね、うちの主人たら私を置いて一人で出かけることが最近妙に多くなったのよ。私たら気になって後をつけてみたのよ。そしたらね……」
誠一は全員が揃うまでの間、ずっとおばさんの話を聞かされていた。途中から「へえ」「うん」とだけ相槌を打って片方の耳から聞き流すようにしていた。話した内容は八割方覚えていない。
族長の念力を受けてから10分ほどで、イヅナはほら穴に到着した。そして樟慶とその弟達がやって来ると、耳だけを彼らの方に向けた。
「兄貴、まずいよこれは。族長がみんなを呼ぶなんて、滅多に無いことだもの」
「もしかしたら、俺達ばれてるんじゃ?」
「思い違いだ。何せスクーターも山奥に捨てておいたんだ。我々がやったという証拠は何一つ残っていない」
樟慶は弟達をなだめるものの、その表情は険しかった。
他の狐達はそれぞれの話に夢中で、とてもこの会話を聞いてなどいなかった。
「族長、全員揃いました」
若い牝狐が伝えると、族長は立ち上がり咳払いした。
ほら穴の中が一瞬にして静まり返る。
「皆の者、今日わざわざ呼び出したのには重大なわけがある。どうも今朝、人間に怪我をさせるという、規則違反を犯した者がいるのだ」
狐達にどよめきが走る。
「兄貴、やっぱりばれてるよ! 逃げよう」
「まだ犯人が特定されているかは分からん。今は変な動きをするな」
ほら穴が騒然となったが、族長の「静粛に」という掛け声の一閃ですぐに収束した。
「白鹿神社の巫女によると、事件に使われたというスクーターが見つかったそうで、そこに毛が付いていたそうだ。これは臭いを嗅げば誰のものかはすぐに分かる」
「それなら早く嗅ぎましょう」
「俺は鼻がつまっているんで、わからんでやんす」
口々に狐達が声を上げる。
イヅナは振り返って樟慶を見た。樟慶は激しく瞬きを繰り返していた。垂れ目の弟は目を真ん丸にして固まっており、太った弟は舌を出し、激しい息遣いで兄に寄り添っていた。
「どういうことだ。人間なんぞに見つかるはずの無い場所なのに……」
樟慶はぼそりと呟いた。
「私も誰が犯人だと皆で騒ぎたくはない。自ら名乗り出てくれることを願う。しかし、もしも名乗り出ない場合はこちらとしても断固たる態度を取らねばなるまい」
そこまで言い終わると、族長は後ずさった。その目は一直線に最後尾の樟慶らに向けられていた。
同時にほら穴各所から「誰がやったのだ」という声が上がる。イヅナは今朝族長に直訴した時、近くにいた狐の全員が樟慶兄弟を見つめていることに気が付いた。
「ばれているな」
「兄貴、もう限界です。名乗り出ましょう」
目を潤ませて、太った弟が樟慶を見上げた。
「いいや、まだ大丈夫だ。あいつらが気付いているのなら、なぜ誰も俺たちがやったと騒がない?」
しばらくの間族長は待ったが、樟慶は名乗り出なかった。
「それでは仕方あるまい。この毛の臭いを嗅ごうではないか」
族長はビニールを静かに開け、丁寧に毛を取り出した。ほら穴の中の一同が固唾を飲む。
黄色い毛を一本、尖った鼻に近付けた族長はそのまま動きを止め、毛をビニールに戻した。
「ああ、これは……先日交通事故に遭ったかわいそうな仔狐のものだ」
「え?」
イヅナは思わず声を上げてしまった。人間の三人も口を開いて驚いている。
「それは真ですか?」
イヅナの前にいた四尾の狐が族長から毛を奪った。今朝、イヅナが申し出た際に族長と一緒にいた内の一人だ。その狐はくんくんと毛の臭いをよく吸い込み、
「おお、これはまさに子どもの毛の臭い……あの仔狐のもので間違い無い」
と大げさに涙ぐんでみせた。
イヅナは立ち上がった。
「私にも……」
「私にも嗅がせて下さい」
「俺にも」
しかし、イヅナの周囲の者達が族長に駆け寄り、身体の小さなイヅナは前に出られない。そして口々に「可哀想な仔狐だ」などと落胆してみせたのだった。
イヅナまでようやく毛が回って来た時には、既に毛は他の狐の臭いが混じり合い、元が誰の物であったか判別できなくなっていた。
「族長、これは……」
「これは二日ほど前に車に轢かれて死んでしまった仔狐の毛じゃ」
声を上げたイヅナを無視し、族長は誠一達に話し始める。
「そう言えば、道路で狐が死んでいたって近所のおばちゃんが言ってたなあ」
誠一は顎を手でさすっている。
「きっと、この仔狐はあのスクーターで遊んでいたのだろう。その時に毛が付いたのだ。それが何故、お主たちの前に現れたのかは分からぬが、誰かの悪戯だと思う。わざわざここまでご足労かけさせてしまったが、可哀想な仔狐に免じて許してやっておくれ」
「そうだなあ。鏡花、帰ったら残った毛をどこかに埋めて供養してあげようぜ」
「そうね。うちの畑なんかどう?」
「いや、うちの畑の方が山も近いし、狐もよく見かけるからいいだろう」
しんみりしたほら穴で、三人は気まずそうに会話を交わした後、狐達に別れを告げてさっさと山を下りてしまった。狐達も各々が帰路に着く。
誰もいなくなり、冷たい風の吹き付けるほら穴の前で、イヅナは突っ伏していた。強く歯を噛み締める。
しばらくの間、そのまま地面を見ていたが、突如落ち葉を散らしながら木々の生い茂る山の斜面を駆け降りて行った。




