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六章

 六章 


 ばちん、と電気を点けるように意識が冴えた。

 ミシェルは先ほどキースと交わした会話を思い出し、それが自分の夢ではなく、実際に電子データとしてやりとりしたものだということを確認するために脳内チップのデータを呼び出す。

 ――先ほど?

 そうだ、先ほどだ。それほど時間は経っていない。彼女が回線上でキースと邂逅して、その後ロジェに銃で撃たれて気絶してから数時間ほど経ったのが、今だ。

「……キース・フォティンス……」

 研究員はその名を呼んだ。

 第十四代星長補助用人工知能「キース・フォティンス」。それがキースだった。

 易々とデータの偽造ができたりあらゆる回線に侵入できたりするのも、すべての機器が彼の命令を最優先で実行するようにとの権限を持っているためだった。

 そしてその彼の傍受した回線に割り込んだりすることができるミシェルは――代々の星長補助用人工知能を監視している家系の者だった。

 ミシェル家の者は頭に身体能力を制御する機器を埋め込み、またその機器を使って、星長補助用人工知能が行き過ぎた行動をとらないようにと星長補助用人工知能に次ぐ権限を行使する。

「キース……何?」

 横で声がした。

 目を向ければハラルドの顔があった。

 迂闊な呟きをしてしまったな、とミシェルは反省する。

 どうやらきちんとは聞き取られなかったらしいことは幸いだが。

 ハラルドはミシェルの怪我の経過を診ているところだったらしい。

「傷の具合はどうなんだ?」

 ミシェルが黙っていると、ハラルドが話しかけてきた。

「軽く活動する程度には問題ありません。ありがとうございます」

 恐らくは医師であるハラルドが手当てをしてくれたのだろうから、ミシェルはそう礼を述べた。

 撃たれたのは胸だ。

 撃つ直前のロジェの視線から考えると、胸ではなく肩を狙っていたようなのだが……どうやら狙撃は苦手らしい。

 死なずに済んだことは幸運だ。

 しかし、これから行動するにあたってこの傷はどうにも不利だなと彼女は思う。

 ミシェルはじっとハラルドを見つめる。

 最善なのはジスカール・ロイストンの息子であるこのハラルドに協力してもらうことだと彼女は計算する。

 ジスカールは退化人類である自分の娘ルシア・ロイストンのために集中治療室を設けて長年治療するほど溺愛しているから、ハラルドが人質に取られたとしたら、それなりに動揺してくれるだろう。ハラルドは知らないようだが、ミシェルはジスカールがしばしば医院の機器を乗っ取ってハラルドの様子を窺ったりしていることを知っている。

 それにハラルドもハラルドでルシア・ロイストンの病を憂うあまり医者になってしまうほどなのだから、その方面で説得すれば、素直に動いてくれるはずだ。

 ロジェの方はその後だ。

 できればまだ、ハラルドがジスカールと関係があることは彼には知られないほうがいいだろうから、ロジェが尋問に来る前に。

 そうと決まれば話は早い。

 頭に埋め込まれている機器を使って密かに部屋の中を走査して、盗聴されている気配がないことを確認し、言う。

「ハラルド・コフィ・ロイストン」

 ミシェルはその名を呼んだ。

 びくりとハラルドが肩を上げる。……それから、眉をひそめてミシェルを睨みつけてきた。

「……やはりあなたは、父に言われてここへ来たんだな?」

 ハラルドはそう言った。

 随分と警戒されている。

 もう少し婉曲に攻めたほうが良かったかと思うが、しかしまあともかく時間が惜しいので仕方がない。

「いいえ。実を言えば私はサー・ジスカールの敵です」

「え?」

 怪訝な顔。

「でもさっきは政府の駒だのなんだのって……」

「ええ。それはその通りですが、事情が変わりました。私はサー・ジスカールとあなたの友人であるロジェを説得して戦争を止めなければなりません。ですから、二人と接点のあるあなたに協力していただきたいのです」

「戦争を止める? 説得? 今さらそんな……止められるわけがない」

 ハラルドの言葉にミシェルは首を傾げる。

「どうしてそう思うんですか? この戦争に関することは世間には知られていないことになっているのに? あなたはロジェの友人だから実感が湧かないのかもしれませんが、一般の人々はたいてい、戦争が起ころうとしていることなんて知らないのですよ」

 ハラルドは沈黙する。

 穏便に味方につけるのは難しいか、とミシェルは思う。

 残念だ。

「仕方ありませんね。では、脅しをかけてもよろしいですか」

「……ルシアのことか」

「ええ」

 頷く。

 ハラルドはぎろりとミシェルを睨む。

「さっきキースがどうのこうの言っていた、それか? 彼とどういう関係なんだ? 彼のデータを改竄したのか? 彼に何をさせるつもりなんだ。ルシアをどうするつもりだ」

「キース?」

 どうやらハラルドは勘違いしたらしい。

 ――いや、勘違いしたのはこちらのほうか。とミシェルは思う。

「違います。私がルシアさんの行動を制限するわけがないではないですか。――私が言っているのはあなたの妹のほうの……ルシア・ロイストンのことです」

「なんだってっ?」

 あ、と思う間もなく掴みかかられた。

「ルシアに手を出したらただじゃおかないぞ!」

 激昂。

 胸倉を掴み上げてハラルドは怒鳴った。

 どうやらミシェルが怪我人だということが頭からすっぽり抜けてしまっているらしい。

 ミシェルは冷静にハラルドの顔をぶん殴り、拘束から脱出。……思いの外強く殴りすぎたようでハラルドが面食らった表情でこちらを見ているが、ミシェルはそれを無視して言う。

「私は手を出したりしませんよ。ただ、戦争に勝つにしろ負けるにしろ、ルシア嬢の立場は微妙なものになることくらい分かっているでしょう? 彼女は退化人類でありながら政府側の者でしかもサー・ジスカールの愛娘ですから」

 もし政府が勝てばルシアの存在は退化人類撲滅計画の趣旨に反するし、ロジェたちが勝てば退化人類撲滅計画を先導したジスカールの娘であるルシアがどんな扱いを受けるのかはおおむね予想がつく。

 選ぶならば、現状維持。

 戦争など元からなかったものとして収めてしまうのが一番いい。

「ですから、協力してください。サー・ジスカールを説得して退陣させます」

 ハラルドはミシェルの言葉を聞いて、じっと考え込んだ。

 どうもやはり躊躇っているようだ。

 この雲行きはどうにもならないようだとミシェルは思う。

 どうにも仕方がないので脅しの方向を変えてみるかと口を開きかけたところで、ふと扉の向こう――部屋の外で、何者かの気配がした。

「――ロジェ。話に加わりたいなら部屋の中へどうぞ」

 ハラルドを脅す代わりに、そう言った。

 がちゃりと扉が開く。

「それを言うなら『盗み聞きとはいい趣味ですね』だろう? ふむん。随分と興味深い話をしているようだな」

 ロジェは部屋の中へ入ってきて、隅のほうから椅子を引きずってきてハラルドの横へ座る。

 ハラルドは引きつった顔だ。

 まあ、聞かれたくはなかっただろう。

 もしジスカールとの関係が正常なものであったならば本来ハラルドとロジェは敵同士なのだから、たとえ今はそうでないにしてもそれを誤解されるようなこの話は、命にかかわる。

 ましてハラルドから直接ロジェに打ち明けたのではなく、こんなふうにうっかり盗み聞きされてしまったのでは。

「どこから聞いていましたか」

 ハラルドの代わりにミシェルが尋ねる。

「たった今だぜ? こいつがなんだかよく分からんが怒鳴ったときからだ。たまたま通りかかったところで剣呑な声が聞こえたからちょっと立ち止まっただけだ。……まあ、まどとっこしいことは抜きにして言わせてもらえば、戦争を止めるとか、ルシアちゃんがジスカールの娘だってのが聞こえたんだが……こりゃいったいどういうことだ?」

「あれだけ頻繁にサー・ジスカールのところに出入りしておきながらそんなことも知らないのですか?」

 ミシェルはロジェの質問に答えずにそう言った。

 しかし、どうやらロジェも勘違いしているらしい。ロジェの言うルシアはジスカールの娘ではないほうのルシアだろうから。

 ……訂正するにしてもややこしいな、とミシェルは思う。

 どちらにせよ「ジスカールの娘と面識がある」という事実は認識されてしまってはいるものの、ロジェの話を信じるならばハラルドがジスカールの息子だという話はロジェには聞かれなかったはずだが……。しかしルシアのことに関して訂正したとしても、それならばどうして二人目のほうと面識があるのだとなるわけで。

 いや、ルシアのことを誤解されたままでいるわけにはいかない。ロジェは戦争を止めるために必要な人材であるから、ルシアと対面したときにおかしな計算をされては困る。

「あなたからすれば、戦争で大勢の者が死ぬよりは、戦争せずに退化人類の地位が向上するほうが望ましいですよね?」

 ひとまずはルシアのことには触れずに、言ってみた。

 ロジェは――はんと鼻で笑った。

「できるもんならとっくにやってる」

「当てがあります」

「……当てだって?」

 ミシェルは頷く。

「現在稼働しているすべての機器からサー・ジスカールの星長権限を奪ってやります。そうすれば退化人類撲滅計画のほうはどうにかなるでしょう。その後のことは、まああなた方次第です。……それとも星長が代替わりしたくらいでは世の中を変える自信がありませんか? 退化人類撲滅計画の参謀ともあろう方が……随分と弱腰なようですね」

「誰が弱腰だって?」

 ロジェは顔をしかめた。……が、こちらはハラルドよりは冷静なようだ。ミシェルに掴みかかってくるようなことはせずに、しばらく真剣な表情でじっと考え込んでから、口を開いた。

「そもそも星長権限を剥奪するなんてことが可能なのか?」

「可能です。政府の機密に関わるので詳しいことは教えられないのですが、私と一緒に来ていただければ戦争は回避できます。ですから私に同行してください」

「人気のない場所に誘い出した上で暗殺なんて、よく聞く話だぜ? 政府の件を抜きにしても、俺はさっきあんたを撃っているからな。個人的恨みも充分ある」

「……あなたを殺してしまったら地上の勢力を止めるすべがなくなってしまうので殺しません。それに、あなたが狙ったのは私の肩で、私を殺すつもりがなかったことは分かっていますから、別に恨んではいません」

「そりゃあ――どうも」

 ロジェは肩をすくめた。

「ついて来てくれますね?」

「ちょっと待て。あんたがさっき――倒れる前に言っていた、正体不明の船団とやらはなんだったんだ? 調べてみたら、本当に、上空に不審な機器を発見したっていう連絡も来ちまったし……」

「それは、この際無視してください」

「無視だって?」

「キースが『敵ではなかった』と言っていたので、おそらく脅威にはなりません」

「……信用できないな」

「それならば存分に疑ってください。ただし、戦争を止めるのは手伝っていただきますから、調べるのならそのあとにしてください。私は知りませんが、たとえ知っていたとしても、今は教えませんよ。その件に関しては優先順位が低いので」

 ロジェはじっとミシェルを見つめた。

 ミシェルはもう一度言う。

「ついて来てくれますね?」

「仕方がない」

 頷いた。

 話がまとまったか、と思い、寝台から這い出ようとしたところで、「待った!」とハラルドが声を上げた。

「……そんな話信じられると思うのか? 星長の権限を取り上げることなんて、星長が許可しない限りは無理だ。だいたい、どうしていきなり戦争を止めるなんてことを言い出したんだ。今までそんなそぶりは見せなかったじゃないか」

「実は私の脳内には機器が埋め込んであります」

 ミシェルの言葉にハラルドはやや考え込み、言う。

「そのことは――さっき調べた。検査に引っかかったからな」

 危ないな、とミシェルは思う。

 相性の悪い機器に放り入れられでもしたら、脳内の機器が発火してあわや大惨事となっていたところだ。

 ハラルドは溜め息をつく。

「……脳に機器を埋め込んでいる? 正気じゃないぞ。それとも正気じゃないからそんな処置を取っているのか? しかしフォティンス第一研究所は政府の機関の中でも高等な機関だから、退化人類を研究員として雇うとは思えないし。……それとも第一研究所は、そういう――健常者の脳をいじくって研究者という地位に据えて観察するようなことをしているのか?」

「研究所は関係ありません。私の家系は昔からこうなのです」

 正気じゃない、とハラルドはまた言った。

「何者なんだ? キースとはどういう関係なんだ? 今何が起こっているんだ?」

「機密事項ですのでお答えてきません」

 ミシェルは言う。

「……そういうわけですから、私が昏睡状態に陥っていたとしても、脳と機器さえ無事ならば機器を使って外部と通信することが可能です。先ほど通信を受けた際に『戦争を止める手筈を整えろ』と命令されました。事情が変わった、というのは、それです。納得いただけましたか?」

 ハラルドが唸る。

「星長の権限を取り上げる方法は?」

「機密事項ですのでお答えできません」

 ロジェはぽんとハラルドの肩を叩いた。

「ここであーだこーだ言ってても始まらないみたいだぜ? こいつが怪しいのは元からだし、ちょっくら様子見について行って、企みの一つ二つ潰してこようってな心づもりでいればいいじゃないか」

 この言葉にハラルドはついに諦めたように、深く深くため息をついた。

 今度こそ話がまとまったようだ。

 ルシアに関する訂正は道すがらさりげなく……この件にルシアが深く関わっていることを悟られないよう話題にしてみようと思う。

 ミシェルは立ち上がった。

 部屋を出て進もうとするミシェルを「ん?」とロジェが見咎める。

「おい、どこに行くつもりだ?」

「私が乗ってきた移動用機器のところですが……」

「ああ。……いや、でもあんたの機器は使えないぜ?」

「信用できませんか」

「いや、それもあるっちゃあるが、そうじゃない。機器はぶっ壊れちまったんだ。何者かが機器の回路に侵入して熱暴走を起こさせたようだ」

「なんですって?」

 ミシェルは声を荒げた。

 おそらく、キースだ。

 ロジェが面白そうにミシェルを見つめている。

 自分でも珍しく顔が引きつっていることが分かる。

 よく分かる。

 平静になろうと心がけるが、できない。それもこれもキースのせいだ。ミシェルの頭を悩ませるのは常にキースのことだ。ミシェルの厄介ごとにはたいていキースが絡んでくるのだから。

「とにかく。移動できる機器のところへ。連れて行ってください、今すぐ」

 怒気を含んで言う。

 この頭痛を取り除くためには、キースをとっ捕まえてさっさと戦争を止めてしまうことだ。

 ミシェルはそう思った。


 ***


 世界日の前日だというのになんとも気の晴れない朝だった。

 しばらくここで待機だ、と言われたその場所は、随分と旧式でしかもがつんがつんに大破した船だった。

 あられもない大破っぷりで特別な防護壁なども設けられている様子もないにもかかわらず、まるで見えない力に守られたかのようにきれいに残っている居住区や、生き残っている通信機器や操作基盤の数々は普段ならばルシアの気を大いに引いているのだろうが、しかし今、周囲を探索する気にはなれなかった。

 どうしてルシアがそれほど気を揉んでいるかと言うと、ロジェやジスカールとの交渉の場に、どういうわけだかルシアの保護者であるハラルドも来るらしいからだ。

 ハラルドはロジェの知り合いらしいから、そのつてからミシェルに頼み込んでここへ同行することになったのかもしれないが……ルシアがイアンたちの力を借りてフォティンスの星長を洗脳まがいに無理矢理戦争を止めるつもりだ――などと聞いたら、卒倒してしまうに違いない。

 そしてイアンのこともある。

 例の声を使って船と連絡をとったらしいイアンはぎょっとした様子でその内容をルシアたちに伝えてきた。

 イアンたちの星長であるリアは、イアンの言う通り、ルシアたちが思っている以上にこの星の現状を憂えているらしかった。

 そこで。

 報告を聞いたリアは、ここへ、来ると。

 ここでジスカールやロジェを自ら説得する。と言ってきたのだ。

 それに、イアンの声が効かないルシアのことに関しても興味があるらしい。

 たとえルシアがリアたちの探している適合者だとしても戦争を止める協力はすると言っているが――どうも過大に期待を寄せているようだ、とイアンから聞いて、ルシアはまた憂鬱になる。

 そして、キース。

 ジスカールと通信をするために、キースはルシアには言えないような手段を使って回線を開くつもりらしい。

「言えないと言っても、まったくの合法な手段だ」

 とキースは言っているが……それならばどうしてそれが言えないような手段であるのかルシアには理解できないし、ここ最近のキースの様子から察するに、その手段というのもキースのおかしな行動に関わりがあることだということはすぐに分かるので、どうにも面白くない。

 そしてそうこうするうちに時間は過ぎていき、間もなくロジェとハラルドがここへ到着するとの連絡がミシェルからあり――。

「こんにちは」

 ふいに、背後から声をかけられた。

 突然の声に驚いて振り向くと、見慣れない服を着た女性が立っていてルシアににこにこと笑みを向けていた。

 いや。

 その服はイアンが着ている服によく似ている。

 しかしその服の裾には黒い線が入っていて――。

「もしかして、『適合者』を探している人?」

 ルシアは尋ねた。

「ええ。あなたがルシアさんね?」

 頷く。

 その言葉を聞いて、ルシアはその女性がイアンの言っていた星長――リアだということが分かった。

「事情はイアンから聞いているわ。……イアンはどこにいるのかしら? よろしければ呼んできてもらいたいのだけれど」

 鈴のような、鳥のような、歌う声でリアがそう言う。

 やはり綺麗な声だ、とルシアは思いつつ、申し訳なさそうな顔をして、首を振った。

「ごめんなさい。さっきからイアンの姿が見あたらなくて。一応、少し探しては見たんだけれども、いったいどこにいるのかしら、――って。私もちょっと困ってるところなんです」

 そう言って謝ったルシアだが、リアはどういうわけだか驚いた顔をする。

「ごめんなさい」

 なぜだかリアが謝ってくる。

 ルシアが不思議に思って首を傾げていると、リアの後ろのほうの通路からイアンがふらふらによろめいて壁に手をつきながらこちらへとやって来て、リアの姿を認めると咎めるような声でその名を呼んだ。

「リア!」

 呼ばれたリアはイアンの姿を見て嬉しそうな顔をする。

「なかなか早く拘束から抜けられるようになったわね」

「感心しないでください! ひどいじゃないですか、会うなり『しばらく動かないでいてね』だなんて、『声』を使うなんて!」

「だって貴方が、『声』の効かない人がここにいるだなんて言うものだから。……もしかしたら個人的な性能ではなく、この星の環境に影響されている可能性はないかしら、と考えて、ちょっと対照実験したくなったのよね」

 どうやらイアンの姿を見かけなかったのはリアのせいらしい。「ごめんなさい」とはルシアを騙したことか。

 イアンはため息。

「それで、その実験とやらの成果はどうだったんです?」

「ええ。それが、ルシアさんには本当に効かないようね。私の声でも。まったく効いていない」

「へえーそれは……。え、本当にそんなこと、あるんですかっ?」

 リアが頷き、イアンと一緒にルシアのことを見つめる。

 ルシアもその言葉に驚いていて。

「あの……本当に?」

 しかし、驚きの中に疑いの表情が含まれている。

 半信半疑。

 リアはそんなルシアの表情にまた驚いていてしかもなにやら満足げな顔をしていて、その表情から、ルシアはリアがこの場においてもまた「声」を使ってルシアの思考操作を試みているのだということが分かった。

「ほぼ間違いなくね。私の声が効いているなら、ルシアさんもイアンのように私の言うことを疑ったりなんかしないはずだもの」

 え、とイアンがまた驚いた顔をして、しかし慣れているのか、諦めたような深い深いため息をついてやれやれと首を振った。

 リアはルシアの両手をそっと握り、真剣な表情で言う。

「ルシアさん。お願い、私たちの船へ来てくれないかしら? 代わりといってはなんだけど、私も、この星の戦争とやらを止めるのに協力するわ。……いえ、もちろん私はここへ戦争を止めに来たのだから、あなたが船へ来ることを承諾しようが拒否しようが私は戦争を止めるのに協力するつもりだけど……そう、あなたが船へ来てくれるのなら、絶対に、意地でも、戦争を止めるわ」

 それでどう? とリアが上目遣いにルシアの様子を窺う。

 もちろん、ルシアにはそれを断固として拒否しなくてはならないような理由は別段見当たらないから、頷いて、承諾の旨を伝えようと口を開いたが――。

 しかし。

「――ルシア!」

 ルシアが言葉を発する前に、聞き覚えのある声がルシアを呼んだ。

 振り返ってみれば、ルシアの主治医であるハラルドと研究員のミシェル、それからハラルドの友人――地上の反乱軍の首領のロジェがこちらへやって来ていて、ハラルドは恐ろしく顔をしかめてルシアのことを睨みつけていて、ミシェルはキースの姿を探しているらしくきょろきょろと辺りを見回していて、ロジェは見慣れない格好をしているリアとイアンを交互に見比べて少し首を傾げていた。

 もちろん、ルシアを呼んだのはハラルドだ。

「ルシア、無事だったんだな。いったいどうしてこんな……逃げ出すような? いや、戦争を止める、と聞いたが、いったい……?」

 ハラルドの言葉にルシアはやや困った顔をする。

 そもそもルシアがこんなところにいるのは、キースがロジェのもとから――あるいはミシェルのもとからだろうか――逃げ出すためにルシアを強引に連れ出して、たまたまイアンと出会ってどういうわけだか戦争を止めることになり、星長と通信するには相応の場所に行かなければとかなんとかという流れになってこんなところに来てしまったわけで、ルシアもここがどういった場所なのかということは説明できないわけで。

「ここは、我々の先祖がこの惑星フォティンスに来るのに使用した船の、緊急脱出用小艦のようですね。なるほど、ルシアさんはキースに唆されてここへ連れられてきたというわけですね?」

 どうやらミシェルはおおまかな事情を察しているらしい。

「キースはどこですか?」

 ミシェルがルシアに尋ねてくる。

 尋ねるミシェルに頭上から――いや、頭上に備え付けられた機器からキースの声がかかる。

「わたしは今は手が離せないのでそちらへ顔を出すことはできない。用件ならばここで聞こう」

 ミシェルはちらりとそちらへ目を向ける。

「……あなたは逃げも隠れもするから信用ならない」

「君が信用するしないは君の自由だし、わたしの本体をこの船に直接繋いでジスカールとの通信回線を開く必要があるためわたしがこの船から動くことはできないということは君ならば容易に想像できるだろうに、それはとんだ言いがかりだというものだ」

「船の防衛機能を乗っ取ってこちらを攻撃してくるかもしれない」

「ルシアに被害が及ぶ可能性があるのでそんな手段は使えない。もちろん防衛機能の攻撃にルシアを巻き込まずに君たちを抹殺することは可能だが、君やハラルド医師はともかくロジェはルシアに危害を加えるおそれがあるし、そこのリア――他の船の星長を殺害したりしたら、この星がどうなるか分からないのでそういう荒っぽいことは、やらない。危険すぎる」

「なるほど」

 あっさり頷くミシェルだが、ルシアはキースのその言葉に気が気ではなくなり、リアとロジェを交互に見やる。

 イアンもおろおろと縋り付くような目でリアを見上げているし、リアもハラルドも眉をひそめてキースの声がする機器に目を向けているし、ロジェは「ほう」と興味深そうにリアに目を向けている。

 ロジェは言う。

「星長って? なんでよりにもよってこんなタイミングで、出てくる?」

「逆だ。わたしが彼女らの接近を感知したから、ルシアを連れて地上に逃げてきたんだ。そこでうっかりイアンと鉢合わせて、彼女らがこの星に災厄をもたらす気などないことを知り、……むしろこちらに協力してくれると言うので、君たちをここに呼び寄せたというわけだ。しかし彼女らは君たちが戦争を起こそうとしていることは知らなかったようだから、戦争を止めるためにこの星へ来たというわけではないらしい。この時期に彼女らがここへたどり着いたのは、まあ単なる偶然らしい」

「ふむ」

 それで納得したかは分からないが、ロジェはそう頷いて、沈黙した。

 代わってルシアの主治医であるハラルドが口を開く。

「キース、きみは……政府の機器なのか? なんでルシアを巻き込むんだ。もしかして最初からルシアが僕にと関わりがあることを知っていて近づいたのか?」

「きみの存在は想定外だし利用するつもりもないから安心するといい。それに、確かにわたしは政府の機器だが、その事実を知っているのはそこにいるミシェルの一族のみで、むしろわたしは今の政府にとっては最大脅威となる存在なので、おそらくきみの考えはまったく見当外れだ」

 ルシアにはキースの話していることがさっぱり分からず、他の者たちのやりとりをぽかんと眺めるほかない。

 ――いったい何を話しているのだろう?

 ルシアは思う。

 確かにキースがあっさりと地上行きを許したのは不自然だと思っていたし、ミシェルには出会ったときから警戒していたし、データの偽造はあっさりとやってしまうし、政府の機器を乗っ取って操縦するし。

 しかしルシアはキースが昔ミシェルと――いや、ミシェルの先祖とだ――何があったのかは知らないし、キースが政府のどういう存在なのかも知らない。

 それに、キースが何を考えているのかも。

「見当外れって、いったい――」

「キース、あなたは」

 ハラルドは言いかけたが、ハラルドがそれを口に出すのとほぼ同時にミシェルが口を挟んできた。

 ちらりとミシェルがハラルドを見やったが、ミシェルは口を噤まずに話を続けた。

「あなたのその発言は、ルシアさんがあなたの任務において選別した人であることが確定したと捉えてよろしいのですか」

 キースは一瞬沈黙する。

「……ああ。止むを得ない」

 イアンとリアにその話の意味が分からないのは仕方がないが、ハラルドとロジェにも二人の会話の内容は分からないらしく、しきりに首を傾げていた。

 もちろんルシアも。

 しかしキースはそんな様子の五人のことは気にしてはいないようで、なにやらルシアたちの背後で機械音がしたかと思うと、見慣れない――歴史の本にしか出てこないような古い古い、ガラス張りの画面を持った機器が眼前に下りてきた。

「ジスカールと回線を繋いであるので、各自心の準備をするように」

 キースは言った。

 ぶつん、と音がして、画面に砂嵐。

 やがてその雑音の中から人の声がして、嵐が止んだかのようにふっと画面が鮮明に映りだした。

 ルシアは見た。

 ――ジスカール・ロイストン。

 画面に映し出されたジスカールは一瞬目を瞠り、開口一番、はあ、と頭を抱えてため息をついた。

「ハラルド、ミシェル。……と、そこにいるのはお前の患者のルシア・カーペンターか。それから……名前は忘れたが、そこのお前、スパイだったんだな? あまり多くの者に知られるとまずいと思って、あの計画は――退化人類撲滅計画の構図はほぼすべてお前にゆだねていたが、まさか裏切られていたとは」

「……人の名前と素性くらいきちんと確認したほうがいいですよ、サー・ジスカール。俺は退化人類として生まれましたから、あなたのやり方は、非常に不愉快で。裏切ったわけではないですよ。俺は最初っからあなたの敵でした」

 穏やかな口調で言いつつ不快げにそう言い捨てたのはロジェだ。

 ルシアにはどうしてジスカールがロジェではなくハラルドやルシアの名を知っているのかは分からないが、ハラルドはジスカールと面識があるらしい。

 しかしハラルドはロジェとジスカールの会話に口を挟むつもりはないらしく、画面越しに睨み合っている二人の間に見えない火花が散る。

 ジスカールは言う。

「私は、退化人類撲滅計画を実行せずとも問題が――この『問題』とやらが何を指すのかは分からないが――片付く、とお前たちの遣いから聞いて、交渉に応じることにしたのだがな。いったい何がどう片付くのだ?」

「知らないな。俺も、そこのミシェルとかいう研究員から脅されて、この場に来ただけだからな。ミシェル嬢いわく、あなたを星長の座から引きずり降ろすそうですが?」

 ロジェの言葉にジスカールが眉をひそめ、ミシェルに目をやる。

 ミシェルは淡白な表情でロジェに一瞥してから、画面のジスカールに弁明した。

「サー・ジスカール。そもそも私がそういう行動をとるきっかけとなったのは、そこのロジェがあなたに対抗して、政府が退化人類撲滅計画を実行する前に、地上の者たちを煽動して政府を討ち取ろうとしたことに由来し……」

「おい、今はそれはいいだろう。俺の身柄はあんたたちに握られてるってのに。……あいつらは動かないよ。こちとらごた混ぜの地上の荒くれ者を纏め上げてるんだ、命令系統が複雑で、他の奴じゃ理解できないから、俺が主導権を握ってるものな。わざわざ話をややこしくする必要はないんじゃないか?」

「先に焚きつけたのはあなたですが」

「悪かった。だから、さっさと用事を済ませてくれ」

 首を傾げるミシェルにロジェが肩を竦めてそう言った。

 ミシェルは特にこだわることなくまたジスカールのほうに向き直る。

「……確認しますが、サー・ジスカール、あなたは星長の世代交換の方法の正式な手続きをご存知ないですね?」

「星長の世代交換? それは、星長が次の星長を指名するのだろう? もちろん星長権限の書き換えなどの事務的手続きは必要だが……」

「その程度の認識でしたら、誤りです」

「なに?」

 ジスカールが眉をひそめる。

「細かいことは置いておきますが、私とキースは第十五代星長を選任する役割が与えられています」

「なんでそんなものが与えられている? 聞いた事がないぞ」

「それは、キースが数百年の間行方不明だったので、本来の役割を果たすことができなくなっていたためで……我々の一族は長いことキースを捜索する作業に追われました。そのためこの選任方法を覚えている人がいなくなってしまったのでしょう」

 ミシェルは言う。

「あなたが理由なく退化人類を殲滅するつもりであるのならば、あなたは星長としては不適格と見做されます。ですから、弁解したいことがあるのならば聞きますが」

 ジスカールはミシェルの言葉に口を曲げて押し黙った。

 退化人類が見下され――あるいは忌避されるのは今に始まったことではないが、それにしてもジスカールはどうも過剰なくらい退化人類を目の敵にしているようだ。とミシェルは言う。

「何が原因なのですか? あなたが退化人類撲滅計画を構想したのは」

「それは――」

 ジスカールはまだためらっている。

 ちらりとジスカールが目を向けたのは、ハラルドと、――ルシアに対してだ。

 一瞬目が合ってルシアはどきっとするが、ジスカールはすぐに目を逸らしてミシェルに向き直った。

「……退化人類が我々の社会に損害をもたらすからだ。健常人に退化人類の血が交わるとその子孫に欠陥が受け継がれてしまう。何代にも渡って欠陥遺伝子が潜伏し、取り除くのも困難だ。そうであるなら、最初から芽は摘んでおいたほうがいいに決まっている」

「御託は結構です」

 語るジスカールにぴしゃりとミシェルが撥ねつけた。

 なにやら剣呑な雰囲気で、沈黙。

「あの……退化人類ってなにかしら?」

 ひそひそとリアがルシアに話しかけてくる。

「ええっと……」

 ルシアはやや困った顔をして、しどろもどろになりつつ説明を試みる。

 ……が、一言二言説明してみたところで、リアとイアンが頭の上に「はてな?」を浮かべて首を傾げるのを目にしたので、自分はこういった専門用語を説明するのには向いてないな、と悟ってハラルドに助けを求めた。

 ルシアに代わってハラルドが「退化人類とは」うんたらかんたらと割と熱心に説明し、うんうんと頷いているリアを見るに、どうやらリアはルシアにとって宇宙語のようなその話をしっかりと理解できるらしい。

「なるほど」

 リアは頷いた。

 それから、ジスカールと睨み合っているミシェル――ただしミシェルはいつも通り無表情なので睨むというよりもただ単に見つめているように見えるが――の肩をちょいちょいとつついて、前へ出た。

「星長殿。あなたのやり方はあまりに乱暴なような気がします」

 リアは言う。

「そもそも欠陥を持たない、完璧な遺伝子の人間なんて、存在しません。とある一つの遺伝情報というのは一つの形質のみを司っているわけではなく、様々な形質をつくる要因となっているのが普通です。見たところ、あなたの家系には遺伝子治療をしなければ重篤な症状に陥る病気を持つ者が生まれるはずだと思われますが」

 ぎくりとジスカールが表情を固める。

「教えていただけますか? あなたが退化人類撲滅計画とやらにこだわる理由を」

 あ、とイアンがリアを見上げる。

 どうやら例の「声」とやらを使っているらしいな、とルシアには分かった。

「私は――」

 ジスカールは口を開いた。

「あなたの言う通り、私には集中治療室で眠り続けている娘がいる」

 初耳だな、とぼそりとロジェが呟く。

 ルシアもジスカールに娘がいるなどという話は聞いたことがない。

 おそらく故意に隠しているのだろう。

 星長の娘にそういった障害を持つ者がいるとなれば体裁が悪くなるから、情報を隠蔽してその存在を知られないようにしているのだ。

「……悔しいではないか。誰がルシアをこんなふうにした? 誰でもない? いいや血のせいだ。こんな血を今世に残した我々の先祖たちが悪いのだ。……だったら私はこの怒りを誰にぶつければいい?」

 ジスカールは言う。

 ハラルドは驚いたような顔をしていて、ロジェは顔をしかめている。

 ミシェルはやはり無表情なままだが――いや、ルシアにはミシェルが「やはりか」と前から知っていたかのように口元をちょいと下げるのを見た。

 リアは頭を抱えて唸る。

「星長殿……あなた、それは。あまりに」

「ああ、分かっている」

 頷く。

「これはまったくの私怨だし、ミシェルの言う通り私が星長の座にふさわしくないことは重々承知している。だから、この強引なやり方を押し進めるためには、私は君たちを排除しておかなければならないだろう」

 ジスカールの言葉にミシェルが眉をひそめる。

「――キース!」

 ミシェルが鋭い声を上げる。

「あなた、無事ですか。この艦の機能がサー・ジスカールに掌握されているようなことはありませんか」

 一瞬、沈黙。

 しかし、ルシアの頭の中でぞふぞふと不安が弾ける前に、キースが返事した。

「いいや、ジスカールの権限ではわたしを操ることはできない。――しかし、この艦は脱出用の船なので、防衛機能があまり充実していないからな。今、わたしの機能を転用してジスカールが派遣してきた破壊工作機器と戦闘しているところだ。済まないがわたしの機能をきみたちとの会話に費やす余裕はない」

 一同はぎょっとして画面のジスカールへと目を向けた。

「星長殿、あなたは」

「汚ねえぞてめえ」

 リアとロジェがジスカールを咎める。

「やめなさい。今すぐに」

 ジスカールがリアの気迫にたじろぐ。

 どうやらまた「声」を使っているようだが――しかし、ジスカールはぐっと口を結び、手を振った。

 ブゥウン……と音がして画面が――回線が切れかける。

「キース!」

 ミシェルが叫ぶと、すぐにぶつんとおかしな音がして、画面が斜めに傾いたまま固まった。

 画面上では、驚いた顔のジスカールが手元の機器を操作して回線を切ろうとしているようだが、機器の制御が奪われているのかして閉じられないでいるようだ。

「人使いが荒いぞ」

 キースがぼそりと苦情を言う。

「数体潰し損ねた。間もなくそちらへジスカールの破壊工作機器が到達する」

「仕方ありませんね。……ハラルド、少し手を貸していただけますか」

 ミシェルの手招きにハラルドは「僕が?」とやや首を傾げて自分を指さして、首を傾げたままミシェルに近づく。

 ルシアはミシェルがちらりとジスカールのほうに目を向けて、目配せされたジスカールがはっと気がついたように「待て」と声を上げるのを見て、それから――ミシェルがおもむろにハラルドの腕を捻り上げて拘束するのを見て。

「は?」

「待て!」

 きょとんとする一同と、叫んだ画面の向こうのジスカールと。

「生皮剥いでなぶり殺しにします」

 さらりと宣言するミシェルに。

「おい、何を言ってやがるんだてめえは」

 ロジェが銃を取り出してミシェルに突きつけて、怒鳴った。

 ミシェルはハラルドを盾にして、塞がっていないほうの手で銃を取り出してロジェに向けた。

「ロジェ。あなたは、てっきり計算ずくでハラルドを引き入れていたものだと思いましたが……」

 首を傾げるミシェルに、腕を捻り上げられているハラルドが唸りながら言う。

「違う。ロジェは、そういう駆け引きとかは関係なしに……単なる大事な親友だから、僕の素性のことは、何も知らない」

 ハラルドの素性?

 ルシアとロジェが怪訝な顔をする。

「あの、これって、そこのハラルドさんが星長殿の息子であることと関係があることなのかしら?」

 ひそひそとリアが耳打ちしてくる。

「……息子?」

 ぎょっとしてルシアがハラルドとジスカールに目をやる。

 言われてみれば――。

 ――いや、顔立ちはまったく似ていないし、言われてもまったく親子には見えない。

 しかし。

 言われてみれば、ジスカールのハラルドを見る目は、決して他人を心配するような目ではなく。

「やめろ」

 ジスカールが言う。

「ハラルドは関係ないだろう。とうの昔に勘当している。政府の者でないことは知っているんだろう? どうしてそこのロジェという男といるのかは分からないが――いや、友人と言ったか? ともかくハラルドはこの戦争とは関係ない」

「娘可愛さに私怨で戦争を起こすあなたが、『息子は関係ない』とおっしゃいますか。だいたい、そもそも今し方我々を皆殺しにすると言っていたのですから、今ここで私がハラルドを殺しても問題ないと思われますが……。――ロジェ、いつまでも私に銃を向けていないでジスカールの機器の襲撃に備えたらどうです?」

「元から、ハラルドを殺させるつもりは、なかった!」

 ジスカールが叫んだ。

 ――叫ぶのと同時に通路の奥からけたたましい車輪の音がして、刃状の機械手を持った機器がルシアたちを囲んだ。

「……数体どころではないようですが」

「飛び道具を備え付けた機器はすべて破壊してやったのだから感謝しろ」

 ミシェルの言葉にキースがそう反論した。

 思いの外近くから声がしたと思いきや、いつの間にかキースがいつもの本体に戻ってルシアのすぐそばに来ていた。

 破壊機器がルシアたちを囲んだまま動かず待機しているのは、ミシェルがハラルドを人質に取っているためジスカールが命令をためらっているせいらしい。

 リアが言う。

「……いつまでも睨み合っていないで話し合いに戻ってはどうかしら」

 一同がリアを見やった。

 ためらう一同の中で最初に口を開いたのはキースだった。

「ミシェル」

 言う。

「手こずったが、やっと条件が揃ったぞ。わたしとルシアと、ミシェル家の、きみ。……それから、そこの機器にジスカールが乗っている」

 キュル、とキースが「眼」を向けたのはジスカールの派遣した破壊工作機器のうちの一つだった。

「ジスカールだって?」

 ロジェが驚いたように言う。

 ジスカールが――画面の中のジスカールだ――ため息をついて、手元の機器を操作し、天井を押し上げるような動作をした。

 機器の装甲が開いて中からジスカール本人が姿を現した。

「数日前から地上に来ていたのだ。ハラルドが空中都市を離れたのを知って、ロジェ――君のような反乱分子に私とハラルドの関係を嗅ぎ付けられて誘拐されでもしたのではないかと疑って、探しに来た。計画では明日にはここは火の海だからな、なんとしてでも私の手で連れ帰る必要があった」

 ジスカールがミシェルに銃を向け、――ロジェが、ジスカールに銃を向けた。

「撃たないでください、ロジェ。サー・ジスカールに死なれては困ります」

 ミシェルがロジェに銃を向けたまま言った。

「さて、サー・ジスカール、どうしたいですか? うまく私を説得してくれればロジェさんがあなたを撃つ前に私がロジェさんを黙らせて差し上げてもよろしいですけれども」

「おい」

 ぴくりと眉を上げてロジェがミシェルを咎め、しかし、ミシェルに銃を向けてもハラルドを盾にされるので、動けない。

 ジスカールが唸る。

「……今この場で消えて欲しいのは、ロジェだけだ。ミシェル、きみが私の星長権限を奪えるというのは、嘘なのだろう? そこの……他の船の星長だという彼女も。――もし、きみたちが今日明日とおとなしくしていてくれるのならば、私はこの件に関するすべてを見逃してもいい」

 イアンが何か言いたげに口を開いたが、リアに止められる。

 ミシェルはふむんと頷いた。

 そしてルシアのほうに話を振る。

「ルシアさん。あなたはどうしたいですか?」

「え。ええっ……?」

 いきなりどうして自分に――退化人類代表ならば、ロジェに聞けばいいのに、とルシアは戸惑う。

「あの。私。死にたくないんだけれども。……でも戦争が起こったらやっぱり、死ぬわよね? なんとか、その……穏便に? 済ませられないのかなって。思ってみたり」

「例えば私がサー・ジスカールを殺したり?」

「いやあのもうちょっと物騒でない手段を使ってほしいのだけれども」

 わたわたと手を振ってそう言うルシアにミシェルが頷いた。

「なるほど」

 それから、今度はキースに言う。

「キース、宣言してください」

 宣言?

 ルシアがキースに目を向ける。

 キュルル、とキースがちらりとルシアを見やって、言った。

「わたしの主人がルシアであることを承認しろ、ミシェル」

 ミシェルは――。

「はい」

 言って、再びジスカールとルシアに目を向けた。

「私は星長の命令に従おうと思います。……どうしますか?」

 ロジェが、身の危険を感じたのか、銃の引き金を――いや、やはりハラルドに当たるので引かず、とりあえず、ミシェルが撃ってくるであろうと予想して、その場から身をかわし――。

「撃て!」

「やめて!」

 ジスカールとルシアが叫ぶのが同時で――。

「了解しました」

 ミシェルは、頷いて――。

 ハラルドをルシアのほうに突き飛ばし、銃口をジスカールへと向けて。

 撃った。

 は?

 と一同がぽかんとした表情でその一連の動きを見ていて、撃たれた本人であるジスカールも呆気にとられた表情でミシェルを――いや、撃たれた箇所を見つめて――いや、そもそも撃たれてなどいなくて。

「麻酔銃ですのでご心配なく」

 ――撃たれたのではなく、打たれたのだ。

 ジスカールは打たれた箇所に刺さった、ピンが付いた麻酔針を、慌てて引き抜いて、しかし麻酔の効きが早いようで、ばったりとその場に倒れ伏し。

「星長の、命令に、従う。と……」

 ろれつの回らない声でそう言ってミシェルを恨みがましく見上げた。

「はい。ねえ? キース?」

 ミシェルはキースに目配せ。

 その表情はミシェルらしからぬ、いたずらっぽいような、見たこともないような笑みを浮かべた顔で、ルシアとロジェとハラルドは奇妙なものを見るような表情でミシェルを見やる。

 キースは言う。

「わたし、第十四代星長補助用人工知能キース・フォティンスの権限においてたった今ジスカールの星長代理権を剥奪し、ルシア・カーペンターを第十五代星長として選任したので、ルシアの命令は最優先される」

「は?」

 またぽかんと一同。

「星長の正式な選任方法は、星長補助用人工知能が主と認めた退化人類を――この任命は星長補助用人工知能の中に組み込まれた機器によって遺伝子解析がなされるとともに一年以上の行動調査を行い決定されます――星長補助用人工知能を監視するミシェル家の承認があることが必須で、この方法に依っていないサー・ジスカールのロイストン家は星長ではなく、第十四代星長の血を引く者として、星長『代理』権が仮授与されていて――」

 つらつらと話すミシェルにロジェが「星長? 嬢ちゃんが?」とルシアを疑わしげな目で見ていて、ハラルドはなんとも言えない表情でジスカールとルシアを交互に見つめていて、リアとイアンはこちらの星長事情についてはまったく知らないため、ミシェルの言葉をぽかんと聞いている。

「あの……つまりどういうこと?」

 ルシアがおずおずと尋ねる。

 キースがキュルル、とルシアに眼を向ける。

「戦争が起こらないということだ。ルシア、きみは実行命令を下さないだろうからな」

 きょとんとルシアが目をしばたいた。

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