五章
五章
「なんでこんなことに……」
少年――イアンは何度目になるか分からないため息をついた。
旧フォティンス第三医療施設からそう離れていない森の中である。
ルシアは、何度目になるか分からないイアンのため息を聞きながら、キースが森の中か ら調達してきたらしい食料をもぐもぐとやっていた。
イアンは政府の軍と間違えられて攻撃されたらしい。
どういうわけだか知らないが、イアンは政府の規制策に引っかかることなく飛行機器を使用することができたため、まず乗っていた機器を攻撃されたらしい。
そのまま逃げることも考えはしたが、まあイアンには特にやましい事情もないので、といあえず素直に降りて、誤解を解こうと思った。
しかし、現地の者はイアンの格好を見て、軍に所属する者だと勘違いしたらしい。
イアンの服は、裾の長い黒い服を着ている。ゆったりとしたその服は、素材がいいのかゆらゆらと水が揺れるような繊維で織られていて、どこか不思議な感じがする。
確かにそれはフォティンスの一般市民が着るような服ではなく、歴史の教科書で見たような軍人の服に似ているな、とルシアも思う。
ともかくイアンは軍の者と間違えられ、捕まった。
地上の者は軍と仲が悪いのか? と思ったが、なにしろイアンは子供だし、さすがに酷い扱いは受けないだろうと思って、誤解を解かないままでいたのだが――。
――仲が悪いどころではなかった。
「ここの人たち、尋常でない兵器を集めているようなんだけれども? なに? 戦争でも始めるつもりなの?」
イアンはそのときのことを思い出して、ルシアに八つ当たりをした。
「いや、私も地上には今日来たばっかりだからよく分からないけど――」
どうやらイアンは見てはまずい都市に降り立ってしまったらしい。
男たちはイアンを殺すだの殺さないだの利用するだのと物騒なことを話し合っていて、これはまずいと思ったイアンは、その場にいた者を説得して、走行機器を入手して逃げ出したのだった。
逃げている途中で他の者が気付いたらしく、追い回されて、たまたまルシアたちの前を通りかかって――現在に至る。
そんなことがあるのだな、とルシアは思うが、ルシアにしてもたまたま乗り合わせた機器が政府の機器で、うっかり現地の者に攻撃される目に遭ったのだから、まあ人のことは言えない。
ルシアの場合は、誤解が解けたようだが――。
しかしそこに会いたくない、主治医のハラルドが姿を現したため、こうして逃げなければならなくなったわけだが。
――いや、キース曰く、逃げたのは間違いだったそうだが。
キースはこの場にはいない。
どうやら情報を収集するために、「電波の拾いやすい見晴らしの良い場所」に行っているらしい。
「でも私は、このまま世界日までやり過ごして、ハラルド先生と鉢合わせないようにこっそりと空中都市に帰るのがいいと思うんだけどな」
昇降機に乗るのには予約がいるが、地上都市の住民登録は空中都市と比べてずさんなので、他人の名を使って昇降機に乗ってもあまり咎められるようなことはないとまで言われているのを聞いたことがあるから。
おそらく、キースに名前を偽造してもらえば、簡単だ。
「問題は、私の薬のことだけど……」
突然眠ってしまう発作を抑えるための、その薬。
定期的に飲むものだから肌身離さず持っているというわけではなく、薬は、先程の襲撃で、鞄と一緒に置いてきてしまっていた。
「うん?」
イアンが首を傾げる。
「きみ、なにか病気なの?」
「そう。私は退化人類だから。ええっと」
ルシアは病名を告げてみる。
イアンはその病名を知らないようで首を傾げたが、症状を詳しく説明してみると、うーんとルシアに顔を近づけてきてまじまじと見つめ、言った。
「その病気、治るんじゃないかな。遺伝子病? たぶん、その薬と同じ物質を体内で正常に合成することができるようにできるはずだけど……」
「嘘でしょう?」
ルシアは驚く。
そんな話は聞いたことがない。
ハラルドにも言われたし、ルシア自身もそれに関しては調べてみたが、薬を常用する以外の対処法はこのフォティンスでも確立されていないはずで。
「僕が嘘をつくと思う?」
イアンが自信満々に言う。
「うん。嘘だと思う」
ルシアはあっさりと言った。
あれ? とイアンはがっくりと肩すかしを食らったように、目を丸くしていた。
***
空中都市のような設備はないため、集められるデータは多くはないため、キースは地上都市の、旧フォティンス第三医療施設の回線に侵入してハラルドたちの様子を窺うことにした。
――どうやら今、フォティンス第一等級研究所の研究員だという例の女性を尋問しているところらしい。
いらいらとした様子で腕を組み足を組み腰掛けているハラルドを前に、第一研究所の女性研究員であるというキャロライン・ミシェルは、至極くつろいだ様子で資料をめくっていた。
「それで結局、あなたはルシアとはいったいどういう関係なんだ」
ハラルドが訊く。
研究員はハラルドのほうに目を向ける。
「……先ほども言ったはずですが。ルシアさんとは昇降機の前で会って、たまたま行き先が同じだと分かったので、私の機器に乗せることにしただけです。昇降機の前で立ち往生しているルシアさんにあなたの名前を出したら、やはりルシアさんもここで採用されたのだと言うので」
「だから、それがおかしい。どうしてそこで僕の名前が出てくるんですか。あなたとは初対面のはずだ」
「これも先ほど言いましたよ。私がここへ履歴書を転送したところ、ここの採用者があなたの名前を呟いたからだと。あの採用者の様子から考えると、あなたもルシアさんの履歴書をここへ送ったのだろうと推測できたので、名前を出してみたのです」
「僕は送ってない!」
ハラルドは声を荒げた。
おそらくハラルドは父親であるジスカールがなにか手を回してルシアの手紙に細工をしたのだと疑っているのだ、とキースには見当が付いた。
なにしろこのタイミングだ。
先ほどまではロジェを疑っていたはずだが、とキースはやや呆れ気味にハラルドを観察するが、まあ確かにロジェを疑うよりは政府の研究員であるミシェルを疑ったほうが合理的だ。
ロジェではデータの偽造などできないだろうが、ミシェルの背後には政府がいて――そこにはハラルドの父親がいる。
ハラルドは、ジスカールが裏で糸を引いているのではないかと疑っているわけだ。
もちろんそれが誤りであることはデータを偽造した張本人であるキースにはよくよく分かっているわけだが。
「……あんたの名前なら覚えがあるぜ。確かに第一研究所の研究員だ。俺は、ハラルドが懸念しているようにあんたがルシアちゃんのデータを偽造したとは思わない。――偽造するほどの大層な理由なんて思い浮かばないもんな。でも、あんたが胡散臭いのは事実だ。政府の研究員だなんて……ここに、何しに来たのか問い詰められても、文句は言えない立場なんだぜ?」
ロジェが凄みを利かせてそう言った。
その言葉に研究員はようやく仮面の表情を崩し、意外そうな顔でロジェを見たあと、ちらりとほんの一瞬だけハラルドを見、しかし何も言わずにまた無表情に戻った。
どうやらやはりハラルドの素性を知っているらしい。
幸いにもロジェはこの一瞬の視線には疑問を持たなかったらしく、ハラルドはほっとした表情をする。
「別に疑ってくださって結構ですよ。私は政府の駒ですから」
研究員は言う。
「私は――ロジェ、あなたがサー・ジスカールにへつらう振りをして、世界日の、退化人類撲滅計画を決行する日に反乱を起こそうとしていることも知っていますし」
これにはハラルドもぎょっとした顔をする。
ロジェも。
ハラルドは、ロジェが政府のふところに潜り込んでいることも知っていたし、反乱を起こそうとしていることは知っていたようだが……退化人類撲滅計画などという物騒なものは初めて聞いたらしい。
ロジェのほうはこの研究員に素性を知られていることに衝撃を受けているらしい。一研究員でしかないはずのキャロラインがそんな情報を知っているはずがないという顔。
二人は警戒する。
「……何をしに来た?」
「研究に使っていた退化人類の払い下げにです。私があなたたちの素性を知っていることと第一研究所の研究員をしていることは、特に関係がありません。ロジェ、あなたが反乱を計画していることもサー・ジスカールには話していません」
「それを俺が信じると思うのか?」
「信じる必要はありません」
淡々と答える女研究員。
まるで機械のようだ。
研究員は言う。
「ただ、私があなたにこうやって情報を明かしていることの意味を考えてください。私はあなたを味方につけたい」
「寝返りか?」
「いいえ。その場合は『私はあなたの味方になりたい』が正しいでしょう。違います。あなたに、協力してほしいのです。ここであなたに出くわすとは思いませんでしたが、あなたの協力を得られれば私の任務をこなすのが容易になるはず」
「協力?」
「はい。捜してほしい男がいるのです。もしくは女。……あるいは人の形ではないかもしれません。キースという名の機械を探しています」
「キース……」
ハラルドはぽつりと呟いた。
キースは――自分の名が呼ばれたことに関して、身に覚えが、一つ……あった。
ミシェル家。――というものは、代々キースの行動を監視している、星長を補助する家系の者で。
――ハラルドの呟きにちらりと研究員が目を向ける。
「ご存知なのですか?」
「い、いや」
「なるほど。ルシアさんと関わりがあることですか」
「――!」
すっと研究員が立ち上がる。
「おい。まだ話は終わってないぞ」
ロジェが顔をしかめ……銃を突きつけ、研究員に言った。「座れ。自分が置かれている立場を考えな。あんたがここで殺されたって気にする奴なんかいないんだぜ?」
研究員はロジェの言葉に首を傾げる。
「私は、逃げるわけではないので、座っていても座っていなくても大差ありません」
「じゃあ座れ。大人しく。……そのほうが身のためだぜ?」
「はい。それは構いませんが、少し待ってください」
「うん?」
研究員はきょろきょろと辺りを見回して、キースを正面に見据え――いや、あちらからキースの姿が見えるはずはないから、部屋に設置してある機器に目を向けただけだ――なにか、探るように手をひらりひらりと動かした。
まずい、とキースが判断して情報収集のために回線を繋いでいた機器から撤退しようと試みる間もなく、ミシェルが――回路に侵入してきて、捕捉された。
「――いました。キース? 見ていますか?」
「なんだ? あんた、何を見ているんだ?」
ロジェがミシェルの様子に戸惑ったような声でそう言う。
ミシェルは言う。
「座標の割り出しに成功しました。ここからそれほど離れていない場所にいるようです。近くに私が感知できる機器はないようなので、おそらく森の中でしょう。キースにとって近くに接続できる機器がないというのは不利益なことだから――ということは多分ルシアさんのために、隠れているということですね?」
「ルシアの居場所が分かるのかっ?」
「はい。――キースが逃げなければ、ですけれども」
「おいちょっと待て、そんな話信じられるわけがない」
「信じていただかなくて結構ですが、これは、私の最重要任務なので邪魔するのなら武力を用いてあなたを排除しなければなりません」
キースは、部屋の機器の制御がミシェルに奪われたのを観測した。
部屋のすべての機器が、じゃきん、と不穏な音を立ててロジェのほうを向いた。
「私は本気ですよ」
そう言ってミシェルが顔を向けた先は、ロジェの顔ではなくずらりと並んだ機器のうちの一つ――キースが見ているであろう、それだ。
ロジェを人質に取ってキースを脅している、らしい。
キースはややげんなり。
――ミシェル。
ミシェルにしか聞こえない方法で、話しかける。
――無駄なことは止せ。わたしはルシアの安全を最優先に行動している。こんなくだらない戦争に巻き込まれている場合ではないんだ。
――ルシアさんの身を最優先?
ミシェルもキースにしか聞こえない方法で、話かけてきた。
――キース、あなた……それはルシアさんがあなたの主であることが確定していると見てよいということですか。でしたらなおさらあなた方は、さっさと空中都市に戻っていただいて、サー・ジスカールを止めればいいではないですか。
――だから、戦争に付き合っている暇はないと言っているだろう、ミシェル。この星に正体不明の船団が近づいてきている。彼らの意図が分からないから、最優先でルシアを逃がすことができるようにしなければならない。
「……正体不明の船団ですって?」
思わず普通の言葉でしゃべっていることにミシェル自身は気付いていないようだが、とにかく、キースは自分が得た情報を、分かりやすいように表示してやる。
ミシェルは、舌打ち。
「戦争なんてやっている場合ではないじゃないですか」
――だからそう言ったじゃないか。
「とにかく、そちらへ行きます」
――お断りだ。来るな。
ぽかんとしているロジェとハラルドをよそに、ミシェルはさっさと部屋を出て行った。
***
「ルシア、逃げるぞ」
「うん?」
戻ってくるなりそう言うキースに、ルシアは怪訝な表情を向けた。
逃げたのは間違いだった、と言ったのはキース自身なのに、その考えをこの短時間で翻したのはなぜだろう?
なにかまずい情報でもつかんだのだろうか?
「あの、いったい、あなたたちはどういう状況下にいるんです?」
イアンが尋ねてくる。
キースはちらりとイアンに眼を向けたが――。
ヴヴヴヴヴッ!
と激しい機械音がした。
「うわっ」
え、とルシアが振り向くと、イアンの周りを囲むように透明な壁が形成されていて、イアンはその動作音にぎゅっと顔をしかめて、両手で耳を塞いで縮こまっているところだった。
捕縛のプログラム。
「いきなり何するの! 今すぐイアンを放しなさい、このお馬鹿っ!」
ルシアがキースを捕まえ上げて揺さぶると、キースはキュイイイ、と首を回して抗議した。
「放すことはできない。危険だ」
「危険って何よ、催眠術でもかけてくるわけ?」
何故かひくっと顔を強張らせるイアン。
キースがそんなイアンの様子を見てランプを明滅させ、ややあってからイアンに向かって尋ねた。
「……『適合者』とはなんのことだ」
その言葉に、イアンは驚いた顔をする。
「知っているんですかっ?」
言うと同時に身を乗り出し、壁に頭をぶつけて「痛てっ」と呻く。
――適合者。
「なにそれ?」
ルシアは顔をしかめる。
聞き覚えのない言葉だ。
テレビではこの言葉が話題になっていたが、あいにくルシアはそれを見ていないので、まったく知らなかった。
「――きみは異星人だな?」
キースは言った。
「は?」
きょとんとした表情でルシアはキースを見返す。
「きみの持つ遺伝子はこの星でいうところの『退化人類』のもので、しかも、この星では治療のすべがないものだ。きみがこの星の者ならば、一生を集中治療室で過ごすことになるはずなのに、しかしきみはこうしてわれわれの前に立っている。ということはその欠陥はなんらかの方法で完治されているわけで――そうであればそれは、この星の技術ではないことになる」
「は?」
ルシアはキースとイアンを見比べた。
イアンのほうはというと、こちらはキースの言葉にやや考え込んでいるようで、「うーん」と唸ってから、言う。
「それは、あなたがたが『異星人』をどのように定義するかによって変わります。確かに僕はこの星の者ではないけど、この星の先祖と僕らの先祖は同じだ。――あなたがたは地球から旅立った人々の末裔でしょう? 僕らはあなたがたと違って地球以外の母星を持たず……僕のような新しい世代は専ら宇宙船の中で生まれ育っているから、僕たちとしてはあなたがたのことは『同じ地球の仲間』だと思っている」
「仲間」
「そう。助けてほしいんです。僕らはとある条件を持ち合わせる人を探している」
イアンは歌うように言う。
キースは赤いランプを点滅させる。
警戒。
「……その声は、特殊な『音』を帯びているな。洗脳だな? 助けてほしいなどと言ってはいるが……それは、命令なのか?」
はっと気がついたようにイアンが口元に手を当てる。
「ごっ、ごめんなさ――いや、すいませんっ。つい、いつもの癖で……。僕らの船では全員が、多かれ少なかれこの『声』を持つんです。僕の力は弱いほうなので……いつも、この『声』を使っても軽くあしらわれるだけだから、あなたがたがこれに対して無抵抗なことをつい忘れてしまうというか……!」
「なるほど、厄介な来訪者だな」
キースは言う。
「ルシア。きみは別の場所へ避難しろ。この声を聞いてはならない」
「ちょ、ちょっと待ってよ! なにそれ。嫌よ」
ルシアは顔をしかめた。
ここへイアンを連れてきたのはルシアなのだ。「適合者」だの「異星人」だの聞いておきながら、詳しい説明も聞けずに追いやられるのはすっきりしない。
だいたい、ルシアには今のキースに対して不安だ。
何をしでかすか分からない。
いきなりイアンを捕縛しているくらいなのだ。
キースはイアンのことを異星人だと言っているが、とてもではないが信じられない。
洗脳能力?
厨二病かなにかか?
「あの」
ルシアとキースが睨み合っていると、イアンが口を挟んでくる。
「大変申し訳ないんですけど、目的上では僕のこの能力、使わないわけにはいかないというか……この星に降りたのはそのためというか」
「はっ? 本当に洗脳目的なわけ? ちょっとあなた、話をややこしくしないでよ!」
「え、いや、洗脳じゃなくて……違う、むしろ逆というか……! 僕らは、この『声』が効かない人を探しているというか……『適合者』っていうのが、つまりそういう……」
ため息。
「……あの、最初から説明するから、本当に、協力してくれない?」
すがるような目でイアンがこちらを見上げてきた。
しかし。
「駄目だ。その順序は受け入れられない。最初から説明しろ。協力するかどうかを決めるのはそのあとだ」
ばっさりとキースは言い捨てた。
――うわあ、ちょっと可哀想ね。
そう同情するルシアの横で、イアンがまた深くため息をついた。
***
船の長は、『声』の一番強い者がなるのが掟だった。
星長のリアは、歴代の長の中でも飛び抜けた才能を持っていた。
リアには姉がいた。
その姉は強いリアとはまったく逆に、もっとも力を持たない者だったが――しかし、彼女は特殊な体質を持っていて、リアたちの『声』が効かなかった。
どれほど力が弱かろうとそれを馬鹿にする者はいないが、それでも、『声』が効かないという体質のほうは、脅威と受け取られ、彼女は嫌煙されていた。
人から避けられるうちに彼女自身も人を避けるようになり、彼女の妹のリアが正式に星長として船の舵を取る立場に上がるころには、姉である彼女は研究者としてひっそりと、寡黙に、リアを支えるようになっていた。
彼女の研究は船にとって有用なものであったから、リアはそんな姉のことを信頼して、研究室にこもっていることに対してもなんら文句も言わなかったし、星長である自分の声を稀に無視することについても強く咎めたりはしなかった。
彼女はあまり語らない人で、おまけに研究室にこもるようになってからはほとんど他人と会話を交わすことがなくなっていたから、彼女が一体なにを考えて日々を過ごしているのか、なにを思っているのか――想っているのか、誰にも、それは分からなかった。
しかしそれでも彼女はいつもにこにこと笑っていたし、星長であるリアのことをいつも気にかけていたし、自分の不遇に関して不満を持っている様子もなかったから、心配などないと思っていた。
どこで道を誤ったのだろう、などと考えるのはきっと見当違いなのだ。
彼女の航路はおそらく、最初から、リアたちの行く先とは違っていたのだ。
船を「別の星」へと導くのが星長――リアの役目だが、リアの姉……彼女が目指していたのは、「そこ」ではなかった。
彼女が目的とした場所は――「別の宇宙」だった。
「――別の宇宙?」
「そう、あの人、研究室にこもってなにをやっているかと思えば、宇宙を創っていたんだよ、宇宙! 船には自分の居場所がないから、新しい宇宙を創って、その中に自分が飛び込んで、楽園を探すつもりなんだって言ってた」
「なに、それ。わけが分からない。宇宙って……作れるものなの? そのおねーさん、神様にでもなるつもりだったの?」
目を丸くしつつ尋ねるルシアにイアンは首を振って言う。
「いいや、違うさ。彼女がなりたかったのは『一般人』だもの。なんの力も持たない普通の人になりたかったんだよ。船では彼女は特別だったから」
ふうん、とルシアは頷く。
それは少し分かる、とルシアは思う。
ルシアは退化人類だから、他人よりも多くの劣等感を抱えてきた。
この病が治ればいいのにと幾度思ったことか。
――普通の人のように暮らしたい、と。
「それで、その宇宙って、なんなの? シミュレーションプログラム……なんてちゃちなもののわけではないんでしょう? そういったお遊びのものならあたしだって作ったことあるもの。あれって結局はデータよね。こちら側から関与することはできても、関与『される』ことはできないわ。それじゃ、飛び込むって……自分を模したデータを仮想上で躍らせるとか、そういったことではないような気がするし……」
ぶつぶつぶつ……。
イアンはそういった知識は持ち合わせていないので、ルシアの独り言が理解できないらしく、眉をひそめ、首を傾げてうーんと唸る。
「ええっと……。彼女の宇宙は、データではなくて、本物の宇宙なんだ。僕は詳しくは知らないけど、物質を圧縮して爆発と吸収がうんたらかんたらとか……」
イアンの言葉にキュイとキースは目を細めた。
「なるほど。ブラックホールとビックバンだな」
キースは言う。
「物質同士は引き合う力を持つが、これを高密度に高めてやると物質はその影響圏から抜け出すことができなくなる……それがブラックホールだ。ブラックホールは物質を捕獲しつつ引き合う力を強めていくが、では捕らえられて逃げ出せなくなってしまった物質がどうなるのかというと、ブラックホールの内部でビックバンを起こして、新たな宇宙を作るという仮説がある」
「ブラックホールくらい聞いた事があるわよ。なんでも吸い込んで、吸い込んだものは逃がさないって星でしょう? でもそれ、どうやってビックバンなんて起こすのよ。ブラックホールに捕まったら逃げられないんでしょう?」
「そうだ。だから、ブラックホールの内部に、反転した宇宙ができる」
「反物質ってやつ?」
「違う。反転した宇宙はブラックホールの内側に向かって広がる宇宙であるらしい。あまり現実味のある仮説ではないからわたしも詳しくは知らないが……しかし本当に作った者がいるのだな」
キースの言葉にイアンは頷く。
「そう。それでその宇宙のことだけど……、どういう仕組みになっているのかはよく分からないけど――いや、どういう仕組みになっているのか分からないから、僕らの技術じゃその宇宙を消滅させることができなくて……」
ため息。
「彼女は保護用の壁を作ってその中で宇宙を育てていたみたいだけれど、そのブラックホール? とかいうのを押さえ込むのにはどうやら強度があまりよくないようで、周りの物質を吸い込みつつ日に日にその宇宙は大きくなっていくし……結局彼女はいつの間にか行方不明になっているし……。だから、適合者を早く探さないとって」
……適合者。
適合者とはなんなのだろうか?
イアンの言葉にルシアは不審げな顔をする。
――当事者であるイアンたちに解決できないような問題ならば、ルシアたちが解決できるものなどではないと思うのだが。
なにしろ相手はブラックホールなどというものを作ってしまうくらいの技術者だ。ここルシアたちの星フォティンスの技術が特段劣っているというわけではないだろうが、しかしブラックホールの再現に成功したなどというニュースは聞いたことがない。
イアンは言う。
「適合者っていうのは、……ああ、彼女はね、その宇宙もといブラックホールを収束させる方法を遺しておいたようなんだけど、そのプログラムを起動させるために必要なのが、適合者で」
「認証……まさかその研究者と同じ指紋を持つ者、などではないだろうな」
「指紋?」
キースの言葉にイアンが首を傾げる。
古代地球では一時期指紋認証という認証形式が流行したのだが、イアンはそれを知らないらしく……いや、どうやらルシアも知らないので、二人して顔を見合わせる。
「ええっと……僕らが探しているのは、彼女と同じ体質を持つ人物です。すなわち、僕らの『声』がまったく効かない人物」
ルシアはまた首を傾げる。
そもそもこの星フォティンスではイアンたちのような声を持つ者はいないのだから、イアンの声が効く者を探すほうが難しいのではないか、と思う。
しかしルシアがそう言うと、イアンは首を振って言った。
「僕らのこの体質というのは、古代地球の頃から引き継がれてきた体質らしいから、この惑星の人々にも多かれ少なかれ『声』は効くんだよ。そこのキースさんが僕の『声』の質に気がついたのがその証拠だ。この体質はなんらかの遺伝子が関係しているらしいんだけど、それに関してはまだ研究中なんだ。……まあ、彼女はそれさえも突き止めてたようだけれど」
「……プログラムの鍵となっているのはその彼女の遺伝子データの一部か?」
「そう。彼女は『声』に関する遺伝子を突き止めて、彼女自身の遺伝子データを使ってその『宇宙』の解放プログラムを作ったらしいんです」
「そこまで分かっているなら、むしろその彼女の遺伝子データをそのまま入力したほうが早いんじゃない? そんな特異体質だっていうのなら、彼女を研究したデータくらい残っているんでしょう?」
ルシアがそう言うと、イアンは「彼女に関する研究データはすべて彼女の手でひそかに処分されていたらしい」と言った。
「それに欲しいのは文字列ではなくて、生きた細胞らしいからね。――一定時間生体活動をしていることが条件となっているって言ってた。彼女の遺伝子データが残っていれば細胞を復元することも可能だったのに……。今はともかく片っ端から人をあたっていくしかないんだ。だけど――」
そこでイアンは何故かルシアのほうにちらりと目を向けた。
「どうやらそこのルシアには、僕の声が効かないみたいで」
「は? あなた、いつそんなことを試したのよ」
「た、試したってわけではないけど――。さっきからずっとだよ。きみ、僕の言うことにはさっぱり耳を貸してくれないじゃないか」
「だって、嫌なものは嫌なんだもの」
ルシアは胸を張った。
なるほど、とキースは頷いた。
「ルシアは『適合者』の候補というわけだな。……聞くが、『一定時間生体活動をしていること』というのは、人体を傷つけて細胞を採取するようなものではあるまいな? 腕を切り落として検査機にかけるとか」
「切り落とっ……え、そそそそんな、物騒なもんじゃないですよ! 検査機には普通に大人一人くらいは余裕で入れますからっ」
「検査機に入ったらそのまま殺処分されるようなことは――」
「ありませんったら……! 何を恐ろしいことを言っているんですかっ」
「そうか」
キースは興味なさそうにそう言った。
イアンはため息をつく。
「僕の話は以上です。あの……できれば本当に、お願いだから、協力してくれない? 彼女の創った『宇宙』は僕らの宇宙にどんな影響を及ぼすか分かったものじゃない。ただのブラックホールだと思えばそれまでだけど、なにしろあの彼女が作ったものなんだもの。たぶんあれは、本物の宇宙だ」
「うーん……。でもあたし、逃げるつもりではあるけれども、星の外にまで行くつもりはなかったのよね……。要はハラルド先生をやり過ごせればいいわけだし――だいたいせっかく勝ち取った仕事なんだから、追い出されるのは困るのよ。ちゃんと弁明して雇い直してもらわなくちゃ」
キュイ、とキースがルシアに眼を向ける。
「それは推薦しない。彼らはもうすぐ政府に戦争を仕掛けるようだからな。できることならばこのイアンと一緒にフォティンスを離れたほうがいい」
「は?」
きょとんとした目でイアンとルシアはキースを見つめた。
何も知らされていなかったルシアは面食らった表情で、口をぱくぱくさせていた。
キースの当初の目的はフォティンスに近づいてくる謎の船に捕捉されるのを避けることであったが、その船から来たらしいイアンの話を聞いてみれば、むしろその船に出向いて避難したほうが安全だとキースは分析していた。
「ちょ、ちょっと待って。戦争? なんなんですそれ?」
「きみのその遺伝子失陥は、ここフォティンスでは治療するすべがないと言っただろう。だから、我々は『そういう者たち』を退化人類という名称で卑下して健常人と区別している」
「つまりそれ、暴動ってやつですか?」
「いいや。先に案を出したのは政府のほうだ。退化人類撲滅計画などというものを企てているからな、それでその情報を得た退化人類側もひそかに武力を集めているところだ」
「な……な……、なんなんです、それ?」
「だから、戦争だと言っているだろう」
またぽかんとイアンが口を開ける。
間。
――いや、しかし呆気に取られたままイアンとキースの会話を聞いていたルシアが、ぶんぶんと首を振って口を開いた。
「待った待った、待ちなさいよっ。キース、あんたねえ、だったらなおさら今フォティンスを離れるわけにはいかないでしょうが。そんなの、逃げるみたいじゃない!」
「そうだぞ。逃げるんだ。それが一番いい」
「駄目ったら駄目。絶対に駄目」
「ルシア」
キースとルシアが睨み合う。
イアンがはらはらしながら二人を見守っていたが、やがて、はっと気がついたように声を上げた。
「いや、きみ――ルシア、だからそれは困るんだってば。きみは適合者候補なんだから。協力してってば。こっちへ戻ってくるにしても僕らの船へ避難するにしても、とにかく一度船へ来てくれないと……。そもそも、他所の星の住人を船に移住させる許可なんて、リアに聞いてみないことには分からないし」
「あのねイアン、あたし今それどころじゃないんだってば。行かないわよ。というか、行けないわよ。戦争なんてもんが起こるのに……。一緒に戦わなきゃ」
きみの立場ならば本来ならむしろ戦争を止めに行かなければならないはずなのだがな、とキースはさらりと言ったが、ルシアたちには聞こえなかったらしく、ぎゃあぎゃあと言い争っていた。
「戦争なんかに行かれちゃったら、消息がつかめなくなっちゃうじゃないか! リアに頼めばそんなくだらないことやめさせられるだろうけど……」
「え」
ルシアがイアンの言葉にがばっと顔を上げ、キースもキュイイと顔を眼を見開いた。
「なにそれ、そんなことできるの? どうやって?」
「だから、『声』を使って……」
「ようするに洗脳か」
「そ、そんな野蛮なことはしないですってば! そりゃ洗脳したほうが早いですが……できませんよ。非人道的じゃないですか。『説得』するんですよ、説得」
うーん、とルシアは考える。
空中都市で、肩身の狭い思いをしながらも今まで生活してきたルシアとしては、もちろん戦争など起こらないに越したことはない。空中都市にはルシアに良く接してくれる知り合いもいるし、それに、戦争が起こるとしたらルシアを追って地上へやってきたハラルドはどうなるのだろう?
考えて、ルシアはおずおずとイアンに尋ねる。
「戦争、……止められるの?」
ルシアの表情を感じとったのかイアンはまじまじとルシアの顔を見つめてきた。
イアンは言う。
「できる。できるよ」
イアンの言葉に、ルシアは――。
「キース」
ゆっくりと。
しかしその瞳に強い意志を宿して、言った。
「ちょっと戦争止めたいから、あんたはあたしを手伝いなさい」
完全に命令形だ。
キースは、こういうときのルシアは止めても無駄だということをよく知っていて、いやむしろ下手に止めるととんでもない無茶をしでかすので大人しく従っておくほうがいいだろうと判断して、……それにしても「戦争を止める」だなんていったいどうやったら無茶をさせずに済むだろうかとランプを激しく明滅させつつ考えた。
そして。
「分かった。ではジスカール・ロイストンと話す機会を設ける。うまく説得しろ」
キースはそう言った。
「ジスカール? なんか……どこかで聞いた事があるような名前だけど……」
「現在星長の代理を務めている男だ。名前くらいは知っているだろう」
「うーん……?」
ルシアは覚えがないようで首を傾げて眉をひそめたが、キースはそれを無視しておくことにする。
「今からミシェルに連絡をとる。万が一彼女がこちらの機器を遠隔操作してわたしを破壊しようと試みるようなことがあった場合には、例のその『声』を使ってきみが彼女を『説得』してくれ」
「うえぇ……。え、ええ? あの、それ僕には洗脳してくれって言ってるように聞こえるんですけど」
「……『説得』だ」
キースはぷいと顔を逸らして機器の機能を探り、通信回線を開いた。
ブウゥン、と窓の開く音がして――しかしなぜだか映像が映らずに、機械質な音を帯びたミシェルの声が聞こえてきた。
「キース?」
「私だ」
どうやらキースが懸念したような機器の遠隔操作などを行う様子はない。
しかし。
「ミシェル。その声は、機器を使って合成したものだな。きみは今、昏睡状態なのか?」
「はい。脳に埋め込んである機器を使って直接通信しています。先ほどあなたと会話をして、ロジェを振り切ってあなたを探しに行こうとしたら、銃で撃たれて気絶する羽目になりました」
――予想とは桁が違った。
ルシアが目を丸くして大丈夫なのかと尋ねると、ミシェルはいつも通り淡々と「特に支障はありません」と答えた。
キースは言う。
「駄目だ。今すぐ起きろ。世界日に起きる戦争を止めるために、至急ルシアとジスカールを引き合わせる。……いや、直接会うとルシアの身に危険が及ぶから、船から通信して対面する。……ジスカールとの通信に使う船はこちらで選ぶ。きみはジスカールとロジェのほうへ働きかけろ」
「――――」
鬼だ。
しばらく無言ののち、ミシェルは尋ねてきた。
「――正体不明の船団は?」
「問題ない。敵ではなかった」
イアンたちのことらしい。
了解しましたとミシェルから返事があり、ふっと窓が消えた。
二人のやりとりに呆気に取られていたイアンにキースは言う。
「さて対話の目処は立った。イアン、きみが戦争を止めるために必要なものは?」
「ええっと……まずはリアに事情を説明して協力してもらうために、見晴らしのいい場所に行って僕らの船と連絡を取らないといけなくて――」
「そのリアという者は我々の星に干渉することに関して肯定的なのか? 否定的ならば最悪きみを引き戻そうと妨害をしてくるかもしれないし、肯定的ならばそれはそれでこの星にとって脅威となる存在だと思われるが」
「えっ……、ええっ? いや……そりゃあ、あんまり肯定的ではないですけど……そもそもここの星長と交信するより先に僕のことをこうやってこの星へ派遣したのはこの星の内政に干渉しないようにって方針のためですけど……でも、さっき説明した通り、僕らはできるだけたくさんの人と会う必要がある。それにリアは切羽詰っているようだから、戦争なんてものには絶対反対するはずですから」
「つまり確証はないというわけか」
「いや、でもこれほとんど確証みたいなもんですし」
「ふむん。期待はしておこう。……聞くが、仮にきみ自身の力だけで『説得』を試みるとしたら、成功するか?」
「切羽詰っているって言ってるじゃないですか。たとえ成功しないにしても、意地でも成功させますよ。せっかく掴んだ手がかりなんだから」
「なるほど」
キースは眼を細めた。
どうやらその答えに満足したらしく、それ以上尋ねることはしなかった。
「今から通信ができる場所へ向かう。場所はわたししか知らないから、わたしが走行機器を操作する。きみたちはそこへ到着するまでおとなしくしていろ」
ルシアはキースの言葉に口を挟む。
「通信できる場所って? あの研究員の人と話しているときに言っていたのは、どこかの船って話だったわよね。星長なんかと通信ができる船なんて……そんなもの、地上にあるの?」
あるとすれば政府の船だが……そんな船が地上などにあるのだろうかとルシアは思うのだ。
政府の者は地上へは積極的には降りたがらないから、滅多に見ない。
しかしそんなルシアの考えをキースは否定してさらりと「あるぞ」と答えた。
キースは言う。
「政府の船だ。ここから数十キロ先に……わたしがこの星へ不時着したときに乗っていた船がある」