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四章

 四章


 昇降機のところでルシアは彼女の主治医であるハラルドを見つけてしまい、立ち往生した。

「……なんでハラルド先生がここにいるの?」

 呟いた言葉は独り言のつもりだったが、彼女の言葉にキースが反応した。

「だから、警告しただろう。――いや、きみはわたしの警告を聞く前に出発を勇んでいたから、聞いていなかったかもしれないが。彼に例のデータの偽造がばれたぞ」

「は?」

 きょとんとした顔でルシアが問うた。

 キースは、ハラルドが政府の規制策に関するニュースを見て、ルシアが新たに出した手紙について疑問に思ったらしいと説明した。

 あの人はまた無断で人の手紙を読んだのか、とルシアはややむくれた顔をするが、しかし今回ばかりはとても、人に言えないような、いかがわしい手段を使って手紙を送ったので、何とも言えない。

「ああっもう」

 ルシアは頭を掻きむしった。

 そうこうしているうちに重いドアが閉じる。

 透明な管の中を昇降機が下っていく。

 ルシアは完全に置いてきぼりを食らったわけだが……ただそれを眺めるしかない。今からドアをこじ開けて乗るわけにもいかないのだし。

「あーあ、次は、世界日の先か……」

 がっかりした顔で呟くルシア。

 できれば早く地上へ行って、ハラルドの顔を見ないで済むようにしたかったのだが、先回りされているとなると、それは難しいだろうなと思う。

「いや、世界日まで待つと、困ることになるのだが――」

 キースは言う。

「困るって?」

「昇降機が動かなくなる」

「うん?」

「勘だ」

 今日のキースはおかしいな、とルシアは思う。

 今だってキースは彼女の隣にはおらず、鞄の中に小さく収まっていて、「念のためだ」とかなんとかと言っていて。

「どちらにせよ昇降機はもう降りちゃったんだから、次を待つしかないんじゃない?」

「いや、そこらの飛行機器の制御を乗っ取る手段がある」

 ……今日のキースはおかしい。

 ルシアはなにか言おうとするが、考えあぐねて、言葉が出ない。

 しかし、ふいに――。

「乗せていってあげましょうか?」

 声をかけられた。

 いきなり声をかけられてどきっとした。振り返ってみると、鳶色の髪の白衣を着た女性が立っていた。美人なのだが、表情に乏しいのが残念なところだ。

「地上に行くんですか?」

「そう」

 頷くと、波打った髪が軽やかに揺れる。

 キースは、沈黙。

 随分といいタイミングだな、とかどうして見ず知らずの自分に声をかけてきたのだろうとかとルシアの頭の中で考えがぐるぐる回る。

 ルシアが言葉を選んでいるうちに、女性は話を続ける。

「ルシアさん。――ルシア・カーペンターでしょう? 私はあなたの主治医であるハラルド・コフィのことを知っています」

「えっ」

 ルシアは驚いた。

 ハラルドの知り合いとなれば話は違ってくる。

「あの……ハラルド先生に頼まれて……?」

「そういうわけではありませんけれども」

 女性は頭を振る。「ただ、彼はあなたのことがとても大事なようだから、とりあえず助けておいたほうがいいと思って」

 無表情に言うその言葉がかえって真剣味が増して感じられるものだから、ルシアは考え込んでしまった。


 ***


 結局、ルシアはその女性の飛行機器に乗ることにした。

「いや、まさか政府の人だとは思わなかったじゃない?」

 言い訳するようにルシアが呟く。

 女性は、フォティンス第一等級研究所の研究員だと名乗った。

 機器は広く、ルシアと女性を合わせて十五人が乗っていて、一人一人に個室が与えられていて――ルシアが呟いたのは、その個室の、ふかふかの寝台の上だ。

 しかも、聞いた話によると、彼女の行き先はルシアと同じ場所らしい。

 彼女以外の者はすべて退化人類で、彼女は彼らを地上の就職先――旧フォティンス第三医療施設に向かうところだという。

 不思議な人だ。フォティンス第一等級研究所といえば、政府直属の研究所であるはずなのだが……こんなふうに退化人類を優遇――少なくともルシアにはそう思える――していいものなのだろうか。

「いや、政府の者であることは初めから分かっていただろう。今朝、ニュースで、政府によって一般の飛行機器の利用は厳しく制限される、と発表があったからな。一般の機器ではないとすると、政府の機器だ」

 うっとルシアは言葉に詰まる。

 そんなこと、考えている余裕なんてなかったわよ。ぶつぶつぶつ。

「……それにしても、この機器って空陸両用なんだ?」

「そうらしい。一日半で旧フォティンス第三医療施設まで行けるのならそれなりに高性能な機器だと言える」

 へえ、と相槌を打ってルシアは床を駆け回っているキースに目を向ける。

 何をしているのかと思えば、部屋の中を走査していたらしい。

 少し間をおいて言った。

「大丈夫だ。何も仕掛けられている様子はない」

「うーん、何なんだろうね」

 女性からは悪意は感じられない。実は本当に親切なだけなのではないだろうか。

「不明。判断するにはデータが少なすぎる。少なくとも君がここの機器の内部で会った男性や少女が退化人類に分類される人種なのは確かだが」

 判別できるらしい。一体どうしてそういう機能があるのだろう? 考えてみればこの相棒も随分不思議な存在だ。ルシアが廃棄場から拾ってきてからずっと一緒に暮らしてきたわけだが、いまだに分からないことが多い。

 ふと相棒がランプを点滅させる。

「地上に着いたようだ」

 そう言った瞬間、彼女はがくんと鈍い揺れを感じた。窓から見てみると、赤茶けた大地が広がっているのが分かった。着地の衝撃で舞い上がった砂塵で昇降機の透明な管が遠くに霞んで見える。

 地上都市。昇降機の下にあるこの街は比較的大きな都市だ。立ち並ぶ建物は、古びてはいるが荒廃しているわけではない。確かな活気が感じられる。

 また揺れる感じがして、窓の景色も動き始めた。だんだんと速度を上げ、街中を走る。

「キース、人がいるよ」

「この地上都市の人口が地上では二番目に大きいからだ」

 相棒が言う。彼女はちょっと首を傾げた。

「そうなの? 昇降機の下だし、てっきりここが一番なんだと思ってたんだけど」

 一番はどこなのだろう?

 しかしそれを聞こうにも、相棒はランプを点滅させてまた何かの走査に入ってしまっていた。こうなってしまうともうしばらくは話しかけても返事もしてくれない。

 いや、返事はしてくれる。ただし、それが返ってくるのは五分も十分も後になってしまうだけだ。会話をするにはきわめて非効率的だ。

 こうなるともう諦めるしかないだろう。肩を竦め、部屋を出た。

 ……その時。

 機器が大きく揺れてルシアは倒れそうになった。

『緊急事態です。この機器はどうやら政府の反勢力から攻撃を受けているようです……現在全速力で逃走中。一同は各々自分の部屋に戻って待機しなさい』

 拡声機から聞こえてきたのはこんな時でも冷静な研究員の声だ。淡々としたその声は冷静と言うよりは、無表情。

「は、反勢力? そんな白昼堂々と……」

「ルシア、検問を行っているのは政府の者ではない。地上都市に移住した方が自主的に組織したものだ」

 いつの間にかキースがそばにいて言っている。

 なるほど。ではかえってこの機器は危ないわけだ。

 ルシアが唸りながらそんなことを考えていると、機器はまたひときわ大きく揺れた。身体が真横に引っ張られてすっ飛んでいき、キースにぶつかった。

「キース、大丈夫?」

「大丈夫だ。部屋の中よりは。……寝台は固定されているが、きみが持ってきた鞄が吹っ飛んできて、凶器になるからな。わたしも走査を中断せざるを得なかった」

「それは悪かったわね……」

 ルシアが眉を上げる。

 そのとき、赤茶けた大地をを臨める巨大なガラスの窓に、ぴしり、とひびが入った。

「うん、でもまあ、それでも部屋に戻ってた方がいいかも……」

 引きつった笑みを浮かべてルシアが呟く。

 特殊に強化されたこのガラスはそう簡単には割れないはずだ。見れば、雨のように降り注いでいる銃弾はほとんど跳ね返されている。

 しかしその中でも一部は跳ね返らずにひびを入れるのは事実。

 奇妙な形の銃弾だ。人の技術は進化するものだな、としみじみと思ってしまう。

 ともかく現にこうやって銃弾がめり込んでいるからには、おとなしく鋼鉄製の壁に囲まれた部屋に戻っていた方がいい。

「まさか大砲なんかは持ってないよね……?」

「いくらここが地上だからと言っても、そんな物騒なものを所有していたら警察が捕まえに来るぞ」

「そうだよね」

 この様子だとあり得ないことでもないように思えるが。

「おわっ……と」

 ふわりと身体が浮く感覚に、慌てて壁に取りすがる。

 ――横転するだろうか? と思ったらガタンと衝撃がきた……大丈夫だったようだ。まだ機器は走っている。

「そもそもどうしてこの機器が攻撃されるわけ? 反勢力って言っても、これまでたいした運動してなかったじゃない。もう、どうしてあたしが地上に降りるときに限ってこういうことを始めるのかなっ」

 相棒が答える。

「政府が規制策を立て続けに打ち出したからだろう」

「そんなことあったっけ?」

「……ルシア」

 抗議。いきなりルシアの機器が作動して手紙が開かれる。昨日送った履歴書だ。

「ああそっか。それでキースがハラルド先生のデータを偽造したんだっけ……。でも別にあんな規制なんか痛くもかゆくもないじゃない? 現にちゃんと採用の返事も来たし」

「しかし一般人はデータを偽造するようなことはない」

 それはそうだ。

「でも私たちが退化人類って呼ばれて差別されるのも今に始まったことじゃないし」

「ルシア。今日制定された規制策では飛行機器は一般人も使用できない」

「でもでも、地上に降りる人なんて滅多にいないし」

 ……ということは飛行機器を使う機会も滅多にないということだ。

 しかし相棒はやはり否定する。

「反勢力にとっては行動を起こす口実になる」

 だからといって何も今日行動してくれなくてもいいと思う。

 そもそもこの機器に乗っているのはほとんどが退化人類。むしろ反勢力ならばこれを保護して然るべき、だ。

「理不尽だわ……」

 そう呟いたとき。

 ダァアアンッ! と大きな音がして、凄まじい衝撃がきた。

 咄嗟に落ちていたキースの脚を引っ掴むが、もちろんそれで身体が固定できるはずはなく、ルシアはひっくり返ってしまう。

 しかし身体が回転している感覚があるのに、先ほどから天井が動いていない……どうやら機器もろともひっくり返っているらしい。

 だんだんと天井が近づいてきて、

「ふべっ」

 当たった。

「ルシア、無事か?」

「む……むう、痛い……」

 涙目になりながら相棒を恨めしげに見やる。

「いいわね、あんたは痛くなさそうで」

「私は痛覚がなくても異常を発見できるからな」

 そうだ。人には痛みが必要だ。骨折してもそれに気が付かないようでは大変なことになる。

 風が吹き、砂粒が舞い込んでくる。

「ええっ?」

 見れば壁の一部が大きく剥がれて外が丸見えになっている。つまり、ルシアは外から丸見えというわけだが。

 それよりも。

「……攻撃が止んだ?」

「そのようだ」

 迷ったが、ルシアはおそるおそる開いた大穴から顔を出して外の様子を窺ってみる。

 ……確かに攻撃は止んでいるらしい。

「どどどどうして?」

 と、やや後方に地面から黒い煙がくすぶっているのが見え、さらにその後ろに二台の機器が止まっているのが見える。

 首を傾げていると、また拡声器から声がした。

『……たった今通信が入りました。どうやら迎えが来たようです。攻撃される心配はありませんから、全員外に出てくるように』

「迎え?」

 何のことだろう?

「ルシア」相棒が声をかけてくる。

「何?」

「きみの保護者が来ているようだ」

 驚いて振り返ってみれば、確かに、二台の機器の後者からルシアの主治医が降りてくるのが見えた。

「どどどどうしてっ!」

 確かに昇降機にこの主治医が乗ったのは見たが、まさか、こんな、よりにもよって、同じ方向へ来るとは。

 ――もしかして連れ戻しに来た?

「キース、私たち今すぐ逃げちゃった方がいいと思わない?」

「ここから逃げるのは困難だ。……隠れるところがない」

 そうだった。何しろここは赤茶けた大地の広がる礫砂漠なのだ。砂漠には岩石砂漠、礫砂漠、砂砂漠があり、礫砂漠といったら雄大な岩があるわけでもなく、巨大な砂丘があるわけでもなく。……小さな石が転がるばかり。

「岩石砂漠ならよかったのに……どうしてこういうときに限ってこんなところを通るのかな。やっぱりあたしのことを陥れようとしてるしか思えないんだけど」

「礫砂漠の方が走りやすいからだろう」

 ごもっとも。

「でも、なんとか逃げなくちゃ」

「この場合、逃げるよりもきみの保護者にとっ捕まっておいたほうが、はるかに安全だと思われるが――」

「でもなんとか逃げるのよ」

 キースと睨み合いになる。

 たいていの機器にはそうだが、おそらく、この機器にも、もう少し小回りのきく陸専用の――古代地球で言うバイクのような――走行機器が備えられているはずだ。

 キースが協力してくれる様子がないので、ルシアは一人で走行機器を探し出すことに決めて、立ち上がる。

 と、そこへ――。

 ギャィイインッ――! と凄まじい音。

 悲鳴?

 いや違う。

 大穴から外を窺うルシアの前に現れたのは、見慣れぬ服を着た少年で、その少年が跨っているのは、ちょうどルシアが探そうとしていた、おあつらえ向きの走行機器で――。

『そこの少年! 止まれ!』

 バラバラバラ、と銃声。

 やや見当外れの方向に撃っているのは、射殺ではなく威嚇を目的にしているためか。

 ――しかし、止まれ、と言われても、少年はなぜだか、機器の上ですでに気絶しているわけで。

「ちょっと!」

 思わずルシアは飛び出して、少年の肩を叩いていた。

「え?」

 ぱっと少年が目を覚ました。

 これ幸いとばかりに少年の後ろを陣取る。

「ルシア!」

 キースは咎めるような口調で、しかしルシアの腰に六本の脚を回してしがみつく。

「いや、あの、僕、困るって言うか――ちょっ、ちょっと、降りてっ」

 少年は言うが、ルシアは、知らぬ振り。

「逃げるのよ!」

 ルシアが少年の手の上に自分の手を乗せて機器を操作し、強制的に、発進。加速。

「――え、ちょ、ルシアっ?」

 遠くでハラルドの声がした。

「ルシア――!」

 無視。

 加速、加速。

 ひいい、と少年が情けない悲鳴を上げた。

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