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三章

 三章


 彼は収集したデータの再生を行っていた。

 非常事態が起こっていた。

 機器で流されているニュースには、昨日、フォティンスに住むほぼすべての民が、不思議な声を聞いたと報道されていた。

 ――例の、彼が観測したノイズだ。

 彼はそう確信した。

 その不思議な声はこう言っていたという。

「どこにいるの、適合者」

 適合者?

 彼にはそれがなんなのかは分からなかったし、彼の主人であるルシアが、その声を聞いたという話をしないことも気になった。

 ……おそらく、ルシアは声を聞かなかったのだ。

 声を聞いた者と聞かなかった者の違いはなんだろう?

 この声を発した者の目的――適合者? とはなんだろう?

 彼はそのことを知るために、フォティンスで活動しているすべての機器から、人々の会話を収集して、解析していた。

 ――あいにく、そのノイズに関する情報はほとんど集まらなかったが、しかし、彼は別の重要な情報を入手することとなった。

 まずは、フォティンスの現星長とされる、ジスカール・ロイストンの執務室での出来事を再生する――。


 ***


 執務室は大きく突きだした建造物の最上階にあり、そこに、フォティンスの現星長ジスカール・ロイストンはいた。

 その人物は中背中肉の男性で、髪の毛には少々白いものが混じり始めている。疲れたように肩を下げているが、その眼はまだ鋭く光っていて、せわしく資料を追っている。

 この星長は、ここ惑星フォティンスに彼らの先祖が到着したときの星長の――第十四代星長だった者の、子孫であることをキースは知っていた。

「失礼します」

 ブウゥンとドアが消えて、白衣を着た女性が現れる。星長がちらりとそちらを見て頷くと、彼女は部屋に足を踏み入れた。彼女の背後でまたブウゥンと音がする。二人はそれを見てはいなかったが、ドアが元に戻ったのだった。

「サー・ジスカール、研究の過程を報告しに参りました」

「ああ、どうだね?」

「順調です」

 短く言い、彼女が星長の機器にデータを送る。

 各所に専門的な用語が踊り、どこか遠い国の言葉のようだったが、キースにはその用語について、理解することが出来た。

 報告書は、退化人類と呼ばれる人々についてのものだった。

 その生体の、研究資料。

 星長は彼とは違ってそれらのデータの数値に関しては理解が出来ないらしく、さらりとそれを読み流し、一番下の報告を見る。二、三行の短い文字列だが、それを読んだ星長の顔がにわかに険しくなった。

 奇妙なものを見るような目つきで彼女を注視する。彼女はぴしっと姿勢を正して立ったままだ。星長をちょっと見下ろす彼女は――彼女がそのような格好になっているのは星長が椅子に座っているせいだ――全くの無言、全くの無表情。

 キースは、星長の表情よりも彼女の態度のほうが気にかかった。彼は、実は彼女は機械なのではないか、などという非常にコミカルな妄想に囚われる。

 そしてどうやら星長も彼と同じ妄想をしているようで、なんとも言えない表情で彼女を見つめている。

 星長は言う。

「これは本当のことかね」

「はい」

 ためらいなく頷く。

 星長はもう一度報告書に目を通す。内容は変わらない。当然だ。唇をきゅっと結んで、じっと立っている彼女に鋭い視線を向けて問う。

「それで君は、例の計画――退化人類撲滅計画に反対する、と?」

「はい」

 やはり一寸の間もなかった。

 しかし彼は、ちょっと待った、とその会話の再生を止める。

 ――退化人類撲滅計画?

 彼は情報を集め始める。

 集めて、知った。

 どうやら政府は一週間後の世界日に、フォティンスに住む退化人類相手に戦争をおっ始める気らしい。

 この計画を推進しているのは、ロジェという人物だ。

 彼は一通り調べ終え、会話の再生に戻る。

「報告書に書いてある通りです。彼らを抹殺するのは得策ではありません」

 彼は顔を伏せ、息を吐いた。

「……退化人類と呼ばれる人々の中には……明らかに我々よりも『進化してきている』人種が混じっている、か」

「はい」

 しかし、顔を上げた彼は彼女をじっと見つめてから首を振った。その表情は厳しいものだった。星長は硬い声で答える。

「いいや、これが本当ならばなおさら彼らを生かしておくわけにはいかん。彼らは我々にとって脅威だ。彼らが己の能力に気が付けば社会は混乱するだろう。遠からぬうちに我々が彼らに取って代わられるのは必至だ……そんな事態は『許されるべきではない』のだ」

 彼女は一瞬だけぴくりと眉を上げたが、すぐに無表情に戻った。

「では『彼ら』はどうしますか」

 研究に使われた人材のことだ。

「処分しろ」

 星長は言い放った。言って、彼女の表情を窺うが、その顔に変化はない。ただじっと考えるように立っているのみだった。

 この命令に彼女は何を思っているだろうか? 彼には分からない。

 やおら彼女は口を開いた。

「処分の方法は?」

「任せる」

 彼女は頷いて星長に礼をした。

「承知しました。……失礼します」

 ブウゥンと消えるドアをくぐり、かつかつと廊下を歩いていく。少し後にまたドアが現れ、部屋の中は何事もなかったかのようにしんと静まりかえった。

 星長はドアの方を睨んでいたが、やがて深くため息をついた。

 それから、機器を操作して一枚の画像を呼び出す。にこやかに笑う女性の肩を抱く、今よりもずっと若い頃の星長――ジスカールと、二人の前に立つ子どもたち。子どもたちの片方は何かに気を取られるように横を向いた少年で、もう片方はフラッシュに目を瞑ってしまっている少女だ。

 見つめる星長の口元にはほのかな笑みが浮かんでいる。

 キースは、その写真に写る少年のことを――今は青年となっているその人物のことを、よく知っていた。

 ――ハラルド・コフィ・ロイストン。

 ルシアの主治医の青年だ。

 星長は、息子とは五、六年前に縁を切っていた。ハラルドが医者になると言って聞かなかったのでジスカールは自分の地位を利用して親子関係を葬ったのだ。――絶縁されているため、フォティンスのデータ上ではハラルドの名はハラルド・コフィとなっていたか、とキースは思い出す。

 星長とハラルドの関係を記していたデータは一片も残っていないが――しかしキースは彼らの親子関係の事実を彼らの遺伝情報から知り、絶縁に至った理由にたどり着いた。

 いや、しかし絶縁したとはいえ、星長はしばしば密かにハラルドの近辺について調べているらしい。

 ――ルシア・カーペンター。

 彼の主人であるルシアのデータが、星長の収集したデータの中にあった。

 どうやら星長は自分の娘と同じ名を持つルシアの存在が気になっているらしい。――そして、ハラルドが医者となってこのルシアの主治医となっていることも。

 写真に写る少女が、ルシア・ロイストンだ。

 この少女もまた、退化人類だ。

 キースはルシア・ロイストンが集中治療室で眠り続けていて、ハラルドはそもそもこのルシアを治療するために医者を目指したのだということを知っていた。

 そして、ハラルドが彼の主人であるルシア・カーペンターを、妹であるルシア・ロイストンと重ね合わせてみていることも。

 星長はまたため息をつく。

 キースの予想については星長も同じように考えているらしい。

 二人のルシアと、ハラルドの関係を。

 ほうっと、星長が再び深くため息をついたまさにその瞬間、けたたましい音が部屋中に鳴り響いた。

 びくっと肩を上げて機器を見ると、通信が入っていた。

 未登録。機器にはそう表示してあった。こんなこと――未登録で星長に直接通信するようなことは、キースの知る限りでは異例中の異例と言えることだが、この不思議な人物について、彼は今し方調べたばかりだった。

「サー・ジスカール? お休みでしたか」

 案の定。

 出てきたのはロジェという男だ。

 人類撲滅計画を指揮している人物。

 星長はロジェの素性についてあまり気にしていないようで、政府のデータ上にはほとんど有益な情報が見あたらないが、彼はこの人物について、意外なところでその情報を見つけていた。

 地上都市。

 ――ロジェという人物は退化人類だった。

 この男は空中都市で退化人類撲滅計画を練ると同時に、地上都市に民間人の武装兵力を集結させていた。

 退化人類撲滅計画が引き起こされる前に、この地上の兵団をぶつけて政府を潰すつもりらしい。

 スパイ。

 とんだ食わせ者だ。

 にこやかに笑う男に、彼は首を振ってみせる。

「いいや、まだ起きていた。……文書を整理しているところだ」

「そうですか、お仕事中失礼致しまして……」

 男は深く頭を下げた。申し訳ないなどと本気で思っているわけではないような表情が感じ取れるが、星長は一応頷いている。

「用件は?」

「はい……例の計画の準備がすべて整ったのでご報告に。あとはサー・ジスカールのご命令をいただくだけです。……どうします? 時期を繰り上げてみますか?」

 やはり笑ったままの男を見て、星長は顔をしかめた。

 ……この男のことはどうも好きになれない、というような表情。

 なんだかさっさと戦争を押っ始めたいと主張しているようにも見える。

 キースはこの男の計画についてすべてを知っていたが、星長にそれを悟らせないようにしているのはなかなかの技量だな、とひそかに感心する。

 嫌悪感をあらわにして星長は答える。

「開始の日を変える予定はない。きっかり一週間後、世界日だ」

「そうですか。了解しました」

 言いながら男は眼を細めて少し口元をつり上げた。

 蔑むような笑みだ。

 どうやらこの男も星長のことを嫌っているらしい。それを隠そうとしないのは、この計画から外されることはないと確信しているからだろうか。

 ……事実その通り、信頼関係を築こうという考えは毛頭ないにしても、星長はロジェを外そうとは思っていないらしかった。その能力だけ提供してくれればいいという考えらしい。

「では計画は一週間後、それまで何かあればこちらから連絡いたします……まあ、何も起こらないでしょうがね……。これでよろしいでしょうか?」

「ああ」

 怒りを抑えて答える。

「了解しました。……ではまた一週間後」

 男は星長に優雅に一礼してみせる。一瞬後、窓がふっと消えた。

 星長は疲れたように頭を振り、椅子をくるりと回転させて大きな窓の方へ向けた。

 ぼうっと漆黒の夜空を眺め尽くしたあと、星長は出しっぱなしにしてあった画像に目を向ける。

 古いものだが、家族の全員が写った画像はこれだけだ。妻とは死別、ハラルドは宣言した通り医者になり、星長も随分と老けてしまっている。そしてルシアは……集中治療室を出ることがない。

 星長が退化人類撲滅計画を企てた理由はなんなのだろうか?

 彼は思う。

 大事そうに眺めている写真のルシア、星長の娘は、退化人類だ。

 ――しかし彼があれこれデータを収集しても推測してみてもその理由にはたどり着くことはできず、やがて星長が寂しげに笑ってその画像を閉じたのを見届けて、彼は、懸念する他のデータの再生へと労力を回すことにした。


 ***


 キースが再生しているのは地上都市での出来事だった。

 一人の男がぼうっと頬杖を突いて変わりのない画面を見つめている。

「ふぁあ……」

 あくびが出る。

 こんな朝早くから行っている当番というのはひたすら手紙を待つだけという、退屈な仕事だった。

 地上都市。

 倒壊しかけた建物を本拠地として彼らは生活をしていた。都市から発掘されるものを他の地上都市、あるいは空中都市に運び、取引する。彼らが住まう建物は元々高度な医療施設であったらしく、貴重な遺物が多々ある。

 比較的規模の大きな集団となってきているため、彼らは新たな人員を募集していた。そして彼はその履歴書を確認して、返信する役割を負っていた。

 しかし……それは滅多にくるものではなかった。募集の内容が問題なのだ。

「うーん」

 彼は立ち上がって伸びをした。指先が崩れかけた天井をかすって細かな破片がぱらぱらと落ちてくる。身長は、二メートル半を超えていた。年々成長し続けて、やたらとひょろ長い体型になってしまっているが、……まだまだ伸びる。

 この長身は成長ホルモンの分泌異常によるものなのだそうだ。彼は退化人類と俗称される人々の中に含まれていた。

 そう、募集の内容には「退化人類の方も歓迎」という一文が含まれているのだ。

 このため、一般人はよほどのことがない限り、これを無視する。技術が発達している現在でも宇宙船生活時代の風潮は根強く受け継がれているのだ。

 一方、退化人類と呼ばれる人々からの応募も少ない。これは、かの人々のほとんどは保護者に行動を厳しく制限されていて、この広告を目にすることがないためだった。保護者が退化人類に対して寛容な場合にのみ、来る。

 キースがこのデータの再生を行っているのは、彼らが、ロジェの――退化人類撲滅計画に反対する集団の、地上都市に集められた兵である……ということを突き止めたからだった。

 ――それと、もう一つ。

 いや、二つ。

 ……いや、三つか?

「ビーッ!」

 しばらくの時間が経ったのち、窓が出現して、無表情な顔をした女性が現れた。

「こんにちは。いらっしゃいますか」

「ふッ?」

 突然鳴った音と窓に現れた女性に、男は伸びをした姿勢のままびくりと奇声を上げる。

「どうかなさいましたか?」

 やや怪訝そうな顔をする女性。

「いいえ、ちょっとね。……あなた様はどちらさんでしょう?」

 男はその女性に尋ねた。

 彼女は仲間ではない。こざっぱりした服の上に、清潔そうな白衣を身につけている。軽く波打った見事な鳶色の髪に、きゅっと口元の下がった無表情な顔。それに対応するような無表情な声。彼らの仲間にはこんな女性はいないはずだ。

 しかしキースは、彼女について見覚えがある。

 これが懸念する理由の、二つ目。

 ――彼女は星長と会話していた、退化人類について生体研究していた研究員だった。

 男は言う。

「まさか貴婦人。あなたがこの仕事に応募しようってんじゃないでしょうね。駄目、無理ですよ。俺たちは見ての通り、小汚い劣等市民なんですから」

 男の卑下に、彼女はぴくりと眉を上げた。それからまた無表情に戻って彼を上から下へをじっくりと観察して言う。

「なるほど。退化人類ですね」

 彼はむっと口をへの字に曲げた。

 いくらなんでも……、こんなふうに面と向かってその言葉を吐く者は少ない。

 男は、この女性も退化人類を徹底的に差別しなくては気が済まないような人種なのだろうか? と考えているらしい。

 通信を切ってしまおうという動作に移る。

 しかし彼女は思いも寄らなかったことを言った。

「あなたが自分を貶める分には構いませんが……彼らはあなたが思っているよりも優秀な能力を持っています。勝手な妄想を抱いているようなら、改めたほうがいいでしょう」

 彼は驚いた。

「あの、あんた……」

 どうも思っていたのとは違う人種のようだ、と男は思い至ったらしい。

 いや、そもそもこうやってここに通信してくるくらいなのだから、この仕事がどんな者たちのためのものなのかは分かっていたに違いないのだ。……しかし彼女はどうも退化人類ではない。

 何者なのだろう? と男が彼女を見やる。

 じっと見つめるが、表情は読めない。

 男は尋ねた。

「あんたってもしかして機械なのか?」

 祖先が地球を旅立つ少し前からフォティンスに定住し始めるまでの一時期、地球の文書に見られるような人型機械が流行ったことがあった。人と同じように思考する機器。高度に発達した技術では、それを生み出すことは容易いことだった。祖先らはすでに人工知性と名乗るにふさわしいものを開発していたし、あとはそれを人の形に整えた機器に組み込むだけであったのだから。

 しかし、だ。

 人型機械は一時の大流行のあとにはすっかりと廃れてしまった。祖先らの技術の前においては、それを作る意味がなかったのだ。小型の機器が発達したため、かの機械にわざわざそれをやらせるよりは自分で仕事をした方が消費する電力が少なく済んだ。

 かくして非効率的なそれらは、一部の養護施設を除いてはめっきり目に付くことがなくなってしまった。人工知性は相変わらずの繁栄ぶりを見せつけているが、人型機械は天然記念物並みに珍しい。

「人を馬鹿にするのはいい加減にしてくれませんか」

 彼女は無表情に答えた。やや声を落としていることで、怒っているのだと知れる。どうやらまったく感情がないというわけではなく、極端に乏しいだけのようだ。

「私はれっきとした人類です。フォティンス第一等級研究所の研究員ですが?」

「フォティンス……研究員?」

 頷く。

 キースは知っていてこのデータを再生したのだが、それを知らなかったこの男は、青ざめた表情で身構えた。

 退化人類を嫌っているのは何よりもフォティンス政府のはずだ。

 そして第一等級研究所は政府直属の研究所であるはずで……。

「何の用だ?」

 どうにか落ち着こうとしたのだが、それはあまり成功しなかったようだ。驚くほど声が硬くなっている。

「雇ってもらいたいのです。……私ではありませんよ、退化人類と呼ばれる人です。年齢は十から四十三まで、男女比は六対七……十三人です」

「何だって?」

「我々の研究所の退化人類を十三人雇ってください」

 聞き返すその言葉に、キースは男が「どうして研究所に退化人類がいるのか」と――あるいは「退化人類をなんのために研究所なんかに置いているんだ」と訊こうとしていることが分かったが、この女研究員は勘違いしたようだ。そのままそれについては説明することなく、さっさと話を進めてしまう。

「彼らのことは私が責任を持って護送しますから、ご心配なく。あなたは採用か不採用かを判定してくれればいいのです。時間がないので手短に願いたいのですが」

「ちょ……ちょっと待ってくれ! そんなこと言われたって……、あんたが第一研究所の奴だってんなら、俺らがそう軽々しく採用したりしないだろうってことくらい見当付くだろう? 政府は一体何が目的なんだ?」

 男としては、この応募を受けて政府の息がかかった者を自分たちのところに置くことも無碍に断って下手な疑いを招くこともごめんだろう。

 なにしろこの募集の真の目的は、政府を潰す抵抗勢力を集めることなのだから。

 ――地上都市でも退化人類ばかりを集める集団は、ありはしない。やはり雇うならば仕事に不都合がない者であるほうが望ましいし、そう言った面では健常人であることはなによりも有利な点である。

 にも関わらず彼らが退化人類ばかりを集めているのは、そのほうが、安全だからだ。

 退化人類撲滅計画で滅ぼされるのは退化人類であるから、裏切られることもないし士気も上がる。

 それを、彼女は見破っているのだ、と男は思っているらしい。

 キースも同感だ。

 この時期にこのタイミングで彼女がここへ連絡してきたのには、なにか裏があると睨んでいて――。

「政府?」

 彼女は首を傾げる。

「何故そこに政府が絡んでくるのですか? 私はサー・ジスカールに実験体を処分しろと言われたのであなた方に払い下げようとしているだけです。まあ、あなた方が採用してくれないのなら、焼却処分することになるのでしょうが……」

「待った。実験体って……処分って何なんだ?」

 わけが分からない。

 彼女は息を吐いて呆れたような男で彼を見た。

「まさか退化人類が研究員として働いていると思ったわけではないでしょう? 我々は彼らの研究をしていたのです。数が少ないのは、他の者は実験で死んだからですよ」

 それからゆっくりと言った。

「もう一度言いますが、あなた方が採用してくれないのなら彼らも焼却処分されることになりますよ」

「人でなしッ……! あんたそれでも……」

 人なのか、と言おうとしたらしい。

 しかし、先程彼女がはっきりとした返答をしていたのを――機械? 失敬な、と――思い出したのか、言葉を飲み込む。

 唸ってみたが言葉が続かず、代わりに罵倒の文句を並べる。彼のわめき声を聞きながら彼女はまた息を吐いた。

「それをあなたが言いますか? 私が彼らを焼却処分すると言っているのに、引き取ろうとしないあなたが? 強情な人ですね。これでは何のためにこうやって通信しているのかが分からない。……採用しないのですか? ではもう切りますが」

「ま……待て! そんなこと言われたって、ロジェさんに相談しないことには……」

 キースは彼女が「ロジェ」という言葉に一瞬だけぴくりと眉を上げたのを見逃さない。

「時間がないのです」

「でも……!」

 二人は互いに譲ろうとせず、画面越しにじっと睨み合った。やがて彼女の方がふっと目をそらして冷めたような表情で呟く。

「分かりました。やはり焼却処分ということですね」

 ――ぷつん。

 その一言で男の中で何かが切れたようだった。

「だぁあっ! 分かったよ、採用するから!」

 半ば投げやりに叫んだ。

 彼女は初めて――笑みを浮かべた。にやり、といたずらが成功したときの子どもが見せるような表情。

 一瞬だったが。

 ――はめられた。そう思ったようだがもう遅い。やはりすべて知っていたのだろう。今からロジェに相談したのでは政府に「怪しい」と大っぴらに認定されて潰される口実になるから、彼女が送ってくる退化人類を受け入れて探られつつ探りつつ「僕らはまっとうな一般団体です」とはたから見えるように振る舞わなければならない。

 ぐっと言葉を飲み込んで彼女を恨めしげに見る。

 しかしそれでは収まらないので、悪態。

 ――あーあ、可哀想な俺。

 ぶつぶつぶつと男は呟いている。

 彼女は無表情に戻って言った。

「ではそちらに履歴書を送るので確認してください」

 あらかじめ用意をしておいたのだろう。十四通の手紙が一気に届く。

 ……十四通。

 男は確認する。

 一通だけ別の場所から転送されていた。差出人はルシア・カーペンター、保護者はハラルド・コフィ。

 ルシア。

 そう、これが懸念の三つ目。

 うっかりキースがハラルドのデータを偽造したときには気が付かなかったが、この抵抗勢力は、ルシアが仕事先として赴く地上都市の一団で。

 こればかりは墓穴を掘ってしまったとしか言いようがないが……いや、この案件を見つけてきたのはルシアで、キースもこの集団についてはきな臭いと思ってはいたが……ともかく、嫌な予感しかしない。

 男は呟く。 

「ハラルド・コフィ? どこかで聞いたことがあるような……」

 ぴくり、とまた彼女が眉を上げる。

 どうやら彼女もジスカールとハラルドの関係を知っているらしい。

 しかし特に不審なところはないので――キースがこのデータを偽造したのだから、当然だ――男は研究所から送られてきたものを確認するついでにざっと目を通してそれにも返信。

 採用。

 まあ、文句は言われないはずだよな。……ぶつぶつぶつ、と男が呟く。

「……これでいいのか?」

「はい」

 頷く。

 男は回線を閉じようとして、ふと思いとどまった。湧き上がった小さな疑問を彼女に訊いてみる。

「なあ、あんたって間違いなく第一研究所の奴なんだよな?」

 彼女は無表情に見つめ返してくる。……呆れられているのだろうか。そりゃそうだ、手紙の差出人は何度目を通しても確かにフォティンス第一等級研究所と明記してある。

 このデータを偽造するのは難しい。いや、そもそもキースのようなよほどの技術者でなければデータの偽造など思いつかないだろう。だからこの女性の身元は確認するまでもない、明らかに第一等級研究所の研究員だ。

 しかし――。

「しかしそれなら、どうしてこんなわけの分からないことをしてるんだ」

「サー・ジスカールに実験体を処分するように命令されたからですよ」

 至極当然のように答える。

 ここに払い下げようという意思には政府は関わっていないと言っていたか。

 しかし当然、男はそんなことを真実だとは思っていないのだ。

 男はおずおずと、挑発してみる。

「もしかしてあんた……俺たちがどんな『仕事』をする予定か知らないで通信してきたのか?」

 一笑されるだろうと――いや、すべて承知の上で連絡してきたのだろうから、一笑すらされないだろうと思っていたのたが――。

「知っていますよ。退化人類撲滅計画に抵抗する武装勢力でしょう?」

 ……予想外の――予想以上の答えが返ってきた。

 なぜそれを今ここで明かす? とキースは彼女の返答が不思議でならない。

 男も心底驚いた顔をする。

「あんた……ちょ、それ、退化人類撲滅計画のことも……?」

 退化人類撲滅計画を知るのは星長とロジェと、政府に数人と、それからロジェが率いる地上都市の数人のみで――。

 思ったよりもまずい人物に当たってしまったかもしれない。

 キースはそう思って、再生を中断して彼女について調べてみる。

 彼女は、彼女の言う通り、フォティンス第一等級研究所の研究員として働いていて――しかし、それ以外に、情報がない。

 それが逆に不自然。

 キースは再生に戻る。

「おい、ちょっと待て」

「ですから、時間がないと何度も――」

 彼女はため息。

「切ります」

 ぶつん、と窓が消える。

「おい」

 男はなおも呼びかけ、やがて諦めたようにため息をつくと、ロジェに研究員のことと彼女の研究所の退化人類を受け入れることを告げた。


 ***


 地上都市の男とロジェとの会話からは有用な情報は得られなかったが、懸念することの四つ目が、ロジェにあるので、キースはロジェの行動を追った。

 日付が変わって、今日――先程の出来事だ。

「あの野郎ォ、人のこと見下しやがってっ。やっぱりこっちのことなんか信用してなかったんだ……航空機器の一般使用を禁止するだァ? くそっ。ふざけてる、ふざけてる、ふざけすぎてる!」

「ロジェ」

「そもそも何であんなクズに敬語なんて使ってやらなきゃならねェんだ? おお、思いだしたら自分でも身震いするっ」

「ロジェ」

「ああーいつかあのしかめ面に卵を投げつけてやりたい。……いや、最近は卵なんて単品じゃあ売ってないもんな。ふむ、どうしよう。きっとこれもあいつの陰謀に違いない。ジスカールめ、俺様が諦めると思うなよ」

「ロジェ」

「……なんだ?」

 ハラルドの存在にやっと気が付いたという感じできょとんと見つめてくるロジェに、ハラルドは頭を押さえてはぁっと息を吐いた。

 ハラルドと、ロジェ。

 この組み合わせはいったいどういうことかとキースは不思議に思うが、どうやら二人は友人らしい。

 地上都市の男がハラルドの名に引っかかったのも、彼がロジェの友人だからだ。

「ここは僕の部屋なんだが」

「知ってるぜ?」

 ロジェは何を言っているんだというふうに目を瞬かせる。

「はぁ……」

 ハラルドはもう一度息を吐いて呆れた目で友人を見た。「わざわざ愚痴を言いに来たのか?」

 鬱憤が溜まるといつもこうやってここに来るようだ。

 キースが調べたところによるとロジェはハラルドがジスカールの息子であることを知らないようで、ハラルドの素性を調べるようなことはしていないらしい。

 一方ハラルドは、ロジェが退化人類でジスカールのもとに潜り込んでいる地上都市のスパイであることを知っていて――ロジェが自ら打ち明けたらしい――、自分の父親の悪口をしょっちゅう聞かされているわけだが、いったいどういう心持ちなのだろうとキースは少し気になる。

 ――いや、案外ハラルドもロジェと同じ心境なのかもしれない、とキースはハラルドの表情を見て思う。

 くそ親父、と思っているのかもしれない。

 そんな表情だ。

 ロジェはハラルドの言葉に首を振った。

「いや、風呂借りに来た。ここしばらく空中都市とはお別れなもんだからさー」

 そう言うなりロジェはハラルドに反論の時間を与えずさっさと靴と靴下を脱ぎ捨ててしまう。

 苦笑と共にその後ろ姿を見送るハラルド。これも慣れているらしい。

 彼は機器を操作してニュースの画面を開いた。

『この暴動は先日政府が発表した退化人類に対する規制策に抗議するものだということです。暴動は鎮圧されましたが、暴徒、警察官に多数の死傷者が出ている模様です』

「規制策?」

 心配そうに呟いた彼の声に反応して、機器は該当する資料をぱっと開いた。

 ……退化人類に対する規制策。

 ルシアも退化人類なのだ。主治医であるハラルドも、一応知っておかなくては後々何があるか分からないので、目を通すことにしたようだ。

 いくつかの項目に分かれているらしく、ハラルドは上から順に目を通していく。

 読み進めるうちにハラルドは表情を消していった。

「…………」

 無言で別の画面を開く。ルシアの手紙が入っている場所を探り当て、保護者の権限で開示を求めた。

 ハラルドは険しい顔でそれを見つめた。

 送信された手紙は、最新の日付が昨日になっている……つまり、この規制策が発動された後だ。

 例の、キースがハラルドのデータを偽造して送った手紙。

 まじまじと目を通し――。

 ハラルドはその手紙が「保護者ハラルド・コフィ」の署名付きで、ロジェの基地に送られているのを確認したようだった。

「ロジェ!」

「うわっ」

 バンッとドアを開けて現れたハラルドに驚いてロジェは声を上げた。手元が狂い、シャワーの水を全開にしてしまう。

「ぎゃっ冷て!」

 まともに冷水を浴びて驚いているロジェに構わず、ハラルドは怒気を含んだ声で言う。

「なんて事をしてくれたんだ! きみがそんなに卑怯な奴だとは思わなかった……ルシアを巻き込んでデータの偽造を手伝うなんてどういう事だ?」

「な、何の話だ?」

 友人は戸惑った顔で問いながら機器を操作して水温を調節する。

「ルシアって、ルシア・カーペンターとかいう女の子のことか? 確かに昨日の採用者の一覧にそんな名前があったが……お前とどういう関係なんだ。彼女なのか?」

「しらばっくれるな」

「し、しばかり……?」

 本気で悩む顔をして、ぽんと手を打つ。

「おお、『しらばっくれるな』か。……何の話だ? どこも不審なところはなかったような気がするんだが、何か問題でもあんのか?」

「……僕は彼女の保護者だ」

「ハラルド。お前いつから年頃の女の子の手紙を覗くような変態になったんだ?」

「ロジェッ!」

 彼の剣幕に友人はちょっと肩を竦めてみせた。

「冗談だって……いや、結構本気で心配してるんだが……。ふむん、確かにルシア・カーペンターっていう女の子が登録されているようだ。保護者はハラルド・コフィ……お前だな。やっぱり不審なところはないぜ? データの偽造なんて俺様でも無理だってのに、こんな女の子に出来るはずがねェだろう。お前が酔ってオーケイ出しちまったんじゃねェのか?」

「僕は酒は飲まない」

「うん、まあ知ってるけど」

 言ってロジェを睨み付けて、やっと落ち着いたようだ。

 はあ、とハラルドがため息をつく。

「ロジェ」

「……何だ?」

「僕も地上に行く」

 厄介な、と会話を再生していたキースは思う。

 昇降機の稼働表によれば、稼働の予定日は今日になっているのだ。昼から搭乗。その次は……今のところ世界日を過ぎるまでは動かないらしい。

 となると、このままいけば昇降機の乗り場でルシアとハラルドが鉢合わせることになるわけで。

 ばちん、とデータの再生をやめた。

「キース? 準備できた? 今日は随分と走査に時間がかかってたようだけど」

 いつもよりもやや上等の服を着たルシアがそう言う。

 こちらの気も知らないで……とキースはやや浮ついた気持ちらしい自分の主人に言ってやりたい衝動に駆られる。

「ルシア。実は――」

 それを言う代わりに、彼はハラルドの行動について主人に警告しようと言いかける。

 しかし。

「ほらほら、準備できたんなら、遅れるから、早く行くよ? 昇降機は今日を逃したらしばらく動かないんだから」

「いや待――」

「私のほうは準備が整ったから。荷物はこれで充分だよね? 暇なら運ぶの手伝ってほしいんだけど」

「ルシア」

「じゃ、鍵締めるから」

 せき立てられて、言いそびれた。

「こちらの気も知らないで……」

 キースはついにそう呟いた。


 ***


「うっ」

 せり上がる。

「っえええ……、がほ、がほっ、うっ……」

 めまい。

「あらあらお兄ちゃん、大丈夫?」

 道端でうずくまっているイアンに近寄って声をかけてきた親切なおばちゃんを、イアンはすがるような目で見て、しかし大丈夫だと返答する。

「よければ病院まで連れて行くけどお~」

「だ……大丈夫ですっ」

 今度は蒼白な顔で、ぶんぶんと首を振って拒否した。

 病院は無理だ。

 こんな道端ですら、イアンにとっては危険だというのに。

 ――イアンの横を走行機器が走り抜ける。

 イアンは「ひえええ」と情けない悲鳴を上げて、また吐き気をこらえる。

 騒音。

 まだ頭ががんがんするような気がしてイアンは耳を押さえて頭を振る。

 ――特殊な質の「声」を使うイアンたちの船では、「声」の邪魔にならないようにすべての機器はほぼ無音で作動するようになっているから、イアンにとっては、この星の機器はうるさすぎるのだ。

 もしやこの星の住民は根本的に身体のつくりが異なるのではないかとも疑ったが、イアンが接触を試みた者たちが、星長であるリアには到底及ばない微弱な質のイアンの「声」にもしっかりと反応しているところを見ると、基本的な部分はおおむね変わらないつくりをしているようだ。

 耳が潰れそうだ。

「あの、どこか、ここよりも静かな場所はありませんか?」

 イアンは涙目で尋ねる。「ここよりも機器の少ない場所は」

「ここよりも機器の少ない場所。……って言ったら、やっぱり地上都市かしらねえ」

 頬に片手を当てて考えながら、そう言う。

 地上都市?

「地上って、住めるんですか?」

「そりゃ、住めるわよさ。ああ、治安って意味で聞いたんなら、ちょっと物騒ではあるだろうけれども」

 イアンがぱっと顔を輝かす。

「ありがとうございます。僕、地上都市に行ってみます」

 今にも走りださんイアンにおばちゃんは引き留める。

「あ、ちょっと。地上都市に行く昇降機はあっちよ? 荷物を取りに戻るのかしら? でも、昇降機は今日の昼を過ぎたら、しばらく動かないわよ。荷物はあっちでご両親に送ってもらったら?」

「いえ、僕は昇降機は使わないです。両親はここよりもずっと空の上だし」

「え?」

「今の言葉は忘れてください。いや、僕のことも。ありがとう」

 イアンは駆けだした。

 しばらくイアンの去った方角を見つめて首を傾げていたおばちゃんだったが、やがてふと、「はて、私は誰と話していたかしら?」というような、狐につままれたような表情で自分の仕事へと戻った。

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