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二章

 二章


 清々しい朝の雰囲気でルシアは目を覚ました。

「おはようルシア」

「うん。おはようキース」

 彼女の気配で相棒が凍結モードを解除して動き出した。うーんと伸びをしているとキースはルシアに向かって言う。

「起きたならその寝巻きを脱いでくれ。この天気ならば洗濯しても今日中に乾くだろう」

「え? 当たり前じゃない。……それって天気に関係あるの?」

 キースの言葉にきょとんとして問う。機器に放り込めば五分で乾くはずだ。ルシアは相棒が故障したのではないかと心配になった。彼は時たまこういうわけの分からないことを口走るのだ。

 えいっと彼を捕まえて、ルシアはその「眼」を覗き込んだ。彼は脚をばたばたさせて彼女の手から逃げようとする。しかし本体が掴まれているので為す術がない。彼には主人を攻撃するようなプログラムは組み込まれていなかったから。

「ルシア、洗濯物は本来、日光で乾かすものだ」

「ええ~っ? 聞いたことないわよ。キース、あんた壊れたんじゃない? ほら、今すぐ走査しなさい。最近ちゃんと調べてなかったからなー……バグが見つかるかも」

「わたしは毎日凍結モードを解除したら走査する。バグは見つかっていない」

 本当だろうか? 彼女は半信半疑で相棒を見ながらも、床に放してやった。彼は床に降りるとルシアの前でくるくると回って見せてから「眼」を絞ったり開いたりした。その一連の動作はいつも通り滑らかだ。確かに、問題はなさそうだ。

「……まあ、そう言うことにしといてあげる。でも寝巻きは部屋には干さないからね」

 彼女は普段着に着替えて寝巻きは機器に投げ込んだ。キースは端末に接続して彼女のための朝食を注文した。機器から朝食が出てきて、彼はそれを机に運ぶ。ルシアは椅子に着き、それを摂った。

 いつものように相棒もエネルギー充填のため初めの一分ほどは彼女の向かい側でじっとしている。

 高度化された巨大な機械都市であるここにおいても、少女と機械の二人きりの食卓というのは奇妙な風景である。機械は主人と共に食事――補給したりはしない。

 しかし彼女らにとってはこれがごく当たり前の風景だった。熱いココアに苦戦しつつ、ルシアは補給を終えた相棒を目で追っている。彼は機器から吐き出された寝巻きをきれいに畳んでベッドの上に持って行く。

「ねえキース、昨日のあれのことなんだけど……」

「食べながら喋るのは行儀が悪い」

 彼女は無視する。

「あの条件、なかなかいいと思わない?」

 しばしの沈黙。

「確かにその仕事は好条件だ。きみにとっても申し分ないものだな。しかし敢えて言うとすれば……少々きな臭い感じがする」

 昨日彼女が相棒と調べていた仕事のことだ。その中で一つ、「退化人類の方もどうぞ」といった感じの見出しがあったのだ。中身を開いて見れば……これがまた破格の待遇。三食住居付き。光熱費もあちらが持つという。

「う……。でもっ、でもさ、ちょっとおかしいなとは思うけど……こんな条件なかなかみつからないじゃない? ていうか、ないじゃない? 特にいかがわしいような感じの内容でもないしさ」

 自分に言い聞かせてから、おずおずと問う。

「キースはやっぱり反対?」

「データ量が少なすぎる。これ以上の判断は困難だ。よってこの仕事を受けるか受けないかはきみが決めることになる……受けないのか?」

「……受ける」

 なにやら上手く問いを回避されてしまったような気がしないでもないが、ともかく彼は自分の意見を尊重してくれるようだ。

「手紙を出しておくか?」

「うん」

 頷きながら野菜に手をつける。相棒は送られてきた手紙を機器から引っ張り出して表示させた。彼女は食べながらそれを読む。やはりというか……ことごとく不採用だ。レタスを口に入れたまま溜め息をつきそうになり、ルシアは慌てて口を噤む。

 相棒はいつもルシアがやっているように送られてきた手紙に書いてある社名を一覧に書きとめてから、手紙の本文を圧縮してファイル群に放り込む。

「ルシア。これですべての社から返事が返ってきたようだ」

「ふぇえ」

 味気ないトーストをパクつきながらルシアが相槌を打つ。

 ならばまた別な所に履歴書を出さなくてはならない。なんと言っても世界日はあと一週間足らずでやって来る。これを逃せば一年間無職なのはほぼ確定だ。

 最後の一欠片を飲み込んで、彼女は朝食を終えた。立ち上がって食器を片付ようとすると、相棒も手伝ってくれた。洗うのは機器に任せて、自分は昨日のデータを呼び出す。

「うん、まだ締め切ってはいないみたい」

 ――では早速。

 彼女は機器を操作してデータを転送しようとした……が。

 しかあい。

『あなたの単独操作は認められていません。保護者の方の許可を得てください』

「はい?」

 いきなりの短い警告音とともに流れてきた無機質な音声に、ルシアは眼を瞬いた。キュル、と相棒も「首」を傾げる。何を勘違いしたのか、きょとんとしている二人に機器が説明を始める。

『本日より政府の退化人類に対する規制策が発動されました。退化人類に類別される方は保護者の許可を得なければこのデータの転送はできません』

 絶句。それからはっと気付いて、案内に食ってかかった。

「な、なんで? そんなのおかしいじゃない! 昨日まで普通にやってたことを、いきなり取り締まったりして……事件の一つもなかったのにっ」

 案内は無表情に答える。

『退化人類の社会適応能力が一般人に比べて劣っていることは統計からも明らかです。星長はあなた方の行動を制限することによって事故を未然に防ごうという考えを公表なされています』

 説明を聞いていたルシアはさあっと青ざめて、下を向いた。

 案内は細かな内容やら日付やらを説明した後、機器をぷつんと強制終了させた。沈黙が部屋の中を支配する。空調設備は正常なはずなのに、寒々しい空気が降りてきたように感じる。

「――ルシア」

 無言で俯いたままの彼女にキースが声をかける。返事はない。

「ルシア」

 言いながら、彼女がかたかたと小刻みに震えているのに気が付いた。その表情は見えないが、泣いているように見えなくもない。

 しかし。

「…………」

 キースは無言で回避行動をとる。彼の経験からすると、これは危険な兆候だった。彼女は泣いているのではなく……いや、ともかく危険だ。音を立てないようにルシアから離れていく。

「ちょっと。待ちなさいキース」

 ……鷲掴み。ルシアの顔には不気味な笑顔が浮かんでいた。

「ルシア、落ち着け」

「あら、私はと~っても落ち着いてるわよ」

 キースがまたじたばたと暴れる。しかしルシアは放そうとしない。にこにこと笑ったまま相棒に話しかける。

「それでね……ちょっと協力してほしいのよね。保護者がどうとか言ってたわよね……てことは、保護者のデータがあればいいってことでしょ? キース、ちょっとハラルド先生のフリしてよ」

「……それはつまり彼のデータを偽造しろと言うわけか?」

「そうそう……あっ、ちょっとキース! こんな所で寝ないでよ」

 ルシアの返答を聞くや否や凍結モードに入ろうとした相棒に、彼女は機器を使って管理者権限で回路に割り込みを掛け、強制的に「叩き起こす」。衝撃を食らった彼はランプを点滅させて抗議した。

 しかし彼女はそれを無視してさっさと相棒を端末に接続してしまう。

「ほら、拗ねてないでちゃんとする!」

「データの偽造は犯罪だぞ」

 彼は指摘する。至極もっともな意見なのだが……彼女は反応しない。いや、反応することができなかった。――脱力感。

 ああ、また発作が起こったんだ――彼女は力の入らない自分の両腕を見つめてそんなことを考える。腕だけではない、全身から力が抜けきってしまっている。

 相棒はその様子に気が付いたようだった。「首」をめぐらせて彼女を見つめる。

「ルシア」

「……うん?」

 脱力感から回復した彼女は相棒の呼びかけにはっきりと応答して笑みを向ける。微妙にその感覚が残っているが、本格的なものは先程の数秒間だけだ。どうやら今回は軽度で済んだらしい。

「なーに? 真似してくれる気になってくれた?」

 微笑む彼女に彼はぴしゃりとはねつける。

「だから、それは犯罪だと言っている……ルシア、しらばっくれるな。また発作が起きたのだろう? きみは今朝薬を飲んでいないからな。わたしはいつもあれほど起きたらすぐに飲めと言っているというのに、きみは――」

 きょとんとする。

「は? しばかり……?」

「……わたしにはフォティンスの教育課程に問題があるのか、きみの思考回路が独特なのか判断できない」

 ルシアは憮然として呟く。

「なんだか馬鹿にされた気分……」

 相棒は「眼」をそらして沈黙する……知らん顔された。

 ふうっと息を吐いて彼女は立ち上がった。相棒をそっと下ろし、機器に入力して彼女の主治医が調合した薬を取り出す。

「やっぱりこれじゃあ駄目だよね……こんなふらふらしてる奴なんて危なっかしくてしょうがないもんね。雇ってくれる人なんていないか……」

 自虐的な呟き。相棒が反論の言葉を探している間に、彼女は彼に笑いかけている。

「じゃあちょっと薬飲んでくるね」

 そう言いながら部屋を出た。洗面所に向かう。

 薬を飲むついでに歯磨きもしておこうと思ったからだ……いや、歯磨きのついでに薬を飲むのだろうか? ともかく彼女はコップを取り出し、水を注いだ。

 ――誰か歯を磨かなくてもいいような料理を考えてくれてもいいのになぁ。彼女はぼんやりとそんなことを考える。

 実を言えば、以前それらしきものが携帯食らしき形で開発されたことがあったにはあったのだが、ひどく不人気であったため製造が中止されたのだ。今は一般には出回っていない。

 まあ、彼女はそんなことは知らない。薬を水と一緒に喉に流し込んでから、彼女らの祖先が地球に住んでいた時代からほとんど変わっていない形状の歯ブラシを手に取り、しゃこしゃこと歯を磨き始めた。


 ジジッ……。

 ノイズ。それはフォティンスの空中都市の、「朝」の部分で広く確認され、映像がぶれたり音声に雑音が入ったりした。

 しかしそれは一瞬のことだ。ほとんどの者が知覚できないほどの間の出来事であり、一部の者を除いてそれに気が付いた者はなかった。

 一部の者を除いて、だ。

 そして彼はその「一部の者」の中に含まれていた。ノイズを捕らえた瞬間、彼は宙を見上げて「眼」を大きく開いた。

 空中都市の建築物には特殊な加工が施してあり、恒星から飛んでくる紫外線や電磁波などをほぼ完全に遮断することができる。しかしそれ故に、極限まで除去されたこれらの波を読み取るには一般では入手できないような機器が必要になってくるのだ。

 彼はちょうどその機能を持ち合わせていた。検出された微細なノイズを素早く解析してから、その事実を慎重に検討した。

 そして、解答。

 これは――。

「ん? どうしたの?」

 彼は戻ってきた主人の方に向き直る。

「ルシア」

 主人の名を呼び、そちらに歩み寄る……いや、滑っていく。長い脚はすべて本体に収納でき、この部屋のような平坦な場所を移動する際には車輪を出し、それで移動する。

「薬は飲んだのか?」

「うん」

 彼女は頷き、椅子に腰掛ける。機器を起動していろいろといじくっている。なんとかあの憎たらしい障壁を迂回してデータを送ろうとしているのだろう。

 それを横目に見ながら、彼は今さっき出したばかりの解答について思考していた。

 ノイズは彼の「本来の機能」を使用して捕らえたものだった。想定していた波とは微妙に異なるようだが、それが意味するところは一つしかない。

 ――外部から何者かがこの惑星に近づいているのだ。

 彼の本来の機能は船の通信を受信することにある。遙か昔に停止して、今までずっと眠り続けていた機能が、先程の波によって呼び起こされた。

 バグだろうか? いや、走査してみるが、やはりおかしな箇所は発見できない。それどころか、受信機能を取り戻したおかげで中枢が活性化されている。他の機能の性能も僅かに上がっているようだ……処理される画像も鮮明になっている。

 キュルル、と再び宙に「眼」を向ける。

 特に意味のある行為ではない。人で言うところの高揚感というものだろうか? 彼はそのようなものを感じていた。

 回路を積み上げてゆき複雑な処理を行うようになった機械に感情のようなものが現れるのは科学的に説明できる、とどこぞの研究者も主張している。人の感情も、数多の神経が伝える電気信号でできているのだという説もあるほどなのだから、彼がそれを感じたとしても――たとえそれがまがい物なのだとしても、不思議なことではない。

 彼は「眼」を主人に移した。……波はあれきり、来ない。

 その機能のことは彼女には伝えていないのだが、この状況に対しては好都合だった。近づいてくる者が何の目的でこの惑星に来るのかが分からない以上、彼は優先順位に従って行動する。だから彼女には伝えない。

 そう、この主人の安全が絶対でなければならない。

「――ルシア。あの仕事を受けよう」

「え?」

 突然の言葉に彼女が振り返った。どういうことかと眼で尋ねてくる。

 彼は答えた。

「わたしはきみの保護者のデータを模写する」

 絶句。彼女は口を開けたまま呆気にとられたように見つめる。しばらくそのようにしてから、不審そうな表情に変わっていく。

「キース、やっぱりあんた調子悪いんじゃないの?」

「悪くない」

「本当かなぁ……?」

 訝しげに呟き、彼女は彼を持ち上げる。

 それから……彼女はにかっと笑った。

「うん、一度全部分解してみた方がいいかもしれない」

 恐ろしいことを言う。

「それはやめておいた方が無難だ。一度分解してしまえばきみではわたしを完璧に組み立てることはできない」

「冗談だってば。真に受けないでよ」

 言いながら彼女は肩を竦めて息を吐いた。彼を床に下ろしてデータを呼び出す――この状況は今日これで三度目だ。彼の中枢はあまり彼女に心配をかけるのは好ましくないと警告するのだが……まあ、致し方ない。

 先程のデータを表示させて、彼女はこちらを向いた。

「おーけい。……どうするの?」

「きみは待機だ」

 頷く。そのまま足をぶらぶらさせてじっと作業を見守った。

 彼は端末に接続してデータを入力し始めた。主人の保護者のデータを組み上げて、完璧に偽装する。彼はハラルド・コフィとして動き出す。

 侵入。規制回路が模したデータを調べる。ここで事態が発覚すればすぐさま警察が飛んでくるだろう……自分も今度こそ廃棄処分だ。彼女に拾われる前に覚悟したように。

 ――覚悟? いや、あの時は覚悟などしてはいなかった。情報量が少なく、覚悟などという概念を知らなかったのだから。それを教えたのはこの主人だ。

 それはある時、彼女と「じゃれ合って」いて――いや、彼女が一方的にこちらにじゃれてきて、「覚悟しなさいよ」と言われたのがきっかけだった。彼は覚悟とはどういうものなのか尋ね、彼女は困った顔で三時間ほどかけてしどろもどろに説明した。

 今は覚悟というのがどういうものなのか理解しているつもりだ。

 しかし幸いなことに……その悲壮な覚悟の必要はなく、程なくしてあっさりと規制回路の抵抗がなくなった。彼は主人のデータを転送した。

 さっと退き、彼は作り上げたハラルド・コフィのデータを完全に削除する。

 ――完了。

「ルシア、終わったぞ」

「えっ本当?」

 彼女は目を丸くしてデータを調べた。そしてそれがきちんと送信されているのを確認すると「本当だ……」と呟き、目を輝かせた。

「凄い。キース、さすが。師匠。救世主……ええっと……うう、言葉が出てこない」

 意外と語彙に乏しい。褒めるより貶す方が得意だからだろうか。

 唸っている彼女を見ていると、いきなり機器が音を発した。……受信。

 件名を見て眉をしかめた。

「あや、もう返事がきたみたいだね」

 たった今出したばかりの手紙に、どういう返事が来るというのだろう。きちんと読まなかったのか……あるいは彼女が退化人類だと知ったとたん、不採用の判定を出したのか。

 ……一応は「退化人類の方も歓迎」と書いてはあったはずなのだが。

「ではあまり期待しない方がいい」

 彼の言葉に同意するように、彼女は大きく息を吐く。ぶすっと口元を結んで、その手紙を……開いた。

「……あ」

 間抜けな声が上がる。

「どうした?」

 彼は問う。

 彼女が奇妙な表情で振り向いた。

「……採用された」

 分析。

「そうか」

 彼は答えた。彼女は彼の返答に納得いかないようだった。

「何よ、あんまり驚いてないみたいじゃない。そんなにあっさりと信じちゃっていいわけないでしょう。もっとこう……なんか、疑ってもいいと思わない? 私が読み間違えたんじゃないかとか、ちょっとふざけてるんじゃないかとか」

「何故だ? わたしはこの返事はそれなりに納得できると判断したのだが」

「どうして」

 詰め寄ってくる。

「ルシア、先程も言っただろう。この仕事は少々きな臭い感じがすると」

 うっ、と言葉に詰まって彼女はぎくりと顔をこわばらせた。視線を宙に泳がして聞かなかったふりをした。

「受けないのか?」

 彼が訊くと、彼女は少しだけ目線をこちらに戻して、受けると答えた。

「もちろん……もちろんだよ。これを受けなくちゃあもう施設に入るしかないもの。でもなんかそれって悔しいじゃない? せっかく採用されたのにさ、自分から機会を捨てるなんて」

 受けた仕事は、地上での運搬作業の一部だ。地上都市の間を行き来する運搬車に荷物を詰め込む。

 高度化された空中都市から地上に降りるものは少ない。いくつかある地上都市は少数の物好きたちが協力して作り上げた都市だ。そのほとんどはフォティンスに到着した先祖たちが使っていた施設を再興したもので、なかなかの掘り出し物が見つかることもある。

 彼は詰め込む荷物がこの「掘り出し物」だろうと予想している。地上は新しいものを開発できるような環境ではないからだ。それならばこれを掘り出して売買した方が早い。これは空中都市とも高額で取引されるのだ。

 つまりこの仕事は一種の盗掘ということになる。まあ、政府も半ば公認しているので、この仕事を手伝うことで逮捕されるようなことはないだろうが。

「ではきみは地上に行くための準備をしなくてはならないと思う」

「準備って?」

 彼女はきょとんとした。作業着、日用品、その他諸々はあちら側で用意しておくと書いてあったからだ。強いて言うのなら、普段着だろうか。しかしそれは何も今でなくてもいいと思うのだが……。

「薬だ。あちらで連絡が取れなくなったら困るだろう」

「ああ……なるほどね」

 さも嫌そうな返事。それはそうだ……彼は昨日、ルシアがハラルドとちょっとした言い争いをしたのをしっかりと覚えている。それでなくとも普段から彼女は自分の保護者を鬱陶しがっていた。

 詰め寄って彼女に言う。

「ルシア、わたしは君が薬なしで地上に降りることは推奨しない」

 嘆息。

「分かってるわよ」

 彼女は機器を操作して回線を開く。機器は指定された相手を探し、回路を形成する。しばらく呼び出し音が鳴ってから窓が開いた。

「おはようございます、ハラルド先生」

「……ルシア君。君から通信してきてくれるとは珍しいね」

 早朝からの呼び出しにも関わらず、彼女の保護者はピシッと服装を整えていた。

 ……それにしても。

「ルシア、画像が見えている」

「えっ」

 どうやら機密モードに設定しておくのを忘れていたらしい。彼の指摘に、彼女は設定を確かめてみる。それから、あちゃあと声をあげて苦笑いをした。

「まあいいや。どうせあんたには後でちゃんと報告しなくちゃならないんだし。ということでハラルド先生、キースが見ててもいいでしょう?」

「ああ、構わないよ。……しかし、何の用かな。用があるから通信してきたんだろう?」

 彼女の保護者は少し上目遣いに彼女を見て言った。

「きみが純粋に僕と世間話をしたくなったと言うのなら嬉しいのだけど」

 彼女はきっぱりと言った。

「ごめんなさい、それはないわ」

 彼は彼女の保護者がひどく落胆するのを見た。確かに、ここまであからさまな返事では救われない。しかし彼女は保護者を喜ばせるつもりはないようだった。保護者はちょっと寂しそうに笑って先を話すよう促した。

「……それで?」

「ハラルド先生、私、就職先が決まったの」

 なるべく何でもないふうを装って彼女は言う。彼女の保護者はそれを聞くと、笑みを崩さずに言った。

「すまない、今なんて言った?」

「採用されたのよ」

 どうやら今度は勝手に彼女の手紙を覗いたりはしなかったようだ。純粋な驚きを示し、呆気にとられた表情で彼女を見つめる。

 彼女は辛抱強く説明する。昨日広告のデータを見つけたこと、今朝その連絡先に履歴書を送ったこと、その後すぐに返信が来たこと。……無論、就職先が地上であることは伏せて、だ。それを言うとまたこの保護者がごねてややこしいことになる。

「そうするとしばらく連絡が取れなくなるかもしれないでしょう? だから半年分薬を出してほしいのだけれど」

 そう締めくくり、彼女は期待を込めて保護者をじっと見つめた。しかし保護者は唸り声を上げたまま考え込んで、こちらを見ようとしない。

 保護者がずっと下を向いているのを見て、キースは主人に囁いた。

「ルシア。今の発言は少々まずかった」

「どうして」

 薬が必要だと言ったのはあんたでしょう――彼女は眼でそう問いかける。

「半年分を用意するのには時間がかかる……それに、そんなに大量の薬を持っていこうとするのでは、何事だろうと疑われる」

 彼女の保護者には聞こえないように、彼は指摘した。

 彼にとってはここで彼女の保護者にちょっかいを出されるのはあまり愉快なことではなかった。過保護だということにかけては彼もこの保護者に劣らないだろうという自信があるのだが、この保護者は彼と違って少々主人の行動を制限しすぎるきらいがある。

 あまりにも始末に終えないという状態でないのなら、この保護者のことはなるべく穏やかにやり過ごしたかった。彼はこの保護者が彼女に好意を――たとえその好意のせいで彼らの足手まといになったとしても、だ――抱いている数少ない味方であると知っていたから。

「発言には注意した方がいい」

「う~ん……努力する。確かにそれはありがたくないものね」

 困った顔で呟く。

 そこへ、彼女の保護者は二人の会話を遮って言った。

「ルシア君、やはり半年分は無理だ。……少なくとも今すぐには」

 すまなそうな顔をしながら、付け加える。

「半月分ならなんとか出せると思うよ」

「……半月分」

「妥当だ」キースは主張した。そのくらいの時間があるならば、彼も色々と対処のしようがある。いざとなれば端末に接続して薬を合成することも可能だ。

 ともかく、この惑星に近づいてくる者がどういう目的を持っているのかが分からない以上は彼女を地上に連れて行く方が安全であると判断していた。この奇妙な来訪者にとっては彼女などフォティンスの空中都市に住んでいるごく普通の一市民でしかないだろうが、どんな気を起こすとも限らない。地球の文書では異星人が罪なき人々を無造作に焼き殺したりするという話も見られるから。……まあ、それはフィクションだろうが。

 ともかく彼女は地上にいた方がいい。

 何故ならば地上には――そこで彼は考えを止め、主人を見上げてキュウッと「眼」を絞る。彼女は指折りしながらぶつぶつと何かを呟いて考え込んでいた。

 結局彼女は彼の言葉を信用することにしたようだ。保護者に微笑みかけて、頷いてみせる。

「うん、それでいい」

 ほっとした様子で保護者は機器を操作し始めた。

「じゃあ、そちらに送っておく。明日の朝届くように設定しておくから、誤って全部飲んだりしないでくれよ」

「失礼ね。そんな馬鹿なことしないわよ」

 やや立腹した様子で彼女は請合った。

 軽やかな笑い声を上げて彼女に謝ってから、保護者は言った。

「ところで、どうしていきなり半年分が必要だと思ったのかな? きみが採用された仕事がどういうものであれ、そこまで忙しいことはないだろう?」

 やはり。彼は密かに緑のランプを点滅させた。情報を記憶する。――この保護者を軽く見るべきではない。

 これをどう対処するのかと主人を見上げて、彼女らのやりとりを見守った。彼女に慌てた様子はない。少し機嫌が悪そうに見えるのは、この保護者と話しているときならばいつものことだ。

 彼女はしれっと言った。

「うん、まあハラルド先生のうるさい小言はあんまり聞きたくないかなって。だって、回線を繋ぐたびに、説教食らうんだもの。たまったもんじゃないわよね」

「まいったな」保護者は肩を竦めた。「そこまで嫌われているとは思わなかった。僕と顔を合わせるのがそんなに嫌だとは……冗談だよね?」

「どう思う?」

 言いながら彼女は面白そうに笑って保護者の顔をじっと見つめた。保護者も彼女の表情の変化を一つも見逃すまいと瞬きもせずにこちらを見つめ返してきた。

 先に目をそらしたのは保護者の方だった。ふうっと息を吐いて苦笑する。

「……善処するよ。すまなかったね、おかしなことを聞いて」

「ううん」

 そう返事をして、首を振る。

「じゃあ、もう切るよ?」

「ああ。……気が向いたらまた通信してくれると嬉しいな」

 彼女は曖昧に微笑んでその言葉には返事をせずに回線を閉じた。

 どっと力が抜けたように背もたれに身を預けて大きく息を吐いた。それから、ずっと横で見守っていた彼に笑いかけて言う。

「これで準備は整ったかな?」

 彼は言った。

「いや。きみがあちらでずっと作業着のまま過ごそうというのでないのならば普段着は何枚か持って行かなければならないだろう。……作業着で過ごすのか?」

「えーもちろんそれはヤだけどさ……キース代わりに用意しといてよ」

 げんなりした様子で言って彼女はそそくさと逃げだそうとする。

 しかし彼はそれを許さなかった。

「自分でやれ」

「けち」

 しばらくの間、彼は彼女と低次元な言い争いを続けた。


 ***


 空。真空、……船。

「僕がですか?」

 イアンは耳を疑った。「冗談でしょう?」

 今は星長のリアに呼び出せれて司令室にやってきていた。

「私は冗談は好きじゃないの」

 窓の外に目を向けている星長につられてイアンもそちらに顔を向ける。惑星フォティンスはやっと肉眼で確認できるように――と言っても、せいぜい六等星ほどの大きさにしか見えないが――なってきている。

 用件は「小鑑で先に地上に降りてフォティンスの様子を見に行ってほしい」だった。

 小鑑に乗れるのは一人……つまり一人で未知の惑星に降りろ、と言うわけだ。それも、船外活動をしたことすらないイアンにだ。

 イアンが義務教育中だということをうっかりと忘れているのだろうか? しかしまだ服には何の線が入っていないから、それはよく分かっているはずだ。

「もしかしてあれですか? 昔地球で流行っていたあの儀式……四月一日には嘘をつかなくちゃならないっていう、……なんて言うんだったかな?」

「四月一日までは当分先よ」

 星長が指摘する。

 何せまだ年も明けていない。

 ともかく星長は冗談だと言ってくれそうにはなかった。ちょっと首を傾げて見せ、魅惑的な声で、こちらの心を溶かすように言う。

「貴方がちょうどいいと思うのだけれど」

「そんなことありませんっ」

 彼女はいたずらっぽく言う。

「そんなことなくはないわ」

 歌うような声に惑わされまいと、イアンはぶんぶんと首を振って見せた。

 ――駄目だ。流されてしまいそうになる。

 この船に乗る彼らの声には力がある。――音を振動させて空間に影響を与える能力。地球時代の人々にも備わっていたことは確認されているが、この船に乗る彼らの力は半端ではなく大きいのだ。

 星長の横に立つイアンの兄が口を挟んだ。

「リア。そりゃないだろう。イアンにこんな重要な役ができるとは思わないな」

 呆れた顔で腕を組んでいる兄の線の色は鮮やかな紅……階級で言えば星長の一つ下で、いつも彼女のそばにいる。たまにイアンの所にやってきては「愛情表現だ」と称してさんざんにからかって去っていく。イアンにとってはあまりありがたくない兄だ。

 しかし今はそんな兄が頼もしく見える。うんうんと頷いて同意する。

「そうです、僕にそんなことが出来るはずありません」

「そんなことないったら」

 星長は反論するが、イアンの兄は首を振る。

「やはり駄目だ。考え直せよリア。イアンは我々の愛すべき子羊だ。なんせ廊下に落ちているバナナの皮で滑って頭を打つほどの間抜けだからな」

 イアンはひくひくと頬が引きつってくるのを感じた。

 星長は呆れたように兄を見上げる。

「貴方は自分の弟を信用しようとは思わないの?」

「信用しようにも……我が弟だしな」

「……貴方、自分で自分を馬鹿にしてるって気付いてる?」

「そうなのか?」

 きょとんとした表情で問い返す。「言われてみればそんな気もしないでもないが……」

 うーんと唸って考え込む兄を見て、星長は大きく息を吐く。それから苛立たしげに髪をかき上げながら呟いた。

「駄目だわ。やはり私が行ってみた方がいいのかしら」

 ぴしりと石化したように二人の動きが止まる。

「冗談でしょうっ?」

「冗談だろう?」

 二人は同時に叫んだ。星長は面白そうにそれを見て、にやりと笑った。

「私は冗談は好きじゃないの」

 それこそまさに冗談だ。イアンは思った――これほどコミカルを使いこなす人がどこにいるというのだろう?

「ともかく駄目だ。リア、貴女に何かあったら我々はどうすればいいんだ? イアンを行かせるから貴女はおとなしくここにいてくれ」

「そう。それなら仕方がないわね」

「ええっ?」

 イアンは戸惑ったように声を上げた。しかしそれは思い切り無視される。

「信頼って素晴らしいわ。……話はまとまったわね」

「ちょ……っ、待っ」

 納得できない。どうも星長にはめられたような気がしてならない。

「リア、楽しんでないか?」

 兄も気が付いたようで、呆れたような顔をする。星長は「失礼ね」と顔をしかめてみせるが……イアンはその眼が笑っているのを確かに見た。

 やはりはめられたのだ。

「ふう……仕方ないな。諦めろよイアン。地上はそう悪い所じゃないから」

「でも、だって……」

 口をぱくぱくとさせながら言い訳を考えるが、何も思い浮かんでこない。

「貴方が行かないなら私が行くわ」

「駄目です!」

「駄目だ!」

 またもや大合唱。

 イアンは頭を抱えて唸る。やはりこれは自分が行くしかないんだろうなあ――そう考えながら息を吐いた。恨めしげに星長を見上げながら言う。

「分かりました。僕が行きますよ」

「無理をしなくてもいいのよ?」

「そんな事言わないでください……」

 本当は、……いや、本当に星長は自分が地上に行きたいと思っているのではないだろうか? この間から窓の外を見つめてばかりだ。正確に言うのなら、窓の外に映っている惑星フォティンスを、だ。

 それはまずい。それだけは何としてでも避けたい。何せ星長にはまだ後継者がいないのだ――この船はある程度の力がないと動かせない。

 もし今彼女が死んでしまったら新たな星長が生まれるまで慣性航行で空間を漂わなければならない事になる。ここからなら小艦を使って例の惑星、フォティンスに行く事はできるだろうが、あいにく小艦の数はそう多くはない。

「どうも貴女には星長としての自覚が足りないようだな……」

「私は星長より冒険家の方が好きだわ」

 星長の姉も冒険家だったという。冒険家であり科学者であり、リアたちを悩ませているあの装置を作った張本人であり……。

「そういえば僕が地上に降りて何か意味はあるんですか? 走査機器は……あんな重い物小艦には乗せられませんよ」

「構わないわ」

 あっさりと言う。

「姉の設定したプログラムの解除に必要な遺伝子配列は、私たちの『声』がまったく効かない形質を発現するから……『そういう人』を探せばいいのよ」

「ああ、なるほど」

 と、言ってからあることに気が付く。

「え……もしかしてそれは僕が一人ひとり探さなくちゃいけないってことですか?」

 そもそもイアンには星長ほどの力はない。本艦に連れ帰った人が星長の力にあっさりと感化されてしまう事もあり得る。

「そんな心配はしなくてもいいわ。どうせそんな人、姉と同じ遺伝子を持つ人を探すのと同じくらい大変なんだから。六十億人の内に一人いるかいないかの確率なのよ。探し出せなくても怒ったりはしないから」

 それはつまり、あまり期待されてはいないという事だろうか?

 疑惑の眼差しで見つめるイアンに、星長は苦笑して見せた。

「イアン、もっと気楽に考えていいのよ。休暇だとでも思って行ってくれればいいの。貴方は真面目すぎるわ」

「貴女は人の事は言えないだろうがな」

 兄が指摘する。

「ええそうよ、私は真面目だもの。イアン、貴方がこの人みたいにへらへらしている男に育っていなくて嬉しいわ……行ってくれるわね?」

「行きます、行きますよ」

 イアンは大げさに息を吐いた。

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