社交界 3
社交界はジェーダスにとって憂鬱な場だが、それは彼、リープも同様だった。
特に己の妻、アンジェリカとジェーダスと共に参加する場合は。
会場に入ると、中にいた人たちが、歓声とともに羨望と好奇の眼差しを彼らにを向けた。
「まあ! あれはまさか――ミシエル家のジェーダス様ではなくて?」
「あまりこのような場には出たがらないと噂で聞きましたが、まさか今日ここでお目にかかれるなんて!」
「それにしても噂通りの容貌ね。あの魅惑的な色香に惑わされて、何人もの令嬢が恋に落ちたらしいですわよ。あの瞳で見つめられたら、私だって腰砕けになってしまいますわ!」
「ええ! 本当に……。なんとかお近づきになりたいわよね」
「それに横はアンジェリカ様か。はあ、やはり彼女はいつ見てもお美しい。特にここ最近はその美貌に拍車がかかってますな」
「さすがは昔、王太子にも求婚されただけの事はある。この国で美貌で彼女に勝る者などいないさ」
「ああ。私もあと十歳若ければ彼女に求愛したんだかがなぁ」
「特にと並ばれると美男美女のカップルではないか」
「だが……、彼女はどなたかの妻ではなかったか? それに彼はいまだ独身だったような……」
近くの達とそんな会話を繰り広げる周囲の人間。ひそひそ声だが、全て丸聞こえである。
ちなみにアンジェリカとジェーダスに挟まれてリープもいるのだが、そこでようやく皆、彼の存在に気が付いたようで、途端にバツが悪い顔であからさまに彼から視線を逸らした。
そう、絶世の美女であるアンジェリカと、同じく絶世の美男であるジェーダスは、見た目だけで言えば並んでいるとそれだけで絵になるほどのお似合いのカップルなのだ。
対するリープは妻とほとんど変わらない身長で顔もあどけないため、弟に間違えられることが圧倒的に多い。というか、アンジェリカと釣り合いが取れてないと陰口を叩かれることもしばしば。
「あなた、鏡をちゃんと見ましたの? 死んだ魚のような生気のない顔でよく公の場に出てこられますわね。眠たいのでしたらその隅で、犬のように丸まって寝ていてはいかがかしら」
「俺が犬のようだと? 言ってくれるな。だが君こそキャンキャンまるで犬のように喧しくて敵わん。リープに首輪とリードをつけてもらってその辺りを散歩してきたらどうだ」
しかしそんなカップルに見間違われる二人はと言えば、他人の声など興味がないのか聞こえてないのか、リープの頭越しに険悪なムードを撒き散らしながら火花を散らしている。
どうにもこの二人は馬が合わないらしい。リープとしては下手に気が合う方が心配であるが。確かにジェーダスは男から見ても非の打ちどころのない完璧な美貌の持ち主。アンジェリカの心を奪ってしまってもおかしくない程に。
いつものことなので予想はしていたが、やはり自分のような者が彼女を妻にしたなんておこがましい、と暗に言われているようで、リープはショックを受けていた。
別に彼もそこまで顔が悪いとか、そういったことはない。むしろ世間の評価では美少年に入る。ただ、二十代半ばで『少年』と言われてしまうほど幼く見られるのはあまり嬉しくない。その上アンジェリカは彼より五歳も年下にもかかわらず、非常に大人びた雰囲気を持つ女性だ。体型もグラマラスで、風格もあるため、下手をすればリープの方が小さく見える。そんな彼女と並んでも、姉弟にしか見えないのは十分理解している。
だが、他人に改めてその事実を突き付けられると悲しいものがある。
一人意気消沈して肩を落としていると、アンジェリカはいち早く夫の状況に気付いたのか、
「有象無象の心ない言葉など、気にするなといつも言ってるではありませんか。私は誰が何と言おうと、リープ様、あなたの妻です。私はあなたを心から愛し、あなたも私を愛してくれる――――その事実だけで十分ではございませんこと?」
「アンジェリカぁ」
「ふふ、泣きそうな顔になってますわよ? あなたのその泣き顔、いつ見てもぞくぞくしますわ」
「え、ちょ、アンジェリカ、待って、ここ公衆の面前だから!? だからその、顔近いっていうか、何するつもり………」
「あなたが悪いんですのよ? 年上なのに愛らしすぎるリープ様が。愛してますわ。だから周囲の者に分からせて差し上げないと。私がどれだけリープ様をお慕いしているか、ねえ?」
「わ、ままま、待っ……」
一方のジェーダスはというと、熱烈な愛情表現を皆の前で恥ずかしげもなく披露しているバカップルの友人夫婦からはとっくに離れていた。
社交場でのこのやり取りは、もはや通過儀礼と言っても過言ではないほどの日常的なことだ。後、他人のいちゃいちゃしている姿を横で眺める趣味は、彼にはない。
会場の視線は夫妻に向いているので、ジェーダスがその場から離れたことに気付いた者は少なかったが、それでも目ざとく一人になった彼に話しかけに行く令嬢たちは存在した。
「ミシエル伯爵様! お初にお目にかかります」
「ずっと前に御見かけしてから、お会いしたいと思っておりました」
「もしダンスの相手がいらっしゃらないのなら、わたくしと一緒に踊っていただけませんか?」
しかし群がる彼女たちを面倒そうに適当にあしらうと、彼はある人物を目指してどんどん会場の奥へと進んでいく。無論、令嬢たちはつれなくされた程度で諦めるはずもなく、後ろからしつこく追いっかけてくるが、相手にしない。
やがて一番奥の壁際で談笑していた男と目が合うと、彼はその場で軽く目礼した。
彼こそがこのパーティーの主催者である。
「この度はお招きに預かりありがとうございます」
ヴェルデン家当主であるジザイアの元へ行きそう言うと、彼は下卑た笑いを浮かべながら手を差し出した。
「いやなに、こちらこそ、まさかあのミシエル伯にこうして我が屋敷まで足を運んで頂けるとは、光栄なことです。あなたとは一度、じっくり話をしたいと思っていたんですよ」
ジェーダスはそんなジザイアの言葉に、形式的な笑みを返す。
二人は特別親しい間柄という訳ではない。ただリリアンとこの場で接触するには、彼に招待される必要があった。だから近付いたまでだ。
だが噂ならジェーダスも耳にしていた。そのどれもがあまりいいとは言えないものばかり。なのでジェーダスはこの男と仲良くなる気はさらさらなかった。リリアンの事を聞き終われば用はない。
しかし、相手はそうではなかったらしい。
「私の娘を紹介いたします。……ティナ」
「はい、お父様」
彼の後ろから、一人の少女が姿を現した。顔立ちは美人の部類に入るだろう。実際、彼女に視線を寄こす男たちも少なくない。
しかしジェーダスの好みかと問われれば、否、と即座に首を振っただろう。化粧はきつめで香水もむせてしまいそうなほどに強い。それにぎらついた肉食獣のような内面を包含しながら流し眼を送る彼女は、ジェーダスの後ろで彼を虎視眈々と狙う令嬢達と何ら変わりない。
「はじめまして、私はヴェルデン伯爵家の娘、ティナと申します。お会いできて光栄ですわ」
「それはこちらの台詞ですよ」
心にもない台詞をいつもの面倒くさそうな顔で言えば、途端に目の前の少女の顔が赤く染まった。こういう表情をすればするほど、彼の体から発せられる気だるげな雰囲気が色気と化し、令嬢たちの心を射止めるのだ。狙ってる訳ではないので、ジェーダスにとってみればむしろ厄介な代物である。
「ミシエル伯。まずは私の娘と一曲踊ってはいただけませんかね」
主催者の娘と一番初めに踊るのは、招待された者にとってはむしろ当然の振る舞いである。ダンスなど無意味な労働は疲れるのでやりたくはなかったが、まさか断る訳にもいかない。ついでにこの出逢いをきっかけに娘をジェーダスとくっつけてやろう、という親心がダダ漏れだったので、心底遠慮したかったのだが。
ティナの手を引いてダンスフロアへ移動すれば、周囲からざわめきが生まれた。
女性陣は一番初めにジェーダスと踊れないことからくる悔しさでハンカチを噛み、男性陣も同じく悔しさに唇を噛みしめながら、相手があのジェーダスなら仕方がないとどこかで諦めたように見つめている。
やがて二人がフロアの中心に移動すると、曲が流れ始める。透明感あふれるバイオリンの音から始まったのはロマンティックなウィンナ・ワルツ。
二人はぴったり体を密着しながら、他の参加者に混じって優雅な動きで踊り始める。ちなみにそのすぐ後ろでは、愛の再確認を終えたプレザンス伯爵夫妻が密かにダンスをしながら二人の様子を観察していた。
「あれは……リリアン嬢じゃないよね?」
「ええ、彼女はヴェルデン伯爵のところのお嬢様ですわよ。……それにしてもあの男、ダンスの練習なんて絶対にしてないんですわよね? なのにどうして涼しい顔で完璧にエスコートをしながらうまく踊れるんですの? 驚きを通り越して腹が立ちますわ。リープ様なんて社交界のダンスの為に、毎年一月前からみっちり準備されてるというのに」
「ジェーダスは普段はああだけど、基本的になんでもできる子だからね。だから僕みたいに地獄のレッスンを毎年受けなくても問題ないんだよ。……自分で言ってて悲しくなってきた」
そんな二人がこっそり覗き見&聞き耳立てている友人夫妻の存在など気にも留めていないジェーダスは、必要以上に自分にしだれかかってくる女に閉口していると、ティナが潤んだ瞳で上目遣いでジェーダスを見上げた。
「まさかジェーダス様とこんな風に踊れる日が来るなんて、夢みたいです……!」
「そうか」
しかしそんな彼女を気にかけるつもりもないのか、生返事をすると会場中に視線を向ける。
ジェーダスが見なければいけない相手は、ダンス相手の少女ではなく、リリアン嬢だ。彼女の姿は見たことがないが、身体特徴は予め調べは付いていた。日焼けした赤みがかったオレンジの髪色と明灰色の瞳を持った小柄な女性。
だがいくら見渡しても彼女と思わしき女性は見当たらない。近しい容姿の者は何人かいたが、完全に一致する女性は一見したところ見えなかった。だが、じっくり観察した訳でもなく、また顔を知らないので、仮に目にしていたとしても気付かなかった可能性もある。
やがて長かった音楽が止まる。するとその瞬間を狙っていたかのように、様子を見ていた他の令嬢たちが一斉に二人の元へやってきた。
二曲目も踊りたいらしいティナが、ジェーダスは渡さないとばかりに目で牽制するが、ここは女性にとって戦場。ハイステータスな爵位持ちの、裕福でイケメンな獲物を前に遠慮する戦士はいない。
しかし、肝心の本人が戦場に立つつもりがないのでどうしようもない。彼女たちの誘いを適当な理由をつけて断ると、彼はリリアンを捜すべくもう一度ヴェルデン伯爵の元へ向かう。彼ならリリアンの姿を知っているだろう。
そうしてダンスホールから広間へと移動する時、偶然遠くの方の一人のメイドの姿が目に入った。顔を下に向け、大きめのメイドキャップから少しだけはみ出ている髪の色は、彼の距離からはよく分からない。他にもたくさんの使用人たちがいるはずなのに、なぜかジェーダスの目は彼女に釘づけになった。周囲の物や人が全てモノクロに変わり、彼女の存在だけが彼の視界の中で多彩な色を放って見えたのだ。
そのメイドは部屋を出ると、廊下の角を曲がるところだった。躊躇うことなく、ジェーダスは後を追う。
根拠も証拠もない。言ってみれば『勘』である。けれど彼の中では、顔も見えない彼女が目的の人物だと確信していた。だから彼女が調理場と思われる部屋に入る直前、反射的に腕を掴んでいた。
「えっ! え………と、い、あ、あの」
突然の事態に動揺したのか、目をぱちぱちさせながらしどろもどろにそう言う年若い彼女。その瞳はぼんやりと明るい灰色で、キャップからわずかに覗く髪はオレンジがかった色合いだ。
「君はクロード子爵家のリリアン嬢か」
ジェーダスは彼女の目をしかと見つめながら、問いではなく断定的な口調で捜し人の名を口にした。途端にメイドの目が泳いだ。
「な、な、何のことでしょうか、私は……」
「そうか、やはり君がリリアンか。道理で捜しても簡単に見つからないはずだ」
パーティー会場にはいた。ただそれは招待客という立ち位置ではなく、そこの使用人という立場での参加だった。
「あの、何を仰っておられるのでしょうか。ひ、人違い、です! 私はそのような名前では」
「とにかく会えてよかった。これで無駄骨にならなくて済む」
「ですから、話を聞いてはいただけませんでしょうか! 私の名は……」
その時キッチンの方角から、だみ声の女性の声が飛んできた。
「リリス! リリスはまだ来ないのかい!?」
「あ、はい、すぐ参ります」
慌てたようにジェーダスが捕らえていた少女が大声で返事をした。
呼ばれた名は、『リリス』。だが確かに彼の中にいるもう一人のジェーダスは、彼女こそがリリアンだと自信満々に告げている。
「……あの、その、申し訳ございません。私の名はリリスです。リリアンという名ではありません。もしも御用がないのでしたらお手を離しては頂けませんでしょうか」
そうしている間も、厨房の奥で彼女の到着を待っているだろう女性は、ヒステリックな声を上げて絶えず、リリス!! と叫んでいる。
このままでは埒が明かない。そう判断した彼は、仕方がないので彼女を解放すると、ほっとしたような表情でリリスは奥へと消えていった。
後に残ったジェーダスは、彼女の消えた先をじっと見つめていたが、リリスと入れ替わりに別のメイドが出てくると、彼女を呼び止めた。
「一つ聞きたいことがあるんだが」