社交界 2
ジェーダスにとって馬車に乗った二日間の日程は苦痛でしかなかった。騒音と振動で熟睡できないのは、かなりのストレスなのだ。
ようやく王都に辿り着いた時、まず初めに彼が思ったことは、快適なベッドに横になりたい、のただ一点だった。
しかしそんな彼の願いも虚しく、ミシエル家で管理する屋敷に辿り着くと、そこには既に先客がいた。
「おお、久しぶりだな!」
ニコニコとした笑顔で出迎えたのは、彼の叔父にあたる男、フィリップだった。そして、この国では絶大な権力を誇るコリンズ公爵でもある。なお且つ、ジェーダスに事あるごとに見合いと婚約者(仮)を送り込む張本人。
「…………最悪だ」
対してジェーダスの顔色は悪い。そんな甥っ子の様子に気が付いているのかいないのか、フィリップはさあさあ入れ、と肩を抱くと、まるで我が家であるかのような対応で彼を中へと招き入れた。
「君がこちらに向かっていると連絡があってね。それですぐに会いに来なければと思い、入り口で待っていたんだよ」
その言葉で、知らせを送った犯人が誰なのかすぐに察知したジェーダスは、後ろに控える従者に対し、恨みつらみのこもった視線を送る。
「……キエイ、お前の仕業か」
睨まれた従者はしかし、優雅な仕草でくいっと眼鏡を直すとしれっとした表情で、
「早馬でジェーダス様の王都入りをお知らせ致しましたが、何か不都合がおありでしたか。私は長いものには巻かれる主義でございます。フィリップ様から、ジェーダス様が王都入りする際は必ず連絡するように、と仰せつかいましたのでそれに従ったまで」
そう、言ってのけた。
「お前の主人は一体誰なのか、一度話し合う必要がありそうだな」
そんなことを言いながら機嫌が悪いのを隠そうともせず、フィリップの横を歩くジェーダス。しかしフィリップと会う時彼の機嫌が悪いのはいつものことなので、公爵は特に気にすることもなく応接間までやってくるとジェーダスを座らせ、ついでに自分も座った。
「君が自主的に王都入りするなんて珍しいじゃないか。リープ君を伴って来るのが定例なのにな」
「ちょっと用事があっただけだ」
「用事、か」
欠伸を噛み殺しながらそう答えると、フィリップは何かを探るような目つきでジェーダスを見つめる。が、それも一瞬のことで、彼はこの屋敷の家令を我が従僕のように慣れた様子で呼びつける。
「そうそう、早く来たんならちょうどよかった。お前にまた紹介したい人がいてな。どうせお前のことだ、この前送った釣書きに目も通してないだろう。まああれは数が多すぎたから仕方ないが。だから今回はその中から選りすぐりを用意しといてやったぞ」
そして家令の男が持ってきた束を、ばんっとジェーダスの前に置いた。確かに前より数は少ないが、それでも三十はありそうだ。途端に彼は、目の前にフィリップ公がいるにも関わらずげんなりとした顔になった。
だが、それもいつもの見慣れた光景なので、フィリップは特に言及せず、相変わらずの上機嫌で、
「それを早くお前に見せたかったんだよ。気に入った娘がいれば私に言ってくれ。社交界で出逢いの場を提供しよう。……さて、ちょっと早いが今日はこの辺で失礼する。すまないなぁ、可愛い甥っ子ともう少し語らいたいところだが、私も何分忙しい身でな。今度じっくり話そうじゃないか」
そう言うと、無理やりジェーダスの手を取って握手を交わすと、じゃあ! と爽やかな笑顔を残して去っていった。
嵐がとてつもないスピードで過ぎ去っていった。そんな印象である。
だが、これもまたいつものこと。公爵様は確かに多忙な身の上だ。余計なおせっかいをかけてくるが、短時間でいなくなるのでまだましな部類。
一番厄介なのは彼の妻――公爵夫人の方だ。
暇を持て余しているのか、ジェーダスの元に押し掛けると長いのだ。そう考えると彼女の来訪でなくてよかったと密かに安堵するジェーダスである。
さて、ようやく邪魔者もいなくなったので、彼は自分が起きるまで来客は通さないようきつくキエイに指示すると、釣書きには当然目もくれず二階へと上がり、ベッドにごろりと横になった。やはり馬車の椅子とは比べ物にならない寝心地である。
目を閉じて数秒後。彼の意識は奥底へと沈んでいった。
なのだが。
「まぁまぁまぁ! ジェーダス! いつ見てもあなたはいい男ねぇー、あたしの自慢よ!」
わずか数分後、彼は再び下の応接間の同じソファの同じ位置にいた。
「ごめんね、疲れてるとは思ったんだけど、早く会いたくってー」
「なら気を遣って帰ってくれ」
現在、ジェーダスは最高潮に不機嫌だった。誰も通すなと言ったのにあっさり言いつけを破ったキエイにも腹は立つが、どうせ止めたにもかかわらず目の前のご婦人は勝手に入り込んできたのだろう。見ていなくともいつものことなので予測が付く。
それに長い物に巻かれるキエイが、彼女の訪問を断る訳がないのだ。
彼女は、先ほど帰った公爵の夫人、彼に結婚をごり押しするもう一人の張本人である。よりにもよって彼女が来るとは、今日はついてない日だと思わずにはいられない。
人の話は聞かないし話は長いしこちらの都合などお構いなし。そんな感じなので力づくで追い返しもできない。
彼にできるのはただ一つ。彼女が気が済むまで付き合ってやることである。
しかも、合いの手を入れる間もないくらい自分ペースでひたすら喋りまくるのに、相手の動きはよく見ており、居眠りでもしようものならすぐさまお説教が挟まり更に滞在時間が長くなる。これを拷問と言わずしてなんと言えばいいのか。
そんなことを思いながら一応話を聞いていたが、目的はやはり公爵と同じく結婚相手の紹介らしい。うんざりである。
なんでも二日後の晩餐会でどこぞこの令嬢を紹介したいらしい。たったそれだけのことを伝えるのに、小一時間はかかった。
しかしその日はリリアンと同じパーティーに出席する。なのでばっさり断ると、今度は別の日に別の女性を紹介すると言ってくる。用事があろうがなかろうが行きたくない、これも適当に理由をつけて断れば、またいつもそうやって断って、大体あなたは……と、居眠りしてないにも関わらず説教が始まる。
ようやく解放されたのは、それから数時間後だった。
屋敷に到着した時は昼だったのに、夕方を飛び越え、今はすっかり空も暗い。
もう限界だった。よっぽどここのソファで眠ってしまおうと思ったが、やはりベッドの方がぐっすり眠れて快適だ。なので彼は最後の力を振り絞って階段を昇りきると、今度こそ何があっても起こすなときつく、非常にきつく従者に言い聞かせ、これでもしも来客があっても絶対に起きるものかと強く誓って夢の世界へ旅立った。
◇
「…………ダス、ジェーダス、ちょっと、ほんとにもう起きないと時間がないよ!」
非常に聞き覚えのある声が、混濁した意識の外側から聞こえてくる。
しかしその相手が誰なのか考えるより、彼は眠りの方を優先した。そのため耳障りな音を遮断するかのように深く布団の中に潜り込む。
が、相手も諦めない。声の主は、彼の眠りの世界において親友とも呼べる存在である布団を、あろうことか強引に引き剥がした。
「………………………………」
たまらず目を開けて、ジェーダスはこんな暴挙に出た相手を無言で睨み付ける。
少年と見間違うベビーフェイスの男は、やはり知り合いだった。
「はぁ、やっっっっと起きた! もう、一時間も前からキエイと二人がかりで起こしてたのに全然目を覚まさないんだから」
「…………俺の安眠の邪魔をするとはいい度胸だ、リープ」
「僕だって寝起きの君はテンション最悪だから、好んで起こしたくはなかったんだけど……。でもね、今日が何月何日か知ってる? 例のリリアンが出席するっていうパーティー当日の、夕方だよ? なのに準備はおろかまだ起きてすらなかったなんて、予想はしてたけど予想通り過ぎて頭が痛いよ。……とりあえずほら、時間がないから早くそこから出てきなさい」
そう、移動と説教聞き疲れなのか、ジェーダスはあれから二日間、一度も起きることなく眠り続けていたのだ。
だが珍しいことではない。特に王都だとすることがないので(必要最低限の社交場にしか足を運ばない為)、ジェーダスは睡眠か読書で時間を潰す。最高で三日間眠り続けたこともあるのだ。
別に普段なら、ジェーダスが何日眠ろうが彼も気にならない。いつものことだとアンジェリカと二人、肩をすくめるだけだ。
しかし今回は事情が違う。
こんなこともあろうかと、早く王都入りしてよかったと心から思うリープである。もし自分がいなかったら、きっと寝過してパーティーをすっぽかしてたに違いない。もしくは、土壇場になって参加すら面倒になっていた可能性もある。
「道理で頭がすっきりしてる訳だ」
「そう、それは良かったね。じゃあ早速準備に取り掛かろうかジェーダス。ほら起きて起きて」
しかし早く起きろといたものの、いつもの彼ならばまだ頭が覚醒していない状態なので(あと準備が面倒なので先延ばししたいという理由もある)、ここからが時間がかかるだろうなとリープは踏んでいた。なので、最悪の場合は隅に控えているキエイに手伝ってもらって力づくでベッドから引きずり下ろすしかないと考えていた。
だが今日の彼は違った。
「仕方ない、面倒だが、とりあえず急いで準備するか……」
その一言と共に、体を寝台から起こすと軽く湯浴みを済ませさっさと準備に取り掛かる。
忠誠心と性格はともかく仕事が早い彼の従者は、既に今夜主人の着る洋服のコーディネートも完璧に済ませてあった。ジェーダスがされるがままの状態でキエイに服を着せられていると、横で彼の動きを見ていたリープが目を丸くしながら驚きの声を上げた。
「あれれれれ? どうしちゃったの? こんなに俊敏に動く君ってあんまり見たことがないから、僕びっくりしちゃったよ」
すると彼は相変わらずの起きているのか眠っているのか分からないような顔で、
「当たり前だろう。ここで俺が行かなければ、早くに早くにここに来た意味がなくなる。それはつまり、あの二人の説教を無駄に聞かされに来ただけになってしまうだろうが」
「あー、聞いたよ、着いた初日に公爵夫妻が代わる代わる来たんでしょう?」
あれは苦痛だったと言わんばかりに、ジェーダスは顔をしかめる。
確かに彼の言う通りだ。納得したようにリープは頷いた。