社交界 1
さて、あの大量の見合い釣書きにジェーダスが溺れかけた日から一月が経った。これからしばらく、貴族達にとっては社交界のシーズンとなる。
彼らは普段住み慣れた領地の屋敷を離れ、この時期になると王都であるダランネットの町屋敷に三ヶ月ほど滞在する。そして議会に出席しつつ、連日繰り広げれる豪華な晩餐会や茶会、舞踏会に参加し、他の貴族達との交流を深めながら周辺の情報を収集する。また未婚の者にとっては結婚相手を捜す絶好のチャンスだ。
この時期の王都は、彼らにとって遊びの場であり仕事の場でもあるのだ。
しかし、毎年リープはこの期間が憂鬱だった。
原因はあの、ものぐさな友人だ。彼はその性格から予測される通り、わざわざ王都まで長時間かけて移動し、眠気が襲うだけの形式ばった議会に参加し、他の貴族達と会話をし、未婚の令嬢の集団に囲まれるだけのイベントを死ぬほど面倒がっている。ついでに小うるさい親戚も毎日のように彼の元に足を運んでやれ縁談やら結婚と騒ぐものだから余計である。
だがボイコットなど許されるはずもなく、最終的には渋々参加するのだが、それを後押しするのは他ならぬ彼、リープなのである。
彼はジェーダスの隣に領地を持つプレザンス伯爵であり、お隣さんのよしみでいつのまにか彼の面倒見役になってしまっていた。
何だかんだと理由をつけてサボろうとするジェーダスを無理矢理引きずり出し、馬車に乗せて王都まで向かうのがいつものお決まり。放っとけばいいものをそれができないのは彼の性分だ。
「はぁ」
ジェーダス邸へ向かう道すがら馬車の中でため息をついていると、彼の妻、アンジェリカが横で心配そうに夫を見つめる。
「リープ様、ため息をついたら幸せが逃げると昔から言いますわよ?」
「うん、分かってるんだけどさ。今回もあの、ジェーダス連行作戦を実行しなきゃいけないと思うとどうにも気が重くて……。だってあの人、頑として動かないんだもん」
「もう! あんな顔だけのダメダメ怠け者男なんて放っておけばよろしいのに!」
アンジェリカが大きなつり目がちの瞳を更に上に釣り上げると、憤慨したように言った。
「ジェーダス様と幼い頃からの大切なご友人ということは、私も理解しておりますわ。でもあのボンクラはそれをいいことに、何もかもあなたに甘えっぱなしではありませんか!」
「ああ、うん、まあ、それは否定できないけど……。でもあいつのことは、コリンズ家にもくれぐれもよろしくって言われてることだしね」
コリンズ――その名前はつまり公爵家。そんな相手に、くれぐれもよろしく、と言われているのだ。これは、一種の命令に他ならない。
「大体あなたはあのお方に優しすぎるのです! 今日こそはこの私がガツンと言ってやりますわ!!」
怒気に満ちた表情でめらめらと謎の闘志を燃やすアンジェリカ。
彼女はその見かけ通り、非常に気が強く歯に衣着せない言い方をする人間だ。そんな彼女なので今まで何度も、ものぐさな彼に対して強い口調で詰め寄るいうことが何度もあった。
しかし、そんなもので彼の性格が直るのなら、苦労はしない。ジェーダスはそんな彼女の怒りのハリケーンを右から左へ流すだけ。
怒りに燃える奥方を宥めていると、馬車が目的地へと辿り着く。
やれやれと馬車を降り立ったリープだったが、そこには予想外の光景が目の前に広がっていた。
「な、何事!?」
屋敷の門の前には、一台の馬車が止められていた。ミシエル伯爵家の紋章が記されたその馬車の前には、身支度を整えた男が、立派な門の柱に今にも崩れ落ちそうな格好でもたれかかり、荷物の積み込みが終わるのを待っている。顔は眠たげで、幾度も大きなあくびを繰り返しているが。
そっくりさんでなければ、おそらくあれは今から自分たちが会いに行こうとしていた張本人だ。
「ジェーダス!」
予期せぬ事態に驚いたリープは、馬車から降りるや否や彼のもとへ駆け寄る。
しかし背の高い彼は、自分の肩より下の身長であるリープの存在に気付かない。仕方がないのでもう少し大きな声で呼びかけながらぐいぐい腕を引っ張ると、ようやく彼を認識したのか、半分しか開いていない目を向けた。
「……んー? なんだ、騒がしいと思ったらリープか。どうした、こんな朝早くに」
「もう! さっきから何回も呼んでたのに全然気付いてくれないんだから。ちなみに太陽がもうすぐ頭上に昇り切りそうな時間帯は、一般的にはお昼っていうんだよ?」
「世間の常識など知ることか。俺にとっては充分……ふぁぁあ、早いんだよ」
「君一体何回欠伸するつもりだい? ……って、そんなことより! 君、こんな時間に一体何してるんだい?」
するとジェーダスは至極当然という顔で、
「何って、今から王都に行くに決まってるだろう?」
「え、王都ってダランネットに!?」
今、目の前の男から何やらとんでもない言葉が出てきた気がしたんだけど……。よりにもよってあのジェーダスから。
あれだけ寝てるのに万年寝不足と言いたげに常に眠いとぼやいているあの彼から。
何をするにも二言目――いや一言目から面倒くさい、が口癖の男が、リープが迎えに行く前に王都へと向かう準備をしているなんて! しかもこんな早々に。
準備をしている屋敷の使用人達も、突然やる気に満ち溢れたこの主人に驚きを隠せないのか、何事かと伺うようにちらちらジェーダスに訝しげな視線を送っている。
状況が呑み込めず混乱していると、アンジェリカも馬車から降りてくる。
そして挨拶することも忘れ、リープと同じように目の前のあり得ない事態に目を丸くし、ジェーダスにその訳を聞くと、やはり訳が分からないといった感じでその場で固まる。
が、夫よりも早くショックから回復した彼女は、
「あなた風邪でも引いてるの? 具合は? これは由々しき事態ね。異常事態発生だわ。この調子だと、今夜は豪雪かしら」
ちなみに今の季節は初夏である。
「会って早々失礼な物言いだな、アンジェリカ夫人」
「あら、あなたのことを知っている者は、この状況を見れば誰だって同じことを考えるのではなくて? それだけ今のあなたの行動は私たちの知っているジェーダス様とはかけ離れておりますもの。現に夫は混乱していまだに停止しておりますし」
するとようやく回復したリープは、がしっとジェーダスの腕をつかむと体を強く揺さぶった。
「一体君に何があったの!? そんなに社交界のシーズン楽しみにしてる子だったっけ!? 何か悩みでもあるのかい? ねぇ、どうなんだよジェーダス! 君がこんな行動を取るなんて、やっぱりおかしいよ!」
一方糾弾されてるジェーダスはというと、あまりに強く体を揺さぶられたためバランスを崩し、リープごと地面にずるずると倒れこんでしまうが、起き上るのも面倒なのかされるがままである。
「いや、別にね、友人がやる気を出してくれたことは喜ばしいことなんだと思うんだけど、ちょっと急すぎるっていうか。てかもう訳分かんないよ!」
「……別にあんなところ、頼まれたって行きたくないさ。移動は長くて疲れるし、社交場に顔を出せば喧しい令嬢達に右から左から騒がれて頭が痛くなる。おちおち眠れやしないからストレスがたまる」
「じゃあなんで」
「『彼女』は4日後、ヴェルデン家の主催するパーティーに参加する。領地に関することやそれ以外の状況は調べてみた結果問題はないと判断した。あとはこの目で本人に直接会って、真にどんな人物なのか確かめるだけだ」
「彼女って…………」
しかしリープが何か言うより早く、ジェーダスはリープを持ちあげたまま気だるげに立ち上がると、既に馬車の横に立って主人を待っていた従者に目を向けた。
「終わったか、キエイ」
「はい、準備は全て整っております」
「じゃあさっさと出発するか。……はぁ、馬車は寝にくいから嫌なんだよ全く。悪酔いするから本も読めないし」
そう言ってさっさと中に乗り込んでしまった。
「ちょっとジェーダス!」
堪らずリープが名前を呼ぶと、既に首を軽く下げ目を閉じ、寝る態勢に入っていたジェーダスがのそりとした動作で彼に顔を向けた。
「さっきからなんのことを言ってるの? その『彼女』って一体誰のこと?」
すると彼の口から思いもよらない人物の名が出てきた。
「誰って、お前が教えてくれたんだろう? クロード子爵のリリアン嬢」
「!?」
一ヶ月前、確かにリープは言った。ジェーダスのお眼鏡にかないそうな、結婚候補として挙げた女性の名前だ。
「リリアン嬢が社交界に参加すること自体、あんまり例がないんだよ。ここを逃せばもう会えないかもしれない。……とまあそういう訳だから、俺は先に行ってる。じゃあなリープ、おやすみ」
別れのあいさつにおやすみはないだろう! というツッコミを入れる前に、ジェーダスを乗せた馬車は出発してしまった。
しかし後に残ったリープは、『彼女』の正体を知ってようやく合点がいった。
あの日、話の途中で眠ってしまったので聞いてなかった、と思っていたが、どうやらしっかりその名を脳裏に刻み込んでいたらしい。
そして彼女のことを調べ、さっそく接触するべくこんな、ものぐさな彼らしからぬ迅速な行動に出たと。
裏を返せばつまり、結婚しろ攻撃から安寧な日常生活を守る為には手段は選んでいられない、ということらしい。
よほどあの脅しがきいたようだ。
しかしアンジェリカの方はまったく話が見えず、リープに向かって疑問を投げかけた。
「クロード家のリリアン様……って、もしやあの子爵家の娘のことですの?」
「そうだよ。よく分かったね」
「当然ですわ。あの方はちょっとした有名人ですもの。幼き弟君に代わって領地経営を行う若きご令嬢。女性でそのような方は珍しいですもの。それで、その彼女とジェーダス様にどんな関係が?」
リープはこの前ジェーダスとした会話を、かいつまんで説明した。すると彼女も納得した表情で、
「あの方らしい残念な動機ですこと」
と冷ややかに言ってのけた。
ともかく、これで毎年の憂鬱な案件はなくなった訳だ。
王都に向かうのは別に急ぐ必要もないので、もうしばらくしてからこの地を発っても良いのだが、あの、先に行ってしまった友人の事が気がかりだった。一体どうやって接触するのか、そもそもあんな性格の彼がまともにコミュニケーションをとれるのか。
自分から女性に興味を持って(異性という認識はないだろうが)積極的に向かっていくジェーダスなど、見たことがない。それはアンジェリカも同じだったようで、二人で話をした結果、彼がリリアンに接触する時に様子を近くで見ていた方がいいんじゃないかということになった。
なので屋敷に戻り早急に荷物をまとめると、プレザンス夫妻もジェーダスの後を追うように王都に向けて出発するのだった。