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発端

 その日、いつものようにリープがジェーダスの部屋を訪れると、彼は何故かたくさんの書類の山に埋もれていた。

 比喩ではない。文字通り、床に広がった何層もの厚みもある紙束の海の中に、体の半分以上が沈んでいたのだから。


「え、えぇぇぇっ、っちょ、何この状況!? ジェーダス大丈夫かい!?」


 慌ててその中から友人を救い出すリープ。

 意外にも底なし沼のように深くジェーダスの体を呑み込んでおり、なんとか引きずり出し終わったリープの体は若干汗ばんでいたほどだ。


「……ていうか、少しはジェーダスもここから抜け出そうと努力しなよ! 自分よりも大きな体の人を引っ張り出すのって、結構大変なんだよ?」


 むぅと頬を膨らませてそう言うリープは確かに小柄な方だ。顔つきも幼く、よく成人前の少年に間違えられるが、これでもとっくの昔にお酒を飲める年齢に達していて、ジェーダスより三つも上だったりする。ちなみに既婚者で、美人の奥さんもいる。


 対するジェーダスは友人のお小言もどこ吹く風で、面倒くさそうに頭を掻いた。


「いや、別にあのままでも問題なかったかなぁと。起き上がるのも面倒だったし、意外に寝心地良かったぞ、あそこ」

「君はもしかしてあの状況で昼寝でもしようと思っていたのかい!?」


 信じられない! と言いたげに目を真ん丸に見開くが、彼なら納得できる、とも同時に思う。


「まったく……。そのものぐさな性格はどうにかならないの?」

「どうにか……………………するのも面倒だ」


 そう言ってふぁあと大きな欠伸を一つして、今度は近くのソファに倒れ込んだ。

 まあ今更こんなことを言ったところで、彼がどうにかするつもりがないのは分かっていたが。なんせ出会ってからかれこれ二十年。彼のこの極度な面倒くさがりな性格は改善されるどころか、年々酷くなる一方なのだから。


 大きな諦めの溜息をつきながら、リープは今までジェーダスが沈んでいた書類の束へと目を向けた。


「ところで、一体あれはなんなんだい?あんなにたくさんの……」

「ん?あー、あれか。コリンズ家の人間がもってきた、おせっかいの塊」

「コリンズ家って叔父さんとこの? 訳が分からないんだけど」


 とりあえず、一番手近にあったものを拾い上げ、目を通す。


「……これ、肖像画じゃないか」


 そこには様々な少女たちの絵姿が描かれていた。要は縁談の申し込みである。

 もしかしてこれ全部…………?

 驚愕しながら片っ端から見ていくが、どれもこれもおなじようなもの。違っていたのはそれぞれ相手が違うくらいか。

 ここにきて、リープは全てを察した。


「なるほど。その歳になって結婚の意思が見られないジェーダスに痺れを切らした親戚達が、これを運んできた訳か」

「そういうこと」


 しかしそれにしてもこれだけの数が集まるとは。

 さすがはジェーダスだと感心しながらソファで寝こける友をリープは見つめる。 

 

 ジェーダスはカントドロ国のミシエル伯爵の名を継ぐ者だ。

 彼の治める領地は古くから交易の場として栄えた地であり、この国の中では一目置かれている存在だ。

 素晴らしいのは何も家柄だけではない。容姿も極上で、並みの男なら一目見て敗北を悟るほど。

 しかし彼が特に女性を惹きつけてやまないのは、体から発せられる、怠惰で気だるげな雰囲気を持つ独特の色気だ。

 そんな彼にとろんとした瞳で見つめられると、羞恥心のあまり卒倒しそうになるらしい(女性陣曰く)。

 だが、長年の友人であるリープは知っている。

 彼のそれは色気ではなく、本気で怠惰と気だるげからくる眠気だと言うことを。そしてとろんとした瞳は、ただただ眠いからだ。

 

 超が付くほどの優良物件である彼が、この年まで決まった婚約者どころか浮いた噂一つないのは他でもない。

 ジェーダスが極度の面倒くさがりだったからだ。

 日常生活において、とことんやる気がなくものぐさな性格。

 睡眠時間も常人より長く、その上暇さえあれば部屋のソファか机に突っ伏し寝ているか、読書に勤しむ(ただしそのまま寝入ることも多い)。とにかく動きたがらない、ご飯を食べることすら時には面倒がる筋金入り。

 そんな生きる屍のような男が、女性との付き合いを嬉々として行う訳もなく、いまだに独身貴族を満喫しているのである。


 こんな男が伯爵家の跡取りとは不安すぎるが、能力だけは確かだ。

 ミシエル伯爵の名を継いだ後、彼がまずしたことは優秀な部下の確保。出自を問わず、純粋に能力だけで判断した。多少の反発はあったもののそれが功を奏し、ますます領地は発展していくこととなる。

 また今はこんななりだが、領主としての仕事はきっちりこなしている。

 

 そんな訳で、領民や屋敷の者たちからの信頼は厚いのである。

 怠惰な生活を愛するところはさておいて、ものぐさな彼でも皆に慕われているのは紛れもない事実。後足りないのは、彼を支える伴侶の存在だけ。


 なのだが。


 本人に、その意志が全くない。


 ちなみに以前、無理やりに婚約者をあてがおうと何人かお試しでここに寄こしたが(例の親戚達がおせっかいで)、ジェーダスのあまりの無気力ぶりと彼女たちへの無関心さに心が砕け、全員三日ともたなかった。


「はぁぁ。なんでそんなに俺に結婚させたいんだ? リープといい、親戚たちといい。俺は別に今の状態で何も不満はないんだけど」

「僕らは貴族だよ? 家を守るため、子を残さなきゃならない。そのためには政略結婚でもなんでも受け入れなきゃ……」

「要は家が残ればいいんだろう? なら優秀な養子をとればいいと思う」

「うっ、ま、まあそうだけど。でもそれは最終手段だよ! それに養子を取ってその子に家を継がせるようにするには、特別な理由が必要だし。まあ君ならその辺はうまいこと切り抜けられそうだから怖いんだけど。でもでも、やっぱり自分の子供に残すのが一番好ましいとは思うよ。それに……」


 リープはちらりとだらけた格好で横たわる友人の姿を見つめる。

 

 先程彼に述べた、子孫を残すため云々も確かに結婚を勧める理由の一つだが、それは表向きのものであって。

 リープには個人的にもう一つある。

 しかしそれはこの場では言わず、ぐっと飲み込むと、腰に手を当てながら小さい子に言い聞かせるように、諭すような口調で言葉を紡ぐ。


「と、とにかく、この前君の元に連れてこられた彼女たちもね、もう少し優しい言葉をかけてあげたりすればよかったんだ。あの子達だってここに連れてこられて一人で寂しかったんだよ」

「面倒くさ…………」


 しかし友人のお説教にも素直に耳を貸す気はないようで、嫌そうに眉間にしわを寄せた。

 

 この様子を見る限り、このままいけばジェーダスは独身街道まっしぐらだ。

 仮に外堀から埋めていったとしても、無関心を貫くジェーダスに相手の女性の方が先に耐えられなくなって出ていくに違いない。前例があるので容易に想像できる。

 なんとか自堕落な暮らしを愛する本人に、自ら結婚したいと思わせるには…………。


 考えた末にリープが導き出した言葉は。 


「ねぇジェーダス。君はまだまだ若いし、現にこうしてまた、たくさんのご令嬢の肖像画が、君の所に定期的に届けられるんじゃないのかな。それだけならいいけど、前みたいに君の婚約者候補が送り込まれてくるかもよ? なにせあの人達はしつこい、って君が言ってたもんね」

「それは――うっとおしいな」

 

 よほど嫌だったのだろう、刻まれたしわが更に濃くなった。

 もともと、自身の緩やかで平穏な日常を他者により壊されるのを何よりも嫌がる男だ。

 婚約者などは無視しておけば別に問題はないのだが、問題はあの人達、親戚の方だった。

 彼らは血縁者であるが故に彼に対して遠慮がなく、ずかずかと土足でジェーダスの平和な生活に踏み込んでくる。何度放っておいてくれと言っても通じないし、なんとも厄介な相手なのだ。

 

 結婚しなければ誰にも何も言われず気遣いをすることなく、思う存分自分の生活を満喫できるが、親戚のおせっかいはこの先ずっと付いて回るのだろう。

 それこそ、一生。


「それが嫌なら、諦めて結婚しなよ。ジェーダスなら選び放題でしょう?」

「…………」


 笑顔で差し出された肖像画の一枚を差し出され、寝転がったままの状態で渋々ジェーダスは受け取る。

 しかし見る気はあまりないようで、すぐさまリープに突き返した。


「あれ? お気に召さなかった? テアノブ家のご令嬢。性格も穏やかだし、美化率が激しいと言われる肖像画の絵姿そっくりそのままの美人さんだって噂だけど」

「別に顔形はどうでもいい」

「じゃあどんな人ならいいわけ?」

「…………そうだな」


 そう呟いたきり目をつぶってしまったジェーダス。よもや眠ってしまったのではと心配したリープだったが、程なくしてゆっくりとその瞳と口が開いた。


「俺が…………」

「俺が?」

「俺が……いつまでも今のような生活を、いや、今以上にのんびりした生活をしていても、俺の代わりになるくらいに領地をきちんと守ってくれるような、そんな優秀な人間」

「…………ジェーダス。君、結婚以前にちゃんと領主やる気あるの?」

「勿論ある」


 まっすぐに真摯な瞳できっぱりと言い切っているが、やる気の欠片もない寝そべった格好で言われても、説得力はない。

 しかし、その言葉が嘘ではないとリープもまた知っていた。

 普段は省エネモードだが、やる時はきっちり決める男。それがジェーダスという人間だ。


「あ――――、あと。あれだな。社交界に命を賭けて、自分をきらびやかに飾りつけることに人生の意義を見出すような頭の中が空っぽな人間は、生理的に受け付けないから嫌だし、ものすごく俺にかまって、愛の押し売りをしてくるようなのも勘弁。相手するのだるいから。とにかく、俺の平穏を乱さない、いや、いっそのこと俺に無関心なくらいがいいな…………」


 そういう相手なら結婚してもいいらしい。

 確かに、それなら今の生活とほとんど何ら変わりなく過ごせるだろう。

 一つ一つの理由を見れば、それぞれに当てはまる女性は少数だが存在するだろう。しかしそれら全て合わせ持つ、と考えると、存在の可能性は限りなくゼロに近い。

 

 もともと貴族のご令嬢、というのは、浪費家で派手好き、恋愛ごっこにふけるのが仕事だと思っている人間が大半を占める。

 無論その中でも、そういうことに興味を持たない者も少数存在するが、領地を治める能力があるかと言われれば首を傾げざるを得ない。

 この国では、爵位は男にしか与えられない。女性はそういったことに興味があっても、家を継ぐことはできないので、わざわざその教育を受ける環境が整っていないのだ。

 つまり無茶ぶりも良いところなのだ。


 が。

 頭の中でぺらぺら貴族図鑑をめくっていたリープは、一人、それらの条件を満たしていそうな人物に思い当る。


「……ねぇ、もしも本当にそんな人とだったら、結婚しても良いって思えるんだよね」

「もしもいたらな」

「一人、知ってるんだけど」


 その途端、伸びをしていたジェーダスの動きがぴたりと止まった。


「クロード子爵、って知ってる? そこの子爵夫妻は不慮の事故で亡くなって今はいないんだけど。一応爵位はクロード家の長男が継いでるんだけど、まだ幼い彼に代わって彼の姉が領地を取り仕切っているんだ」

「へぇ」

「名前はリリアン。それがなかなかにしっかりした子らしくて、立派に代理領主として責務を果たしてるんだって。社交界にはほとんど顔を出さないからどんな子なのかは詳しくは分からないんだけど。それに色恋沙汰なんて話も聞いたことないし。ね、興味深いと思わない?」

「ふむ……。クロード子爵の娘、リリアンか……」

 

 伸びを中断し、考え込むように顎に手をやって目を瞑るジェーダス。


「…………」

「……ジェーダス?」


 長い。考える時間が、長い。嫌な予感がして彼の前に回って顔を覗きこむと、やはり予想を裏切らない友人は、健やかな寝息を立てて眠りの世界に旅立っていた。


「はぁ――――」


 いつものことだ。リープは肩をすくめてため息をついた後、何も言わず静かにその場を去る。

 そしてその日彼女の名前を出したことを、リープはすっかり忘れてしまっていた。

 彼が再びその名を口にするまでは。 

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