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この、確かな声を 【7】

 聖は凍てつく土の上に寝転がっていた。さっきまでの澪とまるで同じ、動けない状態で、上半身だけを二人の方にねじる。対峙する澪と高嶺が見えた。

 生まれたときから体の一部だった聞き耳は、全く機能していない――いや、無くなっているようだった。いくら努力しても人間並みにしか聞こえない。澪が言ったとおり、聖の力はすべて彼女の中に取り込まれたのだろうか。

 初めて人並みの聴力で聞く世界は途方もなく静かだった。静けさを望んでいた頃もあったが、いざそのときを迎えてみれば、心は落ち着いていた。

「澪ならば、それだけはやらねえとたかをくくっていたんだが」

「追い詰めたのはお主であろう。……お主の十八番を盗ってすまぬのう」

 皮肉混じりの反撃。

 澪は凛とした威厳をまとい、高嶺と同じ目線でやり合っている。聖には、狼の喉元を蹴り上げる、鹿の力強い蹄が見えた。澪の小さな背中はかつてないほどに頼もしい。これが彼女の本来の姿――山の神としての力を湛えた、あるべき姿なのだ。

「お主に一つ教えてやろう。聖は聞き耳よ。よくよく練り上げた、偉大な力を持つ異能の子――で、あった」

「聞き耳? ……てめえにゃ、筒抜けだったってことか。澪にくれてやったのはもったいなかったな」

 高嶺に睨まれ、聖は違うと言おうとしたが、腹に力が入らずに断念した。誰彼構わず心を読んでいるわけではない。聞き耳は、声の主が本当に強く思っていることだけを捉えるのだ、と。

「お主が食っても大して役には立たぬよ。お主、環を食らってどうであった? あの娘の力だってなかなかのものであっただろうに、お主の力はそう伸びてはおらぬだろう?」

 高嶺が無言で澪を見る。

「人の中では優れた者は忌避される。たった十何年の間に聖がどれだけ涙を流したか、お主にはわかるまい? 『聞き耳』には、聖の想いが山ほど詰まっておる。それを自らに取り込めねば、食っても無駄じゃ。儂にならそれができる。聖と通じた儂ならな」

 澪は、まだ血の跡が残る自分の胸元を押さえた。

「聖を食った儂も、その力と心をここに受け継いだ。儂はこれを持って聖と共に生きるぞ」

「人に撃たれて死に、人に裏切られて死にかけたんだろう? それなのに、てめえは人と生きるってのか? その餓鬼だって、いつてめえの前から消えるか分かったもんじゃねえ。そうでなくても、人は死ぬんだ。一緒にはいられねえよ」

「儂は、それでも人が好きじゃ。……それにな、聖は心変わりなどせんよ。寿命があるのも承知」

 澪の声を聞きながら、聖はこの村で暮らすようになってからのことを思い返していた。

 澪が自分を信頼してくれているだけで、聖は満たされる。誰かと想い合うことがこんなに力になるなんて、澪と出会うまでは知らなかった。

 村に住むたくさんのあやかしたち。ある者は想いを貫いて結ばれ、またある者は叶わぬ願いに傷ついてもいた。けれど、人が好きで、人の側で生きたいと望む者ばかりだった。澪もその一人だし、異能の人間――環や、聖自身もそうだった。

「儂らあやかしには、長い長い時がある。その中のほんの少しの間だけでも、好いた者と共にありたいと願って何が悪い? それが偶々ヒトで、偶々異能を持つ男であった、ただそれだけじゃ」

 高嶺は答えなかった。ただ、高嶺の周りにあった尖った空気はいつの間にか消えていた。

 今、高嶺は何を考えているのだろう。心の底では、孤独を知る者どうしとして、澪と近づきたかったのではないのだろうか。それとも本当に、獲物としての澪しか見ていなかったのだろうか。

 聞き耳があるうちに聞いておけばよかった、と聖は今さら思う。高嶺の本心は、もはや誰にも分からない。いくら耳を澄ましてみても、聖にはもう風の音しか聞こえなかった。

「馬鹿じゃねえのか。分かるかよ」

 やがて口を開いた高嶺は、澪との対話を放棄した。これまで、澪や聖との会話さえも力ずくでねじ伏せてきた高嶺が見せた、初めての逃げだった。

 澪もたたみかけるように攻勢を強める。

「棘の折れたいばらでも、枝で打ち据えるくらいはできよう。今度はただでは食われんぞ。儂らの想いが乗った蹄、試してみるか?」

「今のお前は、一人じゃねえ。ふたりだな。……そんな澪は、いらねえ」

 高嶺は「ふん」と息を吐き、澪に向かって笑う。どこにも毒心のない、まるで澪を祝福するかのような飾り気のない笑顔だった。

「惚気を聞くほど暇じゃねえし、お暇するぜ」

「いつか、お主にもこよう。一人では、なくなるときが」

 澪と聖を見比べ、高嶺は小さく舌打ちしながら言った。

「だったらいいがな」

 こちらにくるりと背を向けると、高嶺は山を下りていった。

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