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怪我の功名は仮の宿

 佐敏サトシがデュアル・マウスであるという事実は、思っていたよりもあっさりと受け入れられた。もっとも、パソコンを機動してアバター名を見せたのだから当たり前ではあるが、それでも誰一人として偽造を疑わなかったのはやはりこのクラスだからこそであろう。

 絶対に他言しないという約束もクラスメート達の方から発案され、その後の佐敏の「頼み事」もすぐに承諾された。「頼み事」自体は隼人(ハヤト)すらも首を傾げるような内容だったが、断る者はいなかった。


「みんな……本当にありがとう。俺、絶対うまくやるから」


「つっても結局佐敏と王女がどういう関係なのか聞いてないから、何を上手くやるのか知らないけど。まぁ頑張れよ!」


「うん、そのうち事情がみんなの耳にも入ると思う。それまでは、ちょっと伏せさせて欲しいんだ。とにかくみんなに頼みたいのはさっき言った事だけだから、暇な時に思い出したらってぐらいでいいんだ」


 再度の確認を取ってクラスメートたちの顔を見回す、と同時に視線が自分に集中していることに気付いて慌てて顔をうつむかせてしまう。それを見て放課後の教室に笑い声がこだました。


「佐敏さぁ、さっきのファンクラブの……秋葉原だっけ?あいつの時もそうだったけど、せっかくカッコ良く決めたのにそれじゃ台無しじゃねぇかよ」


「し、仕方ないだろ!こればっかりはどうしようもないんだ」


「やーれやれだねぇ」


「でも、普段は全然わがまま言わない佐敏くんがこんなに頑張って私たちに頼んでくれたんだから、精一杯協力するよ!」


 一芽(ヒトメ)の言葉にクラス中が同意し、各々今後の計画などを相談し始める。


「あっ、そんなにきっちり考えなくていいよ。むしろ変に意識しないで、できるだけ自然にしてくれた方が上手くいくと思うんだ」


 予想以上にやる気な仲間達にむしろ佐敏の方が戸惑うハメになってしまった。

 沸き立つクラスメートをたしなめるように休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り渡り、先程と同じ徹を踏まないように雑談をやめてそれぞれ自分の席に戻っていく。一段落して一息ついていると、隣の席に座った隼人が身を乗り出して耳打ちしてきた。


「よう、こっからが本番だぜぇ?」


「うん、分かってる。全部これからなんだ」


 自分に言い聞かせる意味も含めて口に出し、机の下で握り拳を作る。その手が小さく震えていたことは、隼人でさえ気付かなかった。





 その日の放課後、佐敏は一人である教室を目指していた。ホームルームが終わるや否や真っ先に教室を飛び出してきたので、廊下を歩いているとまだ解散していないクラスも散見できる。目的のクラスも、佐敏が到着した時にちょうど解散の礼をしているところであった。


「あ、あの!」


 一日の授業を終えて沸き始めたざわめきにかき消されないよう必死に声を上げる。すると、虚を突かれた生徒達が目を丸くして佐敏の方に振り向いた。漏れそうになる悲鳴をなんとか飲み込むことに成功するが、次に今すぐ逃げ出したい衝動が襲ってきた。

 嫌な汗がにじみ出し、いよいよ堪えきれずに一歩後ずさった時だった。


「先輩?」


 教室の中の一点。窓際の一番後ろの席からこちらを見ているのは間違いなくここに来た目的の人物、和奈(カズナ)その人だ。

 驚いた様子の和奈は、戸惑っているクラスメートの間を抜けて佐敏のもとへやってきた。和奈が返事をしたことで二分されていた視線は再び佐敏に集中し、端から見て心配になる程に蒼白な顔色になる。


「だ、大丈夫ですか?顔が真っ青ですよ」


「へ、へーき」


 完全に声が裏返っている上にアクセントもおかしかった。


「少し待ってて下さい、荷物を持ってきますから」


 そう言ってきびすを返し、早足で自席に戻ると机の中の教材やノートを手早く学校指定の鞄に詰め込み、忘れ物が無いか再度確認してから佐敏の待つ廊下に戻ってきた。


「さっ、行きましょう」


「えっ、あぁ……えっ?」


 思わず首を縦にコクコクと振り、姿勢正しく歩く和奈に黙ってついて行く。まだ要件を何一つ口にしていないのに、和奈は佐敏を引き連れてどんどん進む。もっとも、佐敏の用事など昼休みの件に決まっているので、デュアル・マウスの話を漏らさないために場所を移しているだけ、と考えるのが当たり前なのだが。極度の緊張状態にある佐敏はその当たり前の考えに至るまでずいぶんと時間を要した。

 そして、ようやくある部屋にたどり着いた時、その当たり前の考えが間違っていたことを知った。

 言い出すべきセリフが思いつかないうちに、丁寧にノックをしてドアを開けた和奈に入室を促される。


「御門さん、ここって……」


 佐敏の目が急に乱視になったのでなければ、部屋の表札の文字は保健室と読み取れる。疑問符を浮かべながら中に入って室内を見回すと、心配そうに見つめて来る和奈と視線が交差した。反射的に目を逸らしそうになるがそれよりも早く和奈が口を開く。


「昼休みにお願いした件ですよね?」


「あっ、うん」


 用件は正しく理解されていた。ではなぜ行き先に選ばれたのが保健室なのだろうか?確かに人気は少ないが、常駐の保険医がいるこの部屋が内緒話に向いているとは思えない。現に今も、部屋の隅にあるデスクからは中年の男性保険医が何事かとこちらを注視している。


「すみません!本当なら私から行かないといけませんよね。それなのに体調が優れないのにわざわざ来てもらうなんて……」


「体調が?」


「顔色が真っ青ですよ。少し休んだ方が良いと思います」


 ようやく得心がいった。要するにこの少女は佐敏の注目嫌いを体調不良と勘違いしたらしい、それを気遣って保健室に連れて来てくれたというわけだ。ふと壁に掛けてあった鏡を覗き込むが、なるほどひどい顔色をしている。ここに着くまでに多少は改善されてこの有り様なのだから、クラスを訪ねた時はきっと死人のような顔をしていたに違いない。和奈もさぞ心配して心を痛めたであろう。


「心配してくれたのに申し訳ないんだけど、別に体調不良とかじゃないんだ」


「でも、顔色が……あれ?」


「もうだいぶ戻ってるでしょ?」


 もう一度鏡で確認してみるが、もうほとんど平常通りの顔色になっている。


「戻って……ますね。でも本当に大丈夫なんですか?さっきはあんなに真っ青だったのに」


「あー、それは体質みたいなものだから気にしないで。それよりもう大丈夫だから話が出来る場所に移動しよう」


「……わかりました。でも無理はしないで下さいね」


「本当に大丈夫だから。ほら、行こう」


 そう言って部屋を出ようとすると、思わぬところから待ったがかかった。


「そっちの男子、名前は?」


「は、はい?」


 最初誰に呼ばれたのか分からなかった。振り返って保険室内を見回し、ようやくそれが、さっきまで傍観していた中年の保険医であることに気づく。


「ボケたツラしてないで答えろ」


「えっ、佐敏です」


「あぁ、やっぱそうか」


 この保険医はまるで佐敏を知っている風な言い方をしている。しかし、佐敏は生粋のもやしっ子ではあるが今のところ保健室の世話になった事はない。

 情けなくも和奈に助けを求めて視線を送るが、和奈もキョトンとしていて現状に置いていかれている。


「そんなに身構えんな、あれだろ?お前が内緒話ってんなら、アバターの話だろ」


「!?」


 今度は呼び止められた時の比ではない、体をビクリと震わせて露骨に驚愕の態度を示してしまった。


「その様子だと図星だな」


 カマをかけられたようだが、恐らく確信あってのことだろう。でなければ向こうもこうは落ち着いていないはずだ。

 どんな言葉を口にすべきかを慎重に考えていると、同じく不意を突かれて動揺した和奈が先に声を発した。


「せ、先生はデュアル・マウスをご存知なんですか?」


 口に出してからしまったと口を両手で覆う。だがもう遅い。和奈はみるみる青ざめていき僅かに潤んだ目で怯えるように佐敏を見る。何かフォローの一つでも出来れば良かったが、残念ながら佐敏にもそれだけの余裕はなく、必死に思考を巡らせて現状の理解に努めていた。


「おいおい……なに深刻な顔してんだ。一応言っとくが、デュアル・マウスの正体なんか初めから知ってたぞ」


「えっ?」


 今度ばかりは佐敏も平常心を失いそうなほど驚かされた。さっきまで考えをまとめようとしていた脳は、シワがなくなったのかと思わせるほどに何も考えられなくなっている。

 ひたすらに浮かんでくる疑問で放心状態に陥った佐敏を眺め、中年の保険医はため息混じりに声をかけた。


「実力は女王のプレデター・クイーンに迫ると噂され、一年以上その女王から隠れおおせた一般生徒がどんな奴かと思えば、なんとも間の抜けたもやしだな。これでも俺も一応は教員なんだから生徒のアバターは自由に閲覧出来るに決まってるだろ」


「あっ」


「そっか」


 二人揃って間抜けに納得する。

 これは完全に盲点であった。確かに入学当初に行われたアバターに関するオリエンテーションで「アバターのあらゆる情報は常に教員が閲覧可能なので悪用は不可能」という旨の指導を受けた覚えがある。当時はさして気に止めなかったが、こうなってみるとかなり重要な情報だったとも思えてくる。

 佐敏たちの間抜けさはさておき、そうなってくると教員は全員デュアル・マウスの正体を知っていることになるわけだ。それでいて約一年半の間デュアル・マウスの正体は一切不明を貫いてきたのだから、教師陣のセキュリティ意識の高さには舌を巻かざるをえない。


「まぁ、そういうわけで俺に隠し事をする意味はない」


 保険医の野太い声で思考世界から現実に引き戻された。


「そういえば、どうして俺を呼び止めたんですか?」


「ん?あぁ、お前ら何か内緒話でもしたそうにしてたからな、良かったらこの部屋使っても良いぞ」


「えっ?」


 これまた予想だにしない提案が飛び出してきた。困惑する二人を尻目に保険医は聞かれてもいないのに勝手に理由を話し始める。


「いやな、ぶっちゃけると暇なんだわ保険医って。そりゃ仕事もあるにはあるが、基本は生徒が怪我か体調不良でここを訪ねるまで待機だからな。そもそも、毎日の体調が厳密にデータ管理されてる今のご時世、よっぽど無茶するか殴り合いでもしない限り保健室なんてもんに出番はないんだよ」


「はぁ……」


 いまいちこの男が何を言いたいのかつかみきれないが、要は保健室に人がこなさすぎて暇である。ということだろうか。


「つまりはあれだ、めったに来ない客だからゆっくりしてけって事だ」


 仮にも体調不良でやって来た生徒を客呼ばわりとは、セキュリティ意識はともかく人間性に少々問題があるのではなかろうか。

 なおも思案顔で黙っていると、よっぽど退屈だったのか保険医の男はすがるように口調を変えてきた。


「どうせ他にアテとかないんだろ?俺は暇をつぶせてお前らは秘密の話ができる。悪い話じゃないはずだ。情報の漏洩について不安ならそいつは信用してもらうしかないが、あの御門欧華ミカドオウカにもバラさなかったって実績が一応ある」


 アテがないのは確かに図星だ。情報漏洩に関しては、かの完全無欠の女王ですら崩せなかった牙城なのだから心配などしていない。

 正直なところこの申し出に関しては一切の不満はなく、むしろ願ったり叶ったりとすら言える。唯一懸念があるとすれば和奈がこれを良しとするかどうかだが。


「どうしようか、御門さん」


「私は良いと思います。先輩さえ良ければ使わせてもらいましょう」


 これで全ての懸念はなくなった。決まりだ。


「じゃあ、お言葉に甘えさせていただきます先生」


「おう、入り口の鍵を認証モードに変更しといたから、不意の来客が来ても大丈夫だ」


「ありがとうございます」


 まさに至れり尽くせりの状況に感謝しつつ、二つ並んだ純白のベッドのうち一つに腰掛ける。佐敏としてはもう一つのベッドに和奈を座らせて向かい合って話をするつもりだったのだが、その意に反して和奈は佐敏の隣に座ってしまった。

 肩が触れ合うほど、とまではいかないが、ベッド一つに収まっているのだから距離としてはゼロに等しい。平然としている和奈に複雑な心境を察知されぬよう室内を観察して緊張を紛らわしていると、にやけ顔でこちらを見ている保険医と目が合った。

 早くもこの場所を選んだのは早計だったかと後悔し始めると同時に、ある種の安心感も抱いていた。セキュリティ上の不安はもちろん無い。しかしそれとは別になぜか心身共に落ち着けるのだ。数秒間思考を巡らしても答えは見つからず、結局謎の安心感の正体が分からぬままに二人の内緒話が始まった。






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