コイに釣られた二体
時が止まったかのように沈黙が生徒会室に鎮座する。質問の答えを待つために黙る和奈と欧華、対する佐敏と隼人は返すべき言葉を探して口をパクパクさせている。
「かふっ……」
隼人がようやく絞り出した言葉も緊張で噛んでしまう。
「勘違いですよ!俺ずっと相部屋ですけど、コイツがあのデュアル・マウスなわけ」
「隼人」
「な……い……佐敏?」
おどけた調子を崩されて苦笑いで佐敏に視線を向ける。当の佐敏は真剣な表情で和奈たちの方を見ている。
「ありがとう隼人、でも今回はいいんだ」
「でもよ……いいのか?」
「うん、俺の都合だけど今回は隠したくないんだ」
いつになく真剣な佐敏に気圧されて隼人も観念する。
「やれやれだねぇ、まっ確かに今回は騙したくないよな、相手が相手だしぃ?」
「う、うるさい」
若干赤くなって隼人を睨む。しかしそんなものに怯む隼人ではない、からかうような態度を取り戻してへらへらと成り行きに身をまかせる。
「話はまとまった?改めて聞くけど、あなたがデュアル・マウスですね?」
再び答えを要求される。だが今度は沈黙など挟まない、迷いなくはっきりとした声で正体を明かす。
「はい、俺がデュアル・マウスです」
このことを隼人以外に明かしたことはない。クラスメートにすら隠し続けてきた秘密だった。確信を待っていたはずの和奈たちも、少なからず驚いている。
「ほ、本当にデュアル・マウスなんですね?」
「本当です、なんなら今から対戦しますか?」
秘密を暴露して気が大きくなっているのか、平時には言いそうにない挑発的な台詞を吐く。前日の小市民的な態度の佐敏しか見ていないために動揺気味の和奈に代わり、欧華が返事を返した。
「望むところです」
その瞳には普段のおっとりとした欧華からとても想像できない、好戦的な光が煌々としている。
自分から仕掛けたことながら緊張を隠しきれず、無意識に握った拳に力を入れる。そして、もう一度パソコンのキーボードに触れようとした。
「と、言いたいところですが、そろそろ朝礼の時間なのでお預けにしましょう」
「えっ」
「デュアル・マウスの実力は気になりますけど、学生の本分を忘れてはいけませんからね」
直前の苛烈さはどこかへ消え失せ、いつもの温和な雰囲気に戻っている。その落差はまるで、突然挑発的な態度をとった佐敏への当てつけのようにも感じられる。
「いくつか確認したいのだけど、いいかしら?」
「何ですか?」
「デュアル・マウスのことは口外しない方がいい?」
「はい、出来ればあまり知られたくないので」
「分かったわ、それとそっちの君、末木君はデュアル・マウスとどんな関係?」
一瞬、誰に向けられた言葉か分からなかった。しかし、欧華の視線が隼人に向いていることに気づき、慌てて返事をする。
「い、いや!俺はデュアル・マウスとはあんま関係なくて、ただ単にコイツのルームメートってだけです」
「ちなみにアバターネームは?あ、聞いても大丈夫かしら」
「はい!無問題です!アバターネームは「ダーク・スレイヤー」でっす!」
隼人がアバターネームを名乗るたびに、佐敏は密かに隼人を尊敬していた。よくあんな恥ずかしい名前を平然と名乗れるものだ、と。
「あぁ!あなたがダーク・スレイヤーだったのね、いつも対戦してくれてありがとう」
「へっ?お、覚えてるんですか?あんなに弱っちいのに」
「確かにあまり強くないけど、ほぼ毎日対戦を仕掛けてくるんですもの、アバターのグラフィックまで覚えてるわ、それに、学園祭や体育会が近くて忙しい時は対戦を控えてくれてたし、生徒会のある日は時間をずらして対戦を申し込んでいたでしょ?」
スラスラと出てくるダーク・スレイヤーの情報の中には佐敏の知らないものもあった。そこまで気を付けて対戦していたのかと思うと、もう隼人の行為を笑えない気すらしてくる。
「は、はい!迷惑だけはかけないようにと思ったんで」
「嬉しいわ、私に対戦を申し込む人はたくさんいるけど、ちゃんとマナーを守ってくれる人って意外と少ないのよ、だからダーク・スレイヤーのことはよく覚えているわ」
「ありがとうございます!」
「ふふ、でも欲を言えば、もう少し強くなって欲しいわね」
そう言って話を区切り、携帯電話を開いて時間を確認した。すると、慌てて起動しっぱなしのパソコンをしまいはじめた。
「いけない!いつの間にか大変な時間だわ、もう朝礼が始まっちゃう!」
「お姉ちゃんが長話するからだよ」
今のやりとりの間に普段の冷静さを取り戻した和奈は、先に生徒会室から出て行ってしまった。佐敏も一度時間を見てから急いで自分の使っていたパソコンの電源を落とす。
そして、ようやく片付けて生徒会室を出ようかというところで朝礼開始のチャイムが鳴り響いた。
「あっ……」
「鳴っちゃった……ごめんなさい、つい話が長くなってしまって」
「あっいえ、時間を確認しなかったのは俺たちも一緒ですから」
そう言いながら生徒会室を出ると、和奈がドアの横の壁に背を預けて、廊下の反対側の窓から見える空を眺めていた。朝日に照らされた姿に思わず見とれた佐敏と隼人をよそに、欧華が和奈の正面に回り込んだ。
「どうしたの?先に行けばまだ間に合ったのに」
「だって……私の用事で呼び出したんだもん、一人だけ行けないよ、それに一人で歩くの嫌いだし……」
後半は声がすぼまってあまり聞き取れなかったが、欧華にはちゃんと聞こえていたようだ。
「もう、可愛いこと言っちゃって!」
「ひゃ!?」
和奈の悲鳴を聞いて何事かと目を見張ると、欧華が和奈を抱きしめて頬擦りをしていた。
「ちょ、ちょっとお姉ちゃんやめてよ!」
「えぇ~良いじゃない、姉妹なんだし」
「そうじゃなくて、先輩達が見てるからやめて!ていうか先輩見ないで下さい!」
美女2人の雅な光景に目を奪われていた佐敏達だが、和奈の必死の訴えで我に返った。
「ご、ごめんなさい!」
反射的に謝ってから半回転し、なおも続く抱擁から目をそらした。そして、邪念を誤魔化すように現状を打開できる言葉を探す。
「あ、あの……さすがにそろそろ教室に行かないとマズいと思うんですが……」
和奈を夢中で愛でている欧華に恐る恐る提案する。しばらく反応がなく無視されたかと思い始めた頃に、ようやく和奈を抱く腕を解いて服と髪の乱れを直す。
「ふぅ、あんまり可愛いからついつい抱きしめちゃったわ、見苦しいところを見せてしまったわね」
「いえいえ、大変結構な」
「黙れ」
平然と感謝を述べようとする隼人に隣の佐敏からツッコミが入る。和奈は羞恥のあまり顔を真っ赤にし、さっきとは違った意味で壁にもたれている。
「えーっと……じゃあそろそろ行きますんで」
控え目にそう告げてから、まだ名残惜しそうな隼人を引きずってその場を立ち去った。佐敏も後ろ髪を引かれる思いだったが、さすがにこれ以上の遅刻は許されない。ましてや、寮を出た時点で佐敏達が欧華達に呼び出されたことは周知の事実になっているのだ、どんな噂に発展しているかなど想像するのも恐ろしい。佐敏としては、一刻も早く教室に戻って収拾を付けたいのだ。
しかし、そうなると新たな問題も発生してしまう。それは「何故2人が呼び出されたのか?」と言う問いに対して、「自分がデュアル・マウスだから」と答える訳にはいかないからだ。適当な嘘をでっち上げてもいいが、気心の知れたクラスメート達を騙すのは佐敏の良心が許さない。何か上手い誤魔化し方はないかと思案しているうちに、教室はどんどん近づいてきてしまう。
「佐敏ちゃーん、もしかしてクラスの連中への言い訳とか考えてる?」
「言い訳って言うか……まぁ、言い訳だな」
「この際さぁ、バラしちゃえばいいんじゃね?」
隼人の言わんとすることを飲み込めず、一瞬遅れてようやく理解する。
「バラすって、デュアル・マウスをか?」
「そそ、あいつらなら他に広めたりしないだろうしさ」
「確かに、でも……」
「不安なのは分かるぜ、何せいくら仲良くても他人だからな、うっかりポロリってのもない話じゃない」
それが分かっているなら何故、と懐疑的な視線を向ける佐敏に、隼人はいつもより真面目な様子で言葉を続ける。
「でもな、女王様方に知られた時点でデュアル・マウスの秘密は崩れたんだ、これから先は広まる一方だと思うぜ」
「御門さん達が約束を破るって言いたいのか?」
佐敏の目に僅かな怒りが揺らぐ。それを知ってか知らずか、隣の親友は変わらぬ調子で言葉を紡ぐ。
「いや、そうは思わない、てか思いたくないな」
「じゃあなんで広まる一方なんだ?」
「今言ったろ?うっかりポロリだ、さっきの様子だと女王様達はまだデュアル・マウスに用がありそうだったし、これからもデュアル・マウスとして接していけば知らないうちに噂は漏れる、そもそも昨日の時点で王女様は「デュアル・マウスを知ってますか?」ってお前に聞いてるんだ、カンのいいヤツなら薄々気付いててもおかしくねぇ」
もっともな話だ。とっさに反論を思い付けず、小学生のような言い逃れを口にしてしまう。
「でも……今は嫌だ、心の準備ができてない」
「はぁ~、まっ想定内の返答だな、仕方ねぇから今回は俺が上手く言いくるめてやる」
「隼人……」
「でもな、マジでそろそろ覚悟決めろよ、この一年間デュアル・マウスが謎のままだったのは知ってたのが2人だけだからだ、今後御門和奈と関わりを保つのは、クラスメートに秘密を知られるのを恐れてるようじゃとても無理だぜ」
「……」
ついに無言になり、階段の踊場で立ち止まってしまう。仕方なく隼人も立ち止まり佐敏が何か言うのを待つ。
朝礼のこともどこかへ消え、しばらくうつむいて思考を巡らせる。いや、実際には同じことを考えては同じ結論にたどり着いているのだ。しかし、それを口にする勇気が今の佐敏にはとても振り絞れなかった。
「ごめん、もう少し考えたい」
「あいよ」
短い応答で話を締めくくり再び教室へ向かう。
デュアル・マウス、和奈、クラスメート、それらの間で揺れる佐敏の姿には、先ほど生徒会室で見せた豪胆さは影も形も見えなかった。
教室に帰ってからの隼人は驚くほど饒舌だった。
二人が教室にたどり着いた時には既に朝礼は終わっており、担任の教師は自分の受け持っている授業に行った後だった。残っているのは1時間目が始まるまでのわずかな時間をくつろいでいる生徒達だけだ。そこにやたらとテンションの高い隼人と逆にうつむいてどんよりしている佐敏が帰ってくると、途端にクラス中が静まり返った。その様子は昨日和奈が訪ねてきた時とよく似ている。途中だった会話を中断し、佐敏か隼人、または他の誰かが沈黙を破るのを聞き耳を立てて待っている。
「あぁん?何だよみんな急に黙っちゃって」
沈黙を破ったのは、いつもと変わらない軽々しさの隼人だった。
「あっ、ひょっとして俺らが女王様に呼び出し食らった理由とか気になってんのかなぁ?」
相手を苛立たせるにあたって非常に効果的そうな口調で言う。実際に男子の何人かは表情を歪めている。
「まぁ隠すようなことでもないし、教えてやるよ、なぁ佐敏」
「え?あ、あぁ……隼人に任せるよ」
お互いにしか分からないように意思を通じさせる。隼人の言葉には「デュアル・マウスを隠す必要はない」という考えが含まれていて、佐敏もそれを理解した。その上で「任せる」と言ったのだから、ある程度の覚悟は決めたようだ。
「いや実はさ、女王様が佐敏に対戦を申し込んできたんだよ、部活や委員会のボーナス無しでクラス代表になった生徒は珍しいとかってさ」
クラスメートの視線が喋っている隼人から隣で立ち尽くしている佐敏に移る。視線を感じた佐敏は、一度怯えたように体を震わせた。
「で、女王様は妹の王女様に対戦を教えてくれるコーチを探してたんだ、自分は忙しくてあんまり相手できないからってさ、そこで部活にも委員会にも入ってない佐敏が目を付けられたわけだ」
腕組みをして得意気に語る親友を感心して見ていると、突然後頭部に激痛が走った。
「いだっ!」
「あぎゃっ!」
一瞬目を閉じてから隣を見ると、隼人も自分と同じように後頭部を両手で押さえていた。そんな二人の後ろから、野太い老年の男性の声が聞こえてくる。
「さっさと席に着かんか、それともわしの代わりに授業してみるか?」
後ろにたっていたのはやたらとガタイの良い男性教師だった。声や喋り方は老人のようだが、外見はどう見ても四十台かそこらに見える。
彼は次の授業の担当教員なのだが、隼人の話に夢中になっていて、教室に入って来たことにも気付かなかった。
「す、すみません先生」
「サーセン」
隼人にだけ再び拳骨が見舞われてから、佐敏達は一時の日常を取り戻した。