仲間で味方で友人で
「王女」和奈の訪問を受け、「ファンクラブ」に目を付けられた日の放課後、佐敏のクラスではアバターの対戦大会が開かれていた。
そもそもの発端は、隼人が佐敏に対戦を申し込んだことだった。隼人としては様々な問題を抱え込んでしまった親友に気晴らしをさせてやろうという心遣いだったのだが、便乗して何人ものクラスメートが佐敏に対戦を申し込み、結果として小規模な大会が開催されてしまったのだ。
実のところ佐敏はクラス内でトップの対戦成績を誇っており、生徒会主催で行われる「クラス対抗アバターバトル」なる大会にも出場が決まっている。そのため佐敏と対戦したがる生徒は比較的多く、今回のような小大会はたまに開催されることがある。
そして今、佐敏は対戦の真っ最中である。相手のアバターの名は「ナイス・ガイ」、冗談のような名前だがクラス内では中堅程度の実力を持っている。長身で筋肉質な運動部を思わせる姿をしており、名前に恥じない好青年ぶりだ。ただし、顔はフルフェイスのマスクに隠されて伺えない。
佐敏の操るピース・ブライトと対戦相手のナイス・ガイは屋上で戦っている。もちろん現実の屋上ではなく、データの世界で構築された偽物の校舎の偽物の屋上だ。その証拠に、現実ではまだ日も暮れていないのに二体のアバターが戦っている屋上は満点の星空に包まれている。しかも、星と星が光の線で結ばれていて一目で星座が分かる仕様だ。
作り物の夜空の下、二人の戦いは佳境に入っていた。
「はっ!」
かけ声と共にナイス・ガイの手に握られた剣が横薙ぎに振るわれる。佐敏ことピース・ブライトはこれを身を屈めてかわし、一歩踏み込んで密着する。ピース・ブライトの武器も同じく剣。ゼロ距離ではどちらの武器も上手く機能しない。そうなると物を言うのは基本スペックだ。ほぼ全てのポイントを注ぎ込んだピース・ブライトと、アクセサリや整形にポイントを割いたナイス・ガイとでは埋めがたい差が存在する。その差を最大限生かして相手の対応が追いついていない間に肩で腹をカチ上げ、怯んだ隙に剣の柄を喉元に叩き込む。
「えげっ!」
流れるような連携に似合わぬ、妙なうめきが漏れる。アバターがダメージを受けても現実の生徒に痛みは無いが、ペナルティとしてアバターの挙動にダメージに応じたラグが生じる。連続してダメージを受けるとラグは徐々に短くなり、いずれは連携が途切れる仕組みだ。
ちなみに、このラグが生じる時に、各自で設定したうめき声を漏らすようになっている。今の妙なうめきもそれである。
「もらった!」
ピース・ブライトが気迫のこもった声と共に、ラグで動きの鈍ったナイス・ガイにとどめの一撃を見舞う。
『Game set!』
二人の視界に鋭いフォントの英字が表示され、対戦の決着を告知する。さらに視界は対戦成績を移し出す。
「もー!全然だめじゃん!私の攻撃全然当たってないし!」
「まぁ、基本スペックにだいぶ差があるからね」
「うーん、でも悔しい!自分ではイケると思ってたのに終わってみれば全然イケてないし!」
対戦の終わったピース・ブライトとナイス・ガイは、成績に表示される情報に目を通しながら対戦を振り返る。
「ファーストアタックは私が取ったのになぁ……ねぇピース・ブライト、どこが悪かった?」
「ファーストアタックは良かったよ、俺も油断してた、でもカウンターを警戒してすぐに下がったのがまずかったね」
冷静に分析するピース・ブライトの声は操っている佐敏本人のものではない。佐敏が購入した数少ないオプションの一つ「機械音声」により、生身の人間には不可能なデジタルな声に変換されている。
「せっかく先制が取れたんだから、多少の反撃は覚悟して追撃するべきだったね」
「あーそっか!そうだよねー!私のナイス・ガイは攻め型だし、引いたのは全然だめだったなぁ!ありがと!参考になったよ!」
対戦には負けたのはナイス・ガイだが、落ち込んだ様子は微塵も感じられない。むしろ清々しいほどに明るく、現実では満面の笑みを浮かべていることが容易に想像できた。あまり根暗な性格ではない佐敏でも、この明るさと前向きさは見習うべきだと常々思っているのだ。
「俺も楽しかったよ、またやろう」
そう言って対戦成績の画面表示を閉じる。と同時に、二人のアバターが戦っていた屋上は拍手の音に満たされた。見回せば、屋上には対戦者の二人以外に様々な容姿のアバターがいる。彼らは観戦者であり、現実では佐敏のクラスメートである。
観戦者側が希望を出し対戦者側が許可すれば、このように他人の対戦を同じフィールドで観戦できるのだ。ただし、観戦者はあくまでも観戦者。決して対戦者に触れることは出来ず、対戦成績の表示が閉じられるまで音声も遮断される。つまり意志をもった背景と化すのだ。
「やっぱピース・ブライトはすげぇよな、俺だったら開幕奇襲食らっただけでテンパっちまうよ」
「うん、あそこで慌てないあたりがさすがよね、今度のクラス対抗戦も良い線いきそうじゃない!」
各々特色を持ったアバター達が、お互いに感想を述べ合う。入学してから一度もメンバーの変わっていない佐敏のクラスは、学内でも有数の仲の良さを誇る。そのため、ほぼ全員がクラスメートのアバター名を知っているのだ。
それだけなら他にもそういったクラスはもちらほらあるのだが、佐敏のクラスが最も誇っているのはそこではない。担任を含めクラス全員が一番の自慢にしているのは、アバター名を本人の許可無しには一度も口外したことがないという事だ。
去年の冬、クラスの女子が三年の男子に言い寄られ、挙げ句の果てにストーカー紛いの嫌がらせまで受けたことがあった。その三年男子は柔道部に所属しており、佐敏のクラスにいた後輩をいたぶって例の女子のアバター名を含めた様々な情報を聞き出そうとした。が、その後輩は一切の情報を隠し通したのだ。翌日には、痣だらけで登校した後輩の証言でその事件が露呈し、三年の男子は停学処分後に自主退学した。この偉業とも呼べる仲が認められ、前年度の模範学級に選ばれたほどだ。
「おっし、次の試合始めるぞー」
隊長から大会主催に転職したダーク・スレイヤーこと隼人が進行を促す。それに従い、二人のアバターがピース・ブライト、ナイス・ガイ両名と入れ替わって屋上の中心に立つ。この時点でピース・ブライト達は観戦者となり、中心で向かい合う二人は周囲から切り離された。
そして、対戦の舞台に立ったアバターの視界には、鋭いフォントの英字が表示される。
『Fight!』
その後、大会は夕方の7時まで続いた。結果を見れば佐敏の圧勝、一番善戦したのは結局ナイス・ガイだった。クラス中堅のナイス・ガイが最善戦だったのには理由がある。それは、参加者の中に部活や委員会に所属している生徒がいなかったことだ。つまり、学校側からポイントのボーナスを受けた者がいないということになる。この状況下では、ポイントのほとんどをアバター性能に振っているピース・ブライトが断然有利になるのだ。ついでに言えば、ボーナスを受けていないクラスメートの中では、ナイス・ガイはピース・ブライトに次ぐ実力者ということにもなる。もっとも、その間にはとても遠い差が存在するのだが。
大会が終了すると、クラスメート達はバラバラと各自帰宅していった。残ったのは佐敏と隼人、それに数人の生徒だけ。残っているのは軒並み寮生で、最終下校時刻を過ぎても校内に残れる者ばかりなのだ。
佐敏と隼人も寮に戻ろうと出入り口に向かうが、二人の背中をバチンと平手で打たれて痛みに顔を歪める。その隙に二人の間をすり抜け、一人の女子生徒が目の前に踊り出た。
「佐敏くん!次はもっと強くなっとくから、覚悟しといてよね!今回の私とは全然違うんだから!」
活発そうなその少女に、二人は痛みで半分引きつった笑顔を返す。
「お、おぅ……一芽か」
「た、楽しみにしてるよ」
この少女、水原 一芽 (ミズハラ ヒトメ)は佐敏達のクラスの仲間にして、あのナイス・ガイの繰者だ。学生寮に住んでおり、佐敏と隼人とは入寮以来、つまり入学以来の知り合いでもある。明るい性格でいつも笑顔を振りまいており、男女共に人気は上々。髪は黒に近い茶髪で、肩甲骨の少し下までの長さがある。うなじあたりを結んでいる赤いリボンは、自他共に認めるトレードマークだ。引き締まった体をしており、一芽が佐敏のようなもやしでは無いことは誰の目にも明白である。実際、運動神経は抜群で部活の助っ人に呼ばれる事も珍しくない。そのくせ決まった部活には所属せず、数多の勧誘を全て蹴っているので、あまり快く思わない生徒も少なからず存在する。もっとも、それ以上に一芽を好意的に見る生徒が多いので、本人はあまり問題として感じていないが。
「二人とももう帰るんでしょ?寮まで一緒に帰ろうよ」
そう言いながらも、先に歩き出してしまう。二人としては、寮までの短い距離とは言え女の子から一緒に帰ろうと言われて断る理由はない。無言で承諾して早足で一芽に追いつく。
すると、一芽は思い出したように口を開いた。
「あっ!そういえばさ、佐敏くん」
「ん?何?」
「昼休みに王女様が来たのって、結局何だったの?そのあとにはファンクラブまで押しかけてきたし」
「いや俺にもさっぱり、デュアル・マウスを知ってるかって聞かれただけだよ」
昼休みを思い出しながら言葉を紡ぐ。思い出すうちについニヤケてしまうが、すぐに我に返って顔を正す。横目で見た一芽の表情はさっきと変わっていないので、おそらく見られてはいないだろう。反対側にいる隼人は顔を逸らしているが肩が小刻みに震えている。絶対に見られた。
「ふーん、デュアル・マウスってどっちの?」
「えっ?」
「だからさ、王女様のアバターと謎のアバター、どっちのデュアル・マウスかな?って」
「あ、あぁ……」
盲点だった、と佐敏は思う。一芽に言われたその時まで、佐敏は完全に忘れていた。この学校にはもう一人デュアル・マウスが存在することを、そして一つの不安に行き当たる。
和奈の質問に自分は的外れの解答をしていたのではないか、と。もしそうなら、和奈のあの不自然な反応も呆れから来るものだったのかもしれない。
「ねぇ佐敏くん?」
「あ、ごめん!なに?」
本日三回目の考え過ぎで相手を無視してしまったようだ。若干ふてたような顔をした一芽が佐敏の顔を覗き込んでいる。
「べっつにぃ~?ただ、王女様はまた来るらしいし、次は頑張ってって言おうと思っただけだよー」
「そうなんだよな……まだ終わってないんだよなぁ」
佐敏の言葉には、和奈がまた来てくれる喜びと、また注目の的になるかもしれない不安が含まれていた。一芽は前者の意味だけで捉えたようだが、付き合いのより長い隼人はきっちり両方の意味で理解していた。その上での反応が、気遣いなどではなくこの上なく楽しそうなにやけ顔であることを除けば、とても友人思いの良い奴である。
「じゃ、また明日ね!」
気付けば、もう寮の目の前まで到着していた。一芽は勢い良く手を降りながら、後ろ向きに歩いて行った。佐敏たちも手を降り返し、一芽が見えなくなってから自分たちも自室に帰って行った。