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第3章:漆と銅の「神の糸」

中山の地に巨大水車が鳴動し、青白い火花が散ってから半月。虎丸の次なる指示は、家臣たちをさらに困惑させるものだった。

「島中の素麺職人と、内海の漆塗りの名工をすべて集めろ。一人も漏らすな」

肥土山城の一角に設けられた特設の作業場。そこは、戦国時代の城とは思えぬ異様な光景に包まれていた。

「若殿……これはいったい、何の修行でございますか?」

右衛門尉が、鼻をつく独特の漆の匂いに顔をしかめながら問いかけた。

目の前では、島でも指折りの素麺職人たちが、小麦粉の代わりに「銅の棒」を囲んでいた。彼らの前には、虎丸が源太に命じて特注させた、硬い鋼鉄製の「穴あきダイス」が設置されている。

「源太、始めろ」

虎丸の合図で、源太が銅棒の端を掴み、力任せに鋼鉄の穴へと引き抜いた。

ギギギ、と嫌な金属音が響き、親指ほどの太さだった銅が、一回り細くなって送り出される。

「素麺と同じだ。一度に細くしようとするな。何度も、何度も、穴の大きさを変えて引き続けろ。目指すは、女の髪の毛よりわずかに太い程度の『銅の糸』だ」

素麺職人たちは、最初は戸惑っていた。しかし、彼らは「細く、均一に伸ばす」ことにかけては天下一品の技術者だ。

「へへっ、若殿。小麦粉をこねるより力がいりますが、理屈は同じですな」

職人たちは、次第にこの奇妙な「金属の麺作り」に熱中し始めた。

だが、本当の「狂気」はその先にあった。

引き伸ばされた数キロメートルに及ぶ銅の糸を、今度は漆職人たちが待ち構える部屋へと運び込む。

そこに座っていたのは、内海で代々続く漆工の長、甚兵衛じんべえだった。

「若殿、正気ですか。こんな細い針金一本一本に、漆を塗れとおっしゃるのか。それも、ムラなく、極限まで薄く……」

「そうだ。ただ塗るのではない。一度塗り、乾かし、さらに塗る。これを五度繰り返せ。漆が乾く際、ほんの少しでも塵が混ざれば、そこから『力』が漏れる。この作業の成否に、我が一族の命運が懸かっている」

漆職人たちは、息を詰めて作業に取り掛かった。

銅線の表面を磨き上げ、最高級の生漆きうるしを、刷毛ではなく「絹布」を使って薄く、薄く、撫でるように塗布していく。

城内では、この様子を見た武士たちが陰口を叩いていた。

「若殿は、父上の死で頭が触れたのではないか」

「戦の準備もせず、素麺屋と塗り物師を囲って、光る糸を作って何になる」

叔父の景連は、広間でわざとらしくため息をつき、「佐伯の家も、糸と一緒に細く萎んでいくのう」と嘲笑った。

だが、虎丸はそれらを完全に無視した。

彼は知っている。どれだけ強力な発電機を作っても、コイルが短絡ショートすれば、それはただの鉄と銅の塊に過ぎないことを。

数日後。

ついに、黒光りする数キロの「漆塗りエナメル線」が完成した。

見た目は、まるで美しい黒髪の束のようだった。

虎丸は、その糸を水車小屋の「心臓部(発電機)」へと持ち込んだ。

源太と共に、何日も徹夜をして、木製の回転枠にその漆の糸を数千回、寸分の中だるみもなく巻き付けていく。

「若殿、指が……漆でかぶれて、もう感覚がねえです」

源太が泣き言を漏らすが、虎丸の手もまた、漆による炎症で真っ赤に腫れ上がっていた。それでも、虎丸の目は爛々と輝いている。

「これで、龍の心臓に『血管』が通る。……右衛門尉、景連叔父上を呼んでこい。それと、島中の主な国人たちもだ。今夜、この島に本当の『神』を降臨させる」

月も出ぬ暗闇の夜。

伝法川の水車小屋の前に、不信感を露わにした一族の面々が集まった。

「さて、虎丸。糸遊びの成果を見せてもらおうか。まさか、光る糸を編んで着物でも作ったわけではあるまいな?」

景連が鼻で笑う。

虎丸は無言で、小屋から引き出された二本の太い銅線の端を握った。

その先には、特別に用意した「仕掛け」がある。

竹の筒の中に、真空に近い状態(職人が手作業で空気を吸い出し、蝋で密閉したもの)を作り、その中に炭化させた竹の繊維——「フィラメント」を閉じ込めた試作電球だ。

「回せッ!」

虎丸の怒号が響く。

上流の水門が開放され、巨大水車が猛然と回転を始めた。

増速ギアが唸りを上げ、発電機が「キィィィィィィン!」と、耳を劈くような高音を放つ。

漆で絶縁されたコイルの中を、膨大な電子の群れが駆け抜ける。

景連たちが「何だ、この不気味な音は!」と耳を塞いだ、その瞬間だった。

ボゥッ……。

漆黒の闇の中に、オレンジ色の小さな光が灯った。

それは、火ではない。煙も出ない。風に揺らぐこともない。

竹の筒の中で、ただ純粋に、強烈に輝く「光の塊」。

「……な、なんだ、これは……」

景連の嘲笑が凍りついた。

右衛門尉は、その場に膝をつき、ガタガタと震えながら合掌した。

職人たちは、自分たちが血を吐く思いで塗った「黒い糸」が、この光を生み出したことを悟り、涙を流して咆哮した。

「これが電気だ。火を越え、夜を殺す力だ」

虎丸は、光に照らされた己の赤い手を見つめた。

「漆と銅。地味な手仕事の果てに、龍の心臓は真に動き出した。叔父上、これでもまだ、私の家督継承に異を唱えますか?」

景連は、一歩も動けなかった。

目の前の少年が、武士の刀ではなく、理解を絶する「天の理」を掴んでいることに、底知れぬ恐怖を感じたからだ。

この夜、小豆島に伝わったのは「電灯」だけではなかった。

「佐伯の若殿は、髪の毛ほどの黒い糸で雷を縛り上げ、手懐けてしまった」

その伝説は、漆の匂いと共に、瀬戸内の海へと一気に広がっていく。

だが、虎丸は知っていた。

光が強ければ強いほど、その陰に潜む敵を呼び寄せることを。

内海の暗闇の向こう側で、塩飽水軍の斥候船が、この不気味な光を凝視していた。


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