第1章:龍の遺言と十五歳の家督
天文四年、睦月。瀬戸内に浮かぶ小豆島は、例年にない厳しい寒波に包まれていた。
伝法川の河口を見下ろす高台にある佐伯家の居城、肥土山城。その奥の間から、絶え間なく読経の響きが漏れていた。
佐伯家当主、佐伯景弘。享年四十二。
死因は流行り病であった。あまりに急な死だった。島内の水利を整え、塩飽水軍や四国の三好勢との危うい均衡を保ってきた「島の龍」の不在は、そのまま一族の存亡の危機を意味していた。
焼香の煙が立ち込める中、十五歳の嫡男、佐伯虎丸は、微動だにせず父の棺を見つめていた。その瞳には、十五歳らしからぬ冷徹な光が宿っている。
虎丸の意識の底には、もう一つの記憶があった。
かつて「令和」という時代に生き、電気工学を修め、インフラエンジニアとして働いていた男の記憶だ。数年前に高熱を出した際、前世の記憶が濁流のように流れ込んできた。それ以来、虎丸は戦国時代の小豆島という限定された舞台で、いかにして「電気」という最強の武器を再現するか、牙を研ぎ続けてきた。
「虎丸様、お顔を。親族の方々がお待ちです」
声をかけたのは、一族の古参であり、虎丸の教育係を務めてきた右衛門尉だった。
彼は実直で忠義心に厚いが、保守的で「武士は刀と槍で語るもの」と信じて疑わない。だが、虎丸の異能の才——特に彼が描く奇妙な図面や、山を歩き回って石や泥を集める奇行——には、密かに畏怖の念を抱いていた。
広間に向かうと、そこには虎丸の叔父にあたる佐伯景連をはじめ、一族の有力者たちが座していた。景連の目は、虎丸への哀悼ではなく、主の座を狙う野心にぎらついていた。
「虎丸、父上の急逝は痛恨の極み。だが、島は待ってはくれぬ。三好は阿波から虎視眈々と海を睨み、備前の浦上も不穏な動きを見せている。十五の若輩に、この荒波を越える舵取りができるのか?」
景連の言葉に、周囲の国人衆がさざ波のように頷く。
「左様、島内の伝法川の水利権を巡っても、中山の者たちが不服を申し立てておる。若殿では、彼らを抑えられぬのでは?」
虎丸は、ゆっくりと顔を上げた。
前世の記憶にある、複雑な回路図を組み立てるような冷静さで、叔父の顔を見据える。
「景連叔父上、ご心配には及びません。父上は亡くなる間際、私に『龍の心臓を動かせ』と言い残されました」
「龍の心臓だと? わけのわからぬことを」
「近いうち、皆様にお見せしましょう。伝法川に、この島の運命を変える新たな『力』が宿る様を」
虎丸の声には、有無を言わせぬ響きがあった。
葬儀が終わった後、虎丸は一人、伝法川の中流域へと馬を走らせた。
そこには、父・景弘との忘れられない記憶の場所があった。
三年前、この場所で父は虎丸にこう語った。
『虎丸、この川を見ろ。ただ流れているように見えるが、これは巨大な力だ。力は使い方を間違えれば人を殺すが、正しく導けば国を富ませる。お前の奇妙な考えも、いつかこの川のように国を潤すのか?』
当時の景弘は、虎丸が語る「雷を瓶に詰める話」や「火を使わずに光り輝く石の話」を、笑い飛ばしながらも否定はしなかった。
「父上、見ていてください。あなたが守ったこの島を、私は誰も手出しできない『神の領域』に変えてみせる」
虎丸は川岸の岩に腰を下ろし、懐から一枚の和紙を取り出した。そこには、伝法川の地形に合わせた、多段式の水車とラインシャフトの設計図が緻密に描かれていた。
背後から、足音が近づく。
「若殿、またこのような場所で……」
現れたのは、虎丸が密かに「懐刀」として目をかけている同年代の少年、源太だった。
源太は島でも指折りの素麺職人の息子で、手先が異常に器用だった。性格は少し皮肉屋だが、虎丸が語る「未来の景色」に誰よりも興奮し、忠誠を誓っている。
「源太、良いところに。例の『糸』の試作はどうだ?」
「へい。親父を説得して、一番細い延べ棒で銅を引かせてます。漆の方も、内海の職人に最高級のやつを用意させました。……しかし若殿、本当にこんな針金に漆を塗って、何になるんです?」
「これが『血管』になるんだ。雷を通し、この島を一つの生き物のように繋ぐためのな」
源太は首を傾げたが、虎丸の目は真剣だった。
「一族の連中は、俺をただの子供だと思っている。だからこそ、一年で仕上げるぞ。まずはこの川をせき止め、導水路を作る。農民には『干ばつに強い水利を作る』と言え。反対する奴がいれば、俺が直接話す」
虎丸は立ち上がり、伝法川の急流を見つめた。
1535年。日本中が下剋上の炎に包まれる中、小豆島の山奥で、歴史に記されることのない「革命」が始まろうとしていた。
鉄砲が種子島に来るまであと八年。
その時までに、小豆島を鉄砲すら無効化する「電化要塞」に仕立て上げる。
それが、十五歳の当主、虎丸が自分自身に課した最初の「下剋上」の定義だった。
「右衛門尉、源太。明日から忙しくなるぞ。まずは中山の者たちを集めろ。……俺たちの、龍の心臓を造り始める」
虎丸の言葉に応えるように、伝法川の激流が岩を噛み、轟音を上げた。
それは、これから始まる世界の変革を告げる、産声のようにも聞こえた。




