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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

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永遠の約束

掲載日:2025/12/05

 波しぶきが白い花のように散った。港の夜はどこまでも深く、どこまでも虚しかった。黒く沈んだ水面が、散りばめられた街灯の光りを細い刃のように反射させる。まるで、街そのものが二人に武器を向けている様にも見て取れた。

 午前0時、男と女は、張りつめていた空気の中で対峙していた。もうこれ以上、互いを傷つけない為にも、この場で決着を付ける必要があった。

 遠ざかるサイレンの音が、追っ手が着実に近づいていることを告げる。逃げ道は、もうとうに途絶えていた。

 否。二人は最初から、逃げようとはしていなかったのだ。

 「もう、これで終わりにしましょう……?」

 女が静かに告げる。その声に恐怖は感じられなかった。むしろ、長きに渡る戦いからようやく解放される者の安堵の色が滲んでいた。

 男は少しだけ視線を落とし、そして顔を上げた。その瞳に宿るのは、諦めではない。ただ一人の人間を深く愛した証の光だ。

 「そうだな、互いに満身創痍だ」

 なんでこうなってしまったんだろう。そもそも、この女を愛してしまったのが、間違いだった。自分を殺そうとする奴は、今までいくらでもいた。仕方ない、自分は裏社会を牛耳る組織の幹部なのだから。

 男も女だってそうだった。移動中にいきなり銃口を頭に突き付けられたり、自分を守るはずのSPが裏切ってナイフで襲いかかってきたり、毒殺を試みようとする女、ベッドの上でいきなり首を絞めてくる女、色々いたが、全て返り討ちにしてきた。

 だが、この女からは、ハナから殺意を感じなかった。生まれた時から、人を殺める訓練でもしていたのかというくらい、手際が良すぎるし、殺意を隠すのが上手すぎた。【無垢な殺意】とでも名づけようか、人を殺すのに何の躊躇いもないし、疑問も持たない。

 しかし、今彼女からは、明確な殺意と躊躇いを感じる。

 「どうした?いつものお前なら、俺を殺すくらい、造作もないんだろう?」

 殺してみろよ、と挑発してみると、女は大きな瞳から涙を流していた。

 「嫌よ……。今まで生きてきて、人の命を奪うことしか知らなかった私が、初めて愛されたんだもの……。その人の命を奪わなきゃいけない命令なんて、初めて裏切りたいと思ったわ。だけど、組織の命令は絶対なの。愛する人だからこそ、その命を奪いたいとも思ってる醜い自分もいるの、おかしいわよね、矛盾してるわよね、笑ってくれていいわ。自分でも何言ってるかわからないんだもの……」

 そう言いながらも、女は銃口を男の脳幹にびったりと定めている。

 「こっちも、引き下がるっていう選択肢はないもんでね。いくら愛した女でも、俺を殺そうと牙を剥いた猫は、始末せにゃならん」

 男は女の首元に愛用のフェアバーン・サイクスを突き立てる。

 互いに一ミリたりとも動かない。まるでぴたりとそこだけ空間が切り取られたかのように止まっている。ただ、緊張と、互いを慈しみあい、想い合う愛おしさと、純粋な殺意だけがその場を支配していた。

 「……こんなはずじゃなかったのにね」

 震える声が夜の風と共に溶けていく。

 「そうだな、最初に出会ったあの日、こんな終わりが待ってるなんて思いもしなかった」

 どちらともなく、ふたりは互いに笑った。

 哀しみと、愛しさと、悔しさと、幸福。その全てを混ぜ合わせた様な、最上級の不器用な笑み。

 男の手が、そっと女の頬に触れる。

 短い接触なのに、胸の奥に甘さが痛いほど響く。

 この街では愛は罪で、罪は死を招く。

 それでも――この温もりだけは、真実だった。

 「ねぇ」

 女が頬に添えられた手に、甘えるように頬を摺り寄せる。

 「来世って、信じる?」

 「信じたことはなかったが……」

 男は愛おしそうに女の頬を撫で、目を伏せ、続ける。

 「お雨となら、信じてみてもいい」

 クスリと女がはにかむように笑う。

 「じゃあ……また逢えるかしら?」

 「逢えるさ。俺がお前を必ず探し出してみせる。たとえ世界がまた敵に回ったって、その次の世界でも、そのまた次の世界でも、世界が味方になってくれなくても俺はお前を探して、出逢って、また愛し続ける」

 女は目を細めて笑った。まるで初めて愛を知った少女のように。

 「約束、ね」

 「ああ、約束だ」

 港にかかる看板の灯りが潮風で揺れる。ふたりの影が、ゆっくり滲み、重なり、ひとつの輪郭になった。

 この瞬間だけは、誰もふたりを引き裂けない。組織も、世界も、死さえも。

 「もしも、だ。もし俺が先に迷っても」

 男が囁く。

 「お前が手を引いてくれ」

 女が頷く。

 「逆だったら、あなたが迎えに来てね」

 「もちろんだ」

 ふたりは互いの手を取る。震えた指と指が絡み、離れられなくなる。その温もりは、生への執着ではなく、愛への執着を確かに示していた。

 「愛してる」

 「ずっと、あなただけ」

 たった一つの言葉が、この街のすべての嘘を塗り替えていく。

 深い夜も、冷たい風も、裏切りの連鎖も、今この瞬間には及ばない。

 やがて、世界が静かに呼吸を止めた。

 波音すら遠のき、宵闇がふたりをそっと包み込む。

 生きている限り、ふたりは敵同士。

 ならば、命の境界を越えた場所で、ようやく恋人に戻れる。

 ――死が、二人を解放する。

 ――愛が、ようやく成就する。

 暗闇の向こう側へ寄り添って歩む二つの影は、もはや引き離すことの出来ない一つの愛の物語だった。

 次の世界で、また出逢うために。

 誰よりも愛した相手と、永遠に共に在るために。





                      完


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