(58)テレーズとマーカス
再び、海上には不気味な沈黙が戻った。奇抜な流線型の正体不明の艦四隻は、水平線に隠れるかどうか、という距離を保って、テレーズの残存艦隊六隻と対峙している。
試みにテレーズは、一キロメートルばかり東側に艦隊を移動させ、撤退の素振りをみせた。だが敵艦隊は、約五・五キロメートルの距離を保ったまま、こちらに合わせて移動してくる。それでいて、仕掛けてくる様子はまるでないのだ。
「気味の悪い奴らだ」
テレーズは床を忌々しげに蹴り、通信官に確認した。
「まだ本部には繋がらないのかい」
「現在、海域上空の電離層に乱れが生じている関係で、長距離通信が安定しません」
「それも奴らの仕業じゃないだろうな」
冗談ではあろうが、あながちそうとも言い切れない、と艦橋にいた誰もが思った。ややラグがあってようやく通信スクリーンに現れたのは、テレーズいわく「中肉中背のサラリーマン軍人」こと、ケント・アーノルド少将だった。いちおう、形ばかりに敬礼をすると、少将は焦りの色を浮かべてわずかに身を乗り出した。
「ファイアストン准将、こちらでようやく戦況を把握できたところだ」
「では、全て把握ずみのうえで、小官は撤退の許可をいただきたく存じます」
テレーズは、それ以上の説明を試みなかった。戦闘は事実上の相討ちであり、これ以上の戦闘行為は軍事的にも、そして政治的にも無意味である。まして両軍ともに、おそらくは援軍を待つ余裕もない。
「待ちたまえ」
アーノルド少将は、何かを確認するように室内を見回した。少将がいるのは作戦本部で、おそらくその目の前には総司令官、作戦本部長、参謀長以下が控えているはずである。
「敵の殲滅は不可能か」
「おそらく不可能でしょう」
豪胆と明晰をもって鳴るファイアストン准将がそう断言すると、本部にはそれなりの緊張が走ったらしく、アーノルド少将は言葉を飲み込んだ。
「敵は謎の性能を有した新造艦を投入しています。映像データはすでにそちらに届いたかと思いますが、小官の知る限り、世界のどこにも、あのような形式の軍艦は存在しません」
テレーズは手元の立体ディスプレイに浮かぶ、艦の画像解析システムが読み取った敵艦の荒いデータを睨んだ。ピーナッツの殻、あるいはヒョウタンを流線型に延ばしたような、不気味に洗練されたシルエットである。砲塔は見えず、格納式になっていることがわかる。もっとも不気味なのは、艦橋が見当たらないことだ。
「小官の推測ですが、あの艦は無人艦ではないかと思われます」
「なんだと!?」
「断定はできません。あるいは搭乗員がいるのかも知れないが、普通の艦艇じゃないのは確かだ。どちらにせよ断言できる事があります。あの不気味な四隻の艦は、戦闘とは別の目的で動いているに違いありません」
「どういう意味だ?」
「この状況にあって、撤退も攻撃もしないのは、艦隊の行動として異常といっていいでしょう。我々の旗艦であるこのタンザナイト号に対して、積極的な砲撃を行ってこない。本艦は今彼等に対して、横腹を見せて浮かんでいるにもかかわらずです」
テレーズは、戦況マップを指で叩いた。テレーズの旗艦は現在、四・八キロメートルの距離で敵艦隊に側面を見せている。レーザーで確実に狙える状況だ。これはテレーズが、敵の意図を探るために作り出した状況である。アーノルド少将はやおら立ち上がり、これまでにないほど難しい表情を浮かべ、いったんマイクをオフにして、本部にいる面々と議論している様子を見せた。
ふいに少将は、何か怪訝そうな表情で斜め右の方向を向いた。誰かからの指示を受け取っているようだった。聞き終えると少将は立ったまま、テレーズを向いた。
「ファイアストン准将、指令を伝える。艦隊の戦術コンピューターを、これから伝えるネットワークに接続したうえで、撤退行動に移れ」
「何ですか、それは」
「リアルタイムで、敵の新型艦のデータを取得したい」
「なるほど。了解しました」
テレーズは内心で舌打ちしつつ、マーカスに命じて戦術コンピューターを指定のネットワークにつなぐと、本部から送られてきたパスコードを打ち込んだ。タンザナイト号と五隻の艦それぞれの戦術コンピューターは、本土のサーバーに直結されたことになる。
「撤退は君の指揮に一任する。無事の帰還を祈る」
それだけ告げると、本部からの通信は切られた。テレーズはコンソールわきにその巨体を載せると、乱暴に足を組んで荒い鼻息を吐いた。
「なにが無事を祈る、だ。艦が無事に戻らない時のために、リアルタイムでデータを送らせるって肚だろう」
「仕方ありませんや、俺たちゃ軍人です」
「マーカス、お前ほんとうに病院行ったらどうだい。いつからそんな聞き分けが良くなった」
冗談を吐きながらもテレーズは艦長らと状況を確認し合い、丸太のような腿をバンと叩いて艦長に命令した。
「ようし、全艦これより逆紡錘陣をとり、ニュージーランドへ向かう。しんがりはこのタンザナイト号が引き受けた。あの薄気味悪い艦隊がどんな行動を取っても、攻撃以外は意に介するな。艦後部にバリアを展開しつつ原速発進、レーザー射程距離を離脱したらバリア解除ののち、高速で航行せよ」
「追いすがってきたら、どうします」
「自分から敵陣に乗り込んでくるっていうなら、こっちの援軍を呼んで、包囲して太平洋の汚染魚のエサにしてやるだけだ!」
いよいよテレーズの地が出て来たところで、艦長が通信端末を手に駆け寄ってきた。
「准将、艦のメインコンピューターのシステム領域に、わずかに異常がみられると、制御ルームからの報告です」
「異常だって?」
「航行に差し支えはない領域でのエラーのようですが、このまま発進させてよろしいですかな」
五〇代前半、白髪のせいで六〇代にも見える長身の艦長は、その生真面目そうな外見どおり、律儀にテレーズの裁可を待った。テレーズはその堅苦しさに多少呆れつつ、むしろこれが普通なのかな、などと隣のマーカスと比較しながら、太い首で頷いた。
「プロの技師が航行可能だっていうなら、問題ないんだろう。予定通りだ」
「了解しました」
テレーズの艦隊は、タンザナイト号を最後尾に、敵艦隊に背を向けて海域を離脱し始めた。不気味な四隻の敵艦隊は、はたして同じように付かず離れずの距離を保とうとするだろうか?
そう、誰もが思っているところへ、敵艦隊は予想外の行動を取った。流線型の四隻の艦は、テレーズ艦隊の撤退を阻止するかのように、外側から回り込むような形で割り込んできたのだ。
「何なんだい、こいつらは!」
その、こちらを上回る速度に驚嘆と苛立ちを同時に感じながら、テレーズは即座に指示した。
「レーザー斉射! あの横腹をぶち抜いてやれ!」
言ったが早いか、何条もの青白い閃光が海面の上を突き抜けた。だが敵艦隊のバリアは異様に硬く、一撃くらう程度ではびくともしないようだった。
予想どおりというべきか、敵艦からも当たり前のようにレーザーによる反撃があった事が、逆にテレーズには不可解にも思えた。幸いかどうか、敵に対してこちらは正面を向いて展開しているため、バリアは最も強固に張ることができ、少しも損害を受ける事はなかった。
「タイミングを逃すな! 敵を包囲する形で、一隻ずつ集中砲撃してバリアを破るんだ!」
テレーズがそう命令を飛ばした時、操舵担当から驚くべき報告が入った。
「操舵システムに異常発生!」
「なに?」
「コントロール系統の制御信号が、外部からの干渉によって上書きされています!」
「どういう意味だい!」
艦長を差し置いてテレーズが怒鳴ると、若い男性の操舵担当は、蒼白の表情で振り返った。
「艦の運動が何者かによって乗っ取られています!」
「まさか、敵の仕業か!?」
その推測に、艦橋の誰もが戦慄した。要するに、敵によってこちらの艦がハックされた可能性がある、ということだ。正体不明の、どんな能力を秘めているかもわからない敵艦である以上、セキュリティシステムを破って相手をハッキングする事くらいは可能かも知れなかった。
「落ち着くんだ! 艦の制御は不可能なわけじゃないんだろう!?」
「制御命令じたいは機能しています! ですが、これはまるで……」
「細かい事はいい! 艦載機は発艦可能かい!?」
テレーズがレーダー担当に確認すると、担当の若い女性士官は戦況マップを睨んだまま叫んだ。
「現在、上空の磁気乱流は収まってきています! 各艦載機、発艦可能!」
「ようし、全艦一斉にありったけの無人艦載機を出せ! 使い捨てで構わない、空爆と主砲斉射で、あの色気の悪いピーナッツどもを殻ごと沈めてしまえ!実弾も同時発射だ! 駆逐艦は魚雷発射用意!」
テレーズは、鍛えられた腕を高く掲げて勢いよく振り下ろした。
「撃て!」
号令とともに、テレーズの気迫がそのまま物理現象に変化したかのような、苛烈な砲撃が敵艦隊に襲いかかった。敵艦はバリアごと艦体を大きく揺らし、バリアを突き抜けて実弾が装甲を直撃した。
驚くべきは、その装甲の強度だった。タンザナイト号の実弾主砲の直撃を受けてなお、わずかに損傷が見えるのみで耐え切ったのだ。
「化け物かい!」
テレーズが悪態をつくと同時に、約八〇機の無人艦載機が敵艦隊に上空から接近し、レーザー機銃とプラズマ爆弾の投下を浴びせる。さすがに何重もの攻撃を一度に受けると、流線型の艦体も損壊し始めた。破壊できないわけではない、このまま押し切る、とテレーズは次の指示を出すため、マイクスタンドを握った。
しかし、命令を下そうとした瞬間、またしてもテレーズに、不気味な悪寒のようなものが走った。まるで何者かの意志が、背後から語りかけているような感覚だ。二度も続くと、いよいよ恐怖よりは苛立ちが募り始める。
「なんなんだい、これは!」
突然首後ろを掻きむしり始めたテレーズを、マーカスが怪訝そうに見やった。そして、テレーズの口から発された命令は、驚くべきものだった。
「攻撃やめ! バリア全開、衝撃に備えろ!!」
その突然の指示に、対応できたのはタンザナイト号を含む四隻だった。突出していた両翼の二隻は、バリア展開のタイミングを逸してしまう。
次の瞬間敵艦隊から、目に見えない衝撃波が放たれてテレーズ艦隊を襲った。バリア展開が遅れた二隻は、まるで紙製のランチボックスのように、正面から押しつぶされ、激しくスパークして海上で爆散してしまう。
残りの四隻もまた、無事では済まなかった。バリアによって攻撃は耐え凌いだものの、バリアジェネレーターは負荷の限界を超え、オーバーヒートしてしまった。
「バリアの復旧までは!?」
「最低でも二五分!」
「後退しろ! 全速力だ!」
そう命じたものの、テレーズはそれが何の意味もない事を、既に悟っていた。それを証明するかのように、各艦のオペレーターからは悪い夢のような報告が立て続けに届けられた。
「艦が制御を受け付けません!」
「後退できず!」
終わった、とテレーズは直感し、コンソールにドンと手をついた。敵はまだ奥の手を隠していた。衝撃波を利用した兵器は存在するが、こんな桁違いの威力のものは、おそらく発生原理が異なる新兵器に違いない。
「マーカス、お前の指揮で搭乗員を可能な限り脱出させろ。救助艇、高速艇、使えるものは全部使え。あたしは最後に脱出する」
「馬鹿言ってんじゃないっすよ」
「あたしには艦隊を預かった責任がある。一人でも生き残らせるのが、今あたしにできる唯一のことだ」
その迫真の眼光に、マーカスは返す事ができなかった。八方破れではあっても、やはりテレーズ・ファイアストンは一人の軍人なのだ。その心意気に敬意を表し、マーカスは敬礼で返した。
「了解しました。ただし、小官も最後の一人を送り出すまでは脱出しません。それでいいですね」
「まったく、あたしの手下はへそ曲がりばっかりだ」
「上官が上官ですから」
マーカスにテレーズはニヤリと笑い、太い指で敬礼を返した。
敵艦隊からの攻撃はまだ来ない。流線型の艦体からは、何か白煙のような筋が流れ出ている。どうやら、敵の兵器もいくらかオーバーヒートを起こしてしまうようだった。艦橋から双眼鏡でその様子を観察していたテレーズは、コンソールで冷めきった合成コーヒーを不味そうに飲み干した。
「人生最後に飲むのがこれかい」
搭乗員の退避状況を確認しながら、テレーズは艦の自動操舵システムに命令を入力した。だが、入力したそばから、内容がリセットされてしまう。
「まったく何なんだい、これは! おとなしく言う事をお聞き!」
テレーズの剛腕がディスプレイを叩くと、パネルが歪んで画面が一瞬乱れた。さっき出て行ったばかりのマーカスが顔を見せたのは、その時だった。
「准将。いや、大佐。お元気そうですね」
「いつ降格させられたんだい、あたしゃ」
「しばらく大佐呼びで慣れてましたからね。准将はどうも、呼ぶ方としてはしっくりこない」
「何してるんだい、さっさとお前も退避しな」
一瞬、テレーズの目には軍人ではなく、一人の人間としての情の色が浮かんだ。マーカスは苦笑しながら、空いている椅子に腰をおろす。
「うっかりしました。最後のホバーバイク、自分が乗る予定だったのが、二〇代の可愛い子に奪われてしまいましてね」
「ふん」
テレーズはマーカスの性格をよくわかっていたので、それ以上訊ねることはしなかった。おそらくこれから先に待っているであろう結末に、わざわざ付き合ってきれる義理堅さが、勇敢にも、哀れにも思え、テレーズの目尻にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「退避は完了したね」
「海の上に救助艇やホバーバイクで逃げて、生き残れる保証はありませんがね」
「あとは各人の意志と運だよ。それじゃああたし達の仕事は決まりだ。もぬけの殻になった四隻で、退避した奴らの盾になる」
「といっても、こいつは言う事きいてくれるんすか」
マーカスは、コンソールの自動航行システム画面を指ではじいた。先刻、テレーズが打ち込んだ内容が勝手にリセットされたままである。四隻の艦は現在、真正面を敵艦隊に向けていた。
「武器はどれくらい残ってるんです?」
「ちょっとした花火大会をする程度かね」
「そいつはいい」
マーカスが肩をすくめると、テレーズは何か思い付いたように、マーカスを押しのけてコンソールの前に立った。
「どうしたんです」
「試したい事がある」
テレーズは、航行システムへのコマンド入力画面を開くと、マーカスに横目を向けた。
「あたし達は、この艦がハックされたんじゃないかと疑った。だが、そうじゃない」
テレーズは、試みにひとつの自動航行コマンドを打ち込んで、「決定」ボタンを押してみた。すると、驚くことに今度は、すんなりと命令が通ったのである。マーカスは怪訝そうに、コンソールとテレーズを交互に見た。
「なにがどうなってるんです」
「さっきまでのコマンド入力は受け付けなかったのに、この無茶苦茶なコマンドだけは受け付けやがった。自殺行為以外の何物でもないっていうのに」
テレーズは、虎にも噛みつけそうな歯をむいてニヤリと笑った。
「ようやくわかった。この艦隊は、ハックされたんじゃない。こいつはあたしに『決定』を促しているんだ」
「……こいつって……誰です?」
絶体絶命の状況にあって、否、むしろそのような状況だったからこその諦観ゆえか、マーカスは態勢を整えつつある敵艦隊を肉眼で捉えながら訊ねた。いったい、誰が何のために、何の決定を促しているというのか。
「似てるんだよ。あたしに、あいつが無茶苦茶な指示を飛ばしてきた時の感覚と」
「だから、誰が」
冷めきったサーバーのコーヒーを紙コップに注ぎつつ、マーカスはコンソールに打ち込まれたコマンドを見て思わず吹き出した。およそ正気とは思えないコマンドが、実行をスタンバイしている。テレーズは、一人の人物の不敵な笑顔を思い浮かべ、その名を告げた。
「あの坊やが、何らかの手段でこちらにアクセスしてきている。エリコ・シュレーディンガーさ」




