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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第五部
55/57

(55)フェンリル本部

 旧オペラハウス跡地正面の、二一世紀中ごろに開発が進んで、大崩壊後に衰退したビル街の中に、埋もれるように立つ九階建ての古いビル。ここが、海賊組織フェンリルの本部だった。

 二度の世界戦争と大崩壊を経て、世界中が衰亡と混乱の渦に巻き込まれた時代、三人の男がこの土地に、何者かに導かれたように集まった。


 一人は土着の漁師フィルマンで、のちに黒旗海賊として脅威となる集団が、貴重な漁場を荒らし回る事が彼には許せなかった。海賊からこの海を取り返す事が、彼の目的になった。

 だが、腕っぷしや人望があっても頭を働かせる事は苦手だ、と自身も公言するフィルマンに近付いたのが、やはり地元で電子機器の販売で収益を上げていた、イルハムという男だった。この男は「打算半分、人情半分」と悪びれもせず言ってのける人物で、事実そのとおり半分は、フィルマンの人望が自身の商売に役立つと考えて彼に近付いたのだった。

 

 フィルマンとイルハムは、地元の血気盛んな若衆たちを集め、まとめ上げる事にはひとまず成功した。黒旗海賊に漁場のみならず、家族や友人の命を奪われた者達だった。しかし人が集まっても、それをどう形にすればいいのか、どちらかと言うと『営業マン』から抜け出せないイルハムには決定できなかった。

 そこへ、はるばる北欧フィンランドから、大崩壊によって故郷を失った流浪の漁師、ハッカライネンが食い扶持を求めて現れる。八歳の息子を連れた彼は、下っ端でもいい、働かせてくれと頼み込んだが、フィルマンは何かこの男には光るものがある、と見込んで、この集まった頭数でどう黒旗海賊に対抗すればいいか、アイディアを求めた。


 そこでフィルマンは、海賊に対抗するならいっそこちらも海賊を名乗るべきではないか、と言った。それが、その時点でどこまで本気であったのかは、彼がすでに故人である今となってはわからない。だが、そのたったひとつのアイディアで、結果的に多くの男や女たちが、ひとつの旗のもとに集う事になる。統治機構や軍がほとんど機能しなくなっていた事も手伝って、あっという間に組織の母体が形成された。イルハムがどこからか、軍用の武器のデッドストックの仕入れルートを見付けてくると、いよいよ非合法の武装集団の様相を呈し始める。


 旗印はどこかの若衆が描いた、稲妻とドクロのマークに決まったが、問題は海賊の名前だった。骸骨団だの、サメ軍団だの、ろくでもない案がフィルマンのデスクに散らばる中、ここで、ハッカライネンの息子がアイディアを提供した。

 北欧神話に登場する、神をも喰らう巨狼フェンリル。この名を冠するのはどうか。そこに、滅びた故郷を偲ぶ親子の郷愁を汲み取ったフィルマンは、そのダイナミックな伝説にも好感をいだき、ついに海賊フェンリルが誕生したのだった。



「黒旗海賊との衝突の中で、ハッカライネンは命を落とした。その跡を継いで、実質のボスであるフィルマン、イルハムとともに、いまフェンリルを仕切っているのが、ハッカライネンの息子のミカだ。みんな、息子のこともハッカライネン、と呼んでいるが」

 リネットが飛ばすホバーバイクの後部座席で、レンレンはフェンリルの成り立ちをかいつまんで解説した。

「ハッカライネンは今、四十代半ば。すでに七十代のボス、フィルマンやイルハムに代わって、壮年の彼が実働面では指揮を取っている。あたし達からの報告も、最終的には彼のもとに届く」

「腕っぷしは?」

「生前の父親ほどではないらしいが、そのぶん頭が切れる。まあ、司令官が適任だったってことだ」

 レンレンはブラスターをいつでも放てる態勢を整え、アサルトライフルを提げると、木々が作る緑色のカーテンの向こうに見えてきたビル街を睨んだ。

「あの、壁がくすんだビルが本部だ」

 それを聞いたリネットは、木陰の死角にホバーバイクを静かに停止させた。レンレンは、ヘッドセットから団員全員に回線をつなぐ。

「レンレンだ。全員、待機しているな」

「いつでも行けます」

「中の様子は?」

 訊ねると、斥候役の若い団員から、ひそひそ声で報告が返ってきた。

「静かですが、やはり隊長の推測どおり、中は何者かによって占拠されています。ボス達の安否は不明です。ネットワークも遮断されていて、無線が通じません」

「当然の措置だな」

 舌打ちもせず、レンレンは灰色のビルを睨んだ。まるで静かだが、おそらく中には敵がひしめいている。

「例の陸軍兵士を殺害した奴らの仕業なら、相当に厄介な状況だ。暗殺が得意ということは、屋内でこそその真価が発揮される」

「どう動くの? 隊長さん」

 完全武装のリネットが、いつでもぶっ放すぞ、とグレネードランチャーをちらつかせた。ビルを崩す気か、と白い目を向けつつ、レンレンは逆に訊ねた。

「どうすればいいと思う? もと軍人としての意見を参考にしたい」

 このさい、リネットも作戦参謀として役立ってもらう、とレンレンは開き直った。リネットは、多少エリコに感化されたふうな様子で思案してみせる。

「敵はおそらく人質を取っている」

「まあ、そうだろうな」

「人質が取られた時に、まずしなくてはならない事がある」

「……正気か」

 レンレンは、言ったとおりの視線をリネットに向けた。リネットは至って真剣である。

「そう。交渉よ」

「まだ人質が取られているかどうか、厳密には確認してない状況だが」

「だったら確認すればいい」

 リネットは立ち上がると、迷うことなくアサルトライフルをビルに向け、微動だにしない見惚れるほどの姿勢で、アタッチメントに取り付けられた実弾式グレネードランチャーを発射した。あっという間の事だったので、レンレンには抗議をする暇もなかった。


 ビル周辺に潜むフェンリル団員の視界を、トビウオのように横切った弾頭がビルの外壁の角に着弾すると、それまでの静寂を盛大な爆発音と爆煙が破った。

「わあああ!」

 一五歳の少年レンレンは、二二歳の元女少尉の行動に驚愕し、ビルとリネットを交互に見て叫んだ。

「何を考えてるんだ!」

「だから交渉を始めたのよ。交渉に武器を使ってはいけない、という決まりはないわ」

「それは宣戦布告っていうんだ!」

 蒼白になって、レンレンはビルを眺めた。さいわい、弾頭はビルの外壁の一部を破壊しただけで、構造そのものには一切影響していなかった。

 そのとき、開いた穴の煙の向こうに、複数の人影が見えた。リネットはフォトニック双眼鏡で容姿を確認しようとしたが、熱のせいで視界が歪み、はっきりとは確認できなかった。

 しかし、この明らかな敵対行為を受けてなお、フェンリル本部からは人ひとり出て来ない。リネットは小さく頷いた。

「これでふたつの事がはっきりした。まず、本部は間違いなく何者かに占拠されたこと。でなきゃ、フェンリル団員が飛び出してくる筈だもの」

「ああ。そしてもうひとつ。敵はあたし達を、中に誘い込んでいるということだ」

「本部ビルに残っていたフェンリルの人間の数は?」

 リネットが当たり前のように無線で訊ねると、すぐに団員から返答があった。

「ボスの護衛が常に八名待機しています。他には事務その他の人員が、ざっと二〇名」

「ざっくり三〇人近い人間がいるわけね」

 生きていれば、とは口には出さなかったが、その可能性は全員が理解していた。ボス格の三人は人質のため生かされているかも知れないが、それ以外の人間が無事であるかはわからない。レンレンは、半ば諦めたように覚悟を決めた。

「わかった、リネット。ここであれこれ推測していても埒が明かない。突入しよう」

「あんたもクールそうでいて血の気が多いわね」

「このままじゃ、事態は動かない」

 レンレンの無線に報告が入ったのは、団員たちが痺れを切らし始めたその時だった。それは外部、スラウェシ島周辺に展開するフェンリル部隊からのものだった。

「本部へ! 現在、スラウェシ島周辺海域において、黒旗海賊の侵攻に応戦中! 敵本隊の船団は、カリマンタン島北部へ向けて移動を開始したもよう!」

 レンレンは、鳩尾のあたりに寒風が吹き込むような戦慄を覚えながら、いよいよかと覚悟を決めた。

「こちらはバリクパパンの指揮を執ってるレンレンだ! そっちの指揮は誰が執ってる!?」

「西方面をファジャル、東方面をエドモンドが仕切っています!」

「戦況は!?」

「周辺の島に上陸した連中を追い払って、いま睨み合いの状況です!」

 まるでこの本部ビル前の状況と同じだ、とレンレンは舌打ちした。

「そっちも大変だと思うが、いちおう手短に伝えておく。いま、フェンリル本部が何者かに占拠されている。ボス達の安否は不明だ」

「大丈夫なんですか!?」

「何とかする。そっちは任せたぞ。死ぬなよ!」

 ぶっきらぼうに通話を切ると、レンレンは本部ビル周辺の団員、総勢約三六〇名に告げた。

「あたしが中に突入して様子を見る。もしもの事があったら、マルシャ」

 レンレンは、マルシャと呼んだ二七歳の兄貴分に呼びかけた。年齢的には中堅だがリネット同様に軍隊出身で、誰からも信頼されている、やや小柄だが逞しい男である。

「指揮権をあんたに託す。それでいいな」

「わかった」

「それだけか」

「それだけだ」

 フェンリル団員らしいやり取りに、レンレンは苦笑した。入団してからというもの、気が付いてみればレンレン自身も、組織の色に染まってきたものだ、と自分で思った。ブラスターをホルダーに収めると、アサルトライフルをしっかりと構え、リネットに目で合図する。リネットは、やむなしという表情だった。

「あたしが号令を発したら、全員突入しろ。シマを荒らした奴らには、きっちりと礼をしてやれ」

「了解!」

 頼もしい団員たちの返事で、ヘッドセットのスピーカーが音割れするのを聴きながら、レンレンとリネットはそれぞれアサルトライフルを構えた。

「悪いが四人でいい、サポートを頼む。それ以上は動きが取りづらい」

 レンレンの指示でいかにも地元の人間らしい、浅黒い肌の若衆四人がめいめい、ブラスターやライフルを手にして集まった。四人は部外者でありながら完全武装のリネットに怪訝そうな目を向けつつ、本部ビルに向かうレンレンの周囲をガードした。



 年季の入った壁に無造作に、ドクロと稲妻の旗がかけられている。北側の窓を背にしたデスクには、落ち着いた色の長い金髪を真っ直ぐに垂らした、線は細いがよく鍛えられた男が、厳然と腕を組んでいた。両サイドに立つ、暗い灰色に青のラインが走る軍服らしきスーツをまとった、まだ少年の面影さえ残る紫の髪の若者が、ブラスターをそれぞれ頭と心臓に向けていた。

「立ちっぱなしで疲れただろうに。お茶を淹れさせようか。化学合成茶で申し訳ないが」

 男の――ミカ・ハッカライネンの冗談に、二人の若者は無言だった。

「若者は愛想よく振る舞うものだ。もちろん、嫌いな相手にまで笑顔を振りまく事もないが」

「無駄口はいい。我々の要求を飲む気になったか」

「それはハッキリと言ったはずだ。できない、と」

「いいだろう」

 若者が、同じ室内にいた紫の髪の女に合図すると、女は室内に連れてきた、両手を縛られた若者の頭をブラスターで撃ち抜いた。若者の遺体は、すでに倒れていた三つの遺体の上に、無造作に投げ出された。羽織った白いシャツには、ドクロと稲妻のバッジが留めてあった。

「これで四人目だ。自分の部下が殺されているのに、まだ要求を飲む気はないのか」

「人の脅し方がなってないな。あとで脅迫の仕方を、じきじきに教えてやろう」

「ふざけるな」

 こめかみにブラスターを突きつけるその表情には、言葉と裏腹に、およそ感情というものが見受けられなかった。ハッカライネンは、悠然と脚を組んで訊ねる。

「最近、物忘れがひどくてね。要求は何だったかな」

「ふざけるな」

 若者はハッカライネンの髪を乱暴に持ち上げ、露わになった耳に向かって言った。

「今すぐ、黒旗海賊への抵抗をやめるよう、お前の名でフェンリル全団員に通達しろ。土地も組織も島の人間も、全て黒旗海賊に明け渡せ」

「なるほど。抵抗が長引けば、双方ともに損害が出て、得られるものが減ってしまうということか」

「子供でもわかることを言わなくていい」

「まだ返答はできないな。フィルマンと、イルハムの無事をまず、確認させてもらおう。二人が無事でないなら、私が要求を飲む可能性は万にひとつも無くなる。ゼロの可能性が、マイナスになる」

「いいだろう」

 若者が女に指示すると、女は通信端末のディスプレイをハッカライネンに示した。そこには、両手両脚を縛られた状態で倉庫の奥に拘禁された、禿頭と白髪の老人が映っていた。

「ミカ・ハッカライネン。あなたの恩人でもあるフィルマンとイルハムの生殺与奪は、我々が握っていることを、よく理解されたい」

「我々、とはどういう意味だね? 君たちは黒旗海賊の一員か? 黒旗海賊が、そんな小綺麗に整った制服を支給しているとは、寡聞にして知らないが」

「そんなことはお前には関係ない」

 ブラスターの銃口から閃光が走り、ハッカライネンの左腕をかすめた。くすんだベージュのスーツが、一瞬で血に染まる。だが、ハッカライネンは脂汗ひとつ流すことなく、蚊に刺されたほども感じないといった様子だった。

「いい腕をしているな。痛みは与えるが、腕の機能までは奪わない。もちろん致命傷にも至らない。その若さで、いったいどこでそれだけの射撃技術を身につけた?」

「お前は痛みを感じないのか」

「君たちはどうだね? 痛みというものを、今まで味わった事があるのかね」

「うるさい。茶番はここまでだ」

 若者が再び指示すると、女はカメラつき端末をデスクに向けた。

「さあ、お前の名で、全団員に通達しろ。フェンリルは、黒旗海賊に組織と支配権を明け渡す、と」

「君がそう言えばいいではないか! 何のための人質だ? お前達のボスの生命は預かった、言う事を聞け、と言えばいいのではないかね? 何も私に言わせる必要はないだろう!」

 心底呆れた様子でハッカライネンは目をむいたが、若者は動じることなく答えた。

「それでは我々の望む結果に繋がらない。お前の声と言葉で直接、降伏の意志を通達しなければ、結束の強いお前達を屈服させる事はできない。これは計算によって導き出された事実だ」

「計算だと? 人が計算どおりに動くと、本気で思っているのかね?」

「うるさい」

 若者がかすかに憤りを見せたところへ、執務室内に一人の、同じ制服を着た別の男がやって来た。ブラスターをハッカライネンに突き付けたまま、若者は耳を向けた。

「どうした」

「ネズミが六匹入ってきた」

「計算どおりだ。その六人の中に、司令塔がいる。自ら最前線に出てくる愚か者だ」

 若者は、笑うでも苛立つでもなく無表情そのものの様子で、首に張り付くように巻かれた軟質薄膜ヘッドセットを通じて指示を出した。

「各階、拘束した団員はそのまま放置しろ。ネズミ駆除だ。指示どおりにな」

「了解」

 無機質な若い男女の声が、折り重なって返る。ハッカライネンは、わずかに険しい表情で訊ねた。

「指示とはどういう意味だ? 司令塔が他にいるのか」

「お前が知る必要はない。お前はただ、従えばいいんだ」

 若者は、再びブラスターのトリガーを引いた。しかしレーザーは背後のガラスを貫通し、虚空に消えて行った。

「実を言うと、お前がそういう態度に出る事は最初からわかっていた。計算の範囲内だ。ここまで茶番に付き合ってきたが、やはりそれなりの手段を用いる必要がある」

「薬物でも用いる気かね?」

「そんなものじゃない」

 若者が合図すると室内にいた数名が、三つの可搬ケースから取り出した器具を組み立て始めた。それはあたかもアルミニウムで造られた、母親の背にしがみつく幼児のような形態をしていた。

「あなたにはこれから、傀儡になってもらう。安心してほしい、フェンリルは存続する。我々の下僕としてね」

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