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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第五部
53/53

(53)海戦

 二二世紀初頭、軍事作戦における航空機の活躍の場は激減した。二〇七一年の人工ブラックホール暴走によって、地球全体の磁場に歪みや消失が起こった結果、航空機は特に高高度で電磁気の乱流の影響を受け、管制システムが異常をきたし、恒常的な運用が不可能になったためである。

 二〇七七年にユーラシア大陸東部で起こった戦争では、爆撃機の編隊が飛行中に一斉にシステム異常に見舞われ、攻撃目標から八〇〇キロメートル外れた山脈地域で墜落した記録が残っている。調査の結果、これは人為的なジャミングによるものではない、と公表された。また輸送機の事故で多くの人員や物資を失う事例も増え、しだいに空中輸送は長距離から近距離、低高度に限定されるようになる。

 しかし低高度運用は撃墜されるリスクも増大するため、やがてよほど困難な条件でない限り、輸送は陸路、海路が主になってゆく。航空機のみならず、長距離ミサイル等も目標に到達する前に爆発したり、着弾地点がキロメートル単位で狂ったりと、旧来の兵装や武器に限界が見えてきたのがこの時期だった。


 ちょうどその頃、船舶用の新型イオンエンジンや擬似慣性制御システム(緩和システムと呼ぶ方が近い)、空力コントロールシステムなどの発達によって、船舶の超高速運用が可能になり、軍事力の中心は実に数百年の時を経て再び海軍へ、それも「艦隊戦」という、おそらく当時の軍事研究者の誰一人も予想し得なかった、古典的な様式へと回帰することになった。



 南パシフィック連邦と南アメリカ大陸連合の艦隊戦が、どのようにして始まったのか記録は定かではない。後の証言でも、双方が「向こうから先に撃ってきた」と食い違いを見せている。

「敵艦隊まで距離五二〇〇! 艦数二八、こちらを包囲するような形に展開しています! まもなく交戦距離に入ります!」

 若い女性オペレーターが、レーダーおよび視覚情報をもとに金切り声をあげた。艦橋から水平線を睨むテレーズ・ファイアストン准将は、踵でひとつ床を鳴らすと、マイクスタンドをワイングラスのようにつまんだ。

「右翼側より敵艦隊側面へ紡錘陣をもって大きく旋回、正面からレーザーを斉射せよ! 一定の損害を与えたのち、陣形を維持した状態で前面に指向性シールドを展開しつつ後退!」

 地の底から響くような命令が、通信回線を通じて各艦に伝達された。側で聞いていた、参謀のようなポジションに収まりつつあるマーカスが眉をひそめる。

「右翼側からだと、扇状に展開した敵艦隊の、真横から攻撃を加えることになります。敵に与えられる損害は最小になりますよ」

「彼我の戦力差は?」

「こちらが二二隻、南アメリカ大陸連合軍は、その後合流した艦を合わせて二八隻」

 スクリーンのマップに表示された戦況を、テレーズは厚いまぶたの下から睨みつけた。

「それでいい」

「はいはい。何にせよ大佐……じゃない、准将の命令には従いますがね、あとで説明してくださいよ」

 言っているそばから、海上でのレーザー砲の応酬が始まった。潮風を熱で灼きながら、無数のプリズムが海面に閃く。水平線に浮かぶ艦影のいくつかが、煙を上げるのが目視でも確認できた。

「てっ、敵艦二隻を撃沈! 一隻を中破!」

 若いオペレーターの、震える声にテレーズは苦い笑みを浮かべた。

「こちらの損害は?」

「巡洋艦ライジングⅢが右舷を被弾! 損害は軽微!」

「よし! 全速で後退!」

 これで二六対二二だ、とテレーズは険しい表情で呟いた。敵艦隊はテレーズ艦隊の動きに合わせて、再び同じ扇状の陣形を形成しようと試みるのが見てとれる。だが、テレーズから見てお世辞にも艦隊運用が出来ているとは言い難く、まるでジャガイモのような塊がマップに表示されていた。

 敵の練度はともかく、これはテレーズにとって想定内の状況だった。テレーズは扇型の敵艦隊の側面に回ることで、敵艦隊そのものを障壁に利用したのだ。放物線を描かないレーザー砲撃が主体の戦闘では、後方の艦は自軍が壁となってテレーズ側を攻撃できなくなる。敵の数の利点を封じたテレーズは、まず与えうるダメージを与えたのち、敵が立て直すのに手間取るタイミングを見計らっていた。

「ようし、後退しつつ扇形に展開! 交戦距離六〇〇〇以上を維持しつつ、砲弾で攻撃せよ!」

「実弾を使うんですか!?」

 マーカスは、陣形を再編する様子を確認しつつ再び訊ねた。わざわざレーザーより命中率で劣り、かつ装弾数にも著しく制限がある旧式の実弾を使うのはなぜか。テレーズは逞しいアゴで頷いた。

「やればわかる。各艦、行動を急げ! 敵に陣形を立て直す時間を与えるんじゃないよ!」

 だんだん口調が乱雑になってきたテレーズは、紙カップの冷めた合成コーヒーを不味そうに飲み干し、自軍が約六〇キロメートルで敵艦隊を包囲したことを確認すると、再び叫ぶ。

「撃て!」

 テレーズの号令で、汚染海水から回収された金属で製造された無数の砲弾が、水平線めがけて発射された。そのうち六割は海に沈んだものの、残りは陣形が崩れて密集している「敵艦隊のどこか」に不規則に命中し、ある艦は艦橋を吹き飛ばされて横倒しになった。

「敵損害多数!」

 オペレーターの情報はいかにも大雑把だったが、敵の陣形が混乱をきたしているうえ、爆煙で状況の把握ができないのだ。テレーズは胸元で小さく十字を切った。

「あれだけ密集してれば馬鹿でも当てられる」

「最初から、これを狙ったんですか」

「あの赤毛の坊やじゃないがね、あたしだって経験とカンで、予測の真似事くらいはできる」

 生意気なエリコ・シュレーディンガーの顔を思い浮かべながら、テレーズはマップを睨んだ。敵艦隊はなお一九隻が無傷だったが、初手で出鼻をくじかれたためか、わずかに後退する様子を見せた。

「ストライカー発進準備!」

 ストライカーとは無人の小型攻撃機で、八〇年前のドローン攻撃機とさほど変わらない。性能が高い機体になると高速航行モードに変形し、時速五〇〇キロメートルを超える速度で攻撃目標に接近して、ピンポイントで精密攻撃を実行できる。

「敵艦隊との距離六〇〇〇を保て! 魚雷を放ってくる可能性もある、各艦警戒を怠るな! パルス機雷の敷設も用意せよ!」

 距離を六〇〇〇と強調しているのは、水平線に敵艦隊が隠れるギリギリの距離だからである。大昔の実弾による砲撃戦の時代は、放物線を計算に入れ、極端な例では二〇キロメートルを超える距離から、水平線の向こうの敵艦を攻撃する事もできた。しかし二二世紀現在は直進するレーザー砲が主体であり、また戦艦の小型化・高速化とあいまって、昔ほどの距離を取る事は戦闘が不可能になる事を意味した。

「よし、全艦敵艦隊へ艦首を向けつつ、距離を取って扇形に展開!」

 もう、テレーズの指令に異論を挟む者はいなかった。テレーズ艦隊は、水平線の向こうに浮かぶケーキに向けられたナイフのように、大きく隙間をあけて展開した。

 すると、ほどなくして敵艦隊も、実弾による砲撃を行ってきた。テレーズはこれも予測の範囲内であり、冷静に命令をくだした。

「自動回避システムを用いつつ前進! ストライカーを発進させ敵を牽制しつつ、レーザー砲撃可能な距離まで近付いたら一気に叩け!」

 流線型の戦艦の側面ハッチが開いて、まるで翼のついたマカロンのような、ホバーバイク大の無人攻撃機が飛び出した。

 敵艦隊からの実弾砲撃は、隙間をあけたテレーズ艦隊には容易に命中させる事ができなかった。発射の瞬間はストライカーが探知し、わずかな動きで砲撃は回避され、無数の波飛沫が海上に弾けた。


 ストライカーに対して、南ア連合艦隊もまた同一性能の無人攻撃機を展開した。無人のドッグファイトが空中に繰り広げられる中で、ようやく陣形を整えた連合艦隊に、テレーズ艦隊からのレーザー斉射が叩き込まれた。

 海上は一瞬にして、阿鼻叫喚の燃える地獄と化した。一瞬で死ねた兵士は幸福だった。ある男性兵士は千切れた自分の下半身を見つめながら、燃え盛る炎とともに沈む艦と運命を共にした。ある女性兵士は、爆風で折れて飛んできたマイクスタンドの支柱に、喉を貫かれた。一九隻のうち一一隻が沈没し、残りも中破、小破の打撃を被ると、もはやテレーズ艦隊の優位は揺るがないように見えた。

「マーカス、向こうに通信を繋げ」

「了解です」

 マーカスが指示すると、オペレーターはテレーズに頷いた。テレーズは神妙な顔でマイクに向かう。

「こちらは南パシフィック連邦海軍、テレーズ・ファイアストン准将だ。すでに勝敗は決した。願わくば降伏されたし。これ以上の死者を、我々は望まない。撤退するなら追撃は行わないことを、同じ海の軍人として約束する。繰り返す、降伏されたし」

 燃え盛る炎と黒煙の中で、敵艦隊司令がなお健在であれば、どう応えるか。ある意味では、レーザーの応酬以上の緊張があった。

 まだ返答はない。テレーズは静かに指示を出した。

「ストライカーを回収できるぶんは回収しろ。臨戦態勢を維持したまま、全艦待機。被弾した艦は下がらせろ。負傷した兵士の確認もだ」

 それだけ言うとテレーズは、コンソールに左手をついて、重いため息とともに十字を切った。

「こんなこと、いつまで続ける気なんだか、あたし達は」

 


 海の上での戦闘開始と前後して、レンレンとクリシュナのスケボーレースは続いていた。まるで馬鹿げているとレンレンは思ったが、クリシュナと会話を続け、何らかの情報を引き出すには、ゲーム中の通信機能を使うしかなかったからである。

「いつまでこんな馬鹿げたことを続けるつもりだ! クリシュナ、話があるなら直に来い!」

 真っ白な石畳が敷かれたアトランティス島の市街地を駆け抜けながら、レンレンは呆れたように叫んだ。だが、クリシュナは全く動じることなく答えた。

「同じ答えを繰り返して悪いが、それは許されていないんだ。いいかい、僕は今、たんにゲームをプレイしている『一般人』に過ぎない。一般人から、『方舟』だの何だのの情報を引き出せると思わないことだ」

「ああそうか、わかったよ。あたしも単なる一般人というわけだ」

「けれど、うっかり何かを洩らしてしまう事だってあるかも知れない。ちょうど、リリース前のゲームタイトルの内容を、関係者がネットワーク上で明かしてしまうようにね」

 クリシュナの言いぐさに、レンレンは鼻白んだ。この、声を聞くだけで狡猾、老獪だとわかる男が、意図しない形で何かを洩らすとは思えない。そして、意図して洩らすということは、向こうに都合良く事を運ぶ意図がある、ということだ。

「リネット、海の上での戦況の確認については君に任せる。あたしは、まだこいつのゲーム対戦に付き合わないといけないらしい」

「わかった」

「今の戦況は?」

「さすがに報道だけじゃ何ともね。まだ、始まったという事しかわかってない」

 リネットは、ワイドショーで喧々諤々の議論を交わす司会者や専門家たちの顔を見飽きて、ネットワーク上の交流サイトを覗いた。南パシフィック連邦の責任を問う者、南ア連合を糾弾する者、様々だ。

「問題は、この海戦があたし達フェンリルにどう影響するかだ。黒旗海賊どもにとっては、願ったり叶ったりだろう」

「当然だな」

 リネットとレンレンの会話に、クリシュナはまるで親しい友人のように割り込んできた。

「エリコでなくても、この先何が起こるかは想像できる。そのために、エリコはすでに指示を出しているんだろう?」

「うるさいな。リネット、悪いがあたしにヘッドセットをはめてくれ。プリセット三番のスイッチを」

 スケボーを降りなくては進めないルートを駆け上がりながら、レンレンはリネットに首を向けた。

「アンダル! あたしだ」

「おう。生きてたか」

「今のところはな。状況は?」

 タラカン島でフェンリル部隊の指揮を一任されているアンダルに、レンレンはそれなりの不安を認めつつ訊ねた。対照的にアンダルは、まったくもって普段どおりの様子である。

「まだ水平線に、小舟のひとつも見えやしないな」

「スラウェシ島はどうだ? あそこはファジャルが指揮を執ってるはずだな」

「まだ連絡はない。が、ぼちぼち黒旗どもも動くだろう」

「そうか。動きがあったら教えてくれ」

 いま、レンレン達を囲む立体スクリーンで繰り広げられるスケボーレースの裏で、南パシフィック海域で起こり得る戦乱についての通信が交わされている事など、ネットワークを通じてレースを観戦している、二三〇万のオーディエンスには知る由もないだろう。レンレンと、エリコを名乗るクリシュナが操作するキャラクターは、アトランティスステージのゴールである島中央のエネルギー中枢施設、『ツーオイ石』と呼ばれる六角の巨大な水晶柱まで六キロメートルという所に迫っていた。

「いいのかい、レンレン? 僕が聞いているのに、重大な通信をして」

「お前達は何もかも知っているんだろう、どうせ。なら隠しても無意味だ」

「本当にそうかな? 僕たちが、君たちの状況を全て把握していると、本気で思っているのか?」

「さあな」

 レンレンはコントローラーをさばいて、剣を構えたアトランティスの衛兵たちの頭上を飛び越えると、中枢施設に向かう長く広い道路に出た。ここからは何のトラップもない、無味乾燥なコースがしばらく続く。

「クリシュナ、お前達の目的は何だ? 何が目的で、この人間社会に干渉してくる?」

「レンレン、また間違えているよ」

「……何がだ」

「僕たちは、人間社会に干渉などしていない。信じられないだろうがね」

 素っ気なく言い放つクリシュナに、レンレンは『またか』と頭を横に振った。

「干渉していない筈がないだろう! あたしの前にも、エリコの前にも現れ、今またこうしてあたしに絡んできている」

「そこが間違いのもとだ。レンレン、僕たちは人間社会に干渉などしていない。関わったり、姿を見せたりはしているが、少なくとも『選択と決定』については、一切関知していないんだよ」

「お前――」

 声を荒げかけて、レンレンはひとつ気がついた。クリシュナは、『人間社会に』とわざわざ付け加えているのだ。それが何を意味するのか、レンレンは改めて理解した。

「お前たちは『方舟』と呼ばれる存在と、それ以外の人間を分けているんだな」

「僕が言ったわけじゃないよ。君がそう解釈したという事は覚えておいてくれ」

「まるで人間の政治家のような答弁だ」

 その皮肉に、クリシュナは声を上げて笑い出した。レンレンは二二世紀の科学が実現した、空気を直接振動させるホログラフィースピーカーの音に眉をひそめた。

「そうだろう! 人間の政治家たちの、あの醜悪で陰湿な答弁の応酬は、実に聴くに堪えない! 言葉尻をつかまえ、誤魔化し、隠し、誘導し、言質を取って、自分たちの利益に結びつける。それがリアリズムだと彼らは胸を張る! 何が現実かもわかってないくせにね!」

「じゃあ、お前は何が現実なのか理解しているんだな、クリシュナ」

「冗談だろう? 君だって、すでに理解しているんだよ。ただ、理解している自分を思い出せていないだけさ」

 まるでエリコのような婉曲な表現に、レンレンは呆れぎみに肩をすくめた。

「わかった、わかった。じゃあ何が現実なのか、説明してみせてくれ」

「その必要はないよ」

 クリシュナの操る黒いダイバースーツの男と、レンレンが操る女が、同時に高いゲートを左右の唯一のルートから飛び越え、レースはいよいよゴールまで二キロメートルを切った。

「もうすぐ、彼らは『現実』を知るだろう。いや、何が起きているかは永遠に気付くまい。ただし、自分達の認識を超える何かが起きている事は、悟らざるを得なくなるだろうね」

「海上で起きている戦争のことを言っているのか?」

「レンレン、無駄話は無しだ!見たまえ、あの美しい輝きを!」

 クリシュナのキャラクターが、ジェスチャーで進行方向にそびえ立つ、高さ九〇〇メートルはあろうかという水晶の柱を指した。『ツーオイ石』は陽光を内部で反射させ、神秘的なプリズムの輝きを放っていた。

「だが惜しいな、一万二千六〇〇年前に実在したツーオイ石とは、大きさも設置方法も異なっている。プラトンの時代にはすでに、情報が大きく誤って伝えられていたからね」

「……なに?」

 クリシュナの意味深な言葉に訝りながら、レンレンはゴールを目前にして、ゲーマーとして勝利を求める意欲に逆らう事ができなかった。

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