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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第五部
50/53

(50)シンクロニシティ

 不気味な静けさに包まれた夜のバリクパパン市内にあって、エリコとレンレンはアジトにしている廃デパートのホールに、どこからか立体映像プロジェクションのゲーム機を調達してきて、リアルスケールの対戦格闘ゲームに興じていた。

「てめー、隅に追い込むな!」

 エリコは額に装着された、真っ赤な脳波コントローラーの下で眉間にシワを寄せて、レンレンの幅寄せ戦法に抗議した。廃デパートのホール内は、まるで映像アーカイブで見る一〇〇年前の上海のような、人でごった返す猥雑なストリートファイト空間になっていた。

 二二世紀のゲーム機は、機種にもよるが、八〇年くらい前に使われていたのとそう遠くない両手分離式コントローラーに加えて、ヘアバンド型の脳波式コントローラーが併用される。これはもともと身障者向けに開発された補助装置だが、理論上は脳波のみでの操作も可能で、実際に脳波だけであらゆるゲームを攻略するマニアもおり、脳波オンリーのゲーム大会なども行われていた。レンレンは胸を揺らしながらコントローラーをさばいて、胸が際どい紫のドレスの格闘家を操り、容赦なくエリコが操作するグレーのジャケットのギャングを追い詰める。

「プログラムなんだから汚いも何もない!」

「おめーみてえな奴はみんなそう言うんだよ!」

 エリコは、脳波コントローラーに思念を送った。突然ギャングは手の操作では不可能な、素早く巧みな動きでドレスの女の喉元に掌底をくらわせた。時には手の操作より脳波の方が速く、四肢欠損のプレイヤーが五体満足なチャンピオンを下して、世界大会のタイトルを奪取した例もある。

「あっ!」

「お返しだ!」

 ハイキックの連撃が叩き込まれ、あっという間にレンレン側の体力ゲージが削られていく。焦ったレンレンはつい立ち上がり、変な姿勢でコントローラーを連打するも、あと一歩まで追い詰めたエリコに敗北を喫した。ドレスの女は脇で紅茶を飲んで観戦していたリネットの足もとに倒れ、コンピューターはエリコの勝利を宣言した。

「どうだ、ざまあみろ」

「八連続で負けてようやく勝てたのが嬉しいか」

「何を!」

「いいだろう、次で十戦目だ。エリコ、次にお前が勝てたらこっちの負けにしといてやる」

 だいぶ緩い舐めプレイだが、エリコは無言で頷いて、次に使うキャラの選択を始めた。迷彩服の軍人キャラが目の前に現れたとき、エリコはふと我に返って呟いた。

「予習で戦略シミュレーションゲームでもやるか」

 それは、たちの悪いジョークだった。いま、エリコの予測を裏付けるかのように、軍事的緊張が高まっている。呑気にゲームに興じているこのバリクパパンも、明日にもどうなるかはわからないのだ。

 一瞬、キャラ選択をするエリコとレンレンの手が止まる。だいぶ特殊な存在ではある自分たちだが、結局のところ、肉体的にはただの一五歳の少年である。いざ戦火に巻き込まれれば、リネットに護ってもらうしかできないのではないか。

 すると、沈黙を破るかのように立体映像空間に、エレキギターのリフとともに太いフォントで「挑戦者現る!」の文字が躍った。オンラインで、世界の誰かが対戦を申し込んできたのだ。申し込みの対象はエリコで、相手はプレイヤー名を「Matrix=メイトリックス」と名乗っていた。

 その名を目にした瞬間、どういうわけか、エリコは突然奇妙な感覚に襲われ、自分がどこにいるのかわからなくなるような錯覚を覚えた。

「エリコ、どうする。お前がやるのか。その腕前で」

 レンレンの煽りでエリコは我を取り戻すと、いまの感覚は何なのかと訝りながら、メイトリックスなる挑戦者との対戦を承諾した。


 エリコは迷彩服の軍人キャラで挑戦を受けたものの、頭ひとつ分も背が低いメイド服の少女キャラに、結局手も足も出ず惨敗した。エリコの実力に呆れたのか、メイトリックス氏が再戦を挑んでくる事はなかった。

「お前、ゲーム下手くそか」

 若干憐れみを含んだ声色のレンレンをエリコは睨んで、今のタイトルを終わらせると、今度は三次元のパズルゲームを起動した。

「格闘ゲームが苦手なだけだ!」

「性懲りもない」

 やや仕方なさそうに対戦を受けると、レンレンは落ちて来るブロックを操作しながら、エリコに何気なく訊ねた。

「お前、さっきはどうした」

「あ?」

「オンラインで挑戦を受ける直前、なんだか上の空みたいになってただろう。また何か、ビジョンが見えたのか?」

 エリコは戸惑いながらも、しっかりブロックを操って消していった。

 レンレンはエリコのスコアを見た。すると、エリコが言ったとおり、すでに大差をつけられている。どうやらパズルゲームは得意らしい。焦って反撃に出るものの、レンレン側のブロックは天井まで積み上がり、エリコの勝利となった。

「エリコお前、超能力使ったんじゃねーだろうな!」

「冗談だろ、ゲームは真剣勝負だ。汚い大人を罠にかけるのには何の良心の呵責もないが、本気の遊びでインチキはしない」

 脇で聞いていたリネットは、エリコの辞書にも良心の呵責という言葉が載っていたのか、と僅かに感心しながら、手元の端末でティーン女子向けの美少年がたくさん出て来る恋愛シミュレーションを遊んでいた。現実に身近にいる少年が特殊で偏屈すぎるせいで、ゲームキャラはなんて素直で普通でいい子たちなんだろう、などとリネットは思った。ちなみにこの手の恋愛シミュレーションゲームは、百年前から廃れていないらしい。

 

 ゲーム機をシャットダウンして人工香料入りのドリンクで一息つきながら、エリコは改めて、先刻感じた違和感について説明した。

「対戦のオンライン割り込みがあっただろう。あの瞬間、なんでか知らないが、自我が曖昧になるような感覚を覚えた」

「敵の仕業か?」

 レンレンは空になったクリアブルーの樹脂ボトルを握ったまま、不穏な視線をエリコとリネットに向けた。レンレンはここであえて、『敵』という明確な線引きをしてきた。少なくともエリコやレンレンを狙ってきた相手がいる以上、そこを曖昧にしては戦略が立てられない。

「エリコの推測なら、敵にもあたし達のような『方舟』がいるかも知れないんだろう。あたしみたいに神経に干渉するような能力を持った奴が、ネットワークを通じてエリコに干渉してきた、とか」

「筋は通りそうだが、飛躍しすぎでもあるな」

 エリコは、廃デパートの外の暗闇を睨んだ。心なしか、街明かりが少なくなったように見える。

「もし何者かが僕の精神や神経に干渉してきたのなら、そうと気付くはずだ」

「どうだか。最初に会ったとき、あたしの味覚操作にも引っかかっただろう。敵の攻撃を察知できなかった事だってある。お前自身が言うとおり、因果律に干渉できるお前の能力は驚異的ではあっても、エリコという人間が完全無欠ってわけじゃない」

 レンレンの指摘に、エリコは無言だった。

「仮にさっきのが、単に眠気のせいでぼんやりしただけだったとしても、敵はどこから何を仕掛けてくるかわからない。気は抜くなよ」

「わかってるよ」

 そう答えるより仕方がないエリコは、まだ動いているデパートの時計の針が二三時に近い事に気付いて、塗装の剥げたブロックから腰をあげた。

「悪いけど先に寝るぞ」

 今夜は最初の見張り当番がリネットとレンレンなので、エリコはさすがに眠気が回ってきたのか、やや重い足取りで自身の寝床に戻って行った。


 エリコがいなくなったところで、リネットは足もとの蚊除けデバイスの置き場所を直しながら訊ねた。

「敵にも『方舟』がいるとしたら、対抗できると思う?」

「敵の能力による」

 レンレンは古びたビニールのソファーに仰向けになり、鉄骨むき出しの暗い天井を睨んだ。

「そもそも、方舟といってもサンプルが少なすぎる。エリコ、あたし、そしてどんな能力なのか不明だが、あたしが過去に出会ったヴィジャヤラクシュミという女と……」

「エリコと私の前に現れた、クリシュナ」

 リネットは、夕暮れ時の海の上に立っていた、薄気味悪い青年の金色の瞳を思い出していた。エリコによるとクリシュナには、少なくとも二人以上の姉がおり、そしておそらくはその二人も『方舟』と推測されるという。その中の一人がヴィジャヤラクシュミなのかどうか、そこまでは確認のしようがない。

「エリコが見たという、人類の起源についてのビジョン、あれはどう思う? リネット」

 レンレンは顔だけリネットに向けて訊ねた。

「十数万年前の、やっとこさ文明らしきものを手にしかけながら戦争と気候変動で滅びかけていた原始人と、異星人の遺伝子を掛け合わせた試験管ベイビーが、聖書で描かれたアダムとイヴのくだりの真相だった、と。そんな、授業に飽きた中学生の妄想みたいな話、信じられるか」

「エリコのビジョンが真実かどうかはともかく。得体の知れない力を持った人間が複数いることは、すでに確認したわ」

 リネットの視線が、レンレンの金色の瞳に向けられた。

「あなた達の正体が、神様みたいに超越的な異星人の生まれ変わりなのか、あるいはたまたま超常的な力を持った『普通の人類』なのか、それはわからない。私にとってその真実は、好奇心のレベルで興味深くはあっても、問題の根本ではない」

「つまり、排除すべき敵かどうか?」

「そう。そして、対抗できるかどうか。それだけ」

「軍人らしい発想だ」

 いかにも肝のすわったリネットに、レンレンは心底敬服しつつ苦笑した。つまるところリネットにとって、敵が異星人の生まれ変わりだろうと、洞窟から這い出してきた地底人だろうと、エリコを護るという最優先のミッションに比すれば、取るに足らない事なのだ。

「もし敵にエリコやあなたのような、特異な能力を持った相手がいたら、厄介なのは間違いない」

「エリコによれば、あのヴィジャヤラクシュミはエリコの精神の内側にまで干渉してきたそうだ。ひょっとしたら、エリコと似たような能力の持ち主なのかも知れない」

「その女は敵なの?」

 リネットの問いに、レンレンは答えられなかった。少なくともレンレンを失語症から救ってくれたのはヴィジャヤラクシュミであり、敵、と断定するのは難しい。レンレンは仰向けのまま肩をすくめた。

「わからない」

「けど、間違いなく何か知っている。私達の知り得ない何かを」

 重い沈黙が流れた。少なくともエリコが異常才覚者矯正施設島を出て以降起きている、一連の出来事。そこに、どうやら『方舟』という存在が関係しているのは、間違いないようだった。

 問題はその真実が何であれ、それによって何が起きるのか、そしてエリコやレンレン、リネット達に危険が及ぶのかどうかである。だが、真実の一端らしきものは波間に時折顔を見せても、その全容はいまだ水面下にあった。


 

 バリクパパン市内の空気が変わったのは、SPF連邦政府と南米大陸連合の首脳会談が行われた、翌朝のことだった。突然、カーキ色の軍服をまとった歩兵隊が市内に展開し、レーザー砲をそなえた戦車やビークルが、市内の要所要所に配置されたのだ。それは、カリマンタン島中央に基地をもつ、SPF陸軍だった。

 当たり障りのない挨拶と、自分の懐具合の管理にだけは定評がある五〇代の市長は、TV中継カメラの前で、右後ろに控える偉丈夫の陸軍大将オールドの飼い犬のように、市民に通達した。

「えー、昨今の情勢不安に鑑み、カリマンタン島内外におきまして、陸軍が治安維持のため各地に展開して警戒にあたることとなりました。市民の皆様の生活に影響を与える事は決してありません。どうか、安心されるようお願いいたします」

 ここで、ほとんど市長を押しのけるようにして、まあ軍人以外に人生の選択肢はなかっただろうな、と誰もが思うオールド大将が画面の真ん中に居座った。

「ここ数日、SPF領内外の不安定な政情に、市民の諸君は不安なことと思う。ことに黒旗海賊が島を荒らした一件は、海軍駐留部隊の対応が十分ではなかったため、無用に島民に犠牲者を出す結果となった」

 これは露骨に海軍にあてつけた毒舌であり、陸軍がその威光を取り戻すための戦略であることは、誰の目にも明らかだった。髭をたくわえた、えらの張った厳しい顔面のせいで、いよいよ脇に控える市長が、通りがかりの中年男性にしか見えなくなる。

「黒旗海賊が再び、海域を荒らさないという保証はない。しかし市民諸君の生命は、我々SPF陸軍が絶対に護ることをここに約束する。仮に海が戦場になったとしても、陸軍は海でまったく戦えないと油断している黒旗海賊は、後悔する事になるだろう。諸君はこれまでと変わらず、安心して生活してほしい」

 それだけ言うと、カメラはいったん引いて市役所のホール内全景を映し出した。褐色肌の女性リポーターと、地元ワイドショーのスタジオが生中継で繋がれる。今オールド大将が述べた事を繰り返しながら、番組はダラダラと進行していった。

「こいつは大ごとだ」

 洗顔や歯磨きを済ませて廃デパート二階の小ホールに集まったエリコ、リネット、レンレンの三名は、通信端末が受信するTV放送を睨んだ。エリコはいつものように腕を組んで、難しい顔をして立っていた。

「陸軍が出張ってくるのは、想定外だった」

「お前のリーディングでも、か」

「完全に盲点だった。認めるよ。陸軍は海軍の陰に隠れてる存在だと……いや、そもそも存在じたいを認識してなかった、というのが正直なところかもな」

 まさにその海軍の少尉だったリネットを見ると、彼女もまたエリコ以上に難しい顔を見せていた。

「海軍は南米大陸連合軍との睨み合いで、身動きが取れない。陸軍がその存在感を示すには、このカリマンタン島は格好の場所だったわけね」

 リネットが目を向けると、急場にスタジオに呼ばれたと思われる、ゆたかな顎髭が特徴的な軍事評論家の男性が、情勢について意見を述べていた。テロップには、『軍事評論家ジョナサン・メイトリックス』と表示されていた。

「またメイトリックスだ。エリコ、お前がゆうべオンライン対戦で負けたメイトリックス氏も、実はこのおっさんだったんじゃないのか」

 不安な空気をごまかす意味もあって、レンレンは冗談めかして笑った。だが、エリコの表情を見てレンレンは怪訝そうに覗きこんだ。

「おい。またゆうべと同じ顔になってるぞ」

 なんとなく、血の気が引いたようにも見えるエリコは、わずかに白目をむいて、画面のメイトリックス氏、正確にはその名前のテロップを凝視していた。

「エリコ?」

 リネットも、何かおかしいと思って肩に手をかける。TV画面では眉毛の濃い司会者が、いったんCMに移ることを告げた。

 次の瞬間、流れて来た広告にレンレンは驚いた。それは企業向けの会計ソフトウェア開発などで有名な企業の広告だったのだが、聞き慣れていたはずの社名が、今に限っては驚きを伴って聞こえた。

「会計から債務管理まで、オールマイティーにサポートする。企業を、都市を、社会を支える、信頼のメイトリックス」

 またしても、その名前がレンレンとエリコの前に現れた。今の放送に関して言えば、TVを見ていた人間全てが等しく体験しているが、エリコはゆうべ、対戦格闘ゲームで『メイトリックス氏』からの割り込み対戦を受けているのだ。

「エリコ、こういうのを『シンクロニシティ』と言うんじゃないのか。たしかカール・ユングだったな。共時性、意味のある偶然の一致とかいうやつだ」

 さあ、どんな意味不明な雑学が飛んでくるか、とレンレンとリネットは身構えた。いかにもエリコが食いつきそうな話題だ。だが、いっこうに厭世評論家のエリコの解説が始まる気配はなかった。どうしたことか、とレンレンとリネットがエリコの顔を見た、その瞬間だった。


 エリコ・シュレーディンガーの姿は、音も立てず一瞬で、廃デパートの空間から消失した。

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