(5)軍紀違反
矯正センター内は、起きるはずのない事態が起き、混乱をきたして怒号が飛び交っていた。地下の発電用溶融炉が地震の衝撃で保安のため停止し、緊急予備電源が起動していたのだ。最新式のエネルギー炉の停止は「絶対に」起こらない、というお墨付きだったものが停止したことは、それを体験したことがない職員たちにとって衝撃だった。
地震はさらに断続的に続いており、警報システムはようやく、津波の警告らしきものを吐き始めた。
「なぜシェルター通路の手動ドアが開かないの!?」
シンシアは三〇代にしてはやや老けている、システム管理主任に詰め寄った。地下シェルターは矯正センター地下に九か所あるが、地下シェルターのゲートと、そこに至る地下通路の入口ドアの二重セキュリティ構造になっている。いまシンシアとその生徒数名は、システム障害で開かなくなってしまった、地下通路へのドアの前に立ち尽くしていた。
「避難用シェルターのドアが、なぜ手動で開けられないの!?」
シンシアの質問は当然だった。管理主任は唇を震わせながら、かろうじて答えた。
「しゅっ、収容者用のシェルターは、手動ハンドルのロックが、パスワードで遠隔管理される仕様になっています」
「……なんですって?」
それは、有り得べからざる事だった。緊急事態のための手動ハンドルであり、そもそも避難シェルターはそういうもののはずだ。なぜ、それが遠隔端末からロックを解除しなくてはならないのか。そこまで考えてシンシアは、あるいはその逆なのではないか、と訝った。ロックを解除するため、ではなく、「ロックするため」の措置だとしたら?
三〇代の管理主任は首筋に汗を浮かべながら、管理オペレーションシステムを立ち上げた端末を持ち、どうすればいいかわからない様子だった。怒りを通り越して呆れたシンシアは、自身が講義中だった生徒たちを振り向いた。
「止むを得ない、救助艇を私の判断で出動させる。みんな――」
「教官」
一人の、眼鏡をかけた冴えない印象の、金髪の少女が挙手した。
「私このドア、たぶん開けられます」
「なんですって!?」
「端末、借りていいですか」
半分寝ているような顔の少女は、寝ているような顔で進み出ると、狼狽するシステム管理主任の端末に手を伸ばした。だが主任も軍人であり、当然ながら軍の管理品であるシステム管理端末を、収容者の少女に貸し与える事はできない。くわえて、年端もいかない者に自分の職務と技能を否定された事へのプライドを、この状況下で発露してしまった。
「しっ、素人が触れるな!」
「あなたには出来ないかも知れませんが、私ならできます。緊急システムを立ち上げればいいんですよね」
一切動じる様子も見せない少女は事も無げに、構わず端末を取り上げようとした。主任と少女のあいだで、端末の引っ張り合いになる。やがて主任は震える右手で、腰のレーザー銃を抜き放つと、銃口を眼鏡の少女の額に向けた。
「お前のこの行為は反逆にあたる――」
矮小なプライドと責任感の化合物が吐き出されるより早く、シンシアのハイキックが主任の延髄に叩き込まれた。主任は情けなく崩れ落ち、シンシアは床に落ちる寸前の端末をキャッチしながら、自分は何をしているのだろうかと蒼白になった。
「懲罰房行きかしら。懲罰房が津波で水没しなければの話だけど」
どうして人は切羽詰まると、冗談を言い始めるのか、とシンシアは自問しながら、持ち主が昏倒してしまった管理端末を眼鏡の少女に手渡した。
「できるのね」
まだ半信半疑のシンシアだったが、少女はランチのトレーを受け取るのと変わらない調子でそれを受け取り、まるで自分の所有物であるかのように、管理システムにアクセスを始めた。少女は、隣にいた栗毛色の髪の少女と何かを確認し合いながら、ときに頷きつつ、冷蔵庫の奥から冷えた合成ゼリーを取り出すのと変わらない調子で、ひとつひとつシステムをハッキングしていった。
「地震で中枢システムはダウンしてるみたいだけど、末端の緊急システムは生きてる。簡単な仕組み。どうしてこの人は、この程度の対処もできないで、システム管理なんて任されていたのかしら」
「パスワードを解かないと、この先には入っていけないみたいよ」
「さっきの、管理主任の指の動きでだいたいわかる……緊急システムの画面を開かなきゃ、パスワードを覚えていたって無意味じゃない……ほんとうに無能なのか、それとも気が動転していたから凡ミスをしたのか……どちらにせよ、プロ失格なんじゃないかしら……」
眼鏡の少女は、床に倒れている哀れな管理主任に容赦のない罵倒を浴びせながら、隣の少女と二言三言会話したのち、数パターンのパスワードを端末に入力してみた。三度目のパスワードが正解らしく、地下シェルターに続く手動ゲートのロックが解除される音が響いた。黙っていた無口な大柄の女子がハンドルを勢いよく回すと、呆気なくドアは開く。
「教官、行きましょう」
「え、ええ……」
十代の少女たちに助けてもらった二六歳の中尉は、情けなく思うひまもなくシェルターへの通路を進んだ。全員がドアの中に入るのを確認すると、黙っていた浅黒い肌で黒髪の美しい少女が、金髪の少女に提案した。
「新しいパスワードを設定して、外部から開けられないようにできる?」
「ええ」
「それで私達は助かる。私達の棟のシェルターは、一〇人の人員が七二時間生活できるようになっている。この七人なら、約九〇時間は保つ。職員の人達は軍人なんだから、死も職務のうち。見捨てよう。この状況では、国家の都合で収容された私達に生き残る権利がある」
少女は淡々と、職員たちを見捨てていいという理論を展開し、見事に全員の罪悪感を払拭してみせた。両手には、いつの間にか銃が握られている。どうやら、どさくさに紛れて職員から盗み取ったものらしい。
「万が一兵士に遭遇して行動を阻まれたら、私が撃ち殺す。死体は本国から救助が来る前に海に捨てる。兵士の皆さんが私達を命がけでシェルターに避難させてくれた、と言っておけばいい。私は好きな時に涙を流せるから、泣き真似は任せておいて」
一ミクロンほども悪びれることなく黒髪の少女はそう言った。シンシアは、この少女たちが助かるのならそれでいい、と考えることにした。どのみち、自分も彼女たちの行動をサポートしてしまったのだ。
しかし、ともシンシアは思った。確かにこの少女達は、それぞれの分野で並外れた能力を持っている。だが一方で協調性とか、連帯といったものが感じられなかったのも事実だ。それなのに、今は信じられないほどの連携を見せている。
自分たち軍人は、戦術レベルでは個々の兵士の能力がものを言う。だがマクロの戦略レベルでは、上官あるいは司令部の指揮が、基本的には全てだ。この統率が取れた生存行動が、この地震を待ち構えていたかのように実行されたのは、はたして偶然なのか。他のグループはどうなっているのか。
◇
リネットはホバーバイクで移動しながら、音声でシンシアに確認の連絡を入れた。すると、こちらは大丈夫だ、むしろリネットは大丈夫なのか、という返信があった。
「たぶん大丈夫」
軍人としてはどうなのか、という短い返信のあと、リネットは通信を切るついでに、ホバーと自身の生体チップのGPSシステムも停止させた。
ほどなく前方に、直立して手を降っている、顔を知らないブラウンの髪の若い男性兵士がいた。やむなく停止してキャノピーを開ける。向こうはリネットがまだ若いため、階級も同程度と思っていたらしく、襟元の階級章を見て上官だとわかると、即座に姿勢を正した。リネットはシートについたまま声をかけた。
「どうしたの?」
「ベンソン上等兵であります。避難誘導を担当しています。津波接近のおそれがあり、指示がない者はセンター内へ避難するようにと」
そこで、エリコを捜索しているのだと言いかけたのを、リネットは喉元で止めた。
「私も自発的に避難誘導をして回っているの。許可は取っています」
「そうでしたか」
そのとき、兵士の通信端末にコールが鳴った。ベンソンは通信内容に頷くと、「了解」と答えてからリネットを向いた。
「リックマン大佐のチームより、通信が入りました。管理ナンバー331、収容者エリコ・シュレーディンガーを目撃した場合、すみやかに身柄を確保せよ、とのことです。またリネット・アンドルー少尉を発見したら、エリコ・シュレーディンガーの行き先について何か知っていないか質問せよ、とのことでした。場合によっては拘束も許可する、と」
そこまで言って、ベンソンはリネットの襟もとを凝視した。金色で横長のスクエアデザイン、飾りも何もないシンプルな階級章。そこで、リネットがまだ名前を名乗っていないことを思い出し、ベンソンは質問した。
「失礼ですが、姓名をお伝え願います、少尉どの」
ベンソンの右手が、かすかに腰のレーザー銃を引き抜く気配を見せた、その瞬間だった。リネットの右脚が、獲物の喉笛を掻き切るトラの爪のように弧をえがき、ベンソンの側頭部を直撃した。倒れるベンソンの背後に周り、すかさず首を締めて、脳への酸素と血流を止めると、ベンソンの身体はぐったりとなってその場に崩れた。
そこでリネットは、自身の行動について驚いていた。自分は何をやっているのか。正当な命令を受けた兵士を、その場の判断で失神させて行動不能にしたのだ。明らかに軍紀違反である。だが、いまのリネットにとって、軍紀や命令よりも優先すべき事があった。奇しくもそれはリックマン大佐からの、エリコ・シュレーディンガーの身柄を確保せよ、という指令と同一ではあったが、その内実はまったく異なっていた。
リネットは「ごめんなさい」と聞こえる事はない謝意を伝えながら、哀れなベンソン上等兵を彼が乗ってきた単座ホバーバイクに押し込めた。ついでにレーザー銃と予備エネルギーパック、ホバーバイクのエネルギーパックと生命維持パックを失敬すると、いちおうキャノピーを閉じておく。周囲に追跡者がいないことを確認すると、木々の間を隠れるようにホバーバイクでその場を移動した。その一連の行動は理性の産物というよりは、どちらかと言うと動物的カンによるものだった。