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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第五部
48/53

(48)深淵

 翌日一三時、南パシフィック連邦領域全体の、特に一般市民の間には少なからぬ動揺と緊張が走った。テレーズ・ファイアストン准将率いる第十二艦隊がニュージーランド周辺海域に到達するのと前後して、南米大陸連合軍の艦隊が、チリ・バルパライソ港から進発したとの報道が流れたのだ。

 艦隊数は二八隻と、ファイアストン准将の艦隊より多いが、これは航路が長くなるため補給艦が増えた結果であり、総合的な兵力としてはほぼ同等だった。タイミングからして演習と考える者は、おそらく皆無だった。


 開戦の機運に心なしか人影が少なくなった街を、エリコ達は廃デパートの屋上から見下ろした。旧式の水素エンジン重機が、どこかで解体作業をする音がとなりのビルに反響する。

「まずは『予報』の最初の的中、ってところかな」

 レンレンがフェンスに両ひじを突き、不安の入り混じった悪魔的な笑みをエリコに向けた。エリコの表情は、レンレンよりいくぶん険しかった。エリコの隣で中距離レーザーライフルを肩にかけるリネットも、苦い笑みを浮かべた。

「外れてくれれば良かったけどね」

「まだ外れる可能性はある。軍事的緊張を回避しよう、と両サイドが合意すれば」

 エリコはそう言うものの、リネットとレンレンはエリコの表情から、例によって的中してしまうのだろうな、と小さく肩をすくめた。レンレンは、腕組みしてエリコを向いた。

「エリコの『天気予報』が的中するという前提で話をするなら、むしろ直接的な問題は黒旗海賊だ。今後、エリコのリーディングどおりにフィジー沖だかで海戦が起こるとしたら、SPF海軍はそっちに引きつけられる形になるわけだな」

「ああ。黒旗海賊は必然的に手薄になるバンダ海、セレベス海で動きを起こすだろう」

「アンダルからの連絡だ。ファジャル、エドモンドと話し合って、黒旗海賊の拠点と思われる、北マルク州を包囲する形でフェンリルも部隊を配置する、と」

「黒旗海賊の拠点は定まってないのか?」

 エリコの疑問に、レンレンは小さく頷いた。

「奴らは根城というものを厳密には持たないんだが、北マルク州のあるハルマヘラ島北部は、環境汚染レベルが高いうえに、居住可能区域のほとんどがスラム化している。治安なんてものは無いに等しいから、フェンリル含めて周辺の人間は近寄らない。黒旗の奴らはそういう状況じたいをひとつの障壁として、利用しているんだ。北マルクが現在の、黒旗海賊の拠点と言っていいな」

「だが本質的には、奴らにとっては北マルク州にこだわる必要もない、と」

「そういうことだ」

「僕のリーディングが的中するとしたら、黒旗はこのカリマンタン島を狙ってくる。ということは、いよいよ明確な拠点を定めるつもりなのかな」

 エリコは、意見を求める視線をリネットに向けた。リネットは、ライフルのエネルギーパックを遠心力でグリップから外すと、左手でキャッチして胸の下のホルダーに挿した。

「それまで風来坊みたいに海を荒らしていた海賊が、かりに拠点を定める動きを見せたのなら、バックに何者かがついた、って事かもね」

「何者かって?」

「それこそ、あなたのリーディングで読み取れないの?」

 意見を求められた元軍人の威厳もなにもないリネットに、エリコは若干冷ややかな視線を向けた。

「レンレンにも言ったけど、いくら超常的な力があるからって、僕のリーディングにも限界がある。森羅万象の何もかもを、一人の少年が見通せると思う?」

「その、限界ってのが私達にはわからないけど」

「状況はもうすでに、僕の能力の許容範囲をオーバーし始めてるってことさ」

 海軍どうしの軍事的緊張、エリコとレンレンを襲ってきた謎の勢力、後頭部に謎の器具「バレッタ」を埋め込まれていた男、エリコのリーディングを阻むトラップ、そしてレンレンの過去の記憶から、逆にエリコにリーディングを仕掛けてきた謎の女。これだけでもう十分エリコの処理能力の限界に近づいているところへ、黒旗海賊がどう動きを見せるかわからない上に、バリクパパンを襲うかも知れない正体不明の敵の影までちらついている。エリコは降参のポーズを見せた。

「たぶん海戦が始まれば、最低でも三日間は終息しないだろう。海戦が長引けば、こっちへの影響も長引く。みんなで何とかしてくれ、ってのが本音だよ。僕のやれる事の七割はやったつもりだ」

 フェンスに肘をついてエリコが遠く水平線を睨むと、ほどなくして屋上へ通じる階段を登ってくる、小気味よい足音が聴こえてきた。


「いたいた」

 艶のある声をコンクリートに反響させて現れたのは、色の濃い鮮やかなブロンドをなびかせた、女医ジェルメーヌだった。あいかわらず白衣をまとっているその左手には、折り畳み式のヘビーデューティ仕様のコンピューター端末が握られていた。

「レンレン、なんだか大変だったらしいわね」

「大変な事ばかりで、どれの事を指してるのかわからないけど。エリコなんか、もう頭がパンクしかけてるってさ」

 エリコが相槌を打つと、ジェルメーヌは彫りの深い顔に意味深な笑みを浮かべた。

「エリコには申し訳ないけれど、またひとつ悩みの種が増えそうよ。ところで、そろそろブラスターを下ろしていただけると嬉しいんだけど、綺麗なお嬢さん」

 ジェルメーヌは強めの視線を、ブラスターのトリガーに指をかけたリネットに向けた。リネットはエネルギーパックを抜き取ると、素早く腿のホルダーに銃身を収める。

「ごめんなさい、条件反射なの。知らない顔が近付いてくると」

「じゃあ、顔と名前を覚えてちょうだい。ジェルメーヌ・ホーリィよ」

「リネット・アンドルー」

 はなはだ散文的な握手を交わすとジェルメーヌは、これまでどこでどんな目に遭ってきたのか、というほど傷んだコンピューター端末を開いた。中はいかにもヘビーデューティ仕様、現代的なホログラム仮想質量キーボードなどではなく、百年前の人間に差し出しても使えそうな物理キーボードとディスプレイだった。

「私の昔の仲間に頼んでおいた、例の『バレッタ』の破片の一次解析結果が出た」

 ディスプレイに表示されているのは、金属製のトレイに載せられたバレッタのバラバラの破片の写真と、素人には理解不能な、解析結果らしきデータの羅列だった。

「あいにく、どんな作用を脳にもたらす器具なのかは、根幹部分が完全に破壊されていて解析は不可能」

 そのための自爆装置なんだから仕方ない、とジェルメーヌは言った。

「けれど、このバレッタ以外のところから、予想外の情報が得られた」

「予想外? バレッタ以外のところ?」

 復唱するように訊ねるエリコに、ジェルメーヌはディスプレイ上のページをスライドさせ、別なデータを示した。それは解剖前に撮っておいた、バレッタを埋め込まれたジェームズ・ベケットの頭部のスキャンデータだった。突然現れた頭蓋骨に、エリコ達は一瞬背筋を強張らせた。

「バレッタの爆発は相当なもので、頭蓋後頭部の一部分が変形している。これは、頭蓋骨じたいを密閉された爆弾の容器として利用して、爆発力を高める設計になっていたようね」

「マイクロプラズマ爆弾?」

 リネットが訊ねると、ジェルメーヌは頷いた。

「さすが軍人。そう、火薬なしで極小の爆発を起こせる爆弾よ」

「そんな危ないもの、脳に埋め込む施術者も、手首が吹っ飛ぶ恐怖と闘わなくちゃいけないわね」

 リネットは半分皮肉をこめたつもりだったが、ジェルメーヌは「そこよ」とリネットを指さした。

「このバレッタは、埋め込まれたのではない事がわかったの」

 何を言っているんだ、とエリコ達三人は一様に首を傾げた。明らかに埋め込まれている物を、埋め込まれていないとはどういうことか。ジェルメーヌは説明を続けた。

「頭蓋骨のスキャン結果から判明した事よ。ジェームズ・ベケットの頭蓋後頭部には、バレッタの爆発以外に、過去に外科手術などによる切開の痕跡が認められなかったの」

「そんなバカな。じゃあ、あのバレッタはどうやって脳に埋め込まれたっていうんだ」

 レンレンが身を乗り出すように訊ねると、ジェルメーヌは顎に指をあてて、自分でもまだ完全に理解しきれていない、といった様子で答え始めた。

「二〇八五年、今から二三年前、当時まだ若かった、ある天才と呼ばれた科学者が、驚くべき新技術を提案した。けれど、理論上は可能なようでいて、実際は不可能なその技術は、誰にも見向きもされず、大崩壊の混乱の中に消えて行った」

「……どんな技術なんだ」

「ナノマシンの制御にホログラフィーの概念を応用して擬似的な自律性、集合知を与えられた構造体を構成する、という技術」

「素人にわかるように説明してくれ」

 レンレンが眉間にしわを寄せると、ジェルメーヌは微かに笑って答えた。

「要するに無数のナノマシンが、指示された場所で指示された通りの機械に自動的に『合体』するってこと」

「そんなことが出来るのか?」

 そう訊ねた直後、レンレンは「まさか」とエリコと目を見合わせた。

「……まさか、あの『バレッタ』は」

「そう。あの『バレッタ』は、おそらく頸部から脳に挿入されたパイプを通って、脳内で無数のナノマシンによって組み立てられ、脳に接続されたものに違いない」

「だから頭蓋を切開した痕跡がないってことか」

 レンレンは青ざめ、エリコとリネットは無言でジェルメーヌの話を聞いていた。ジェルメーヌの推測が正しければ、それは大掛かりな設備がなくとも、人間の脳内にバレッタを組み込む事ができる、ということだ。黙っていたエリコが、ようやく口を開いた。

「そんな技術を考案した科学者って、何者なんだ?」

「若くして画期的な理論を次々と発表しながら、ある時期を境に学問、研究の表舞台から姿を消した謎の人物。今どこにいるのか、生きているのかさえわからない。生きていれば、もう五〇代に入っているかしら」

 いよいよ謎めいてきたその人物の名を、ジェルメーヌは告げた。

「異端の天才、ライト・ヤングフォレスト博士」



 荒涼とした大地に不似合いな白いビルディングの、地下六〇〇メートル。さながら二二世紀のカッパドキアといった風情で、固い岩盤に近代的な通路が縦横に走っており、その天井には対照的に古めかしいアルマイトのダクトや強電ケーブルが、蛇の群れのようにうねっていた。

「進歩しない方がいい分野、というものがある」

 五名の白衣をまとった男女の先頭を歩く、長い白髪を首後ろで束ねた痩身のライト・ヤングフォレスト博士が、古風な眼鏡を透かして通路の奥を睨んだ。

「エネルギー伝達は長距離無線伝送を実現したが、見ろ。末端の設備や機器の内部は、二百年も前と大して変わらない銅線が使われている。なぜかわかるか、アキコくん」

 アキコ、と呼ばれた右後ろの黒いボブカットの女は、またいつもの博士の、中身があるようでいて何もない雑談が始まった、と思いつつ、いちおう応えることにした。

「お金がかからないからじゃないですか」

「アキコくんらしい経済観念だな!」

 独特の、鼻にかかったような博士の笑い声が通路に響く。

「だが、的外れでもない。答えは、必要のない進歩はむしろ後退を招くからだ!二一世紀、仮想通貨という現在では廃れたシステムが、世界中で蔓延っていた。なぜ先進的なシステムは廃れたか? そもそも、通貨という概念自体が仮想的なものだからだ! 価格が一Pドルの、蒸留水のビンがあるとする。一Pドル紙幣と蒸留水、砂漠で遭難した人間の命を救ってくれるのはどっちだ?」

「蒸留水です」

「そうだ! 通貨そのものに価値はない。価値があるという仮想の取り決めがあり、それが通用する社会でしか機能しない。六〇〇〇メートルの海底の深海魚に百年前の札束を当時の一〇億USドルぶん差し出しても、見向きもされないだろう。そんな仮想の情報にすぎない通貨の種類を無数に増やし、利用方法までも無数に増やした結果、どうなったか? 詐欺師が横行し、システムトラブルが多発し、自殺者が増えただけだ!」

 先進的なシステムは詐欺師という、時の初めから存在する悪党の道具にされただけだった、とヤングフォレスト博士はケラケラ笑った。

「あらゆるエネルギー伝送や信号伝達に、ことごとく無線伝送を使ったらどうなる? 送受信器と制御基板が増え、伝送損失も増え、トラブルが増えるだけだ。繋ぐ箇所によってはおとなしく、旧来の電線で繋ぐのが一番確実だし、コストもかからない」

 ようやくアキコの回答に話が戻って来たところで、黒く塗装されたゲートの手前で立ち止まった博士が、認証システムパネルに自身の掌をあてた。ライムグリーンの光が掌を走査すると、即座に電子音声が返ってきた。

「網膜 指紋 および DNA 認証 完了 しました ドクター ライト ヤングフォレスト および 同行者 の 立ち入りを 許可 します」

 たどたどしいガイダンスのあと、音もなくゲートが左右に開くと、奥に続く青白く光る通路から、背筋が強張るような冷気が流れてきた。ヤングフォレスト博士はいささかも身を震わせる様子を見せず、悠然とその冷気の中に足を踏み入れた。

「コンピュータープログラムも同じことだ。それが革新的に見えるほど、より優れていて、より正しいと人は思い込む。だが、どれほど革新的に見えるシステムであっても、解体していけば、土台となる部分はごく素朴なシステムなのだ」

 鉄のメッシュに足音を響かせて通路をさらに奥へ奥へと進む。その後、三箇所のゲートで認証を受けると、最奥部に待ち構えていたのは、特殊鋼によって造られた超高耐久の最終ゲートだった。ゲートの認証パネルに博士が手をかざすと、電子音声が質問を投げかけた。

「ここに到達するまでに、いくつのガス燈を見ましたか?」

「右に三六、左に三六のガス燈がありました」

 博士は答える。電子音声は続けた。

「ガス燈の下に何人の人間がいましたか?」

「一本ごとに三〇人の人間が集まっていました」

「ガス燈は地面から、真っ直ぐに立っていますか?」

「いいえ。わずかに傾いていました」

「傾いた理由をあなたは知っていますか?」

「地面が傾いているからです」

 博士がそう答えた瞬間、ゲートは音を立てて左右に勢いよく開いた。ゲートの中はエレベーターになっており、五人が乗り込むとゲートは閉じられ、さらに地下へと降りて行った。


 エレベーターを降りた博士たちを迎えたのは、まるで機械で造られた聖堂のような、高さは五〇メートル以上にもなる円錐状の広大な空間だった。中央には、螺旋状の塔のような形状の装置がそびえ立っている。

「さて、今日もまた、単純作業に取り掛かるとしようか」

 博士がパンと手を叩くと、四人のスタッフが塔状の装置の根本にある、コンソールパネル群に携帯コンピューター端末を手にして駆け寄った。博士は、いちばん近くにいたアキコに訊ねた。

「システム解析の目標は?」

「遅くとも三日後には終わらせます」

「三日か。まあ、十分だろう」

 博士は携帯端末でニュースを確認しようとして、今いる空間が主だった通信ネットワークから完全に遮断されていることを思い出した。

「できれば二日で終わらせてくれ。三日後は、楽しみにしている映画の封切りなんだ」

「どうせB級映画でしょう」

「バカにしたものじゃないぞ。タイトルは『チアリーダーコマンドVS殺人イルカ』だ!」

「楽しみにしてるの、世界でたぶん博士だけだと思います」

 コンピューター端末とコンソールパネルの端子をケーブルで接続しながら、アキコは白い目を博士に向けた。ヤングフォレスト博士は肩を震わせて笑う。

「くだらなく見えるものでも、誰かが見出すことで大きな価値に変わるのだ。そう、東洋の諺では『見放す神もいれば目をかける神もいる』と言うらしい」

「博士も、例の人物に拾われなかったら今頃、くだらない兵器開発をさせられていたんですよ。感謝しないと」

「しているとも! 感謝はね。だが私は、感謝はしても忠誠は誓わない主義だ。忠誠ほど下らないものはない! なぜなら人間は裏切る生き物だからだ! 私も含めてな!」

 博士はコンソールに近付くと、鮮やかな手つきでシステムを起動させていった。それは、まるで買い替え時を考えている自分の所有物のような鮮やかさだった。起動を確認したアキコや他のスタッフは、接続した携帯コンピューター端末側からも解析ツールを立ち上げ、昨日までの解析の続きを開始した。

「どんな神のようなシステムも、つまるところ人が造ったものにすぎん」

 機械の塔に接続された旧態依然としたケーブルを、博士は悪魔的な笑みを浮かべて睨んだ。

「もっとも原始的な方法が、もっとも有効なのだ……新しいものばかりを追い求める愚昧な阿呆どもには、一生かかっても理解できまい! 」

 機械の聖堂に響く博士の高らかな嘲笑は、厚い岩盤に遮られ、地上の何人にも届くことはなかった。


 アキコはその時ふと、そびえ立つ機械の塔から、誰かの声が聞こえたような気がした。だが見上げた塔は、冷たい作動音を微かに響かせるだけだった。

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