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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第五部
47/53

(47)女王の監獄

 アンダルはレンレンをバリクパパンに置いてタラカン島に戻り、黒旗海賊の警戒の指揮を執ることになった。レンレンは構成員としては下っ端ではあったが、上級幹部であるアンダルの直属ということもあって、なりゆきではあったがバリクパパン市内で、五名の構成員を従えて市内の一角を守ることになった。

「どうも調子が狂うな」

 廃デパート前の荒れた駐車場で自分を取り囲む、ピンクやブルーの花柄の、文字通り柄の悪い若衆たちを睨んでレンレンはぼやいた。

「あのさ、あたし別にあんたたちの兄貴分じゃないし、年齢的にはあたしの方が下っ端だから。そこんとこ、よろしく」

 いちおうレンレンはそう釘を刺したが、アンダルの劣化コピーというか、アンダルの若い頃はこんな感じだったんじゃないのか、と思える癖っ毛の若衆たちは、ブラスターを構えて姿勢をただした。

「フェンリルの掟、序列に年齢は関係ない。お前は実績も実力もある。俺達のことは部下だと思って、遠慮なく命令しろ。エリコ・シュレーディンガーの指揮にも、最大限従うよう言われている」

「じゃあ、ハッカ味のソーダ三人分買って来いって言ったら、買って来てくれるの?」

 冗談とも本気ともつかない調子で、うしろに控えるエリコとリネットを示しながら訊ねると、五人の中でいちばん若い(といってもレンレンよりは明らかに歳上な)若衆が薄汚れたカーキ色のホバーバイクに乗り込もうとしたので、レンレンは慌てた。

「冗談だよ! 言ってみただけ! わかった、わかった。とりあえず、連絡は取れるようにして、いったん解散していいよ。この駐車場が拠点だから、いつでもここに集合できるようにしておいて」

「アイアイサー」

「アイサー」

 ぞろぞろと若衆が、駐車場を囲う波打ちトタンの陰に消えていくのを見ながら、レンレンはため息をついた。

「あたし、まさか今後ああいう連中を手下にしなきゃいけないのかな…って、笑うな!」

 レンレンは、背後でクスクスと笑う失礼な部外者二名に凄んだ。エリコと打ち解けて以降、無理に作っていたような荒っぽさが後退したレンレンは、エリコ達にはそれが自然体であるように感じられた。

「フェンリルの返事は、アイアイサーが標準なの?」

 笑いながら、リネットが訊ねた。レンレンは、そういえばと顎に指を当てて考え込む。

「全員てわけじゃないけど、わりかし定着してるな」

「もともとは、かつてのイングランドとかアイルランドの海軍が使ってた返事よ。こんな南洋の海賊でアイアイサーっていうのも、不思議ね」

 すると、レンレンは思い出したように指を立てた。

「いや、別に不思議でもない」


 レンレンは、そもそもインドネシア海域の海賊でありながら、北欧神話の怪物の名を冠しているのは奇妙だと思わないか、と切り出した。そういえばそうだ、とエリコが頷くと、レンレンもそれに倣った。

「フェンリルの現在のボスは、三人いる創設者の一人で、大崩壊を機にフィンランドからここまで逃げ延びてきた漁師の息子なんだ。ボスの父親が、汚染されてもう帰れなくなった故郷を偲ぶことと、神々にも牙をむいたという荒々しい巨狼のようであれ、という意志をこめて、フェンリルと名付けたんだ」

「そいつはまた、スケールのでかい話だ」

 エリコはそのとき、ふいに海上で出会った謎の青年、クリシュナのことを思い出していた。クリシュナの語り口は、まるで自分たちが神か何かであるかのようだった。そしていまエリコは、神をも喰らったという伝説を持つ猛獣の名を冠した、海賊たちと行動をともにしている。それが偶然であるのか、エリコにはわからなかった。

「実際のところ、フェンリルの戦力ってどの程度のものなの? 黒旗海賊と比較して」

 リネットが元軍人らしい質問を投げかけると、レンレンはわずかに渋い顔を見せた。

「純粋な戦力そのものは、黒旗海賊に僅かに劣る程度だろう。人員の数では間違いなく上回っている。要は漁師と、それに関わる職人たちの集団だからな、本来は」

「そうなの?」

「ああ。あたしも構成員になって初めて知った。だけど、その戦力を日常的に当たり前のように誇示でもしたら、どうなると思う」

「海軍に睨まれることになるでしょうね。黒旗海賊みたいに」

「そういうことだ」

 あくまでも漁師の自衛組織、というスタンスを崩すことはできないし、実際そのとおりでもある。さらに、一般人に決して危害を加えてはならない、という鉄の掟もある以上、その武力を常に表に出すわけにはいかないのが海賊フェンリルの実情だった。

「黒旗海賊を潰そうと思えば、潰せないことはないだろう。だが、それをやるとこの海域は大変なことになる。黒旗を潰すかわりに、フェンリルもただでは済まないし、この地域の安全と経済は崩壊してしまう」

「エリコ、あなたの知略で何とかならないの、黒旗海賊を潰す戦略」

 いきなり話を振られたエリコは、無茶を言うな、と抗議した。

「一五の少年に、ひとつの海域の安全保障を委ねないでよ」

「半分異星人なんだから、それぐらい何とかしなさいよ」

「だから、今こうして不穏になってる情勢に、どう対処するか考えてるんでしょ」

 エリコは、通信端末に表示されたニュースを示した。SPF=サウスパシフィック海軍発表によると、テレーズ・ファイアストン准将ひきいる艦隊がオーストラリア大陸東部ブリスベンから、ニュージーランドへ向けて出発したという。この行動にはどんな意味があるのか、と多くの疑問と意見がネットワーク上では飛び交っていた。

「表向きにはこのあいだの、チリ沖に南米大陸の連合海軍が演習名目で艦隊を展開した件に対応した、と理解はできるけど」

「そもそも、向こうはどうしてこんな時期に、わざとらしい演習なんて始めたのかしら。まるで、自分たちから軍事的緊張を作り出そうとしてるみたい」

 リネットの何気ない意見に、エリコとレンレンも同調するように首をひねった。確かに、そんなことをして、誰に何の得があるのか。

「そもそも、今戦争を起こすような体力がある国、世界中に事実上皆無だろう」

 冷徹な事実をエリコは指摘した。大崩壊後も世界各地で戦争は起こってはいるが、そのためにただでさえ疲弊している経済がさらに疲弊するため、厭戦気分も手伝って、消極的にではあるが戦争から遠ざかろうという動きもある。だがそこでリネットが、誰かの厭世ウィルスに感染したかと思える口調で言った。

「まあ、国家がつねに理性的な判断のもとに戦争を起こすわけでもないけど。それならこの星はもっとましな世界になってるはずだもの」

「おっ、そうそう。リネットもいい感じにひねくれてきたじゃん」

 誰のせいだと思ってるんだ、というリネットの視線を無視して、エリコはもたれていた柱からホバーバイクに歩み寄った。

「まあ何が起こるにせよ、こっちも準備が必要だ。…といっても、どこから手をつけたものかな」

「ちょっと待て、エリコ。ひとつ確認しておきたいんだが、そもそもお前、こんな市街地でドンパチが起きたら、戦えるのか」

 今更だが、とレンレンは付け加えた。レンレンにしたところで、アンダルのもとで戦闘訓練を積んだ期間は実質一年と少しだが、実戦での経験はエリコは及ばない。レンレンがリネットを見ると、リネットはやや難しい顔をした。

「エリコの射撃の実力は本物。それは保証する。けれど、射撃と戦闘は異なる。それでもまあ、ここ何日かの間に、エリコなりに実戦は経験してるわ」

「…大丈夫なのか」

 怪訝そうに、レンレンはエリコを睨んだ。だが、当のエリコは涼しい顔をしている。

「問題ない」

「こっちはこれ以上ないくらい不安だ」

 レンレンは、雑草が蔓延るアスファルトを二度往復すると、エリコに向き直った。

「お前、本部で指揮を執れと言われたら、やれるか」

「本部って、フェンリルのか」

「そうだ。お前はどう考えても指揮官向きだ」

「なら、なおさら現場にいなきゃならない。僕は、千里眼を持っているわけじゃないんだ。いや、ひょっとしたら持っているのかも知れないが、まだその全てを自在に扱えるわけでもない」

 エリコは、自分自身の能力の限界を認めた。これまでエリコが真に超常的な力を発揮したのは総じて、エリコ自身やリネットが、絶体絶命の危機に陥った時に限られている。力を持っているのは確かだが、それを恒常的に発揮できるわけではないのだ。

 そこでリネットが進み出て、ひとまずの指針を示した。

「この三人が、動く本部になればいい」

「動く本部!?」

 レンレンは、怪訝そうにリネットの表情をうかがった。リネットは平静そのものである。

「全員、ヘッドセットを着用して全団員に指令を送れるようにしておく。エリコがレンレンをサポートして、レンレンが指揮を執る」

「リネットは?」

「私の仕事はまあ決まってるけど、そのための道具が要る」


 リネットの要望で、黒いソフト帽をかぶった短パンの若衆が、バン型ホバービークルに武器を満載して到着した。リネットは慣れた様子で、狙撃用ライフルやアサルトライフル、電磁手榴弾、実弾式グレネードランチャー、アーミーナイフ、電磁バズーカ、実弾式ロケットランチャーなどを仕分けしつつ、コンディションをチェックしていった。雑草が茂るアスファルトの上は、死の商人の棚卸しセールの様相を呈していた。

「まあまあね」

 およそ手練れのフェンリル団員でさえ普段目にするような機会がない武器を、リネットは十代の少女が次々とドレスを試着するようなキラキラした目で、全身に装着していった。防弾チョッキに手榴弾、ライフル用エネルギーパック、アーミーナイフ二本、両腰にハンドブラスター、腿になんだかよくわからない四角くて細長い器具三つ、背中にアサルトライフル、左手にロケットランチャーを提げ、最後に中距離レーザーライフルを肩にかけると、どうだ、といった様子でエリコ達を振り向いた。ソフト帽の若衆は、レンレンに耳打ちするように訊ねた。

「何が始まるんです?」

「第五次世界戦争かな」

 レンレンはやや青ざめた半笑いをエリコに向けた。

「一個小隊が相手でも大丈夫そうだ」

「これで、敵が来なかったら面白いけどな」

「ああ。リネットが通報されるだけだ」

 少年ふたりの爆笑が、トタンに囲われたスペースに響く。しかし空はエリコたちに水を差すように、文字通りの暗雲が垂れ始めていた。



 オーストラリア東部、クイーンズランド。まばらに木々が茂るだけの乾いた土地のただ中に、SPF=南パシフィック海軍が保有する土地があった。

 もとは陸軍所有の土地であったが、大崩壊後に世界で海軍が軍事力の主力になると、陸・空軍はその規模を著しく縮小され、装備や基地が海軍に接収される例は珍しくもなかった。

 

 細い川に沿う敷地に真っ白な角丸スクエアデザインの、およそ景色にマッチしているとは言い難い八階建てのビルディングが居座る様は、いかにも異様だった。その六階は、外観から連想されるとおりの近代的なオフィスだった。

「キーンズ主任、ちょっといいですか」

 オフィス西側のデスクに座っていた、東洋系のやや暗い肌をした三〇代の青年レイトンが、ひとつの帳簿が示されたホログラム仮想ペーパーを指でつまんで立ち上がった。

「本施設の予算データなのですが、この『予備予算六億二五五〇万Pドル』というのは、何かの間違いではないのですか?」

 その指摘にほんの一瞬、オフィス内の五人ばかりの人員の間に沈黙が走ったが、キーンズと呼ばれた四〇代後半の、年齢よりやや老けて見える白人男性が素っ気なく応えた。

「そう書いてあるんだろう」

「え、ええ、ですがこの施設のどこで、こんな額の予算が必要になるんです? ここは情報の分類整理や兵站に関する財務処理などを担当しているにすぎません。それがまるで、兵器開発でもしているかのような金額です。それと」

 レイトンが空中に浮かぶページをめくると、データは人員の給与管理画面に切り替わった。

「新たに今月から、一三名の人員がこの施設に登録されています。ライト・ヤングフォレスト研究主任、アキコ・ポスルスウェイト研究副主任……ですがこの研究チームと称する人員は、まだ一度も顔を合わせた事がありません。しかし、給与は間違いなく支払われています。ヤングフォレスト主任に至っては八八万Pドル! いくら何でも高額すぎやしませんか」

 いったいこの、中央部の兵器開発エリアから唐突に転属してきたヤングフォレスト研究班とは何なのだ、とレイトンは詰め寄るように訊ねたが、キーンズ事務主任は変わらず無表情だった。

「それが何か?」

「えっ」

「高額だからどうだというのだね? それに、我々が彼らと顔を合わせる必要はあるのかね」

 何の感情も含めずそう問われると、レイトンは気勢を削がれて一歩下がった。だが、それでもレイトンは重ねて訊ねた。

「私が訊きたいのは、本施設で何か、不正な金が動いているのではないかということです。あるいは、不正な金を動かすために利用されているのでは?」

「その金は君が関わっているのか?」

 まるで、冷蔵庫の合成ゼリーをこっそり食べたのは君か、とでもいう程度の調子で、キーンズ主任は訊ねた。一瞬、レイトンは返答に窮しかけたものの、どうにか平静を保って小さく答えた。

「い、いえ……そのような事が、ある筈がありません」

「なら問題ない。この部署の仕事は、入ってきたデータ、受け取ったデータ、出ていくデータを、そのまま間違いなく受理、伝達、そして保存管理するだけだ。そのデータがどんな意味を持つかなど、考える必要はない」

「そっ、それは、そのとおりですが……」

「楽な仕事じゃないかね? 君は確か、ポート・モレスビー基地で上官に物資横流しの疑義を呈して、結果ここに送られてきたはずだが、兵士として命をかける必要もない立場になれたとも言える。つい先刻、ファイアストン准将の艦隊がここからそう遠くもないブリスベンを戦場に向けて発ったが、君もひょっとするとその艦隊に従軍し、戦場で命を落としたかも知れないんだぞ」

 気の抜けるような調子で滔々と説得されると、レイトンは言い知れない不気味さを覚えて立ち尽くした。なぜならそこにあるのは悪意のかけらもない、まったくの純粋な本心、本音だったからだ。この四〇代後半の主任は、生きることの目的といった概念の、対極にあるようだった。

 レイトンはこの、噂どおり兵士や職員を閑職に追いやるためにあるという施設、通称「女王の監獄」に転属を命じられて四ヶ月、意味不明の巨額の資金が疑問に思えてならなかった。これは、個人が着服するといったレベルの額ではない。ほとんど国家予算に関わってくる額だ。


 この「女王の監獄」には何かがある。それが、レイトンの結論だった。そしてその疑問が、レイトンの運命を定めることを、このとき自分自身が知るよしもなかった。

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