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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第五部
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(46)葦船

エリコの方舟 第五部



 赤く灼けた大地が、青と紫の歪んだグラデーションを織りなす、不気味な空の下に広がっている。雲は渦を巻き、湿度の存在を忘れたような風が、縦横無尽に吹き荒んだ。

 遠くに見える黒い雲は稲妻をはらみ、腹を空かせた悪魔の喉のような、不気味な低音を響かせた。


 北アメリカ大陸旧アリゾナ、モニュメント・バレー。時刻は午前十時すぎを回ったこの土地はいま、燃えるような熱気を思わせる光景どおり、気温は摂氏四七°Cという酷暑だった。

 かつてこの土地の気温は年間を通じて三五°C程度だったが、二〇七一年、この土地にも存在した人工ブラックホール発電試験施設の暴走によって、上空の大気組成が破壊されてしまう。その結果太陽風から大地を護る電離層の一部が消滅し、オゾン層なども薄くなったため、日中はときに五〇°Cを超え、夜間は氷点下を下回る、過酷な地へと変貌したのだ。

 

 今や人間の生存を許さない不毛の地の南西部、低い山と溪谷に覆われた土地の地下に、世界の人々は誰もその存在を知らない、地下シェルター都市が存在した。一台の古めかしい角張った赤いホバービークルが、蛇のようにうねる溪谷から大地の内奥に繋がる洞窟を進むと、一見それとはわからない、自然の岩に偽装した巨大なハッチが悠然と開いた。


 ビークルは三百メートルほど進んだ所の円形の乗降ホールで停止し、助手席から長い黒髪の、やや青みを帯びた暗い肌をした女が降り立った。その服装はまるで、二十世紀の探検家のようだった。ターコイズブルーの瞳が運転席の、顔の左半分をコルセットで覆われた若い女に向けられた。

「ありがとう、お疲れ様」

「このまま直接墓所に向かってよいのですか、キオナ様」

 キオナと呼ばれた女は、わずかに思案してすぐに頷いた。

「かまわないわ。殺菌処理は入念にね」

「わかりました」

 ドアが閉じられると、ホバービークルは再び浮揚し、ホール西側のゲートの奥にゆっくりと消えていった。ビークルが通り過ぎる瞬間、キオナは車体後部に載せられた物体を窓ガラスごしに見た。

 それは、うずくまるような姿勢で頭を抱えた、年老いた男性の遺体だった。遺体は腐敗する暇もなく乾いた熱風のもとで干からびており、さながらミイラのようだった。


 減菌室で紫色の殺菌照射光を受けたキオナは、細長い通路を抜けて、落ち着いた青を貴重とした、四角いホールに入った。そこはオペレーティングルームであり、大スクリーンに向かっていくつものデスクが扇状に連なっていた。彫りの深い顔をした若い男性が、立ち上がって笑顔を向けた。

「おかえりなさい、チーフ」

「ただいま」

「墓所管理棟からの連絡です。そろそろ、拡張するか代替地を見つける必要がある、と」

「そう」

 キオナはみずからのデスクに座ると、眉間に指をあてて深いため息を吐いた。

「減る事はないでしょうしね」

「マリク、言葉は選ぶものよ」

「すみません」

 言葉ほどには反省するふうもなく、マリクと呼ばれた男性は肩をすくめた。


 キオナは、シェルター周辺の土地の交替パトロールから帰ったところだった。アリゾナのような大崩壊後の荒廃から回復が見込めない土地には、環境汚染によって重度の健康被害を被った人間の「特別看護施設」が、世界中で設けられている。

 だがそれは看護施設とは名ばかりで、すでに医療措置が意味をなさない人間が都市部に感染症などを拡大しないための隔離施設であり、もっとはっきり言えば「死体置き場」だった。形ばかりの施設に送られた多数の白血病患者などを抱える人々は、看護という名の放置を受け、死亡すれば乾いた大地で焼却される運命だった。

 当然そのような施設から逃走をはかる者も後を絶たないものの、過酷な環境で水もないまま生きられるはずはなく、灼けた大地のあちこちに、哀れな乾いた死体となってしまうのが運命だった。キオナはそのような人々を哀れに思い、発見してはシェルター外縁部に設けた墓所に埋葬しているのだった。

「あなたは私のやり方に反対なのよね、マリク」

「キオナ、あなたのことは尊敬しています。ですが、現実も見るべきだというのが、私の意見です」

 マリクは、コンピューターディスプレイのデータを確認していた目をキオナに向けて言った。

「このシェルターは、助かる見込みのある人間を救うために、あなたの祖父によって設置されたものです。その遺志を立派に継ぐあなたに、私達はついて行くと決めました。しかし、汚染の危険性がある死体を運び込む行為は、シェルター内に感染症を蔓延させる原因にもなりかねません」

 マリクの言葉に、ルーム内の他の面々は無言だったが、異を唱える者もいなかった。

「まして、その行為はこのシェルターの場所を、白人たちに知られる事にもなりかねない。いま、チーフが運んできた死体も、白人です」

「マリク。白人だとか、差別はいけないわ」

「きれいごとを言うならね。けど、我々の祖先はその白人のスペイン人に侵略され、伝染病をうつされ、滅ぼされ、聖地を追われました。そして今度は彼らの『慈悲』により、傲慢にも彼らが『居留区』と名付けた土地に、ありがたくも生存を許されたわけです」

 マリクの口調は決して激しくはなかったが、その理知的な声色の奥底には、険しい怒りがたゆたっていた。

「そして、我々の祖先が掘り起こしてはならない、と警告したウランを、二酸化炭素をばらまく重機で掘り返し、土地をめちゃくちゃにし、放射能汚染を我々に押し付けた。サンフランシスコのストリップショーで、裸の女をピンクのライトで照らす電力のために、我々の部族は奇形児が生まれる事を受け入れなくてはならなかったんです」

 マリクに対して、キオナは返すことが出来なかった。なぜならその憤りは、キオナ達が共有する憤りだったからである。

 キオナの部族はホピ族にルーツがある母系社会部族で、すでにひとつの集団、コミュニティとしては離散してしまっていた。このシェルターを管理している組織「葦船」は、故人であるキオナの祖父の遺言で、わずかな部族の末裔が集まって結成されたものだった。

「そしてキオナ、あなたのお祖父様が最後まで反対された、人工ブラックホール発電システムの試験施設が建設されたのも、我々の祖先の聖地です。白人達にとっては、危険な施設を都市から隔離して設置するのに丁度いいだけの、ただの空き地でしょうがね。その結果が、二〇七一年の大惨事というわけだ」

 マリクはディスプレイに視線を戻して、人工知能がまとめたデータをチェックする作業に戻った。キオナが無言で自身の手帳型コンピューターをデスクに載せると、エネルギーのチャージと、シェルターのメインコンピューターとのデータ同期が自動で行われた。

 

 キオナは、マリクに対して反論することができなかった。なぜならキオナ自身、マリクとの意見の乖離は、物理的な距離に置き換えるなら一ミリメートルの百分の一もなかったからだ。それを表す態度の違いはあっても、キオナ自身、アメリカ先住民の末裔として置かれた境遇に、憤りを覚える事は間違いなかった。



 その日の午後、シェルター外縁部に設けられた人工的なセメタリー・エリアの一画で、熱線による遺体の火葬と、葬儀が執り行われた。火葬は衛生上のやむを得ない措置であり、葬儀そのものは特に宗派らしいものはないが、大雑把にはキリスト教のそれに則したものだった。

 火葬に付されるのは荒野の行き倒れの遺体だけでなく、シェルター内で老衰や病気で亡くなった者も含まれる。火葬に用いるエネルギーも節約の必要があるため、多い時には十数体の遺体を、まとめて一回のレーザー照射で焼却する事もあった。

「ひどい時代ね」

 葬儀を終え、シェルター生活区域に向かうトンネルの中で、キオナの声が重く響いた。あとに続くマリク達数人の同志達は、だまって聞いていた。

 通路と通路をつなぐひとつのホールに辿り着くと、キオナは真っ白なテープを貼って封じられた、ひとつの大きなゲートの前で立ち止まった。観音開きになっていると思われる青い両扉には、「13」というナンバーが振ってある。

「ゲートのパスワードはまだ判明しないの?」

 キオナが、後ろのやや赤みがかった肌をした女性に訊ねた。女性は、薄いコンピューター端末を開いて報告するように答えた。

「エンジニア班が手を尽くしているのですが、このゲートを開くパスワードはわかりません」

「そう。急かすわけではないけど、おそらく生活できるエリアがあるはずよ。エリアを拡大できれば、より多くの人を助けられる」

 キオナは閉じたゲートに手を触れ、口惜しそうに睨んだ。


 このシェルターは有数の情報通信企業、オルタナ・インテリジェンスのオーナーだったキオナの祖父、故マウリシオ・コルテス氏が、表向きの遺言書とは別の書簡によって極秘にキオナに譲り渡したものである。アメリカ先住民は大崩壊後、それまで抑圧されてきた境遇からある程度解放された部族がある一方で、キオナの部族のように汚染された土地での生活を強いられる者もいた。世界的企業のオーナーであるマウリシオは、彼らを救うためにキオナの父親を養子とし、陰ながら支援してきたのだった。その父親はキオナが一三歳のとき、放射線汚染の影響で白血病をわずらい死亡している。


 シェルターは約五〇〇〇人を収容し、大気の異常によって降り注ぐ宇宙線を逆手に取ってエネルギー源とすることで、半永久的に稼働できる構造になっていた。唯一、宇宙線エネルギー変換素子は未完成の技術のため、寿命が短いことは欠点だったが、浄水や空気循環システムも備わっており、大災害に見舞われても収容者の生存は保証されていた。

 だが、これらのシステムは本来マウリシオが生前にキオナに引き継ぐ計画であったらしく、一部設備の運用などについては遺書の引き継ぎ内容が不十分で、システムエンジニアでもあるキオナと他数名のスタッフが自力でシステムを解明しなくてはならなかった。これはマウリシオがこの計画を独自に進めていた事と、高齢のために見落としが重なったことの結果であると考えられた。



 管理ルームに戻ったキオナは、他のスタッフから「毒薬」と揶揄される、先祖伝来の真っ赤なハーブティーを片手に、手元のディスプレイに映るシェルターの不完全なマップを睨んだ。これも急場にまとめられたものらしく、入力されていない区画や通路がいくつもあり、その都度更新が必要だった。くだんの「13番ゲート」の先も当然のように入力されておらず、その先に何があるのか、いまだ謎である。

 これらの問題の根本は、どうしたわけか祖父のプロジェクトを支えていたらしいエンジニア達が、キオナへのプロジェクト引き継ぎ時点ですでに姿を消していた事にある。彼らがいれば、べつに祖父のマウリシオが健在でなくとも問題はない筈だった。

「ニコラオ、追跡はどうなってる?」

 キオナは、古風な黒縁眼鏡をかけ、黒い癖毛を首まで伸ばした痩身の青年を振り向いた。

「進展なし、ですね」

 もう何度訊いたか、そして何度答えたかわからない互いのやり取りに、キオナとニコラオは苦笑した。ニコラオはキオナに命じられ、祖父マウリシオをサポートしていたはずのエンジニア達の行方を追っているのだ。だが、その行方は杳として知れなかった。

「お祖父様はよほど厳重に、このプロジェクトを隠匿したかったようです。だから、ここにいるメンバーが指定された」

 ニコラオは、管理ルーム内にいる十数名のメンバーを見渡した。みな、キオナや故マウリシオの知己であり、遺書のプロジェクトを忠実に遂行することに、誰一人疑いを持っていない。マウリシオは、この地下シェルターが世界に対して完全に隠匿されることを、その遺書の中で厳命しており、事実それに背くことを考える者は一人もいなかった。

「事実上の迫害を受けてきた者たちが生きられる最後の場所。彼らを迫害する何者をも寄せ付けないために、このシェルターはあえて宇宙線が降り注ぐ、この危険な聖地に造られた。斬新な技術開発で数多くの特許を取得された、マウリシオ様ならではの大胆な発想です」

「そうね。文明が壊したものが、皮肉にも私達の障壁になってくれている」

 キオナは、古いフォトフレームに納められた、旧式の印画紙に写る祖父の姿を眺めた。古くはホピ族直系の伝統的な羽飾りをかぶり、トウモロコシ畑を背に微笑む豊かな白髪の老人。とても、世界的な情報企業総帥の、現役当時の姿だとは思えない。


 優しい人間だった。この世に、これほど優しい人間がいるのだろうかと、幼い頃にキオナは思ったものだ。あの悪魔が考えたとしか思えない法律、異常才覚者矯正法にも、人工ブラックホール発電にも、祖父は反対してきたという。棺に納められた顔は、生前の優しい祖父そのままだった。

 キオナは、祖父のプロジェクトを引き継いだことを誇りに思った。社会の誰にも知られる事のないプロジェクトだが、誰かを救う事は、そのままキオナにとっての喜びだった。


 まだ、プロジェクトは道半ばだ。そして、プロジェクトの行き着く先も見えてはいない。まだ若すぎるキオナにとって、喜びや誇りと同じくらい、あるいはそれ以上に不安は大きかった。どうか力を貸してください、とキオナは、フォトフレームの中で微笑む祖父の、金色の瞳を見つめた。

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