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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第四部
43/52

(43)エリア74

 本部に詰めたまま姿を見せなかったアンダルは、夕方になるとエリコ達に連絡を取ってきた。南西側の海浜公園で落ち合ったアンダルは、派手な水色のアロハシャツにサンダルという、どうも最初の黒スーツとだいぶ趣の異なる、しかしこれがアンダルの『素』なのではないだろうか、と思える出で立ちだった。

「エリコ、レンレンから聞いた。また面倒な事があったそうだな」

「まあ、慣れてる」

 簡潔な返しに、アンダルは服装そのままのイメージの笑いで応えた。

「そいつはいい。ところでな、例の解剖した死刑囚。ジェームズ・ベケットの件だ」

 その名前に、エリコとリネットの表情が引き締まった。レンレンはもうすでに聞いた、という顔をしている。

「さる筋を通して、あいつが収監されていた、ニュージーランド刑務所に連絡を取ってもらったんだが」

「警察じゃなく?」

「さる筋といったら、さる筋だよ」

 そこは察しろよ、という手振りを見せたので、エリコ達は黙って頷いた。さる筋といったら、さる筋である。

「聞いて驚きだ。『そんな死刑囚は登録されていない』と」

「なるほどね。そんな気はしていた」

「もうちょい驚いて欲しかったな、おじさん」

 なんだか本当に残念そうな顔をしたので、エリコは少しだけ驚いてやれば良かったかな、と考えながら、話を続けた。

「つまり、あの仕掛けてきた連中のバックには国家に関係する奴がいる、ってことだ」

「どの程度のレベルにいる奴かはわからないがな」

「SPF、サウスパシフィック連邦っていうのは、政治体制としては一枚板じゃないだろ?」

「お前可愛くないね。俺が一五の頃なんて、リネットみたいなお姉ちゃんの尻を追いかける事しか考えてなかったぞ」

 まあそうだろうな、という白い目をリネットは向けた。レンレンが呆れた様子でため息をつく。

「まあ、そうだな。この島だけ見てもそうだ。海軍と陸軍、どちらも基地を持っているが、今、世界で軍隊といえば、それはだいたい海軍を指す。陸軍は肩身が狭い」

「両者は折り合いが悪いのか?」

「俺達は互いに連邦を守る、ただし俺は俺、あっちはあっち、協力してほしいなら主導権をよこせ、というスタンスだな」

 なるほどな、とエリコも肩をすくめた。

「警察も同じさ。特に、俺たちフェンリルは実質、島々の治安を守ってる所があるからな。酒場でケンカが起これば、すぐエドモンドやファジャルみたいな幹部の手下に連絡が行く。ファジャルなんかは手下より先に乗り込むしな。ケンカが女と酒より大好物な奴だ」

 どうやらアンダルも、ファジャル達とは付き合いが長いらしい。若い頃はエドモンドやファジャルと似たような感じだったのだろうか、とエリコは思った。

「ま、そんなだから警察と俺たちフェンリルも、あまり仲がいいとは言えない。協力しないって事じゃないぜ。海軍、陸軍とも、それなりにバランスは取ってる」

「じゃあフェンリルは、勢力図の中では中立ってことか?」

「中立っていうか……」

 アンダルが言い淀んでいるところへ、リネットがフォローを入れた。

「敵に回すと民衆が反発するから、黙認されてるんでしょ」

「そう。地域に密着した、信頼と安心のフェンリル」

 水道屋か何かか、とリネットは苦笑した。だが実際問題、世界の各地域の政情はまだ安定しておらず、フェンリルのような非合法の組織が治安維持に一役買う、という構図はどこの国にもある。中には、危険な武装組織が民衆の支持を受けて政権を掌握してしまったようなケースもあり、政治機構による統治の形骸化が問題となっていた。

「それで、ベケットの遺体はどうなったの?」

「知らん。『ある筋』の連中が、それなりに処理するだろう。あー心配するな、人道にもとるような事はしない。人の尊厳は、たとえ罪人であろうと守る。これはフェンリルの掟だ」

「フェンリルの掟って団員みんな言ってるけど、何条まであるの?」

 改めて外部の人間に問われ、アンダルとレンレンは向き合って指折り数え始めたが、すぐにアンダルが答えた。

「たくさんだ」

「あっそ」

 リネットが興味もなさそうに相槌をうつと、エリコは真面目な顔で訊ねた。

「あの、ベケットの後頭部に埋め込まれていた『バレッタ』はどうなった?」

「ああ。ジェルメーヌ先生が、知り合いの研究機関に調べてもらうって言ってたけどな」

「重要な部分は完全に破壊されていたんだろう?」

「残ってる所からでも、何か発見できるかも知れない、だとさ。あの先生、医学だけじゃなく科学の方面も心得があるらしいからな」

 一体どういう人間なのだろう、とエリコは考えた。もしこれで芸術の心得まで兼ね備えていたら、エリコが尊敬する人物の一人である、レオナルド・ダ・ヴィンチにも通じる。

「天才ってのはどこにでもいるもんだ。さて、凡人の俺は明日にはタラカンに戻るが、レンレン。お前も乗っていくか?」

 そう問われて、レンレンはちらりとエリコを見た。

「エリコ。お前はこれから、どうするんだ」

「ん? そうだな」

 エリコは考える仕草を見せたが、レンレンの気持ちはわかっていた。色々あったうちに、何となく仲良くなってしまった友達と、早々に離れてしまうのが寂しい、と互いに考えているのがわかる。といって、エリコはいまだSPF海軍に追われる身であり、カリマンタン島から西方面に向けて軍の警戒が手薄である今をおいて、脱出するチャンスはなさそうだった。

「僕はSPF領を出る」

 エリコは、きっぱりとそう言った。名残惜しい気持ちが高まれば、互いに気まずくなる。エリコの気持ちを理解したレンレンは、淋しげに微笑んだ。

「わかった」

「まだ何日かは、ここにいるよ。そうだな、せめてあの、僕が撃った子たちが無事であることを確認してから海を渡りたい。……撃っておいて、そんなことを言う資格はないが」

「お前は考えすぎなんだ。自信を持て」

 レンレンは、拳でエリコの胸をドンと叩いた。エリコは力なく頷く。そんな様子を、リネットは微笑ましく眺めていた。

「アンダル、私ももう少し、バリクパパンを楽しんでから帰る。何かあったらすぐ連絡しろ」

「お前、なんだかこの一日で、えらく変わったな」

「え?」

「なんかこう、以前のような、近づけば何されるかわからんし、何か言えばどんな罵声が飛んでくるやらわからんような、歩く地雷みたいな感じがなくなった」

 言い終えるか終わらないかのうちに、アンダルの腹にレンレンのパンチがめり込んだ。

「ぐはぁ!」

「もういっぺん言ったら、ケツから脳天にブラスターを叩き込むからな!」

 特に変わっていなかったレンレンに、エリコとリネットは爆笑で応えた。人間の性格なんか、一日やそこらでは変わりようもない。アンダルのおかげで、エリコとレンレンは湿っぽくならず別れる事ができそうだった。



 SPF海軍ダーウィン基地では、テレーズ・ファイアストン大佐が慣れないオフィスの椅子のおさまりの悪さに、その巨体をゆすったり、ひねったりしていた。マーカス中佐は、壊れる前に大佐が座れる椅子を見繕ってもらった方がいいですよ、と半笑いで書類の薄い束をデスクに置いた。

「なんだってあたしが」

 A4判の書類がB5判に見える大きな手で書類をめくり、大佐はぼやく。テレーズは、黒旗海賊との戦闘中に死亡したと思われるブロンクス准将に代わって、暫定で准将の部隊を指揮することになったのだ。これはテレーズ『准将』が爆誕する布石ではないか、と見るものもいた。実際、テレーズの指揮能力は高い評価を得ており、いずれ将官の地位に就くのが妥当だとは、多くの人間が一致するところだった。

「黒旗どもの動きはどうなってる」

「膠着状態、ってとこですね。さすがに絶対的な兵力では、海軍と正面きって戦えばどうなるか、向こうもよくわかってます」

「なら、さっさとこっちから艦隊を出動させて、あいつらの流血の歴史に終止符を打ってやるべきじゃないかと、あたしは思うけどね」

「上は何を考えてるか、わかりません。まあ、やるべき事をやるべき時にやらないで、やっちゃいけない事をやっちゃいけない時にやるから、人間の歴史というやつはかくも混沌としているんですよ」

「どうしたんだいマーカス、頭でも打ったんなら、打ったほうの反対側から叩いて直してやるよ」

 厚いまぶたで怪訝そうにマーカスを睨むと、テレーズは立ち上がって腰のあたりをバンと叩いた。

「いっそドンパチやらかした方がストレス解消になりそうだ」

「聞かなかったことにしておきます」

「それで、例の噂は本当なのかい」

 わずかに、テレーズは声をひそめた。マーカスも一歩近寄って、ドアを警戒しながら小声で話す。

「はい。上はどうも、フィジー方面に部隊を展開する腹づもりのようです」

「南米方面から、こっちに部隊が侵攻してくると、本気で思ってるわけか」

 救いがたい、とテレーズはかぶりを振った。チリ沖に展開した南米某国の艦隊は、せいぜい威嚇を兼ねた演習だとテレーズは見ていた。

「今、南太平洋を戦場にするメリットはどこにもない。得られるものは、戦後処理と山程の負債だけだ。それに、もし敵さんが開戦を望んでいるというなら、あたし達が艦隊をバヌアツなりフィジーなりに展開したら、向こうにその口実を与えることになっちまう」

「同感ですね。これは我々に対する挑戦だ、と。それがわからない上層部ではないと思いますけど」

「マーカス。歴史上の戦争ってのは、それがわからない国のアタマが多すぎたから起こったんだ。ひとつ戦争が起きれば、当事者ではないが得をする奴らが必ず出てくる。南太平洋でSPFと南米が戦争になれば、黒旗海賊はしめたものだ。鬼のいぬ間にバンダ海、アラフラ海、ティモール海を荒らし回るだろう」

 いち大佐としては非常に危険な発言ではあるのだが、テレーズは昔からこうだったので、今更何を言われても、大して動じるマーカスでもなかった。

「ところで、あのボーヤはもうSPF領を抜けたのかね」

「大佐!」

 今度こそ、マーカスは人差し指を立てて周囲を警戒した。

「その件を聞いてるのは俺だけです! いいですか、もうその件は、よほど重要な理由がない限り、絶対に触れちゃいけません」

「びびってんじゃないよ! 誰も聞いちゃいない」

「俺はビビリだからここまで生きてこられたと確信してます!」

 そのマーカスの、格好いいのか悪いのかわからないセリフにテレーズは笑った。

「わかったよ、仕方のないやつだ」

 テレーズの言う『あのボーヤ』とは紛れもなく、異常才覚者矯正施設島から逃走した、エリコ・シュレーディンガー少年のことである。エリコ追跡はSPF海軍の方針で、事実上ストップがかけられた状態である。だが、テレーズはエリコ追跡が本当に終わったのかどうか、疑わしいと思っていた。


 いっぽう、エリコが姿を消した異常才覚者矯正施設島P7では、津波の被害の処理、死亡した兵士の追悼や遺族への補償などの諸問題と同時に、収容されていた少年少女をどうするか、という議論が活発化していた。

 これを機に、矯正法そのものからSPF連邦は手を引くべきだ、という声も小さくはなかったが、大枠としては同法への批准は継続する、という線で議論は収斂していった。収容者は結局、他の島や大陸に置かれた矯正施設に分散して送られる、ということになった。


 テレーズはエリコが指摘する矯正法の「本当の目的」、つまりバイオコンピューターのための脳の選別システムであるという説を、額面通りに信じる事は難しかったが、いざ調べ始めてみると、極めて不気味な、あるひとつの謎に行き着いた。それは、点在する矯正施設の配置が、ある一点を中心として、ほぼ等距離になっているという事実だった。

 マーカスがいなくなった執務室で、テレーズはSPF領の地図を、デスクの薄膜コンピューター端末の画面に展開した。

「ピークヒル、マーブルバー、パプア北方海域、ソロモン近海、バヌアツ近海、ロイヤルティ、ノーフォーク……」

 低く、声に出して場所を確認していった、矯正施設のポイント。円を描くように配置された、それらのポイントの中心に、偶然であるのかどうか如何とも判断がしがたい地域があった。オーストラリア大陸クイーンズランドのほぼ中央、乾燥地帯にひっそりと存在する、その地域の名は。

「エリア74」

 それは、SPF軍所属の人間であれば誰でも存在を知っていながら、訪れた事がある人間はほぼいない、一説によれば『辞めさせたい人間を閑職に追いやるための施設』があるとされる、陸の孤島だった。


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