表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
エリコの方舟  作者: 塚原春海
第四部
37/52

(37)人々の選択

     「お前は何者だ?」


               「誰なの?」

          「誰だ?」

「僕がわかるの?」

             「あなたは誰?」

   「お前は何者だ?」


         「私は誰なんだ!?」



 形のない、純粋な思念の渦が、エリコの意識に一斉になだれ込んできた。これまで、エリコに語りかけてきたのは、今では『エリコ自身の超意識』と理解している、奇妙な意識状態の中で出会った金髪の少年だった。リネットの意識に触れた時も、アプローチはエリコ側からだった。


 だが、今回は違う。エリコ以外の誰かが、向こうからアクセスしてきたのだ。それも、何人も。

 無数の意識体が、ひとつの意識に対して無限の可能性を提示してきたら、どうなるか。エリコはまさに『ひとつの灰皿から気が狂う』一歩手前まで行ったのだ。


 エリコは考えた。もしこれを体験したのが、エリコのような特異な存在ではなく、ふつうの人間だったらどうなるか。

「気が狂って、脳がどうにかなるかも知れないな」

「ちょっと待て。それはまさか……」

 レンレンは、隣で難解な会話内容に首を傾げるアンダルを見やった。アンダルはエリコとレンレンの会話を理解できているのかいないのか、顎に指をそえて黙っていた。

「アンダル。あの医師が言ってたな。ジェームズ・ベケットの脳組織が、部分的に損壊していたと」

「ん!? あ、ああ……」

 急に話を振られてわずかに動揺したアンダルは、必死で会話に戻る努力をしなくてはならなかった。

「そうだ。あの、埋め込まれた器具付近の脳組織が損壊していた、と言っていた」

「それって、いまエリコが言った『灰皿から気が狂う』状態を超えてしまった、ってことなんじゃないのか」

 レンレンの推測で、ようやく大人たちも話の筋を理解し始めた。リネットは、エリコに酔い止めのカプセルを手渡しながら訊ねる。

「つまりあの器具は、埋め込まれた人間の意識に作用するということ?」

「推測だけどね」

「何のために?」

「さあ」

 エリコの返事は素っ気ない。レンレンはその様子に疑問をはさんだ。

「何か勘付いているように聞こえるのは僕だけか、エリコ」

 レンレンの少女そのものの声が、エリコを静かに問い詰めた。エリコは知らない風を装ってはいるが、何らかの結論に到達している、と誰もが感じていた。アンダルは、小さく息を吐いた。

「リネットだったか。そっちにマーカー情報を送る。とにかく、落ち合おう」

「了解」

 久々に『軍人モード』になったリネットの、凛とした声がコックピットに響いた。ホバーのモニターにマップのマーカー情報の通知が表示され、機体は高速モードに入る。



 二一〇八年現在のホバリング技術は、二一世紀には確立していた「表面効果翼船」の技術が基礎になっている。旧世代イオンエンジンから新方式イオンエンジンへの進化、高出力・高燃費化、慣性コントロール技術の実現とあいまって、理論的には船舶が水上で音速を超えることも可能となったが、事故の多発によって運用速度は時速八〇〇キロメートル程度が限界とされ、海域によっては約三〇〇から四〇〇キロメートルが国際的な制限速度基準である。


 リネットの駆る軍用ホバーも、出そうと思えば出力だけは時速六〇〇キロメートル程度までは出せる。しかし以前の機体は速度に対して船体の設計が適切でなかったため、超高速域ではほぼ確実に転覆が予想された。

 今の機体はニューウェイによる空力パーツの追加と、慣性コントロールのアップデートにより、時速四〇〇キロメートルを超えても転覆しない事が確認され、リネットは思い切りアクセルを踏み込んだ。後部シートのエリコは、生きた心地がしない。それでも、海面を飛翔する爽快感は陸では味わえないものだった。それはほんの僅かだが、エリコにリフレッシュの作用をもたらすことに成功した。


 バリクパパン北東に位置する、マハカム川の巨大な三角州の隅で、レンレンとエリコはごく短いスパンの再会を果たした。エリコが草地に停止したホバーから降りたとき、仏頂面で出迎えたレンレンの口から出たのは、予想外の台詞だった。

「助かった。……その……、ありがとう」

 顔を真っ赤にするレンレンに、人にちょっと感謝するのがそれほど難題か、とエリコは爆笑で応え、レンレンはエリコの胸ぐらに掴みかかってきた。

「人がわざわざ感謝してやってるのに、その態度はなんだ!」

「感謝してる奴は『感謝してやってる』なんて言わねーだろ!」

「やかましい! 今の感謝は取り下げだ!」

 少年どうしのわけのわからないコミュニケーションに、ホバーを停めたリネットは呆れて肩をすくめながら、アンダルに挨拶した。

「はじめまして。リネット・アンドルー”元”少尉です」

「いやあ、噂を聞くかぎりは現役だろう。直に、そのお手並みを拝見したいところだが」

 そう言って、アンダルは高速艇の後部に積まれた、水色の保冷ケースを指した。

「どうもあれは、相当にヤバい代物らしい。いま、タラカン島の部下から入った連絡だ。俺達が地下でドンパチやらかした病院が、カリマンタン本島の防疫センターと、警察の管理下に置かれているそうだ」

「防疫センター?」

「人を遠ざけるためのフェイクだろう。俺達が始末した連中の死体は、どうやらこっそり回収されたらしい。表向きには、感染症の発生が懸念されたが何もなかった、って事になるんだろうな」

「それって、つまり……」

「あの地下に運び込まれた遺体も、ドンパチやらかした連中、つまり俺達も、何もいなかった事にされる」

 アンダルはニヤリと、底意地の悪い笑みを浮かべた。エリコはレンレンの手をはらうと、ポケットに手を突っ込んで茶色く濁った河を睨んだ。

「つまり、街のヤクザ二人を見逃してでも、隠匿したい何かがあるってことだな」

「お前がエリコか。写真より、顔が引き締まって見えるな」

「証明写真の写りの悪さは、二〇世紀から進歩していないらしいよ」

 他愛のないジョークを言いながら、エリコはさり気なく握手を求めた。裏社会の人間との関わりで、握手は重要な意味を持つ。手の内をさらし、裏はない、というサインなのだ。

「おそらく、あの死刑囚ジェームズ・ベケットが死んだとしても、埋め込まれた器具は回収したかったんだろう。それが難しくなったことで、爆破したわけだ」

「つまり、ベケットは使い捨てか」

「だから死刑囚を選んだのさ。実験台としてね」

 そう語るエリコの金色の目は、アンダルが一瞬怯むほどの苛烈な、怒りの色を帯びていた。

「実験台って、何の実験だ」

「アンダル、地下で遭遇した奴らってのは、プロの殺し屋やテロリストに見えたのか?」

「いいや、そいつら自身はプロには見えなかった。といってチンピラでもない。だから、混乱している」

「わかった。たぶん、そいつらもベケットと同じ、どこかの刑務所に収監されていた犯罪者だ」

 エリコは、もう調べるまでもない、といった調子で断定した。

「ついでに言うなら、おそらくそいつらも頭に、ベケットと同じ器具を埋め込まれていたに違いない」

「つまりベケットも、あいつらと同じく……」

 言い淀むレンレンに、エリコはまたしても即答した。

「そう。何者かが送り込んだ兵隊ってことだ」

「兵隊って、何のための」

「さあ。そのへんは、フェンリルの偉い人達が何か掴んでるんじゃないのか?」

 いきおい、視線はアンダルに集中した。アンダルは腕を組み、渋い表情で下を向いていたが、エリコにサングラス越しに視線を向けた。

「俺は、保冷ケースの中身を本部まで届けろ、という指令を受けた。本来それは、部外者のお前達に知られてはならない事だ」

「けど、もう関わっちゃったからなあ、何度も」

「真面目な話、しがない中間管理職としては胃が痛くなる問題なんだが」

 唐突に『おじさん』の本音を吐露した推定四〇代半ばの男性は、眉間を指でつまんで思案したのち、思い切って言った。

「よしわかった。エリコにリネット、本部には俺が話を通しておく。だから、この件は他言無用に頼む」

 ギャングそのものの風体で、実際にそのスジの男に手を合わせられても、失笑するわけにもいかず、エリコとリネットは困惑せざるを得なかった。


 アンダルによると本部のその後の調査で、どうもジェームズ・ベケットは、誰かを追跡してタラカン島に渡ったふしがあるという。タラカン島にはフェンリルの、すでに引退した高齢の幹部も住んでおり、アンダルのような幹部も活動拠点にしているため、例えば黒旗海賊などの相手にとっては、戦略上重要なポイントのひとつであるとは言えたが、アンダルには疑問があった。

「今この時期に、フェンリルにケンカを売る意味がわからない」

 アンダルは、合成紙巻きタバコに火をつけながら首をひねった。

「いまSPF海軍が、チリ沖の敵国の軍事演習にも、黒旗海賊にも神経を尖らせている。ここカリマンタンも、今はとりあえず落ち着いているが、いつ政治的にも軍事的にも緊張が高まるかわからない。そんな状況で、わざわざ自分から煙を立てるような真似をするか?」

「逆だろう。そんな時期だから、ここカリマンタンは手薄になって動きやすいんじゃないのか。あるいは、動ける今のうちに動いておこう、という算段かも知れない」

「なるほど」

 アンダルは、エリコの洞察力に感心しつつ、紫煙をひとつ吐いてタバコをエリコに向けた。

「じゃあ参考までに訊くがエリコ。保冷ケースの中身の男は、何をしに来たと思う?」

「質問で返して悪いけど、アンダル。その指令が届いたのって、いつ?」

「今日の午前中だ。時間としては、そうだな……」

 すると、レンレンが口をはさんだ。

「午前一一時くらいじゃない?」

「そうなるな。だが、組織がその男…ジェームズ・ベケットの存在に気づいたのは当然、それよりも前になる。さらに、ベケットが正確にいつタラカン島に入ったのかとなると、不明としか言えん」

「けど、そんな何日も不審な奴を放置しておくフェンリルじゃない。そう考えると、ベケットが島にやって来たのは、今日に入ってからか、夜中ってこともあり得る」

 アンダルとレンレンの会話から、エリコは推察をまとめた。

「夜中だとすれば、僕とリネットが島に到着したのとほとんど同じだった可能性もあるわけだな」

「あんがいエリコ、お前を狙って来たんじゃないのか」

 レンレンの冗談に、エリコは睨み返した。冗談ではない。ルーカスのような奴に狙われた直後に、死んだはずのブロンクス准将にまで生命を狙われ、あげく頭におかしな装置を埋め込んだ男に狙われるなど、気の休まる暇もない。

「僕を狙ってるなら、真っ先に僕を優先して襲ってくるだろう。それをしてないって事は、あいつの行動目的は僕じゃない。そもそも、誰かを狙っていたのかどうかもわからないんだろう? アンダル」

 アンダルは、文字通り手を上げて降参した。

「俺らが考えても仕方なさそうだ」

「じゃあもう、これ以上何も起こらなければそれでいい、ってことにする?」

 エリコの提案に、何となくもうそれでいい、という空気になり、四人はそれぞれ高速艇とホバーバイクに乗り込むと、海上を並走して再びバリクパパンへの航路についた。



「それで結局、あの器具は何だっていうんだ」

 海の上でやる事もないので、四人はほとんど退屈しのぎに、無線で推理ごっこを続けた。

「おそらくは脳に作用して、戦闘能力を向上させる類のシステムだろう」

 そのエリコの推測に、アンダルもレンレンも合点がいったように頷いたが、レンレンはまだ少し懐疑的だった。

「だけど、そんな器具を埋め込んだからって、たかが素人があれほど戦えるものか? アンダルが手を焼くほどに」

「戦えるさ。自分じゃない何かに、身体を操らせればね」

「……どういうことだ」

「これ以上は推測になる。僕の能力で探りを入れようにも、さっきのザマだ。ただし、状況証拠と言えるものは、いくつか揃っている」


 エリコは、異常才覚者矯正施設島での出来事を、大雑把に説明した。その中で重要だと思われるミステリーが、矯正プログラムの最中に心肺停止で倒れた少年少女たちだった。

 リネットが伝聞ではあるが確認したかぎり、その数は十数名に及ぶ。彼らは倒れた直後に施設から、どこかに移送されていった。エリコと気が合った、チャールズ少年もそうだった。

「私の知己によれば、移送されたその後の事は、一切知らされていないらしい。私の担当した少年もそう」

「住んでいた所に帰ったんじゃないのか」

 レンレンが何気なく訊ねるも、リネットの表情は重かった。

「それならいいけれど」

 リネットは、ふいに黙り込んだエリコをちらりと横目に見た。だがエリコは、意外なくらい平然としていた。

「ちょうどいい。例の件も話してしまうか」

「エリコ!」

「もう、エドモンドもファジャルも知ってることだ。今更誰に話したって同じだよ」


 エリコは、施設島を脱出する直前に、リネットの上官が『エリコ・シュレーディンガーの頭を確保しろ』との命令を受けていた事実を説明した。そしてエリコの推測では、施設島はバイオコンピューターに組み込みための『脳の選別センター』であった、という空恐ろしい推理も説明した。

 レンレンもさすがにその推測までは訝しんだが、同時にレンレン自身が、異常才覚者矯正プログラム適用の検査で、一定の年齢以上の人間は検査対象外になっている事実を確認した。そのことをエリコに訊ねると、エリコはリネットにはおなじみの、ケラケラという笑い声を無線に響かせた。

「それはもう、僕が推理した問題だ。人間の脳細胞は、老人になってもある程度新生することは、医学的に証明されている。けれど基本的にはおおむね、二五歳あたりをピークに萎縮してゆく、これは厳然たる事実だ」

「じゃあ、僕が一七歳くらいの年齢を装ったのは……」

「うん、なかなかいいカンをしていると言わざるを得ない。一七歳の人間を矯正施設に入れて、脳がバイオコンピューターに使えるかどうか判断するまで、三年かかるとしよう。そのときには、もう二〇歳だ。つまり、基本的な脳細胞成長の最終段階に入っていることになる」

「じゃあ、『消費期限』が短い脳に用はない、ってことか!?」

 激昂したレンレンに返ってきたのは、宥めるどころか、さらに火をつける推測だった。

「まあ、大筋では間違ってないけどね。問題なのは、脳の『教育』なんだ。脳は環境によって、驚くほど変化を見せる器官だ。『生身のAI』として『教育』するためには、それなりの時間が必要だ。つまり、僕の考える『バイオコンピューター説』が正鵠を射ていれば、脳はある程度成長して学習能力があり、なおかつ成長期間を残していることが望ましいことになる。具体的にはまあ、思春期に入った頃から、せいぜい一五歳くらいまでだろうな」

 その推測はまさに、異常才覚者矯正プログラム適用診断で、検査対象になっていた少年少女の年齢そのままだった。レンレンは急速に体温が下がるのを感じた。

「いったい、何が起こっているんだ、この世界で!? 僕らが人工知能だと信じていたものは、実はデータセンターに組み込まれた、少年少女から取り出された頭脳だったって事なのか!?」

「さあね。でも、はっきりしている事が、ひとつだけある」

 エリコは、流れる海に煌めく陽光に目を細めた。

「それは世界の人々が選択したシステムだ、という事実だ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ