(35)来訪者
レンレン・デ・ロス・レイエスは、三〇数年前に国家としては滅亡した、ジャパンと呼ばれる地域の南方の、わずかに残された居留区で生まれ育った。両親はともに純粋なジャパン人ではなく、移民の子孫だった。
滅亡後のジャパン人は非常に卑屈で排他的で、本来は大人しく礼儀正しいとされていた民度も驚くほど低下し、世界から疎まれる存在になっていた。レンレンの両親はそれでも、個人的に身近で交流のあるジャパン人達と別れるのが辛く、その土地に留まろうと努力した。
だが、レンレンが六歳になるころ、レンレンの特異な体質が、ジャパン人の子供達の間で知れ渡ることになる。
レンレンはごく簡単に言うと、「男性器を持った女性」という身体で生まれてきた。医学的な意味の性別でいえば間違いなく男性だが、身体的特徴は女性のそれだった。しかも生まれつき髪が白く、瞳も異様なまでに煌めく金色のため、成長するにつれてその特異な外見が目立ってゆく。道理も知らない子供達の、虐めの対象になるのはそう時間もかからなかった。
レンレンは毎日のようにジャパン人の子供達に虐められ、泣きながら帰ってきて、ついには引きこもるようになってしまった。両親は、ジャパン人の大人たちに抗議した。
だが、ジャパン人の振る舞いに、両親は驚くことになる。ジャパン人の大人は、虐めを実行している子供達を擁護し、レンレン自身が虐められる原因を作ったのだ、とまで言い始めたのだ。ジャパン人にとって、悪いのは常にジャパン人以外の誰かで、ジャパン人はどう振る舞おうと、何をしようと、偉大で高潔な民族でなければならなかった。それは没落し消えゆく、かつて栄華をほこった民の、哀れな精神の保護活動だった。
この時点で、レンレンの両親はジャパンを離れ、祖先の土地に帰ることを決意した。ごく少数の寛容で善良なジャパン人は、必死でレンレンの一家を守ろうとしてくれたが、ついに彼らまでもが、同胞のはずのジャパン人から排撃される対象になってしまった。レンレンの一家は、ジャパン人への深い失望とともに、南の海を渡った。
だが皮肉なことに、それがレンレンの生命を救うことになる。彼らのいた居留区は、急速に北から拡がってきた放射能汚染によって、住む事ができなくなってしまったのだ。ジャパン人達は住む場所を失い、一部は白血病を抱えた移民として周辺諸国に渡らざるを得なくなった。彼らのその後は、レンレンは知らない。
だが、レンレンが海を渡った先のミンダナオ島でも、運命の女神は冷酷だった。レンレンが十一歳になった頃、悪名高い「黒旗海賊」がレンレン一家の住む町を襲い、両親は銃撃を受けて殺害されてしまったのだ。レンレンは両親が、がれきの裏に匿ってくれたおかげで助かった。レンレンはその後精神に深い傷を負い、失語症になってしまう。
流れ着いたカリマンタン島の孤児院で、誰とも打ち解けることのない日々を送るレンレンだったが、一二歳になった年のある日、奇妙な来客があった。
女性だった。その容姿を見て、レンレンは驚いた。年齢こそ自分より五つくらいは上に見えるが、まるで自分に瓜二つなのだ。よく見ると向こうの髪は輝くような銀色で、肌もわずかにピンクがかっていたが、それでも不気味なくらいよく似た、美しい女性だった。何より同じなのは、黄水晶のような透明な瞳だった。
女性の名は、ヴィジャヤラクシュミ・ラマヌジャンといった。
ヴィジャヤラクシュミは、レンレンの過酷な人生をなぜか知っていて、涙を流しながら励ましてくれた。レンレンはもう涙など涸れ果ててしまっていたので、自分のために泣く人間がいるのか、と困惑と驚きを覚えた。
だが、この見知らぬ美しい女性は何のために自分に会いに来たのだろう、と思ったとき、ヴィジャヤラクシュミの金色の瞳が、かすかに光ったように見えた。
次の瞬間、驚くべき事に、レンレンの失語症は、しゃっくりが止まったように治ってしまう。話せるようになった口で、レンレンは、あなたは誰なんだと訊ねた。ヴィジャヤラクシュミは、自らを「方舟」だと言った。
方舟とはどういう意味だ、と問うと、いずれわかる時が来る、なぜならあなたも「方舟」なのだから、と彼女は言った。
不思議なことを言い残し、ヴィジャヤラクシュミは去った。そして、自分の奇妙な能力に気が付いたのは、彼女が去った夜のことだった。
それから間もなく、「異常才覚者矯正プログラム適用診断」なる、長ったらしい名前の検診のため、何人かの政府機関の人間が訪れた。白衣をまとった気味の悪い連中で、直感的にこれは何かあるな、と思った。同じくらいの年の子供達が、次々と診断を受けていた。
そこでレンレンは、自分の容姿と、書類上のデータを、自身の超能力で改ざんすることにした。レンレンの診断を担当した医師には、レンレンが一七歳の少年に見えていた。そこで医師は、これはおかしい、と首をひねった。
レンレンの予想は当たった。どうやら、理由はわからないがこの診断は、せいぜい一四か一五歳くらいまでの少年少女が対象なのだ。そこでレンレンは診断対象から外れ、検査を受ける事もなく解放された。医師に呼び出された他のスタッフにまで幻覚を見せなくてはならず、そのとき超能力を発動する対象が増えるほど、レンレンも疲労することも理解した。
その後レンレンは孤児院を出て、一人で生活するようになった。超能力を用いて街のチンピラや大人のヤクザ、悪どい商売をしている商人から、金品を盗み取った。金を持っているとは疑われないために、常に服装は浮浪者一歩手前の小汚いものにした。
だがある日、いつものようにチンピラを幻覚でひっかけて叩きのめし、金を奪ってスラムの棲み家に戻ろうとしていた時だった。一人の、ダークグレーのスーツを着た、サングラスの男とすれ違った。歩き方でわかる、玄人だ。安全策を取って、そういう人間とは関わらない事にしていた。
だが突然、男は立ち止まり、レンレンの背中に声をかけた。
「小僧、羽振りが良さそうだな。ひとつ、晩飯をおごってくれないか」
その一言で、なぜか知らないがレンレンは震え上がった。
「わっ、私は見てのとおり、浮浪者の女の子よ。そんなお金、持ってるわけないでしょ」
自身の特異な容姿を最大限に活用していたレンレンは、横目にちらりと振り向いた。スーツの男は、怒っているのか、笑っているのか、わからない表情をしていた。幻覚で姿を消し、さっさと立ち去ろう。そう思った時だった。男はゆっくりと、レンレンの正面に歩いてきた。
レンレンは、超能力を使う事ができなかった。それほどまでに、その男には静かな威圧感があった。
「金を持っている奴ってのは、どんなみすぼらしいナリをしていてもわかるもんだ。そして、何かしらの才能を持った奴も、どんな状況にあろうと、目が光っている。お前のようにな」
「なっ、何さ。だったらどうなの。持ってるかどうかもわからない金を獲るつもり? おっさんこそ、そんな不自由してそうには見えないけど」
「まあ、話を聞け」
男が人ごみを避けるように手近な屋台に近寄ると、屋台の太った男は無言で、コーヒーを自称している黒い液体が入ったカップを二つ手渡した。
男の名は、アンダルといった。アンダルはコーヒーを差し出すと、単刀直入に切り出した。
「手伝って欲しい仕事がある。うまく行ったら、今までお前が荒稼ぎしていた件は、全部見逃してやる。稼いだ金もお前のものだ」
その言葉に、レンレンは人生でそれ以上体験したことがないほどの戦慄を覚えた。それが冗談でないことは、男の声色でわかった。この男は全て知っている。レンレンが、超能力を用いて窃盗、詐欺行為をはたらいていた事、その全てだ。
「お前さん、何やら手品まがいの妙なワザを持ってるんだろう?」
「何のことだ」
それは精一杯の強がりだったが、しょせん一〇代の少女もとい少年と、おそらく本物のヤクザとでは、年季の違いは歴然だった。アンダルは笑った。
「うん、それくらい去勢を張れる度胸も気に入った。まあ、暫定で合格だな」
「テストなんか受けた覚えはない」
「少年。お前、『フェンリル』は知ってるな」
勝手に話を進めるアンダルに、レンレンは眉間にしわを寄せてうなずいた。
「海賊だろ、くそったれの。僕の両親は、黒旗海賊に殺されたんだ!」
お前らも同じだろう、とレンレンは、アンダルに正面からナイフを突きつけた。屋台の男は、それが見えていても平然としている。アンダルの表情が、少し真剣なものに変わった。
「そのとおりだ。俺は海賊だ。海賊といってもまあ、事実上のマフィア、ギャングだな。手広くやらせてもらってる」
「汚い商売をな」
「どれくらい汚いか、見たくはないか」
アンダルがそう言ったとき、レンレンは組んだように見えたアンダルの腕の下から、実弾式の拳銃が向けられていることに気がついた。
「よく言われるだろう。至近距離でナイフと拳銃、速いのはどっちか、ってな。試してみるか」
「……仕事っていうのは」
レンレンは、仏頂面でナイフをしまった。アンダルも笑って拳銃をおさめる。
「街に、黒旗海賊の奴らが潜伏している。目的は、俺達フェンリルの幹部の殺害だ」
「そいつはいい。海賊どうし殺し合って、人数が減ってくれれば僕らは助かる」
「そいつらは三年前、お前の住んでいた街を襲った奴らだ」
その一言が、その後のレンレンの運命を決めた、と言っても過言ではなかった。つまり、両親の仇がいま、この街にいるということだ。だが、なぜそこまで知っているのか、とレンレンは訝った。
「僕がどこから渡ってきたのか、知ってるのか」
「ジャパンの南方だろう。その後ミンダナオ島、ジェネラル・サントス郊外に移り住んだ時、黒旗海賊に襲われ、両親は死亡。ここカリマンタン島に送られ、孤児院生活を送り、その後突然抜け出した」
アンダルはまるで見てきたように、完璧にレンレンの足跡を辿ってみせた。
「何者なんだ、あんたは」
「おっと、勘違いするな。調べたのは組織だ。フェンリルには、シャーロック・ホームズも裸足で逃げ出す探偵がいる」
「僕の商売も筒抜けってわけか」
「お前がどんな手品を使ってるのかは知らん。だがな、どんなワザを持っていようが、どっかで必ずアシはつく。奇妙な目に遭ったチンピラたちの証言と、お前の目撃場所の相関を探れば、お前が何かしらをやってた事実に辿り着くのは時間の問題だ」
ここで、ようやく観念したようにレンレンは、手を上げて降参した。
「わかった、僕の負けだ。連れて行くなり、好きにしろ」
「お前、話を聞いてないだろ」
アンダルは、レンレンの額を指で小突いた。
「俺は、仕事を手伝えって言ったんだ。お前の、けったいな手品でな」
「……マジで言ってんのか」
「敵さんは、いざとなったら市民を巻き添えにするのも平気な連中だ。片付ける事はできるが、被害を出さないという保証もない」
「だから僕に手伝えって? 何ができるのかもわからないのに?」
「お前、バガスってポン引きを引っ掛けた事があるだろう」
その指摘に、レンレンは震え上がった。アンダルの言葉は出任せではない。レンレンは過去、タクシー運転手を装ったバガスというポン引きに自分を旅行者だと思わせ、騙されたふりをして人目につかない所にタクシーを移動させたのち、金を手渡す幻覚を見せて両手を縛り上げ、タクシーごとバガスの金を奪って逃走した事があるのだ。金を手に入れる一番早い方法は、金を巻き上げている人間から騙し取ることである。
「レンレン・デ・ロス・レイエス、お前の仕業だって事は、だいたい察しがつく。バガスや、あるいは他のチンピラどもの証言を総合してもわかるが、お前はおそらく、目の前の相手を視覚的に騙す技術を持っているんだ。違うか」
違うもなにも、その通りだった。だが、それが『超能力』だという事までは、さすがに理解してはいないようだった。
「変装が上手いってことか?」
「違う」
「じゃあ何だ。手品か」
ほとんど興味本位で訊いてくるアンダルが面倒で、レンレンはその場で『実演』してみせた。最初は驚いて、腰を抜かしかけた(誇張ではない)アンダルだったが、それによってレンレンがそれまで『荒稼ぎ』していた理由に納得もしていた。
結局レンレンはその日のうちに、フェンリルの本部に面通しされ、それまで街で稼いだ件はチャラにするが、二度と同じ事を繰り返さないこと、という条件で、黒旗海賊メンバーの『狩り』に参加させられた。レンレンの能力で、まず海賊チームの司令塔を誘導し、捕縛することに成功すると、残りのメンバーの居所もすぐにわかった。抵抗した者もいたが、結局一人残らず捕らえる事に成功する。
レンレンの活躍にフェンリル団員は感心し、街でチンピラみたいな事をやっているくらいならと、結局そのままアンダルの部下として、組織に入る事になったのだ。
◇
タラカン島南端の船着き場で、フェンリル団員が用意しておいた黒い高速艇に『保冷ケース入りの荷物』を積み込むと、レンレンとアンダルは南のバリクパパンに向けて出港した。
高速艇はあっという間に時速三〇〇キロメートルを超え、レンレンの操舵技術に感心しながらも、アンダルは渋い顔をした。
「スピード取り締まりがいるかも知れん。いちおう制限速度は守れ」
「海賊が制限速度ね」
「荷物が荷物だ」
そう言われて、レンレンはアクセルを緩めた。何しろ今、高速艇の後部に積まれた保冷ケースには、行倒れの死刑囚ジェームズ・ベケットの遺体が納められているのだ。
「海上警察に引っかかって、荷物を確認されたらどうするの?」
「釣りをしてたら引っかかってきた、最近は放射能汚染による突然変異で、白人男性と見分けがつかない魚もいる、って言えばいい」
「あっそ」
レンレンは自動操縦に切り替えて座ると、ハッカ味のソーダをあおった。仮に海上警察に引っかかったとしても、レンレンの能力でベケットの遺体をマグロか何かに見せかけることは容易なので、わかった上での冗談である。
何もない穏やかな航海だった。計器を見る限り、汚染度も低い。実際、この海域は旧先進国が狙っているとも言われている。次に世界戦争が起きたら、どさくさで各国が獲得に乗り出すに違いない、と言われていた。
「釣り竿でも持ってくればよかったな」
「フェンリル団員だって、勝手に漁をしたら怒られるんだからな」
「そうなの!?」
「お前、組織に入って何年になるんだよ」
母体は漁業組合であるフェンリルは、漁に関しては厳格にルールが定められている。だが、レンレンは面白くなさそうに言った。
「結局漁師が獲った安全な魚は、世界中の金持ちの口に入るんだろ」
「そりゃあ、高く売れる所に売るのが商売の基本だからな」
「百年前は、僕らみたいな人間でも当たり前に魚を食べられたんだろ。『コンビニエンスストア』っていう、二四時間開いてるショップがどんな田舎にもあって、肉でも魚でも野菜でも、いつでも買えたんだとさ」
夢物語のような時代があったんだな、とレンレンは過去の情報に思いをはせた。だが一方で、どこかの時点で限界が来て、世界的な食糧難が起きた事も知っている。うまく行かないものだ、それともバランスを取る方法があるのだろうか、などと一〇代の少年なりに考えていると、ふいにバックモニターに、小さな点が映っているのに気がついた。
「アンダル、なんかいるぞ」
「イルカかな」
「そういう、可愛い系統のアレじゃなさそうだ」
レンレンは自動操縦を解除し、ステアリングを握った。アンダルは薄膜式双眼鏡を展開し、後ろの窓から波を立てるその影を見て、舌打ちした。
「スピード違反の現行犯だな」
「海上警察?」
「そっちの方が一億倍可愛い」
アンダルがハッチ内側面にあるコンソールを操作すると、銃のグリップを模した装置が現れ、船体上面にはレーザー機銃がせり出した。照準用のモニターを睨むと、映ったのは高速艇、それも所属不明の軍用艇だった。どう見ても友好的には見えないし、素通りしてくれるようにも見えない。アンダルが先手必勝とトリガーに指をかけた時、レンレン達の高速艇めがけてレーザーが放たれた。すんでの所でかわし、飛沫が船体をたたく。
「やれやれ、礼儀のなってない来訪者だ」
アンダルは毒づきながら、正確に機銃の照準を合わせた。




