(34)赤毛のお節介
アンダルがトリガーを引くごとに火花が散り、地下の通路に炸裂音が響く。だが、敵の異様な手応えに、アンダルは苛立ちと困惑を覚えていた。敵の動きが読めないのだ。
「何なんだ、こいつらは」
カートリッジを交換しつつ、通路の角に身を潜める。
「動きがただのチンピラじゃない。かといって、警察や軍隊とも違う……」
アンダルはその射撃能力において、敵対関係にある黒旗海賊にまで名を知られている男だった。特に、レーザー式ブラスターがほぼ主流の現代において実弾を好み、その独特のタイミングや弾道で相手を翻弄する技術が恐れられていた。
だが、いまこの病院に現れ、明らかにアンダル達を狙ってきた集団の動きは、そのアンダルの勘をもってしても、どうにも予測がつかなかった。銃撃戦のセオリーに従っているかと思えば、次の瞬間にはセオリーを逆手に取って来るような所がある。この状況では隠れているはずだと当たりをつけて出て行くと、通路のど真ん中に全身をさらしているのだ。
「気味が悪いな。まるで背後霊が、奴らに状況を教えてくれているようだ」
「なんだ、その頭の悪い喩えは」
「レンレン、お前の手品で何とかできるか」
お手上げだ、といった様子でアンダルはチラリとレンレンを見た。
「手品って言うな。ベテランのプライドはないのか」
持ち上げられたのか貶されたのかはわからないが、アンダルは笑った。
「組織が長続きする秘訣を知ってるか。構成員一人ひとりの才能を尊重することだ」
「たまにそれらしい事は言うけど、中身がないんだよな」
ぶつくさ言いながら、レンレンはその金色の瞳を光らせた。
「何人飛び出してくるかはわからない。構えて」
「わかった」
レンレンが何をしたのかは理解していないが、アンダルはレンレンを信用してグロックを構えた。
ほどなくして、慌てふためいた黒いフードつきジャケットの若者が二人、通路の角から飛び出してきた。アンダルは自分自身がレーザーサイトになったような冷静さと精密さで、二度トリガーを引いた。フードの若者は額と側頭部を撃ち抜かれ、コンクリートの床に倒れると、何やら不自然な痙攣を起こし、そのまま動かなくなった。アンダルとレンレンは素早く移動し、敵がいないスペースに身を隠すと、態勢を整えた。
「参考までに訊くが、何をやった」
アンダルが、残弾数を確認しながら訊ねる。
「あの二人に、機動隊が突入してきた幻覚を見せただけさ」
「なるほど。よくやった」
「それだけか。あと何かないのか」
レンレンは、超能力という文字通り人智を超えた能力に対し、アンダルの反応が甚だ普通であることに脱力した。他の構成員だとこうはいかないし、最初からレンレンを信じていない者もいるが、アンダルは違った。
「超能力だか何だか知らないが、俺にとっては射撃が上手いのと同じことだ。ただし、フェンリルに属している以上、私利私欲のための悪用だけはさせない」
「そういうところは組織人なんだよな」
レンレンが首を傾げたところへ、再び敵のレーザーが飛来して、二人はすんでの所で回避しつつ応戦した。だが、敵の反応はあまりに早く、わずかでも身をさらすとレーザーが飛んでくる。その反応速度はベテランのアンダルがお気に入りのボウタイを撃ち抜かれるほどで、レンレンもおよそ見た事がない相方のピンチに、肝を冷やすことになる。
レンレン・デ・ロス・レイエスの持つ通信端末に音声通話コールが鳴ったのは、どうにかこうにか敵をまた一人片付けた時だった。
「なんだ! この、くそ忙しい時に!」
出ていられるかバカ、と足もとの敵の死体を跨いで通路を確保するも、コールが収まる気配がない。発信元を見て、レンレンは盛大に舌打ちしながら、仕方なく通話に出た。
「今取り込み中だ!」
「無事そうだな」
聞こえてきたのは、あのエリコ・シュレーディンガーの偉そうな声色だった。
「たぶん大変な状況だろうなとは思ったから、電話した」
「だったら、なおさらかけてくるな! こっちは、目と鼻の先の手術室にも行けなくて苦労してるんだ!」
「おー、危ない危ない」
エリコが何か安堵したようにトーンを落としたので、怪訝そうにレンレンは声をひそめた。
「……何かあるのか」
「いいか、レンレン。もう、手術室の中の医師は殺害されている」
「なに……?」
その情報に、レンレンは背筋が凍りついた。エリコがなぜ、フェンリルの仲間しか知らない、モグリの医師のことを知っているのか。
「どういうことだ」
「今さっき、僕にビジョンが見えた。その病院の地下には、手術室があるんだろう? すでに、何者かはわからないが、敵が侵入して医師と、立ち会っていた黒髪のフェンリル団員は殺されているはずだ」
「適当なことを言うな」
「信じないなら、そのまま突っ込むといい。その水色に塗られた鉄のドアを開けた瞬間、お前は左胸を撃ち抜かれて天国行きだ」
レンレンは、その場にいないにもかかわらず状況を適格に当ててみせるエリコ・シュレーディンガーに、ほとんど戦慄を覚えていたが、どうにか冷静さを保って訊ねた。
「遺体はどうなってる。お前の『能力』で見えたのか」
「そこまではわからない。こっちの能力も限界がある。今言えるのはレンレン、お前とお前の相方が、助かる方法だけだ」
レンレンは、膠着状態の空気のなかで、およそ八メートル先のドアを睨んだ。あそこに飛び込めば、レンレンは撃たれるという。エリコは言った。
「いいか、因果の法則を逆転させる方法を教えてやる」
「……何の法則だって?」
「いいから聞け。お前の相方がいるだろう。そいつに、銃を構えてドアの前で待機させろ。お前がドアを開けるんだ。敵はドア正面から右手方向、七・八度の角度で銃を構えている、と伝えろ」
レンレンは訝りながら、エリコからの指示をアンダルに伝えた。アンダルはひととおり聞き終えると、笑い出した。
「何がおかしいんだ」
「お前以外にも、どうかしてる奴がいる事がわかったからだよ」
「どうかしてるとは何だ」
「要するに俺は、ドアの前で構えていればいいんだな」
会ったこともないエリコからの指示を、いっさい疑わないアンダルもどうかと思うレンレンだったが、この状況を切り抜けられるなら、気に入らないがあの赤毛のお節介の言う通りにしてやるか、と頷いた。
「いいんだな」
「早くしないと警察が来る。面倒になるぞ」
「わかった」
多分もう来てるだろうな、と思いながら、レンレンはドアの横にスタンバイすると、ノブに手をかけてアンダルを見た。アンダルはグロックを構え、サイボーグかと思うほど完璧なフォームで、ドアに向かって照準を合わせていた。
「いくよ」
レンレンはアンダルを信じ、鉄のドアを開ける。ほんのわずか、九ミリパラベラム弾が通る隙間が空いた瞬間、アンダルはトリガーを引いた。弾丸はドアから〇・〇五ミリの空間を通過して、手術台の後方でブラスターを構えていた、三〇代くらいの黒いジャケットを着た男の心臓を射抜いた。
間髪入れず、二人は手術室になだれ込む。そこにあったのは、手術台の横で折り重なるように倒れたモグリの医者と、パープルのシャツを着たフェンリルの団員、そして台に横たわるジェームズ・ベケット死刑囚の遺体だった。
「くそ!」
レンレンは、仲間の死に怒りを露わにして、ジャケットの男の死体を蹴りつけた。だがアンダルは、低く鋭い声で窘めた。
「攻撃するのは生きてる敵だけにしておけ。死体を蹴れ、と教えたか」
その真に迫った声色に、レンレンも背筋を引き締める。アンダルはそれ以上レンレンには何も言わなかった。仲間に連絡を入れ、病院の裏手に遺体運搬の地上車を手配すると、ひとことだけ言った。
「死体を運ぶ」
アンダルは、手術台のジェームズ・ベケットの頭側に移動した。レンレンは、アンダルが努めて冷徹に振る舞っていることを理解していたので、見習って精一杯同じように振る舞ってみせた。
ジェームズ・ベケットの遺体を抱えて階段を登りながら、アンダルもレンレンも首を傾げた。
「警察の気配がないな」
「どういう事なんだ」
二人は訝しんだ。これだけの騒ぎで、警察がやって来ないはずがない。そこまで言って、レンレンの眉間にしわが寄った。
「……あいつの仕業だ」
◇
エリコは、ホバーバイクの後部座席で運転席のリネットに、精神的な意味での忍耐力のテストか、と思えるような細かな指示を飛ばしていた。後方からは、パトカーのサイレンが聴こえてくる。
「次の交差点を右に曲がって、一〇メートル進んだら三秒待機。三秒経ったら時速二七キロメートルで前進する」
「その細かい数字にもし意味がなかったら、あとで本気のコブラツイストかけていい?」
「いいから参謀の指示どおり動いてよ」
はいはい、とリネットはステアリングを切る。資材置き場か何かのトタンで囲われた路地に入ると、エリコの言うとおり三秒待機し、再びアクセルを踏んだ。正確に時速二七キロメートルを維持し、セメント打ちの細い路地を進む。すると、バックモニターにパトカーのランプが映った。
「エリコ!」
「まだまだ。……よし、ここで加速!」
エリコに言われなくとも、捕まるのは嫌なのでリネットはホバーバイクを加速させた。逃すまいと迫るパトカーだったが、目の前を右手の路地から巨大な影が現れ、パトカーの進路を遮った。
慣性制御システムも間に合わず、三台のパトカーはその巨大な物体、スクラップ回収業者の大型トレーラーの横腹に激突してしまう。エリコはゲラゲラと笑ったが、リネットは生きた心地がしなかった。
エリコとリネットは、警察が病院にやって来るのを駐車場で待ち構え、パトカー三台が到着したタイミングでこれ見よがしに病院敷地内を走り回り、市街地に逃走したのだ。警察は事件を起こした犯人のホバーバイクだと解釈し、都合よく引っかかってくれた。もし一台でも病院に残っていれば、アンダルとレンレンは死体を運び出す最中、警察と鉢合わせしたかも知れなかったのだ。ついでにエリコは警察に電話を入れた。
「大変です! 大きなスクラップ屋さんがある交差点で、トレーラーとパトカー三台がぶつかってます! 不審な、カーキ色の地上車が走っていくのが見えました! 僕が誰かって? そんなことどうでもいいでしょう! ああ、爆発が!」
それだけ言うと、エリコは送信元非通知で発信した通話を切ってしまった。後部座席で一人爆笑する一五歳少年に、リネットは尊敬と軽蔑と賛辞をまとめた溜息を贈った。笑いがおさまったエリコは、秋の空のように晴れやかな笑顔で言ってのけた。
「これでまた、警察署のパトカーが何台か、病院と関係ない方向に向かわされるわけだ。気の毒に。あっ、ちなみに警官たちは無事だよ。怪我ひとつしてないはずだ。そのために、時速二七キロメートルっていう速度を指定したんだよ」
「ひとつ訊いていい? とんでもないことしてる、っていう自覚は」
「所詮、全ては小さなことさ。『小さいことにくよくよするな』っていう百年前からのベストセラー、読んだことない?」
「あるけど、あなたとは解釈が一八〇度違うと思う」
その感想にエリコがまた笑い始めると、元少尉は『処置無しだ』と呟いて、ホバーを海に向かわせた。このまま『例によって』海中に潜伏し、頃合いを見てアザラシのように陸に上がってくる予定である。
◇
他方、病院を脱出して手配した地上車で移動しているアンダルとレンレンは、後部の荷台に載せているジェームズ・ベケットの遺体に眉をひそめつつ、本部から指示された船着き場へと急いでいた。そこで高速艇に乗り換え、ベケットの遺体をバリクパパン市まで移送するためである。
「その、例のエリコって奴が、俺達を逃がすお膳立てをしてくれたってのか」
助手席でカートリッジに弾丸を詰めながら、アンダルは呟くように訊ねた。レンレンは無言だった。
「面白くなさそうだな」
「……」
「写真でしか顔は知らんが、エドモンドやファジャルの話を聞く限り、なかなか面白い奴じゃないか。例の施設島からも、うまいこと脱出してみせたってんだろう。お前と馬が合うと思うがな」
「誰が、あんな奴と!」
レンレンは顔を赤くして否定したが、アンダルは笑わなかった。
「あいつの何が気に食わないんだ」
「何が、とかいうわけじゃないけど……」
「矯正施設島の生活を体験して、さらにそこから自力で脱出して、その後も軍を翻弄したり、でかい事をやってのけた。それに引け目を感じてる、ってとこか」
その指摘が図星だったのかどうか、レンレンは突然アクセルを緩めた。
「悩んでもいいが、スピードは落とすな」
スピードを落とさせるようなことを言った張本人は、銃にカートリッジを入れスライドを引いた。レンレンは渋い表情でアクセルを踏む。アンダルは、車窓を流れるけばけばしい色の商店を眺めた。
「お前はあの、矯正法の異常性を自分なりに察知して、送られるのを回避した。それはそれでひとつの知略だし、選択だ。引け目を感じる必要はないだろう」
「……そんなんじゃない」
レンレンの声色は、それまでより少し細かった。アンダルはこれ以上は言わないでおこう、とバックモニターに目をやった。パトカーや、怪しい追跡者の影はない。やがて、木々に囲まれた道に入ると、地上車は八キロメートルほど先にある船着き場を目指して加速した。雨も上がり、青い空と緑が輝く美しい景色が流れて行ったが、後ろに死刑囚の遺体がある状況では、ドライブ気分もひまひとつだった。




