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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第三部
30/52

(30)ミッシング・リンク【第三部完】

 いま起きた事は何だったのか。エリコもリネットも、夢でも見ていたのではないか、という気持ちだった。空はもうバイオレットに染まり始め、夜の訪れを伝えていた。

「あの円盤は一体、何なんだろう」

 それがエリコの、最初に口をついて出た疑問だった。現代の航空機類は確かに発達してはいるが、エンジンの音をまったく立てずに飛翔する円形の航空機などは、もと軍人のリネットも聞いたことがない。リネットは再びステアリングを握り、クリシュナのために変更させられたルートを西寄りに修正した。

「オーストラリア大陸の中央にある兵器開発エリアじゃ、どうかしてる設計の試験機が毎日のように空を飛んでる、っていうウワサは聞いてるけどね」

「それじゃさっきのクリシュナっていう男は、軍に関係する人間なのか?」

「さあ」

 リネットよりさらに若く見える青年が、軍の最新の試験機などに触れられる立場である可能性は考えにくかった。クリシュナと名乗った青年の言葉は、何もかもが突飛であり、また同時に奇妙な説得力もあるもので、ほぼ傍らで聞いていただけのリネットは、終始呆気に取られていた。

「エリコ、あの男とあなたの会話、私には正直、何がなんだかさっぱりなんだけど」

「僕もだよ」

 エリコは、肩をすくめて笑う。だがリネットは、エリコを怪訝そうに見つめた。

「でもあなた、最後はなんだか、話を理解していたようにも聞こえたわ。ねえ、『方舟』っていったい何の事なの?」

 ホバーバイクはキャノピーを閉じ、西に向かって一気に加速した。エリコはクリシュナとの会話の内容を、どうにか整理してみようと試みた。

「あいつが言うのはつまり、僕ら人間のDNAの中に、神のブラックボックスと呼ばれる『謎の暗号』が仕掛けられている、っていう事だ。それが僕に時々現れる、奇妙な予知めいた力の根源、ということらしい」

 ブラックボックスの暗号は脳に作用し、特殊な状態に変化させる。それによって、常軌を逸した能力が現れる、ということらしかった。だが、リネットには疑問だった。

「それなら、私もそのブラックボックスを使って、あなたみたいな予知能力を使えるようになるっていうこと?」

「予知能力って安っぽい呼び方は訂正したいけど、まあ理屈で言えばそういうことだ」

「そんなこと、あり得るの? じゃあいったい、人間の進化のどの段階で、そんな暗号がDNAに書き込まれたっていうの? 私達が手の甲にチップを埋め込むみたいな感覚で、DNAの書き換えサービスでもあったって事なのかな」

 リネットのジョークでエリコは笑いかけたが、すぐにそれは背筋を走る悪寒に変わった。

「我々を象り、我々に似せて、人を創ろう……」

 クリシュナが語った聖書の一節を、エリコはふと繰り返した。

「え?」

「人間は、神によって土から創られた……神は、『我々を象り、我々に似せて』と言った。つまり、神は一人ではなかった……」

 エリコの呟きにリネットは首を傾げ、エドモンドからもらったミネラルウォーターで喉を潤しながら、黙って聞いていた。

「神とは、いったい何者だ?」

 エリコは、自らの問いに何か、不気味なものを感じて小さく身震いした。

「聖書で語られる神が、超越的な存在ではなく、物理的に存在した誰かだとしたら? そして土から人間を創ったというくだりが、何らかの医学的行為を説明した寓話だとしたら…」

「エリコ、あなた大丈夫? あの薄気味悪い男に感化されてない?」

 ずいぶんな言われようだが、エリコの耳には入らない。エリコの内部で、情報の洪水が起こっていた。それは時間を遡行し、神話を解体し、解読する試みだった。


 世界中に、洪水神話が存在する。洪水の到来を神のような存在が、選ばれた人間にだけ告げる。それは一人の老人であったり、兄妹であったりする。彼らは神の導きで洪水を乗り越える。世界は洗い流され、神に選ばれた者だけが生き残る。

 それが何らかの出来事の、暗号化された寓話だとしたら? クリシュナは、『全ての人間が方舟なのだ』と言った。全ての人間のDNAに、『神のブラックボックス』が仕掛けられている、という。何者かが、それを仕掛けた。


 では、その何者か、とは誰だ? それは、いつの事だ? 何者がいつ何のために、何を仕掛けたのだ? そのような技術を持つ者が、はるかな昔に存在したというのか?

 エリコはなぜか、現在や未来を見る事はあっても、未知の過去にアクセスする事は極めて稀だった。だが、クリシュナとの会話の中でエリコは、かすかに過去の世界のビジョンを垣間見た。そのビジョンはエリコにとって驚愕であり、また時に戦慄であり、不愉快でもあった。

「リネット」

 エリコは、星に向かってその名を呼んだ。

「仮に僕が人間じゃないとしても、一緒にいてくれる?」

 その問いに、リネットは答える事ができなかった。人間ではないとは、どういう意味なのか。エリコは、にわかに興奮するように語り始めた。



 ――遠い遠い昔、この地球に、天から幾人かの『神々』が降り立った。彼らは現代の人間とよく似ており、星と星の衝突で滅びた故郷から、生きられる大地を求めてこの星に降り立った。

 だが、この星は彼らにとって、決して優しくなかった。この星の大気の中では、彼らは生命を維持できなかったのだ。


 天に浮かぶ人工の住まいに身を潜め、滅びの運命に怯えながら、彼らはこの星の大きさを調べ、暦を定め、生態系を調べた。そして驚くべき事を知った。この星の生命のDNAの基礎構造は、自分たちのDNAと同じだったのだ!

 その奇跡を知ったとき、彼らはこの星のあるひとつの種族が、絶滅の危機に瀕していることに気付いた。それは類人猿から進化し、すでに農耕を学び始めるまでに発達した霊長類だった。

 だが、その種族は高度な知能を持つ一方で、非常に好戦的でもあった。いくつかの部族に分かれて争いを続けたため、文明の発達は遅々としていた。その時代は寒冷化が進んでおり、子供の生存率が低下しているにもかかわらず、彼らは争いを止める事はなかった。このままでは、遠からずこの種は滅びる。

 そこで天から降り立った人々 ―神々― の中から、驚くべき計画を考えた科学者が現れた。彼女は、自分たちとその滅びかけている種のDNAをかけあわせ、この星で生きていける、新たな種を生み出そうと提案したのだ。


「我々を象り、我々に似せて、新たな種を創ろう!」


 天と地の双方の肉と血が、神々の秘術によって混ぜ合わされた。そして神々のなかの数人の若い献身的な女性が母体となり、その最初の生命が生まれた。地の生命と、天の生命の間の種。神を象り、神に似せた、新たな種。神々はそれを『人間』と名付けた。神の知性を受け継ぎ、なおかつ地で生きられる種だった。


 人間は高度な知能と、頑丈な肉体を持っていた。やがて人間は地に増え、世界を統べていった。言葉を編み出し、部族がひとつになって、大きな仕事を行った。人間の部族の長は女だった。女が統治し、発展を定め、男はその頑健な肉体をもって部族を守った。農耕が発達し、さらに人間は増えていった。そのころの人間の寿命は、六〇〇歳から九〇〇歳、長いものは千年を超えて生きた。

 神々は天高くに彼らの住まいを設け、人の子らを見守った。時には天から降り立って、神々の高度な知識を与えた。それは神と人が交わりあう、黄金の時代だった。神々の男性は人の娘を見て美しいと思った。やがて、天の神とあらたな種の間にも、子が生まれた。彼らは神に次いで永い寿命を持っており、ある者は二千年を超えて生きた。

 人の子らは神々から受け継いだ高度な知識で、偉大な文明を築き上げた。正確な地図を記し、船は空を飛び、塔は天にまで届かんばかりだった。


 だが、やがて人の子らは傲慢になっていった。そして、自分たちが元々ひとつの種であることを忘れ、争いを始めた。高度に発達した科学は、そのまま兵器に転用され、世界中で悲惨な戦争が起こった。せっかく生まれ出でた生命どうしの争いは悲しく、愚かで、醜かった。神々は嘆き、そして終わる事のない戦争に耳を塞いだ。

 そしてついに人間の中から、神に反旗をひるがえす者達が現れた。彼らは秘密の暗号を定め、ひとつの巨大な計画を進行させた。神の技術を盗み、神の高みに上り、天の神々の住まいを奪い取り、天から地上を支配しようという、恐るべき計画だった。ある一人の神は叫んだ。


「我々は何のために彼らを創造したのだ!?」


 そのとき、一人の賢い神が告げた。それによると、巨大な星が地球に接近しており、これが地球を広く覆っている氷床に激突し、大洪水を起こす、と。神々は、これを見過ごし人々を滅ぼすことにした。やがて、のちに『輝く尾を持つ蛇』と呼ばれた彗星が、青い星に突き刺さった。巨大な氷床は割れ、溶け、洪水は地表の全てを洗い流した。人類は滅びたかに見え、神々は涙した。


 だが、一人の神が極秘に、わずかな人間を洪水から救っていたことが判明した。神々は、逃がした神の罪を赦し、その人間たちはせめて生き永らえさせよう、と決意した。そこで、それまでとは異なる計画が提案された。我々自身が、新たな肉体を持って、地上に降り立とう。我々の魂が、人の子に宿って生まれることで、我々は正しくこの星の統治者となれる。

 しかし問題があった。人間の持つ脳の構造密度では、完全な神の器とはなれないのだ。神が人間の肉体を得て生まれ落ちても、神の持つ偉大な力を振るう事はできなかった。


 そこで神々は、生き残った人間のDNAに、世代を重ねて神のための肉体を創り上げる、暗号を書き加えることにした。その暗号は『方舟』と呼ばれた。

 

『方舟』は人間の中で潜伏し、十数万年かけて『神の肉体』の設計図を創り上げていった。そのサイクルを増やすために、人の寿命は一二〇歳まで縮められた。永い時間の間に、人類の文明は三度生まれ、三度滅び、そのたびに世界に文明の痕跡が残った。

 ある、未来を見通せる力を持った神は、神の器となれる肉体が、地上に生まれてくる時代を予言した。その赤毛の神は『二つの大きな戦争、一つの決定的な破壊ののち、人が汚れてゆく星で緩やかな死を迎える時代に』と告げた。


 神々はやがて死に至り、その魂は天を漂いながら、神のための肉体が生まれる時を待ち続けた。やがてその時代が来ると、人の子の間に、とくべつな力や知識を持つ子らが生まれ始めた。だが、彼らの中の多くは、自分が神であることを思い出せなかった。それは、神の計画だった。自分が何者かを思い出すために、あえて全てを忘れ、世界と自分を照らし合わせるための忘却だった。


 やがて、自分が神であることを思い出す者が現れ始めた。彼らは賢かった。決して自分が神であることを周囲には明かさず、人の世を観察して生きた。やがて『方舟』の呼び名は、新たな肉体を持ち、神の智慧を受け継ぐ者を指す言葉としても使われるようになった。彼らは、世界が予言どおり、戦争と崩壊を経て、汚染され滅びの道を辿っていることを知った。自分を思い出した『方舟』達は、少しずつ地に現れた。


 だが、神の力の片鱗を時折目覚めさせながらも、神であることを思い出すことができない者もいた。神々は、彼らが目覚めることを願った。



 ――エリコが語り終えたとき、リネットは困惑して何を問えばいいのかわからず、エリコの言葉を待つことしかできなかった。

 いったい、何をエリコは語ったのだろうか。あの異常才覚者矯正施設で何度も聞かされた、エリコの厭世的な論説の方が、はるかに理解できた。リネットが最初に訊ねたのは、いま同じ小さな舟に乗って星空を見上げている、エリコについてだった。

「……じゃあやっぱり、エリコは異星人の生まれ変わりってことなの?」

 わざと冗談めかしたようなトーンで訊ねたが、エリコは無言だった。

「今話したのは、今までの予知みたいなのと同じように感じた情報なの?」

 それは極めて重要な問いだった。エリコは今まで、知り得ないような情報を、思い出したように獲得してピンチを切り抜けてきたのだ。もしその能力と同じプロセスで得た情報なのであれば、それは全て真実ということなのか。ようやく口を開いたエリコの口調は、どこか悟っているかのように聞こえた。

「受け取り方はいつもと同じだけど、今回は大きく違う……今まで僕は、『未来』の情報は獲得できても、『過去』に遡って情報を獲得することはできなかったんだ」

 エリコは、科学者たちが言う『時間の矢』という概念について説明した。空間は全ての方向に広がっているのに、時間はなぜ、過去から未来にしか進まないのか。エリコは、驚くべきことに、その問題について答えることができるという。

「時間なんてものは存在しない。時間は、理性が生み出す錯覚だ」

「さっそく私の理解を超えてきてるようだけど」

 少しずつ、リネットの調子も元に戻ってきた。リネットは気持ちを落ち着けるため、トランクボックスに手を伸ばして、島で調達しておいたマルチミネラルバーの封を開けた。

「要するにエリコや、さっき遭ったクリシュナは、十何万年前か知らないけど、大昔に地球に降り立った異星人の生まれ変わりだと。そういう理解でいい?」

「雑にまとめると、そういうことらしい」

 本当かどうか自信はないけれど、とエリコはことわりを入れた。

「これが僕の妄想でないと、どうして言い切れる? いくら何でも奇想天外すぎる。人類の正体は、死にかけていた類人猿だか何だかと、異星人をかけ合わせた試験管ベイビーだっていうのか?」

「エリコ自身が言ったんだよ。私に訊かないで」

 ほら、とリネットはエリコに、カリカリのマルチミネラルバーを一本差し出した。

「……もし、僕が突然『思い出した』情報が、真実だというのなら。あのクリシュナという胡散臭い奴が語った内容も、辻褄が合うことになる」

「全ての人間のDNAに組み込まれた『方舟』……」

「そうだ。つまり、自分たちのための肉体を、人類の交配を利用して創り上げたっていうことだ」

「でも、どうやって都合よく、その肉体でもって生まれて来れるわけ? クラウドに自分たちの霊魂をバックアップしておいたって事?」

「さすがに、そこまでの仕組みは今の僕には説明できない。けれど」

 硬いバーをかじりながら、エリコは眉間にしわを寄せた。

「もしそれが本当なら、『神々』とやらはどうしてわざわざこんな、汚染されてお先真っ暗な時代を、選んで生まれてくる事にしたんだろうな」

「その理由はエリコにはわからないの?」

 リネットが訊ねると、エリコはお手上げのポーズを見せた。

「どうやら僕はまだまだ、『神々』として覚醒しきれてないって事らしい」

「じゃあ、完全に覚醒したらどうなるっていうの?」

「獲れた魚が食べられるかどうか、調べなくてもすぐにわかるんじゃないのかな」

 その返しに、リネットは大笑いで応えた。流れ着いた小島で魚を獲り、食べられるかどうかと二人で悩んでいたのは、つい数日前の事だからだ。だが、なぜかそれは昔のことのように、懐かしく思い起こされた。

「どうやら、まだ三割くらいは、単なる一五歳の少年らしいわね」

「当たり前だろ。だいいち、仮にさっきの話が本当だったとしても、結局のところ僕が置かれた状況は、なにひとつ変わらないんだ」

 何が神々だ、とエリコは腕組みした。得体の知れない異星人の生まれ変わりだとしても、相変わらずこうして小さなホバーバイクで海上を逃げ回っているし、次の島に渡ればまた、SPF軍とひと悶着起きるかも知れない。大した神様だ、とエリコは自分に呆れた。

「相変わらず世界は汚染が続いている。こんな時代をわざわざ選んで生まれてくるあたり、『方舟』とかいう連中の知能指数も大したことはなさそうだ」

 そこで自分も含めているあたりは、自虐なのか何なのか、リネットにはわからなかった。


(第三部・完)

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