(27)トリガーを引いた者
エリコは仮眠を取っていたが、唐突に起き上がると、例によってリネットに、すぐに出発するよう促した。それとほぼ同時のタイミングで、滞在している島のすぐ北西、スラウェシ島から海賊フェンリル団員が数名、中型ボート二隻で駆け付けた。病院もフェンリルの縄張りだった。
病院の医師らは記憶喪失の男性、コロネルの正体がSPF海軍のブロンクス准将である事など当然知らず、フェンリルへの信頼もあって、「コロネルさん」をフェンリル団員が「警護」して安全な場所に移送する、と伝えても、特に訝る事はなかった。
「こちらラフマンです。とりあえず三名、病院の中と外から病室を張ってます」
明るい褐色肌に短い天然パーマの若い団員ラフマンは、ブロンクスのいる病室から少し離れたところで、腕時計型端末から浮き出したホログラフ通信パネルから、ファジャルに連絡を入れた。
「どうしますか? とりあえずこのまま、様子を見ますか」
「いや、病院の医師を介して、すぐに確保してボートに乗せろ。エリコが島を出るのを確認してから、俺のところまで連れてくるんだ。いったん、身柄は俺が預かる」
ファジャルはエドモンドに連絡を入れており、ブロンクスと面識のあるエドモンドが最終的に、その身柄を引き受ける手筈になっていた。フェンリルはSPF海軍そのものと敵対しているわけではないので、エリコが島を離れてしまえば、それ以上波風を立てる必要もなくなる。
とはいえ相手は一度、エリコの身柄を狙った人物である。しかも偶然だが、記憶喪失の状態でエリコと出会ってしまった。なにかのきっかけで記憶が戻れば、どういう行動に出るかわからない。ブロンクスの名は出さずに、フェンリルとして身柄を預かる旨を医師に伝えると、医師は付き添いを申し出た。
「検査した限りでは健康そのものだが、万が一、容態が悪くなる事もあり得ます」
それが医師として、そして人間としての善意である事はラフマンもよくわかってはいたが、逆に今はそれが厄介だった。ラフマンは医師が気分を害さないよう言葉を選んだ。
「町から医者が一時でも居なくなるのは、万が一急患でもあった時に大変です。フェンリルには医療に長けたメンバーもいます、心配は要りません」
フェンリルへの島民たちの信頼を利用しての説得は、どうにか成功した。やはり今日のうちにもっと設備の整った場所に移るべきだ、と医師からブロンクスに説明すると、ブロンクスは素直にそれを聞き入れ、ラフマンに連れられてボートに向かった。
◇
一方でエリコとリネットは『例によって』、慌ただしく出立の準備を整えていた。教会の神父に手短に礼を述べると、漁師にホバーバイクを隠してもらっている船着き場に急ぐ。既に西の空は赤く染まっていた。
「毎回これだ」
「出るって言ったのはあんたでしょ!ぼやく暇があったら足を動かす!」
「鬼軍曹じゃん」
「なんか言った!?」
だんだん矯正施設島のトレーニングのノリが戻ってきたところで、ようやく目指す桟橋が見えてきた。桟橋の下にある岩場の陰に、エリコ達のホバーバイクは係留してあるのだ。
ニューウェイがセットしてくれた自動到着システムは、人を跳ね飛ばしたり物を破壊したりと、言うほど信用できる機能ではない事がわかったため、よほどの緊急時以外は使わない、ということで二人とも一致した。
「オールグリーン!」
再びリネットがホバーバイクのステアリングを握る。ニューウェイによって改造・調整されたイオンエンジンの音は、まるで天高く響く、鳥の鳴き声のようだった。
「ラフマンって人に連絡は入れた?」
「ええ。今から島を出る、って伝えておいたわ。それで、どっちに向かえばいいの?指示してちょうだい、参謀長さん」
アクセルに足をかけて、いつでも出られる態勢をリネットは示した。エリコはリネットの肩ごしにモニターの海域マップを確認すると、小さく頷く。
「まず北東方向に向かう。そして、スラウェシ島を迂回するような形で西に転進する」
リネットはその選択に、うんざりという表情でわざとらしく肩をすくめた。
「黒旗海賊のお庭の前を通らせてもらうわけだ」
「このさい、リスクは承知のうえだよ」
「リスクでも何でもいいけど、いま出なきゃならない理由を教えてくれるかしら」
夕焼けに赤く染まりゆく雄大な海に、ホバーは飛び出した。映画のエンディングテーマが流れてきそうだ、とリネットは思った。
「やっぱり例のブロンクス准将?」
「うーん」
エリコは後部座席で、何とも言い難い、といった調子だった。
「ブロンクス准将は問題じゃない。と思う」
「じゃあ、黒旗海賊?それともSPF海軍が、しつこく追ってくる?」
それ以外あとは何だ、とリネットは訝ったが、エリコはまだ、不安の正体が判然としない事に、かすかに苛立ちを覚えていた。
「わからない」
「さしものエリコもお手上げか」
リネットは、力なく笑った。
「気のせいって事もあるんじゃない?せっかくだ、クルーズだと思うことにしようよ」
リネットは自動運転に切り替え、ファジャル達の島で買い込んでおいたガス入りの青いソーダのキャップを開けた。甘い、人工香料の香りが後部座席にも届く。気のせいならそれでいい、とエリコも思った。自分の直感に、絶対の信頼を置いているわけでもない。何か起こると思っていたものの何も起こらない、ということだってあるだろう。
太陽が金色に煌めく海は、信じられないくらいの美しさだった。これを見られただけでも、出発を早めた価値があると思えた。あるいは、エリコの直感は、単にこの光景を目に焼き付けたかったのかも知れない。
そんなことを思っていると、コンソールに無線が入った。フェンリル専用回線だ。聞こえてきたのは、男性にしてはやや高めの声だった。
「お二人とも、ご無事でしょうか? ラフマンです」
「無事よ。手間をかけさせてしまったわね。団員のみなさんに、ありがとうって伝えてくださるかしら」
「礼にはおよびません。フェンリルはお二人を全力でサポートします。いま、私のボートがそちらの護衛に向かいますので、合流しましょう。安全な港町まで案内します」
至れり尽くせりだ。リネットもエリコもなんだか、申し訳ないくらいに感じていた。これが、義を重んずるフェンリルなのだろう。こんな人間達もいるんだな、とエリコは感動すら覚えていた。
ほどなくして、しだいに陽が落ちてゆく海上を、一隻の紺色の中型ボートが近づいてきた。船首のライトが、モールス信号を示した。
「”右側面につけろ、案内する”」
「エリコ、あなたモールス信号がわかるの!?」
「裏社会で、稀にだけど使う事もあったからね」
エリコの返答に、感心よりは呆れた様子で、リネットは溜息をつきながらホバーをボートの右側に移動した。ボートのベースは民間用だが、改造してある事がわかる。よく見ると、例の稲妻とドクロのマークがあった。
そのとき、ふとリネットは思い出した事があり、ラフマンに無線を入れた。
「ラフマンさん、面倒をかけて申し訳ないのだけど、ひとつ伝言をお願いできるかしら。マリーっていう、酒場の女将さんに、改めてお礼を言いたいの」
挨拶もろくにできず、バタバタとマリーの酒場を飛び出してきたため、部屋を貸してくれた礼をしたい、という思いがずっとリネットにはあった。いつかこの海域に戻って来ることがあれば、きちんと顔を出そうとも考えていた。
だが、回線状況が悪いのか、ラフマンからの返答はなかった。
「ラフマンさん?」
リネットが再び訊ねるも、やはり返答はない。まあ、港についてから口頭で伝えればいいか、と思った、そのときだった。ボートのキャビン上部ハッチが突然開き、人影が現れた。西陽が作る強い影で一瞬わからなかったが、それが誰か、そして何をしようとしているかわかった時、エリコとリネットに戦慄が走った。
それは何と、フェンリル団員によってファジャルのもとに連れていかれたはずの、ブロンクス准将だったのだ。しかもブロンクスは、対戦車用の高出力レーザー砲を構え、リネットが駆るホバーバイクに向けていた。
だが、いちいち驚いているだけのリネットとエリコではない。リネットは叫んだ。
「エリコ!」
そのときすでにエリコは、ブラスターを構えてブロンクスに向けていた。リネットは、あえて機体を相手のボートに接近させる。重く、銃身が長い高出力レーザー砲で、至近距離で照準を合わせるのは困難だと踏んだからだ。
だが、リネットはその目論見が間違っていたことを悟った。ブロンクスは想像以上の腕力の持ち主らしく、レーザー砲をまるで猟銃のように、ホバーバイクに向けてきた。そのとき、ブロンクスが叫んだ。
「海賊どもめ!」
ブロンクスがトリガーを引くのと同時に、エリコもまたブラスターのトリガーを引いた。一条のレーザーが、ブロンクスの構えるレーザー砲の照準器を撃ち抜くと、ブロンクスは驚愕して、砲身を取り落としてしまう。レーザー砲は後部デッキに激突すると、そのまま海に投げ出された。
だが、安心できたのは一瞬だった。ブロンクスは即座に、キャビン内部から中距離レーザーライフルを取り出した。
その銃身には、真っ赤な血がついていた。そしてよく見ると、ブロンクスのシャツにも血が点々とついている。つまりブロンクスは、自らを護送していたフェンリル団員を、おそらくは彼らが所有する武器を奪い取って射殺したのだ。ひょっとすると、もう一隻のフェンリル団員のボートも、すでに准将の手で撃沈された可能性もある。
ブロンクス准将は、記憶が戻ったのか? 少なくとも、町で偶然出会った時の、あの無気力な記憶喪失の状態とは違う。明らかに、軍人としての能力も蘇っている。ボートは自動操縦させているのだろうが、揺れる船体でこれほど安定して銃を構えられるというのは、准将の並外れた実力を実感させた。
それを理解したところで、エリコの危機は変わらない。だがエリコには疑問があった。ブロンクスは、エリコの身柄を確保するのが目的だったはずだ。しかし今ブロンクスは、明らかにエリコもリネットも、まとめて殺害しようとしている。これはどういう事なのか? あの、不気味なメイドロイドに一杯くわされたのが悔しくて、自暴自棄になって誰も彼も抹殺しようというのか。
先刻ブロンクスは、エリコ達を見て「海賊どもめ」と叫んだ。これはいったい、どういう事なのか? そんなことを考えるひまもなく、ブロンクスはレーザーを放ってきた。リネットはそのとき、二重の驚きを覚えた。ひとつは当然、至近距離でのレーザーそのものに対して。そしてもうひとつは、驚くほど向上した、ホバーバイクの運動性能についてだった。
「なんて回頭性能なの!」
まるで、スリックタイヤでアスファルトをグリップしているようなその動きに、リネットは驚嘆した。ニューウェイは一体、あの短時間にどれだけの改造を施したというのか。
「エリオ! ライフルを使いなさい!私が隙を作る!」
「隙を作るって、どうやって!?」
「いいから!」
リネットは、信じられないような蛇行運転でブロンクスを翻弄した。エリコは、ライフルを取り出して構えるだけで精一杯である。ブロンクスのレーザーをぎりぎりでかわしながら、ホバーバイクはフルスピードでボートの左側面に躍り出た。
ほんの一瞬、ブロンクスが背中を見せた。今だ、そう思ったエリコがライフルを向けた、そのときだった。ブロンクスの首がぐるりと後ろを向き、右脇から後方に向けて突き出されたレーザーライフルの銃口が、エリコの額に向けられた。
――終わった。
エリコは確信した。ここで自分は死ぬ、どうやらここまでだったらしい。さようなら、リネット。一瞬のうちにエリコは、全てを受け入れた。
だが、次の瞬間に起きた出来事は、エリコとリネットの想像を超えていた。
ブロンクス准将の額が、何者かの放ったレーザーに撃ち抜かれたのだ。一瞬で生命を失った准将の身体は、糸の切れた人形のようにキャビンから投げ出され、左舷に激突すると、そのまま海に沈んでいった。
だが、そのあと続けざまに起きた出来事に、エリコもリネットも言葉がなかった。またしてもどこからか飛来したレーザーが、操縦者を失ったボートの心臓部を撃ち抜いたのだ。ボートのエンジンは爆発し、姿勢を崩した船体はバラバラに砕け散りながら、文字通り海の藻屑となって沈んでいった。
二人は、フェンリルの誰かが駆けつけてくれたのだろうか、と周囲を見渡した。だが、暮れゆく海上を進むのは、二人の乗った青いホバーバイクだけだった。
あのレーザーはどこから放たれたのだ?
その疑問に、エリコも答える事はできなかった。二人は絶句したまま、赤く燃え上がる水平線に向かって、ホバーバイクを走らせた。




