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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第三部
20/52

(20)技師ルーカス

 エリコとリネットはバラックのような衣料品店を見つけると、兎にも角にもまず今着ている軍服、制服から、目立たない服装に替えることにした。シティ時代によく着ていたような、モノトーンのパンツとトップスに黒い革靴を履いたエリコは、「お待たせ」と言って店から出てきたリネットに、開口一番言ってのけた。

「だっせー!」

 デリカシーの欠片もなくゲラゲラ笑う一五歳の少年に、リネットは憤慨して詰め寄った。

「どこがよ!」

 ものすごい剣幕で迫るリネットの装いは、白いシューズにデニムパンツ、白いシャツ、デニムのシャツという、まあ百年以上前から地球人が「地味な格好」と言われて想像するパターンと、おおむね合致するものだった。

 とはいえリネットにしても、追手がいることを想定すると、どこにでもいるような地味なスタイルで活動するべきだ、と考えたすえのチョイスである。コーディネートセンスそのものを問われるのは心外ではあった。

「あんたこそ、その『裏稼業やってます』って宣伝してるようなスタイルはどうなの!?」

 リネットは、一歩日陰に入れば黒ずくめの不審者に変身するエリコの、ライムグリーンのインナーを指で引っ張った。これでサングラスをかければ、職務質問待ったなし、というところだ。二人は薄汚れたショーウインドウに映る、自分たちが並んだ様子を見た。さしずめ、不良の弟に手を焼く大学生の姉、といった風情である。その様子が可笑しくて、二人は顔を見合わせて笑った。通行人が何事かと、怪訝そうに通り過ぎてゆく。

「いいわよ、もう。大学の卒論でファッションどころじゃない、っていう設定で」

「僕は?」

「だから、裏稼業で稼いでる不良少年でしょ」

 それは皮肉でも何でもなく、少なくとも二年前は本当の事である。二人は肩を叩き合って、ゲラゲラと笑った。椰子の木の木陰を二人で並んで歩いていると、あの矯正センター島での日々が嘘のようだった。思えば、なんと無味乾燥な日々だったろうか、と二人は同時に考えた。何が楽しくて、退屈な講義や生産性のない作業に明け暮れていたのだろう。

 木々の間から見える陽光煌めく海は、こうしている今も汚染濃度が少しずつ上昇している。一〇年後、二〇年後に、今こうして人々が行き交うこの島が、居住禁止区域に指定されていないとは限らない。それでも、たとえ今だけでも、美しい景色を二人で共有できる事は喜びだった。


 だが、砂浜が見えてきたところで、エリコは突然険しい表情になり、リネットの手を引いて路地の陰に身を潜めた。リネットも警戒は解いていなかったので、すぐに気を引き締める。エリコは無言で、浜辺のすぐ近くに停泊している威圧的な船影を指さした。船の前面にはハッチが開いており、そこに浜辺から護送車が乗り込む様子がわかった。

「SPF軍の揚陸艦だわ」

 それは、つい数日前までリネットが所属していた、サウスパシフィック連邦海軍の揚陸艦だった。護送車が乗り込み、ハッチが閉じていく揚陸艦に、泣きながら追いすがろうとして男性に止められる中年女性の姿が見えた。リネットは、まさかと思って振り向き、エリコの表情に苛烈な怒りの色が浮かんでいるのを見た。

「……エリコ」

「異常才覚者指定された誰かが、収容されていったんだ」

 浜辺で泣き崩れる女性は、その収容された誰かの母親なのだろう。その背中を支える父親のうなだれた肩にも、深い哀しみがうかがえた。その様子を見て、リネットは目を伏せてうつむいた。

「……私が偉そうに教官なんてやってた陰で、誰かが泣いていたのね」

 肩を落とすリネットに、エリコは無言だった。

「世の中のシステムって恐ろしい事なのね。それがどれほど間違った事であっても、みんなが正しいと言えば、正しいことになってしまう」

「そうだ。だから人は歴史の中で、何の罪もない人々を虐げてきた。正義の旗、解放の旗、神の真実、あるいは自由と公正を掲げて、人を弾圧し、抑圧し、殺してきたんだ。この世でいちばん恐ろしいのは、『罪の意識がない世俗の人々』だ」

 エリコは、そう断言した。

「異常才覚者矯正法なんて、百年後には ――百年後にまだ文明があればの話だけど―― 狂気の法として糾弾されているだろう。その時代の民主主義が選んだ、もっとも非民主的、非人道的な悪法としてね。けれど、見てごらん、リネット」

 エリコは、道行く人々をぐるりと見渡した。揚陸艦が去ってゆく浜辺で泣き崩れる母親など、まるで知らないかのように、談笑する者もいれば、笑顔で歩いてゆく者もいる。

「全ての人がそうだとは言わないけれど、人間は自分に関係のない事には、とことん無関心にも、非情にもなれる。心の奥底では後ろめたさを覚える事があっても、誰かが『現実とはそういうものだ』と言えば、その声に同調して自分の心を慰める。もちろん、それを責める事はできない。誰にだって、自分の生活があるんだから」

 エリコの顔からは険しさが引いて、かわりに言い知れない哀しみの色が浮かんでいた。リネットは、何も言うことができなかった。

「いたずらに、人間全てが情も愛もない集団だ、なんて言うつもりはないよ。中世、異端のかどで火刑に処された聖女を、市井の人々は正しく神の御もとに召されるように祈った、というからね」

「……あなたから、神の御もとなんて言葉を聞くのは意外ね」

「僕はべつに無神論者じゃない。神様という存在の捉え方は違うかも知れないけどね」

 再び並木道に出ると、エリコは椰子の木の下を、浜辺に向かって歩き始めた。リネットはその時なぜかエリコの背中に、まるで一〇〇〇年も生きてきた人物であるかのような錯覚を覚えた。


 浜辺から緩い坂を、頼りない足取りで初老を過ぎた夫婦が上がってきたところに、エリコが立っていた。リネットは、少し離れたところからその様子を見守っていた。

「連れて行かれたんだろ」

 エリコの低い声に、沈痛な面持ちの夫婦は軽く驚いて顔を上げた。夫はまだ老けてもいないのに、まるで老人のように力のない表情で、妻は泣きはらした顔で、救いを求めるようにエリコを見ていた。

「僕が救い出してやる。必ず」

 それだけ言うとエリコは、きびすを返してリネットの方に歩いてきた。夫婦は、何を言われたのかという表情でエリコの背中をずっと見ていた。リネットはため息をついて、目を閉じたままエリコに言った。

「大それたことを言うのは簡単だけれど」

「やると言ったら、僕はやるよ」

 そう告げるエリコに、いつもの皮肉めいた笑みはない。冗談抜きで、本当にやってやる、という決意が見てとれた。だからこそ、リネットは不安を覚えずにいられない。

「ファイアストン大佐にも言われたけれど。たった二人で、何をどう変えられると思うの?」

 言外に、現実を見ろとリネットは言っていた。

「こうしている今も、私達を誰かが見ていないとは限らない。みだりに、誰かに声をかけるのも、考えものではあるわね」

 リネットは、エリコが声をかけた夫婦を見た。夫婦の周囲には港町の島民が集まってきて、二人を慰め、励ましている。夫婦がエリコの方を見ると、ほかの島民たちも、見慣れない顔のエリコ達を訝しげに眺めていた。

「この、大きいとは言えない街じゃ、私達は目立つ余所者よ。ひょっとしたら今だけは、エドモンドの名前のおかげで何とかなるかも知れないけれど、『フェンリル』の縄張りを越えたら、もうそれには頼れない」

 エリコは、黙ってリネットの話を聞いていた。それを理解できないエリコではないが、目の前でかつての自分と同じように、誰かが悍ましい法律のために船で連れ去られるのを見て、黙っている事はできなかったのだ。リネットは、エリコの唯一にして最大の弱点は、その内に秘めた激情なのだと確信した。

 そのときリネットは、夫婦の周囲の人だかりの中から、不気味な視線を感じた気がして目を向けた。人ごみに紛れて誰かが去ったような気もしたが、警戒しすぎによる思い込みかも知れないと、呼吸を整えてエリコの目を見た。

「エリコ、とにかく今はまず、私達自身の活動の基盤を整えましょう。作戦を立てたって、実行できる態勢がなければ戦争はできない」

「もと軍人ならでは、だね」

「私は現役のつもりよ。問題は、この軍隊は構成員が二人しかいないことだけど」

「それ、テロリストって言うんじゃないのかな」

 二人は、顔を見合わせて皮肉っぽく笑った。結局これが、自分たちのコミュニケーションなのかも知れない、とエリコは思った。あまりロマンティックでもないが、とにかく相性がいいのは間違いない。

「なんだか、ずっと昔にもこんなやり取りをした事がある気がする」

「なあに、それ」

 リネットは、またエリコの変な話が始まったぞ、という顔をしながら歩き出した。

「そろそろ終わってるんじゃないの、ホバーバイクの改造」

 リネットの左手首に巻かれた、気温や湿度などをチェックできる透明な薄膜型端末に時刻が表示されていた。ジャンク屋のニューウェイにホバーバイクを預けてから、五五分くらい経過している。歩いて戻れば丁度良さそうだった。



 ジャンク屋に戻ると、いったん立ち去ったフェンリルのファジャルと、もう一人の黒い短髪で白人系の男が、ニューウェイとともにホバーバイクを囲んで談笑していた。ニューウェイはホバーのキャノピーやヘッドライト等に、養生シートを被せる作業をしている。もうすでに塗装の準備にかかっているらしい。

「終わったの?」

 エリコが声をかけると、ニューウェイは楽しそうな表情で振り向いた。機械いじりが好きな人間の目だった。どういう経歴の持ち主なのだろう、とエリコは思った。

「ああ。旧式の型から外した基盤に交換したら、いちおう動いた。走行試験もしてみたが、動作は問題ない」

「ネットワークは?」

 リネットが尋ねると、ニューウェイは若干渋い顔をした。

「基盤のOSが二世代ばかり古いからな。それにソフトウェアも民間用だから、お前さんが今まで使っていたような、軍のマップやデータベースにはアクセスできんぞ」

 起動してみせたモニターのGPSマップは、なるほど民間用のものだった。軍が用いる精密かつ、情報量の多いマップではない。だが、ここまでマップを頼らず来たことを考えれば、たとえ簡略化されたマップだろうと、使えるだけで御の字だった。

「十分よ、ありがとう。エンジン出力の切り替えは?」

「この基盤は、こいつらフェンリルの誰かが乗ってた機体のものだ。リミッターは自由に解除できる。もちろん違法だが」

「軍から強奪したホバーでここまで来ておきながら、いまさら違法も何もないわね」

 エリコに多少感化されて肝も据わってきたリネットに、ニューウェイとファジャルは爆笑で応えた。

「いっそ、うちの構成員になったらどうだ。もと軍人なら腕っぷしも期待していいんだろう」

「だってよ、エリコ。私と一緒に海賊になる?」

 白い目を向けるリネットに、エリコは薄笑いを浮かべた。

「面白い選択肢ではあるけどね」

 エリコは、モニター上の旧式のインターフェイス画面を確認していった。軍用のインターフェイスよりはシンプルで、エリコにはすぐに理解できた。

「僕がいたら、フェンリルに迷惑をかける。それはできない」

 その毅然とした態度に、ファジャルは感銘を受けたようだった。隣にいる短髪の男に顎で合図すると、男は懐から二つの携帯端末を取り出した。ペンサイズよりひと周り大きめだ。

「ルーカスといいます。エドモンドから、お二人に通信端末を提供するようにと連絡を受けました。旧式ですけど、バッテリーは新品に交換してあります。使ってください」

 それはリネット達にはありがたい話だった。二人が持っている端末もホバーバイク同様に軍の支給品であり、ネットワークに繋いだ瞬間にGPSの位置情報ログが残ってしまうため、使用できずにいたのだ。

「いいの?」

 リネットは訊ねた。ルーカスは笑う。

「エドモンドが、仲間を救ってくれたお礼だと。俺からも礼を言います。ありがとうございました」

 エリコは複雑な気分だった。正確に言えばエリコは、SPF海軍を無線で引っ掛けて、黒旗海賊から港町を護らざるを得なくなるよう仕向けたのだ。戦闘で軍にも死者が出た。エリコの作戦で犠牲者が出たことは、間違いない事実だった。その点でエリコは、自分のした事が正しいとは思っていない。

「少なくとも僕自身は、何も褒められることはしてないよ。けど、端末は助かる。ありがとう」

 そう言うのがエリコには精一杯だった。ルーカスは物腰にあまり海賊という印象がなく、どちらかと言うとニューウェイのような職人肌の人間に近い、とエリコは思って、つい訊ねてしまった。

「こんな精密機器を弄れるって、技術者か何かやってたの?」

 そう問われると、ルーカスに一瞬だけ、苦い表情が浮かんだ。

「昔勤めていた技術系の企業でね。けど、会社の機材を大量に積んだ貿易船が黒旗海賊に襲われて、会社は負債を作って倒産してしまいました。そのあと、路頭に迷っていたところをファジャルに拾われたんです」

「フェンリルは黒旗に比べたら地味かも知れんが、こいつみたいに腕のいい職人も抱えてるんだぜ。どうだエリコ、話を聞いたらお前も頭が切れるそうじゃないか。上の奴に紹介してやろうか。腕っぷしだけが海賊じゃないからな」

 ファジャルが冗談とも思えない笑みを浮かべると、リネットが割って入った。

「青少年を海賊に誘わないで!」

「海賊ったって、俺達は本来たんなる漁業組合が母体なんだ。黒旗どもと一緒にするな」

 冗談めかしてはいるが、ファジャルの言葉は本音だろうなとエリコは思った。海賊といっても色々いる。仲間にならないまでも、こうして知己になっておく事はマイナスではない。すると、ルーカスが少し真剣な表情で声をひそめた。

「お二人にひとつ、気をつけていただきたい事があります。うちの組織の事なんですが」

 ルーカスは、ファジャルの顔をうかがった。ファジャルは無言で頷くと、ルーカスは何となく周囲を警戒しながら言った。

「フェンリルの構成員にも色々いることはわかったでしょうが、実は最近、黒旗どもと通じている、裏切り者が潜んでいるようなのです」

「裏切り者?」

 それもまた不穏な話だな、とエリコもリネットも思ったが、フェンリルは複数の島に展開している組織らしいので、不思議な話でもなかった。

「だからと言って、今すぐお二人に何か直接の危害が及ぶ、とかいう話でもないでしょうが、怪しい人間がいると思ったら距離を置いてください。お二人は軍に追われている以上、黒旗の耳に入ったら、身柄を軍に売り渡そうと考えるかも知れません」

「奴らにはポリシーも何もないからな。金になるとわかれば、敵対している軍だろうが誰だろうが、平然とすり寄る。警戒は怠るな」

「何かあったらひとまず、ファジャルやエドモンドといった顔見知りに連絡してください」

 端末を受け取りながら、リネットはエリコの妙な人望に、軽い戦慄を覚えていた。すでにこうして、大組織とも言えないが、ひとつの組織と繋がりを築いてしまったのだ。まだ、島を脱出して数日しか経っていないというのに。

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