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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第三部
19/52

(19)ファジャルとジャンク屋

 激しい戦闘からさほど時間も経っていないことが嘘のような、おだやかな海を西に進むと、エドモンドが言うとおり、大きな島と港湾部の街が見えてきた。かつてはそこそこ大きな都市だったらしいが、大崩壊と戦争で大きなビルはなくなってしまったという。エドモンドいわく、フェンリルが仕切ってるぶんいくらか治安はまし、という話だった。


 リネットが運転する軍用のホバーバイクが港湾部はずれの砂浜につけると、即座にあまり品行方正そうにも見えない男女が、わらわらと集まってきた。目つきは鋭く、陽に焼けた肌に、着古したジーンズやシャツをまとっている。

「軍人のお嬢さん、後ろの坊やはあんたの連れかい?」

 長いぼさぼさの髪を赤いバンダナでまとめた男が声をかけると、ほかの三人がゲラゲラと笑った。リネットは警戒し、コンソールの下でブラスターを構えていたが、後部座席のエリコは悠然と立ち上がった。

「懐かしいな。シティじゃ、あんた達みたいな匂いがする大人から、よく仕事を頼まれた」

「なにい?」

 男が半笑いでエリコに一歩近寄ると、エリコは胸ポケットにつけた、ドクロと稲妻のバッジを示した。

「エドモンドから預かってきた。あんたたちも、『フェンリル』の人間だろ」

「エドモンドだと?」

 その名を出したとたん、人をくったような四人の表情が引き締まった。バンダナの男は、思い出したように「ああ」と斜め上を仰いだ。

「そういえば、そんな連絡が入っていたな。みすぼらしい服の、女と小僧の二人連れを見かけたら、マリーの生命の恩人だから協力してやってくれ、とか何とか」

 いったいエドモンドはどういう紹介をしているんだ、とエリコとリネットは眉間にシワを寄せた。エリコは、ホバーバイクのボディーをバンと叩く。

「エドモンドの紹介で、ニューウェイってジャンク屋を捜してる。もし知ってたら、案内してもらえるかな」

「何もんだ、お前は」

「僕はエリコ。少しばかり事情があって、このとおり島から島へと放浪してる。軍に追われてね」

 放浪、という表現が可笑しいのか、バンダナの男は笑い出した。

「なるほど。なまっちょろいガキかと思ったが、色々と場数を踏んだ目をしているようだ」

「リネット、もう銃は下ろして良さそうだよ」

 エリコが声をかけると、リネットはブラスターをホルダーに納めながら立ち上がり、わざとらしく階級章が千切られた襟元を示した。

「私はリネット。この子のおかげで、何日か前に軍をクビになった。今は追われる身」

「僕のせいにするかな」

「あんたに関わったせいで、って言い直そうか」

「同じことだろ!」

 二人のやり取りに、胸の谷間を露わにしたピンクの長い癖毛の女が、怪訝そうな顔をした。

「軍をクビになっただって?何をやらかしたのさ」

「詮索は無用に願いたいわ。名前を教えるだけでも、実のところリスクは高いの」

「はん」

 女は一歩前に出ると、値踏みするようにリネットの頭から足もとまで視線を走らせた。

「こんな薄汚れた軍服の替えも用意できないんじゃ、クビになったってのは本当らしいね」

「いい加減着替えたいの。あなたみたいな、青少年の教育に良くないコーディネートじゃなく」

 すると、女は笑ってリネットの肩を叩いた。

「悪い奴じゃなさそうだ。ファジャル、案内してやりなよ」

 ファジャルと呼ばれたバンダナの男は、毒を多分に含んだ笑みを浮かべ頷くと、浜辺に係留している、ドクロと稲妻のマークがついた金塗りのホバーバイクを示した。

「ついて来な。マリーやエドモンドが世話になったってんなら、俺達の客人だ」


 ファジャルに案内されてエリコ達がやって来たのは、椰子の木が並ぶ通りから横にそれた、波打ちトタンで覆われている、年季の入ったガレージだった。中は意外と広いものの、農機具だか何だかわからない乗り物や機材がひしめいており、いくつかは「済」と書かれた札が貼られている。

 壁際にはネジやらボルトやらが詰まった箱や、錆の浮いたツールボックス、潤滑油や塗料のスプレー缶の棚が押し付けられ、足もとには強電用のキャブタイヤケーブルが蛇の群れのように這い回っていた。よく見ると、床はコンクリートではなく固められた土間である。

「ニューウェイ、お客だ」

 ファジャルが奥に声を張り上げると、少し間を置いて、角が擦れた黒いクリップボードを握った、痩せた白い総髪の男が現れた。見たところ五十代、暗灰色の瞳は鋭い光を放っていた。

「ここに来るなんて、よほど行く当てがないようだな」

 自嘲なのか馬鹿にしているのか、乾いた低い声で男はエリコとリネットを見ると、二人の後ろにある軍用ホバーバイクを睨んだ。

「面白いものを持ち込んできたな」

 ニューウェイと呼ばれた男の目が綻んだ。


 ファジャルはニューウェイに、あまり吹っ掛けるなよ、と言い残してガレージを後にした。残されたエリコとリネットが自己紹介と、エドモンドとのいきさつを説明すると、ニューウェイは腕を組んで頷いた。

「なるほど、事情はわかった」

「ニューウェイさん、このホバーの識別コードの書き換えと、塗装をお願いしたいの。識別コードが軍用のままじゃ、うかつにネットワークにも繋げない。できる?」

「開けてみないとわからんが、軍用じゃブラックボックスだろうし、書き換えは無理だ。ベースの機体はだいたいわかる。適合する基盤と、そっくり交換するしかないな。ジャンク部品の中にあるだろう」

 普段目にする事はない機体なのか、ニューウェイはホバーバイクのあちこちを興味深そうに観察した。その目はまるで、玩具を手にした少年のようであり、エリコにとっては初めて見る種類の人間だった。シティの裏通りにいたような、胡散臭いジャンク屋とはだいぶ違う。

「一時間したらここに来い。基盤交換は終わってるだろう。塗装は明日までかかる」

 ニューウェイはそれだけ言った。リネットはエリコと顔を見合わせて訊ねた。

「あの、料金は」

「ん? 料金か、そうだな」

 クリップボードに百数十年まったく進歩がないボールポイントペンを走らせ、ニューウェイはリネットにその額を示した。リネットは目を丸くして、つぎに訝しげにニューウェイを見た。

「本当にこの額でいいの?」

「お望みなら、もっと吹っ掛けてやってもいいがな」

「まだ中身も見てないのに」

「プロがその額でいいって言ってるんだ。それにまあ、エドモンド達が世話になったようだからな。なんならタダでもいいが、それじゃお前さん達も、逆に寝覚めが悪いだろう」

 ニューウェイはそう言うものの、リネットはあまりの低料金に申し訳なさそうだった。すると、エリコが立ち上がってリネットの肩を叩いた。

「リネット、街を見てこよう。一時間だね、おじさん」

「ああ」

 ニューウェイは、仕事の邪魔だとばかりに手で二人を追い払う。エリコに従って、リネットも仕方なさそうにガレージを出た。


 活気がある、というにはどこか猥雑な通りをエリコと歩きながら、リネットは複雑な心境だった。

「なんだか悪い事した気分」

「あの手のモグリの職人は、取る奴からはきっちり取ってるもんさ。向こうがいいって言うなら、いいんだよ。僕もシティ時代は、吹っ掛ける事もあったし、ほとんど慈善事業で引き受ける事もあった。人も見れば、足元も見るし、事情も汲んでやる。ただし損な仕事はしない」

「そういうものか」

 リネットは、それなりに裏の社会を知っているらしいエリコを、不思議そうに見た。エリコが裏社会の人間を相手に情報屋をやっていたのは、本人いわく一三、四歳の頃の話である。決して褒められた話ではないが、エリコにもそういう界隈の人間特有の逞しさがあり、それは頼もしさにも通じる。だが、リネットにはひとつ、大きな疑問があった。屋台で買った合成タンパクの串焼きをかじりながら、リネットは訊ねた。

「ねえ、今さらだけどエリコ。あなたのそういう『ツブシがきく』みたいなところって、どうやって身についたの? 戦災孤児とはいえ、いちおう学校には通ってたんでしょ?」

 エリコは一見すると孤児どころか、顔立ちがどことなく高貴なせいで、育ちのいいお坊ちゃんにさえ見える。だから、矯正センターではカトーのような、裏路地出身みたいな相手によく突っかかられていた。だが、カトーやその取り巻きも、エリコの頭の良さは認めているようで、一線を超えてエリコを敵に回す事は決してなかった。

 とはいえ、大学を出たわけでもないはずのエリコは、なぜか大人顔負けの知識や見識を有している。それはいったい、どこから来たのか。裏社会の人間と関わって怪しい仕事に手を染めながら、実は色々と勉強していたのか。リネットはつい訊ねてしまった。

「エリコ、あなたが考える一番頭のいい人って、誰?」

 それはリネットの純粋な好奇心だった。ふだん大人や社会を悪しざまに貶しているエリコだが、ひょっとして尊敬している人間もいるのではないのか。その唐突な問いかけに、エリコは面食らって串を握る手が停まった。数秒の沈黙をおいて返ってきたのは、だいぶリネットの想像と異なるものだった。

「ギザの大ピラミッドを設計した人かな」

「なにそれ」

 肩透かしをくらって、リネットは脱力した。はっきりしているようでいて、漠然としている。

「あの建造物を設計した人は、天才に違いない」

 

 エリコいわく、ギザの大ピラミッドは『人類文明が完全に機能を失った時』のために造られた、『教材』に違いないという。その意味がわからないリネットは素直に質問した。答えは即座に返ってきた。

「リネット、例えばだよ。世界が徹底的に破壊されて、コンピューターも何もいっさい使えなくなってしまったとする。もちろん時計もない。やがて世代が進んで、原始人一歩手前まで知識が後退して、1年が約三六五・二四二二日だという知識も失われてしまったとしたら、その知識を取り戻すのに、どれくらいの時間が必要だと思う?」

「さあ。一年中空を見てる人たち、たとえば漁師とか、農家なんかが、何十年もかけてだんだん気づくんじゃないかしら。どうも、暖かい時期から寒い時期へと移り変わる一定の間隔があるらしいぞ、っていう」

 そこから、少し頭のいい人が測定方法を考え出すのではないか、とリネットは言った。

「うん。おそらく歴史上そうやって、何百年、何千年かけて人類は暦を完成させてきたんだ。だから、古代の暦は現代の暦に比べて、誤差が大きかった。けれど、大ピラミッドを観察していると、もっと早いサイクルである変化が現れる。それは春分と秋分という、年に二度訪れる、太陽が真東から昇る朝だ。その年で多少変わるけど、だいたい三月二一日前後と九月二一日前後の朝だね」

「変化?」

「大ピラミッドは、側面がごく微妙に中央が凹んだ星型の形をしているのは聞いた事があるだろ。そして春分と秋分の日の朝、つまり真東から太陽が昇る瞬間だけ、影ができてその凹みが観察できるんだ。つまり、影が見える日ができる間隔を測ると、一八〇日と少しの間隔である事がわかる。春分から秋分、そして秋分から春分。一八〇日を二倍すると、三六〇日。つまり大ピラミッドを観察すれば、だいたい一年が三六〇日と少しくらいの日数だ、という事がわかるようになってるんだよ」

 ちなみに同じ構造が旧メキシコの、マヤ文明のククルカン神殿にも見られる、とエリコは説明した。そちらは春分と秋分の日だけ、蛇の頭のついた階段の側面に、蛇が身をくねらせる波模様が現れるのだという。

「つまりそれらの建造物を設計した何者かは、僕らと同じレベル、精度の暦を理解していた、ということだね。そして三六五日のうち、一日だけ影が現れるように設計した」

「ものすごい精度だとは思うけど、昔の人がそんな計算できたわけ?」

「事実は雄弁だよ。大ピラミッドを設計した女性は、数学も天文学も完璧に理解していた。高さと、底辺の外周の長さの比率は二π、つまり円周率の関係になっている。これも数学を理解していないと作れない。計測輪を使えば自動的に円周率が含まれると言った考古学者もいたけど、それは単に計測輪の円周の倍数になる、というだけの話で…」

 エリコの機銃掃射のようなピラミッド・トークを、リネットはひとつの質問で遮った。

「ちょっと待って、エリコ。いまあなた、変なこと言ったわね」

「なにが?」

「大ピラミッドを設計した『女性』って、今あなた言ったでしょう」

 そう指摘されて、エリコは自分自身の発言に気づき、かすかに戸惑いをみせた。

「そういえば言ったね」

「大ピラミッドの設計者って、なんとかって男の人じゃなかったの?」

 クフ王の宰相ヘムオンがギザの大ピラミッド建造を指揮した、という定説は、二二世紀にあってなお定説として機能していた。だが、エリコは確かに、大ピラミッドを設計したのは女性だ、と言ったのだ。エリコは首をかしげた。

「そういえば、どうしてだろう?おかしいな……けど、大ピラミッドの写真を見た瞬間、これは神様みたいに頭の良い女性が設計した、って思っちゃったんだよな」

「何歳ぐらいの話なのよ」

「さあ。たぶん四歳とか、それくらいだと思う」

「四歳の子供が、『設計』っていう概念を理解してたっていうの?」

 さすがに、その話はリネットも訝った。いくらエリコが奇妙なカンの鋭さや、並外れた計算能力を持っているとしても、四歳の時分にそこまでの理解力があったとは思えなかった。仮にそうだとしても、子供のころの妙な思い込みをそのまま引きずっているのだろう、とリネットは考え、厭世家のエリコにも可愛いところがあるんだな、と苦笑した。当のエリコは、神妙そうな顔をして黙っている。


 エリコは子供の頃から今に至るまで、妙な直感というより、『確信』を覚える事があった。先日、黒旗海賊がフェンリルの縄張りに夜襲をかけてきた時もそうだし、異常才覚者矯正施設を津波が襲うことも、エリコにとっては津波の予測がどうこうというより、列車がどこのホームに到着するか、というレベルで『わかっている』事だった。

 それがエリコにとっては当たり前だったので、自分自身で変だ、と思う事はなかった。だが、今さらこうしてリネットという第三者から指摘されると、どうも自分は妙な、予知能力めいた何かを持っているのではないか、という疑念が湧いてきたのだった。

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