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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第二部
17/52

(17)結束【第二部完】

 煙が立ち込めるなかエリコはホバーを降りると、散らばる黒い破片を睨んでテレーズに訊ねた。

「こいつは軍用アンドロイドなの?」

「軍用アンドロイドでも、ここまでの代物はちょいと見た事がないね。ここまでコストがかかりそうな物を、実戦投入するのは意味がない」

「じゃあ、試作機ってこと?」

 エリコの推測に、テレーズは回答ができなかった。試作機ということはあり得るが、軍の試作機であれば、軍のビークルや高速艇を攻撃してくる理由がない。唯一はっきりしていたのは、おそらくエリコ確保という命令だけは、忠実に遂行していたことだ。

「瞬時の判断力は異常だったわ。こちらの動きを予測していたような……」

 リネットは、ハッとしてエリコと視線を合わせた。それはまるで、エリコの異様な直感、リネットに言わせれば予知能力と、通じるものがあるからだ。それでは、このアンドロイドを作り上げた何者かは、何のためにエリコを追跡させたのか。

 エリコは、よもやこのアンドロイドの頭には、人間の脳が収まっていたのではないか、と訝った。だが飛散した残骸に、それらしいものは含まれてはおらず、エリコはひとまず胸を撫で下ろした。


 今この状況から何を推測したところで、何もわかるはずがない。機密の漏洩を防止するために、アンドロイドは自爆したのだ。テレーズは散らばった破片のひとつをつまみ上げた。

「残骸はあたしが回収して、可能な限り調べる。それよりも、エリコ・シュレーディンガー」

 あらためて、テレーズがエリコの前に立つと、エリコはほとんど小学生にしか見えない。軽く腕をひと払いすれば、海まで弾き飛ばされそうだった。

「よく、あんな作戦を実行したね」

「あいつは、僕を生きた状態で確保しようと動いていたのは明らかだった。それならいっそ、僕に高速艇を突っ込ませれば、奴は僕を救わざるを得なくなる。予想通り奴は、自分のホバーを楯にして僕を守ってくれた、というわけさ」

 エリコが説明すると、テレーズはゲラゲラと笑ってエリコの肩を叩いた。冗談ぬきでエリコは弾き飛ばされそうになり、右足を踏ん張った。

「あたしが言ってるのは、高速艇を自分に突っ込ませる度胸のことだ。お前さん、奴かあたしのどっちか、あるいは両方の動きが、自分の意図から外れた場合のことを、考えなかったのかい」

「ああ。考えなかった」

 当然のようにエリコが答えると、テレーズもエドモンドも、怪訝そうに黙ってしまった。何を言っているのか、という顔だ。

「自分でも、説明はできないんだ。何ていうのかな。『モード』に入るんだ、僕の意識の全てが」

 エリコは、自分の異様な直感が『発動』するプロセスを、どうにかして言葉で説明できるよう、努力してみた。

「まるで全身の細胞が、ネットワークから情報を得るような感覚だよ。この説明で伝わるかな。これから起こる事はそれ以外あり得ないと知っていたから、僕は想定どおりそこにいた。だからテレーズは予定どおり高速艇で突っ込んできたし、このアンドロイドも高速艇の前に飛び出した。その過程と結果を、疑う必要はどこにもなかった。だから恐れる必要もなかった」

 エリコ以外の全員が、エリコの説明に対し、薄ら寒さを覚えた。細胞が情報を得る? 目の前にいる少年は、本当に人間なのか。そこまで自分の選択に、疑いを持たないで行動できるものだろうか。

 エリコが、得体の知れない何かを秘めているらしい事が、ようやく三人にもわかってきた。それでもエドモンドは、エリコの肩を叩き、その勇敢さを称えた。

「理屈はなんであれ、自分の身を危険に晒せる度胸は大したもんだ。しかしお嬢さん、あんたもよくこの赤毛の坊やの作戦に付き合ってやったな。下手すりゃ、あの世行きだったんだぜ」

「そうね。まあ、一人で死ぬよりは寂しくないでしょ、って思っただけよ」

 リネットが横目にエリコを見ると、エリコは憤慨して腕を組んだ。

「つまり僕の作戦を信用してなかった、ってことだろ!」

「信じてたわよ。半分くらい」

 エリコとリネットの応酬に、テレーズとエドモンドは爆笑で応えた。笑いが収まるころ、テレーズがふいに真剣な顔で、リネットを見た。

「お嬢ちゃん、どこかの現場で見た顔の気もするが、所属はどこだい」

 軍服を着ているリネットに、テレーズは凄んだ。だがリネットは、即座に身分を明かす事ができなかった。

「エリコ、お前は例の矯正施設で行方不明になっている。お前を追跡しろと命令されて、行方を追ったら黒旗海賊の夜襲騒ぎだ。混乱をくぐり抜けてようやく追い付いてみれば、所属不明のきれいな少尉さんがご一緒ときた。なんとなく状況は見えてきたが、あんた達の口から説明してもらうよ」

 

 エリコとリネットは、隠しても仕方ないと全てをテレーズ、エドモンドに打ち明けた。矯正センター島で起きていること、エリコを軍が二度も脳検査したこと、そして自殺を装って姿をくらましたエリコの『頭』を確保しろ、と上官から命令されたこと。

 リネットもすでに軍からマークされており、逃げる以外の選択肢はなく、エリコとともに島を脱出したこと、そして異常才覚者矯正法の背後に何があるのか、二人で確かめると決めたこと。全てを聞き終えたテレーズは、盛大なため息で応えた。

「たった二人で、何ができると思ってるんだ」

 まあ、そう言われるだろうな、とはエリコもリネットも思ってはいた。相手は軍であり、国であり、おそらくは世界規模のシステムなのだ。

 だがエリコにしてみれば、もしあのまま島に残っていた場合、命があったかどうかの保証はないのだ。そもそも、島に集められた少年少女達にも、その後どうなったのか不明な人間が何人もいるし、今回の津波でシェルターに避難できたみんなにも、今後どんな運命が待っているかはわからない。黙っている事などできない、とエリコは言ったが、テレーズはエリコに凄んだ。

「エリコ・シュレーディンガー。もし、あたしが今聞いたことを、軍に報告したらどうなると思ってるんだい。あたしはSPF海軍の、テレーズ・ファイアストン大佐なんだよ。それに、アンドルー少尉。あんたは矯正センターP7島において、捜索命令を受けたエリコの所在を知りながら、報告を怠ったのみならず、現場を離脱して逃走を手助けした。これは軍法会議ものだ」

 エリコとリネットは、まるでズル休みを咎められる学生のように、縮こまって聞いていた。すると、痛む左腕をさすりながら、エドモンドが笑った。

「まあ、そのへんにしとけよ、大佐さん。それを言うならあんたこそ、さっさとこの逃亡者を拘束しなきゃならねえだろうが。さっさと、上官なり本部なりに通信を入れなきゃならねえんじゃねえのか? 職務怠慢だな」

 テレーズは眉間にしわを寄せて睨みつけたが、海賊なりに肚の据わったエドモンドも、一切怯むことはなかった。

「あんただって、どうにかこの二人を逃がしてやろうと思ってるんだろう」

「根拠は?」

「海賊の鼻だよ。悪どい奴と、そうでない奴は、においでわかる」

 エドモンドは胸に留めてあった、稲妻とドクロのマークのバッジを外すと、エリコの手元に放り投げた。

「そいつを持って、北西の島の北側にある町の、ジャンク屋に行け。俺の名前を出して、事情を説明するんだ。モグリだが、腕は立つ。力になってくれるはずだ。各地のフェンリル団員にも、お前らの事は伝えておく」

「ちょいとお待ち、何を勝手に話を進めてるんだい」

「おれは海賊だ。どうして軍のババアにお伺いを立てなきゃならん」

「ほう、どうやら命は惜しくないらしいね」

 数秒間睨みあって、二人はゲラゲラと笑った。すでに会話から放り出された感のあるエリコとリネットは、話を切り出しあぐねている。

「まあいいさ。あたしも前から、あの薄気味悪い矯正施設のことは気に食わなかったんだ。頭のいい子供を、精神異常者扱いして矯正なんて、狂ってるとしか思えないからね」

 テレーズは、リネットの襟もとにある少尉の階級章を引きちぎると、海に放り投げてしまった。

「リネット少尉はここで殉職した。やるんなら、覚悟を決めな。あたしも、軍の内部から探りを入れる。どこの何者が、何を企てているのか、暴いてやろうじゃないか」

「危険よ」

「あんたに言われたくないよ!」

 全員が、どっと笑った。エリコに何かがあるにしても、今こうして共に死線を乗り越えたことが、仲間意識を形成した事もまた、疑いようはなかった。


 だがそれでもやはり、エリコ自身にも理解できない謎は残っていた。あの、突然聞こえた少年の声は何だったのか。それが、エリコが軍に追われるまでに至った理由なのか。たとえ、常軌を逸した何かをエリコが備えているとしても、知らない事を理解し得るはずもなかった。



 SPF科学技術研究本部、計算科学研究部門のコンピュータールームのメインスクリーンに、『信号途絶』の文字列が赤く、無情に点灯していた。ヤングフォレスト博士がエリコ・シュレーディンガー確保のために送り出したアンドロイド『サツキ』は、エリコの作戦によって任務を果たせず、機密保持のため自爆したのだ。

「そんな馬鹿な! 私のサツキが任務に失敗したというのか!?」

 ヤングフォレスト博士は、スクリーンに張り付いたまま口元を歪めた。『サツキ』はヤングフォレスト博士の持つ技術を注ぎ込んで生み出した、自律型アンドロイドだった。それを知略によって上回ったエリコ・シュレーディンガーに対する、苛立ちと称賛と焦燥がない交ぜになり、博士はコンソールに情けなく手をついた。

「私の研究を完璧なものにするには、完璧な素材が必要なのだ……あの脳を、軍や国家の馬鹿どもに、渡してはならない!」

 あたかも神に向かって宣言するように、両腕を広げて叫ぶと、博士は振り向いた。

「アキコくん! サツキの新しいボディーと、新型のホバーバイクを組み上げるのに、どれほどの日数が必要かね」

「博士、日数の問題ではありません。もう今年度の予算の捻出は不可能です」

 残酷な現実を、アキコは淡々と述べた。軍にも極秘で進められる博士の研究は、まず費用と資材の確保から始めなくてはならないのだ。厳密に言うと予算の流用である。自身も天才と称されるヤングフォレスト博士の計画は、懐事情という全世界共通の問題により、ここで頓挫することとなった。



 ユーラシア大陸、カンチェンジュンガ山地の一隅にあるひとつの山の頂に、短いふたつの塔が立つ、純白の寺院があった。誰の目にも長い年月を経ていることがわかる寺院の奥、薄く冷たい空気が張り詰める本殿に、真っ直ぐな黒い髪を垂らした一人の女が、座禅を組むように座っていた。

 寺院に通じる二一六〇段の石段を登り、真っ白なスーツの女が寺院に足を踏み入れると、黒髪の女は本殿の奥を向いたまま声を発した。

「ヴィジャヤラクシュミか」

「ご機嫌麗しゅう、サラスヴァティお姉様」

「来る頃と思っていた。して、どうであった」

 何が起こっているのか全て察しているような口調で、サラスヴァティは訊ねた。その様子は真剣なようでも、楽しんでいるようでもあった。

「おそらく本物でしょう」

「『方舟』か?」

「はい」

 石の柱と壁の空間に、一瞬沈黙が流れた。

「今いずこにいる」

「ほどなく、南の海を抜け出るでしょう。天と地の子らは、『方舟』の行方を見失った、とのことです。遠からず、『沈んだ都』にたどり着くものと思われます」

「だが仮に本物だとしても、まだ完全に目覚めてはおるまい。万が一にも、天と地の子らの手に落ちる危険はないか」

 サラスヴァティは風雅そのものの所作で立ち上がると、褐色の美しい顔を妹に向けた。ヴィジャヤラクシュミは穏やかな、しかし冷たい微笑みを返す。

「真の『方舟』であるならば、天と地の子らの手には負えますまい」

「だが、その天と地の子らも、たとえ蒙昧ではあっても、彼らなりに力は持っている。何をしでかすか、わからぬ力をな」

 サラスヴァティは、憐れむような笑みを浮かべた。

「お前とクリシュナからの報告を読んだ。彼らの件の計画は、およそ度し難いものだが、全て事実か」

「異なことをおっしゃる。全てご存知のくせに」

「そう言うな。私とて、自分自身の力と知識に、まだ完全に目覚めた確信を持っているわけではないのだ。だからヴィジャヤラクシュミ、お前やクリシュナが目と耳で確かめてきたことが、私に自信を与えてくれる」

 すると、ヴィジャヤラクシュミは初めて、柔らかな笑みを見せた。

「お姉様のお役に立てて嬉しいですわ」

 そう言いながら、まだその表情には翳りの色が見えた。ヴィジャヤラクシュミは目を閉じ、数秒間何か思いを巡らしたのち、切々と語り始めた。

「事実です。天と地の子、彼らの考えることは理解できない……なぜ、自ら滅びの道を繰り返そうとするのか。人が、人の可能性を否定した先に、何があるというのでしょう」

 ヴィジャヤラクシュミの瞳には、かすかに涙がにじんでいた。

「彼らは、犠牲を強いる事への強迫観念に取り憑かれています。石の祭壇で心臓をえぐり出した古代人と、何も変わりません……一体どうすれば、彼らは変わるのか」

「ヴィジャヤラクシュミ。もはや、そのような心配をする必要はない」

 サラスヴァティは、ヴィジャヤラクシュミの頬をそっと撫でた。

「彼らが、滅びの道を繰り返す事は二度とないだろう」

「お姉様、それは……」

「機会は与えてやった。十数万年もな。だが、彼らは変わらなかった。それが彼らの選択なのだ」

 サラスヴァティは、無限の優しさと、限りない悲しみに涙を浮かべ、空の彼方を見つめた。

「彼らの、滅びの輪廻は終わる。次の滅亡を最後にな」

 凍てついた風が、無情に天空から外界へと吹き付けた。


(第二部/完)

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