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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第二部
16/52

(16)生命なき死

「リネット、うかつに近づいたら、あのビークルみたいに撃たれるよ。何を撃たれたか、知らないけど」

「そんな心配してる間に、おいでなすったわよ!」

 リネットは舌打ちした。やはり相手のスピードは半端ではない。あっという間に距離を詰めると、開いたキャノピーからこちらを凝視して、その目が紅く輝いた。

 だが、女はすぐに距離を取った。次の瞬間、女の心臓があった位置を、エドモンドが放ったレーザーが突き抜けていった。

「くそっ!気味の悪い動きをしやがる」

 エドモンドは吐き捨てながらも、ぴたりとつけて片手でレーザー銃を向け、相手の隙をうかがった。リネットは、まるでその後何が起きるのかを知っているかのような女の動きに、奇妙な既視感があった。

 エリコもエドモンドに加勢する形でレーザー銃を連射したが、やはりエリコの射撃を予測していたかのように、不気味なまでの優雅さで回避してみせた。

「くそっ、こんなんなら射撃の練習しとくんだった」

 エリコは自らに毒づいたが、リネットから見ても、エリコの射撃は立派なものだった。おそらく、ふつうの人間であれば、すでに射抜かれていただろう。驚くべき事ではあるが、エリコに射撃の才能がある事ははっきりした。が、どうやら相手も普通の人間ではなさそうだった。

「エリコ、あなたの射撃は完璧よ。もう一度やってみましょう」

「それをしたいのは山々だけどさ」

 女はシートに座った状態で先行しており、船体とキャノピーに隠れて姿が見えない。そこで、エリコとエドモンドはアイコンタクトを取り、女のホバーバイクのエンジンを破壊することにした。

 だが、青白いイオンを放出するリア部分に、二人が銃を向けるコンマ数秒前、女はキャノピーを閉じて再び海中に姿を隠してしまった。

「くそ野郎が!」

 エドモンドの罵倒も、水面下には届かない。だがエリコは、この女が明らかに、こちらが銃口を向けるよりも前に、回避行動を取っていた事に気付いていた。

「まるでエリコだわ。これから起きる事を予測してるみたい」

 その、リネットの何気ない言葉が、エリコに確信を与えた。あの女は、何らかの手段でこちらの先を読んでいる。あのホバーバイクに、最新式のコンピューターが積まれているのではないか?

 だが、瞬間的にエリコの脳裏に浮かんだのは、脱出してきた異常才覚者矯正施設でたびたび感じた、奇妙な感覚だった。エリコ自身でもはっきりと説明できない、特にあの島に送られて以降冴え渡ってきた、これから起こることを知っている感覚だ。

「……まさか」

 エリコは試みに、海面下に銃口を向けようとした。すると、エリコが銃身を動かす前に、女のホバーの機影がわずかに右にぶれたのだ。

 これは偶然か? それもあり得るだろう。だが、偶然でないとしたら?

 

 だがそこで、女のホバーは一瞬さらに深く潜ったかと思うと、次の瞬間にはエドモンドの水上バイクの右側に姿を現した。

「なにっ!」

 エドモンドは一瞬、死を覚悟しかけたが、再び女は謎の回避行動をとった。何が起きたのかと思っていると、右手方向から現れた高速艇の上に、巨大な影があった。

「なんだい、女ひとりに振り回されてるのかい! だらしない男どもだね!」

 風圧と波しぶきの中で、テレーズ・ファイアストン大佐の罵倒はエリコ達に届かなかった。大佐は高出力の対戦車レーザーライフルを、片腕で微動だにせず女のホバーに向け、間髪入れず連射してみせた。

「今日は化け物じみた女によく遭う日だな!」

 エドモンドは、突然現れた巨体の女に若干の畏怖を禁じ得なかったが、ともかく危機を救われた事には感謝した。が、対戦車レーザーライフルを片腕で平然と放つ女はやはり普通ではない。テレーズはヘッドセットを通じて、エドモンドとリネットに無線を入れてきた。

「あたしはSPF海軍のテレーズ・ファイアストン大佐だ! あの気味の悪いメイド女は何もんだい!? 黒旗海賊か!?」

「所属は不明! 敵のホバーバイクは尋常ならざる運動性能を備え、かつ搭乗者は正体不明の射撃兵器を保有しています! 接近は警戒してください!」

 リネットは軍人らしく、簡潔に相手の情報を伝えた。リネットが軍を除籍されたのかどうかは知らないが、行方不明リストに入っているのは間違いないため、名乗るのは控えておきたかったが、テレーズはそうではなかった。

「どこの部隊のもんだい、お前さん!」

 リネットは応じない。テレーズはニヤリと笑った。

「女の事情を根掘り葉掘り聞くのは不粋ってとこか! 話はこいつを片付けてからだね!」

「気をつけて、そいつは僕らの動きを予測して動いてくる! 離れて!」

 突然のエリコの警告に、テレーズとエドモンドは即座に敵から距離を取った。三方向から囲まれて、さすがに警戒しているのか、女もじっと距離を保って動きを見せない。

「なんだって、坊や?」

「さっきからあいつの動きを見ていて気付いたんだ! あいつは、僕らが攻撃する前からすでに回避行動を取っている。つまり、何らかの手段で、こちらの動きを予測しているのに違いない」

「ふうん、なるほど。お前がエリコ・シュレーディンガーか」

 いきなり名前を言われて、エリコはそもそも軍に追われていることを、いまさら思い出した。テレーズは、豪快に笑った。

「心配は要らないよ! あたしはあんたを、軍なんかに引き渡すつもりはない」

「……どういう意味」

「あたしの事はいいんだよ! 話によるとお前さん、ずいぶんと頭が切れるんだろう。あたし達が時間稼ぎをする、こいつを地獄に送る作戦を立てな!」

 無茶苦茶な指示だった。軍人のあんたがそれをやれよ、とエリコは言いたかったが、射撃に関してはテレーズとエドモンドに任せるべきではあった。

 だがそこでエリコは、どうやら敵の攻撃手段には、射程距離に限界があるらしい事に気付いた。どんな兵器かは不明だが、いまエリコ達は敵から六〇メートル近い距離を保って散開している。警戒して撃って来ないのではなく、撃てないでいるのではないか。

 だが、その読みは甘かった。女はまたしてもキャノピーを全開にして直立すると、今度はレーザーライフルを取り出して、まずエドモンドに向けて引き金を引いた。

「うおっ!」

 距離があったので、すんでのところで回避できたが、次の射撃でエドモンドは、水上バイクのカウルに穴を開けられてしまう。操縦システムを破壊され、バランスを崩した水上バイクを、エドモンドは女に向けて特攻させ、自らは島の浜辺に跳んで退避した。

 やはり水上バイクの特攻も、メイド女は予測していたように鮮やかに回避した。エドモンドは受け身を取りきれず、砂地を転げて左腕をしたたかに痛めてしまう。

「くそったれが!」

 移動手段を失ったエドモンドは、左腕の痛みを無視して、なおも銃を構え続けた。

「助けないと!」

 エリコは叫んだが、リネットはここで、やはり軍人らしい顔を見せ、冷徹に言い放った。

「今優先すべきは、あのメイド女の始末よ。間違えないで」

「でっ、でも」

「あなたはあなたの役割を果たしなさい、エリコ・シュレーディンガー!」

 それは、リネットが初めて見せる貌だった。そして、いま明確な役割があるのだ、と言われて、エリコは自らの意志が定まってゆくのを感じた。


 その瞬間だった。エリコは、それまでに感じたことのない、鮮烈な感覚にとらわれた。全てが繋がっているような、そんな感覚だ。そして、自分の内側から、『声』が聞こえたような気がした。



 ――エリコ、因果の法則だよ。君ならわかるだろう?



 それは、はっきりとした声だった。少年のような声だ。なんとなく、今までも何度も聞いた事があるような、親しみと懐かしさをエリコは覚えた。


 だがエリコの意識は、テレーズとメイド女の射撃の応酬の音で現実に引き戻された。テレーズの高速艇は、動力部の一部を破壊されて、白煙を吹いていた。

「くそっ!こうなりゃ体当たりだ!」

 テレーズが飛び降りる態勢を取ろうとしたとき、エリコが叫んだ。

「待って、おばさん!」

 そりゃあおばさんには違いない、とリネットは苦笑しかけたが、元帥の次に怖いのは上級大将でなくファイアストン大佐だ、という若い士官どうしの格言を知っているリネットは、必死で声を抑えた。その『おばさん』は、エリコに怒鳴り返した。

「なんだい! 切羽詰まってるんだがね!」

「いい!? 僕の言う通りに動いて!」

「ああ!?」

 テレーズの迫力は、無線を通して劣化した音声であっても、ホバーバイクの狭いコクピットを圧するものだった。エリコは負けじと声を張り上げる。

「作戦を練ろって言ったのはそっちでしょ! 黙って従ってよ!」

 リネットは、声には出さず心からエリコに喝采を送った。あのテレーズ・ファイアストン大佐に『従え』と言ってのけられるのは、階級が上か、恐怖の感覚が鈍磨しているか、さしあたり人生に悔いがない人間だけである。

 だがテレーズは、エリコの物怖じしない性格を好ましく思ったようで、すぐにエリコが立てた作戦を確認すると、その場を大きく迂回して、いったん戦場を離脱した。


「リネット、いい!?」

「OK!」

「いくよ!」

 エリコの合図で、リネットは最初に上陸しようと試みた無人島に、ホバーバイクを走らせた。その後方から、黒ずくめのメイドのホバーバイクが迫ってくる。すると、エリコとリネットのホバーバイクの左手方向海上から、無人の高速艇がフルスピードで突進してきた。高速艇は黒いメイドのホバーバイクに体当たりするかに見えたが、そうではなく、エリコの乗るホバーに向かって直進していた。

 高速艇は、テレーズが自動操縦させたものだった。ホバーを高速艇が直撃するかと思えた次の瞬間、間に黒い物体が割って入ると、その横腹に高速艇の機首が突き刺さった。

 それは、黒いメイドのホバーバイクだった。エリコがメイドの行動パターンを先読みし、高速艇と激突するよう罠にはめたのだ。ホバーバイクと高速艇は、もつれ合うように砂浜を転げ回って、木に激突すると大爆発を起こした。

「やった!」

 すんでの所で爆発を回避し、減速して砂浜にホバーを停めたリネットだったが、後ろから聞こえた声に背筋を伸ばした。

「ボーッとしてんじゃないよ!」

 テレーズは、炎上する高速艇とホバーバイクにレーザーライフルを突き付けると、最大出力で間髪入れず引き金を引いた。

 炎の中から立ち上がったその影を、青白い閃光が直撃した。だが、その直後の光景に、駆け付けたエドモンドを含めた全員が絶句した。女は黒煙が混じる炎の中にあって、髪の毛一本すら燃える事はなく、直立していたのだ。しかも、メイド服はレーザーの直撃で穴は開いても、炎ではいっさい焼け焦げていなかった。


 この女は一体何なのだ。だがエリコはその状況下で、自分の冷静さにも驚いていた。今この場にある全てが、テーブルに広げられたゲーム・ボードのようにわかった。優雅なまでの動作でリネットのブラスターをホルダーから引き抜くと、二丁のブラスターの銃口を、炎の中に立ってこちらを凝視する、銀髪の女の両眼に向けた。

 細いレーザーは正確に、女の両眼の瞳孔を撃ち抜いた。驚くリネット達の視界で飛び散ったのは血ではなく、人造クリスタルの無数の透明な破片だった。

 女は人間ではなくロボット、否、アンドロイドだったのだ。

 人間に近い、非常に精巧な美術、愛玩用アンドロイド等は、高価だが存在する。しかし、人間とまったく区別がつかず、炎の中で平然と動作し、軍用レーザーの直撃を胴体に受けてなお姿を保っているアンドロイドなど、二一〇八年にあってなお、常軌を逸した存在であった。


 アンドロイドはわずかに弱体化した様子で、なおもエリコに向かって歩いてきた。どうやら、センサー類によって空間を把握しているらしい。だが両眼の、おそらくレーザー発射装置を破壊され、すでに攻撃能力は失ったようだった。

 テレーズとエドモンド、リネットは一斉にレーザーを撃ち込んだ。さすがに連続の直撃には耐え切れず、表面のコーティングが剥がれ、黒い下地がのぞいた。だが、衝撃で首や肩の関節が軋み始めているが、一体どんな素材で出来ているのか、装甲そのものは全く傷付いていない。

「お前さん達は下がってな! こいつはあたしが捕獲する。こんな化け物、いったいどこの何者が造ったのか」

 テレーズは拘束用の電磁手錠を手に、恐れることなくアンドロイドに接近した。だが、咄嗟にリネットが危険を察知して叫ぶ。

「危ない、全員離れて!」

 リネットがホバーを大急ぎで後退させ、テレーズはエドモンドの襟首を猫か何かのように掴むと、砂を撒き散らしてその場を退避した。その直後、黒ずくめのメイドと、『彼女』が乗っていた流線型のホバーバイクが、閃光とともに爆発四散し、無数の破片となってしまった。テレーズの舌打ちが響く。

「機密保持ってとこか」

 アンドロイドの姿はすでに面影も残さず炎の中に消え去り、その黒い炎には近づく事もできなかった。

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