(15)黒い追跡者
海賊組織『フェンリル』のエドモンドは、鍛えあげられた浅黒い肌に波しぶきを散らしながら、改造水上バイクを西に走らせていた。団員五人を一瞬で葬り去った、凄腕の女海賊が海上に逃走した、という情報を得たためだ。殺された中には、かつて死んだ親友から託された息子も含まれており、絶対にそいつの首だけは自分が獲る、と片手でバイクを操作し、片手で改造ライフルを構えていた。
目撃した者の情報によれば、それは驚くほどの速度を誇る、ホバーバイクらしき謎の機体を操っていたという。黒い、ほっそりとした影が茂みから飛び出してきたかと思うと、二条のレーザーがまだ暗い森の中にひらめいて、気が付くと五人は首や胴を撃ち抜かれて死んでいた、というのだ。
「黒旗の奴ら、とんでもないブツを仕込んできたらしいな。軍の新兵器でも奪ったのか?」
だが、そんなとんでもない奴がいるのなら、もっと被害が出ていてもおかしくない。それに、報告が確かであれば、それは南東の海を渡ってきた形跡があるという。戦場は島の北西岸周辺であり、まったく逆方向だ。つまり、黒旗とは無関係の何者か、ということなのか? それなら、仲間を殺す理由がわからない。
そうこうしているうちに、エドモンドは正体不明の敵よりも、厄介な相手に遭遇した。SPF海軍の高速艇である。高速艇は同一方向に海上を進むエドモンドの姿を認めると、おそらく黒旗海賊だと誤認したのだろう、上部ハッチを開けてライフルを撃ってきた。
「ばかやろう!てめえらの脳みそはウミウシ以下か!」
悪態をついても、誤解を解く努力をするうちに撃沈されてしまう。やむなく、エドモンドは次善の策を採った。勝手知ったる海を自動航行に任せて進み、驚くほどの冷静さで両腕でライフルを構えると、正確に相手のビークルの動力部を狙う。だが、すぐにどこからか無線が入ってきた。
「やめろ、撃つな!」
それは、いま射撃を浴びせてきたビークルのずっと先を行く、もう一機のビークルからのものだった。
「こちらはSPF海軍のブロンクス准将だ!誤認を詫びる!」
「ふん。頭は馬鹿ではないようだな」
中指を立てながら、エドモンドは速度を合わせてSPF海軍のホバービークルに横付けした。時速二〇〇キロメートルで距離を保って並走するのは、エドモンドにとってはどうという事もなかった。ブロンクスが、詫びるというには尊大な口調で訊ねる。
「どこへ向かっている?」
「ああ? 仲間を殺した奴が、こっちの方に逃げたっていうから追ってきたんだよ!」
その情報に、ブロンクスは反応を見せた。もしかして、と思ったのだ。
「そいつはメイドの姿をしていたか?」
「なんだって?」
「メイド姿の奴か、と訊いているんだ!」
怒鳴られたエドモンドは、激昂して通信パネルに向かって叫んだ。
「ふざけるな! 知るか、そんなこと! 仲間が殺されたんだ、冗談に付き合っている暇はねえ!」
エドモンドは、ブロンクスらを無視してレーダー反応を確かめた。だがそのとき南側、エドモンドから見て左手方向に、突然現れた高速移動体の反応があった。それは、海中から姿を現した。
「!」
波も立てず水面に現れたその黒い影は、一機の水陸両用ホバーバイクだった――ただし、誰も見たことがない形式だった。シャチのように滑らかで不気味な形態のボディが海面に飛び出すと、キャノピーが開いて、乗っていた何者かが立ち上がった。
その姿に、ブロンクスもエドモンドも声を失った。それは、顔以外は全身ほぼ黒ずくめ、朝焼けに煌めく銀髪のポニーテールをなびかせた、正体不明のメイドだったのだ。それを見た瞬間、ブロンクスは三号機に乗っていた兵士たちが遭遇した相手が、この女だと悟った。だが、奇妙なのは、その女は武器を何も持っていない事だった。といって、乗っているホバーバイクにも何の武装も見えない。この女に、三号機はやられたのか?
次の瞬間、エドモンドは海賊の動物的カンで、瞬間的に水上バイクの速度を落とした。その直後、信じられないことが起こった。エドモンドが二機のホバービークルの後方に下がったのと同時に、とつぜんビークルの二号機の動力部が火を噴いて、機体は爆発四散したのだ。エドモンドは身を低くして破片を回避しなくてはならなかった。
何が起きているのか、まったくわからなかった。気味の悪いメイドは、ホバーバイクにはまったく手を触れていない。そして、傍目にも安定しているとは言い難い機上で、平然と仁王立ちしているのだ。何より気味が悪いのは、その病的なまでに白く美しい顔と、およそ感情が宿っているとは思えない、無機質な赤い眼差しだった。地獄からの使いと言われても、誰も疑わないだろう。
エドモンドもまた、仲間を殺したのはこいつだと瞬間的に理解し、女に向けてレーザーライフルを放った。だが、女は寒気がするほどの優雅な身のこなしで、レーザーをかわしてみせたのだった。
「この、くそアマが!」
二発、三発と、レーザーを放つも、その全てが虚空に消えてゆく。射撃の自信が波しぶきのように消し飛んでしまうその光景に、エドモンドが慄然としたとき、今度はブロンクス達が一斉に軍用レーザーライフルを、女に向けて放った。
さすがに、六丁のライフルからの斉射なら、幽霊でもない限り生命はあるまい。全員がそう思ったが、女は撃たれる直前、瞬間的に閉じたキャノピーに隠れると、驚くべきことに機首をビークルの方向に向けてきた。
それはまるで、レーザーライフルの斉射を予測していたかのような行動だった。流線型のホバーバイクのボディは、放たれたレーザーを全て、後方に受け流してしまうとそのまま海中に潜航した。
「なんという強度だ! あるいは、対レーザーコーティングか!?」
ブロンクスは目を瞠った。それはまだ開発段階で、実用化も実装運用もされていない技術のはずだからだ。つまりこのメイド姿の不気味な女は、軍事用の最新技術を保有する、何者かの手で送り出された戦闘員ということになる。まさか敵対国の実験兵器かと考えたブロンクスは、エリコ・シュレーディンガーとともにこの女とホバーバイクも拿捕せねば、と心に決めた。
水面下に潜ったホバーバイクは、姿を見せなかった。また、あの女が姿を現す。その瞬間をブロンクスとエドモンドは、恐怖とともに待ち構えていた。だが、女が姿を見せたのは、なんとブロンクス達より数十メートル先だった。驚くべきことにあのホバーバイクは海中を、時速二〇〇キロメートル以上で推進していた事になる。だが、問題はその速さよりも、その先に見える、一機の軍用ホバーバイクだった。
そのとき、ブロンクスは悟った。あの薄気味悪い黒ずくめのメイドは、ブロンクス達がターゲットだったのではない。
「我々は奴にとって、単なる障害物だったらしいな」
そう、あのメイドのターゲットは、ブロンクス達もまた追っているターゲット、すなわちエリコ・シュレーディンガーだったのだ。
◇
リネットとエリコは、後方から海上を接近する複数の機影をみとめ、うち一機の水上バイクをやり過ごすため、島を突き抜ける選択をした。もう一機のホバービークルも、その車幅で木々の間をくぐる事はできないので、足止めできるだろう。ホバーバイクの強みを活かしての策だった。それでも状況全体としては、追い詰められた事に変わりはない。完全にこちらを視認された以上、物量と人員を自由に投入できる向こうに利がある。
「詰んだかな、これは」
ぼそりとつぶやいたエリコを、リネットは叱咤した。
「異星人の親戚なんでしょ、何とかしてよ!」
「そっちこそ軍人でしょ、どうにかしてよ」
低次元な押し付け合いが始まったところで、いいかげんリネットはホバーのGPSをオンにした。もうすでに周辺には軍の艦艇が何隻もいるし、そもそも機体を後続のホバービークルに視認されてしまった以上、この戦場にいる間はネットワークから身を隠しても、何の意味もないのだ。
そのときリネットは、後続の軍のビークルと、改造した民間の水上バイクに先行する、謎の機体が海中から飛び出してきた事に気がついた。
「なっ……」
リネットは絶句した。リアビューモニターにも映ったそれは、見たこともない、シャチのような不気味な流線型のホバーバイクだったのだ。
胴体から左右にウイングが張り出した形状は、こちらのホバーバイクと変わらない。だが、まるで二一四八年現在も続く、F1のマシンからホイールを外したような生物的なデザインは、美しくも不気味だった。
「なんだ、あの機体!?」
「軍用じゃないの?」
「あんなの知らない。それより、どうやら私達を追ってきてるのが最大の問題ね」
リネットは舌打ちした。一見して、速度が段違いだ。海中を潜航していながら、後続のホバービークルが追い付けないのは異常である。
「森に突っ込むよ!」
リネットは当初の予定どおりにステアリングを切ろうとしたが、エリコは叫んだ。
「ちがう、リネット! 右方向にUターンだ!」
「えっ!?」
咄嗟に言われてリネットは一瞬混乱したが、エリコの咄嗟のプラン変更にはもう慣れていたので、悪態は操縦を終えてからにした。
ホバーバイクは木にぶつかる寸前で、大きな弧を描いてUターンし、上陸したばかりの島を出て、逆方向に転進した。当然それは、後ろを追ってきていたブロンクス准将のビークルおよび、エドモンドの水上バイクとすれ違う事になる。
そのときエドモンドが、持ち前の動体視力でホバーバイクの搭乗員を確認した。金髪の女軍人と、赤毛の少年。
「マリーが言っていた、命の恩人とかいう奴らか」
だが、なぜ転進してきたのか? エドモンドは訝ったが、すぐにその理由を理解した。エリコ達を追っていた『シャチ』ホバーもまた、信じられないような旋回性能で反転し、こちらに向かってきたためだ。
「俺達に奴をぶつけさせるためか!」
そう、エリコはブロンクスとエドモンドを、謎のホバーバイクから自らを護る障壁として利用したのだ。どうやら、またしてもこちらを黒旗海賊と誤解しているらしい、とエドモンドは舌打ちした。
なんて奴らだ、と悪態をつく暇もなく、エドモンドは速度を落としてブロンクスを先行させた。ブロンクスは、向かってくる謎の黒いホバーと対峙することになる。
「撃沈しろ!」
ブロンクスの指示で、ビークルに装備された対装甲用の特殊鋼弾が発射された。黒いホバーのボディは損傷こそしなかったが、機体どうしが向かい合っていた事により弾丸の相対速度が上がり、倍加した威力でバランスを崩させることには成功した。
だが、横腹を見せた黒いホバーに、ブロンクスがとどめを刺そうとした瞬間だった。キャノピーが再び開いて、あのメイドが凝視している。その瞳が妖しい紅色に輝いた瞬間、ブロンクス准将の乗ったホバービークルは、動力部を何かに撃ち抜かれ、朝焼けを背景に爆発し、搭乗員もろとも海の藻屑と消え去ったのだった。
「あいつ、何を撃ったんだ!?」
エリコは正体不明の武器に驚いたが、唖然としている余裕はなかった。追っ手を追っ手に撃沈させるという作戦は成功したが、それは危機を何秒か先延ばしにできただけかも知れないのだ。黒いホバーに乗っている謎のメイドに、エリコは口笛を吹いた。
「南パシフィック海軍に、メイド服の特殊部隊でもいるの?」
「いるわけないでしょ、そんな変態部隊!」
当たり前である。いったい何者なのか、リネットには心当たりなどない。ただひとつ明確なのは、どうやらあの気味の悪いメイドもエリコを追っている何者かであり、さらに軍とは別組織であるらしい、ということだった。
「リネットのメイド服も、今度見せてよ」
「切羽詰まって頭おかしくなってるんじゃないの、あなた」
「僕は冷静だよ」
冗談を言っているあいだに、黒いホバーは態勢を整えて再び追撃に入ったようだった。
「あのホバーの運動性能は普通じゃない。やりたくなかったけど」
リネットは、コンソールのブースタースイッチを入れた。エネルギー消費は増えるが、出力を上げられる機能である。ただ、敵の動きを見るかぎり、これでも対抗できるかは怪しかった。
すると、一時離脱していた水上バイクがライトを点滅させて、二二世紀にあってなお現役の、モールス信号を送って機体を横付けしてきた。リネットは即座に無線を送る。
「だれ!?」
「撃つなよ! おれはエドモンド、島のフェンリルって組織のもんだ。お前ら、マリーを地下室に匿ってくれた二人組だろう?」
マリーと言われても誰かわからなかったが、地下室と聞いて、どうやらあの酒場の女将の名らしいとリネットは理解した。
「あいつに、お前らを助けてやれと頼まれたんでな」
「危うく撃つところだったわ!」
この状況下で、海賊なりに肝がすわったエドモンドはケラケラと笑ってみせた。
「撃つなら、あの幽霊みたいなメイド女にしてくれ。銃は持ってるな!?」
「あいにく、ブラスターしか持ってない」
「こいつを使え!」
エドモンドは、水上バイクに隠してあった連射式のレーザー銃を手渡してきた。エリコは後部キャノピーを開け、海に落ちそうになりつつも手を伸ばしてキャッチする。
「使った事ないけど!」
「セーフティを解除したら、あのクソメイド女の頭か、心臓にぶっ放すだけだ!いいか、挟み撃ちにするぞ!」
それだけ言うとエドモンドは、勝手に散ってしまった。残されたエリコは、慌ててリネットに確認する。
「セーフティってどこ!?」
「左側面の、グリップの上あたりにレバーがあるでしょ! それを水平位置まで上げるの!」
波と風の音に負けないよう、リネットが声を張り上げた。
「射撃の要領は前に教えたでしょ! 任せたわよ!」
そんな無茶苦茶な、とエリコは抗議したかったが、リネットでなければホバーで相手の動きに対応できない。すでに敵は射程内に入りかけていた。
だがエリコは、奇妙なことに気がついた。とっくに攻撃してきてもおかしくないのに、あの黒ずくめのメイドは、じっと距離を保って張り付いているのだ。
そこでエリコは確信した。何者か知らないが、この女もエリコの身柄の確保が目的なのだ。こちらのホバーバイクを沈めるのは、つい先刻に軍のビークルを一瞬で仕留めたように、造作もないことだろう。だが、エリコが死ぬ可能性があるため、撃てないでいるのかも知れなかった。
これを利用する以外にない。だが、不安はあの女が持っているらしい、謎の兵器だった。




